2023年美術館回顧

1. 1月3日 小杉放菴記念日光美術館

小杉放菴記念日光美術館 (1月3日) - トムジィの日常雑記

2. 1月4日 日光東照宮美術館

日光東照宮美術館 (1月4日) - トムジィの日常雑記

3. 1月4日 宇都宮美術館

宇都宮美術館 (1月4日) - トムジィの日常雑記

4. 1月9日 府中市美術館

府中市美術館へ行く (1月9日) - トムジィの日常雑記

5. 1月12日 東京国立博物館

トーハク~博物館に初詣 (1月12日) - トムジィの日常雑記

6. 1月12日 国立西洋美術館 

西洋美術館~山本英子氏の寄贈品 (1月12日) - トムジィの日常雑記

7. 1月19日 埼玉県立近代美術館

埼玉県立近代美術館「桃源郷通行許可証」 (1月19日) - トムジィの日常雑記

8. 2月2日 東京国立近代美術館

東近美雑記 - トムジィの日常雑記

9. 2月28日 東京都美術館エゴン・シーレ

エゴン・シーレ展 (2月28日) - トムジィの日常雑記

10. 2月28日 東京国立博物館

トーハクにも行く (2月28日) - トムジィの日常雑記

11. 3月9日 国立新美術館ルーブル美術館展ー愛を描く

「ルーブル美術館展ー愛を描く」に行く (3月9日) - トムジィの日常雑記

12. 3月20日 府中市美術館

府中市美術館「春の江戸絵画まつり 江戸絵画お絵かき教室」 (3月16日) - トムジィの日常雑記

13. 3月17日 練馬区美術館

練馬区立美術館「本と絵画の800年~吉野石膏所蔵の貴重書と絵画コレクション」 (3月17日) - トムジィの日常雑記

14. 3月23日 東京国立近代美術館

東近美「重要文化財の秘密」 (3月23日) - トムジィの日常雑記

15. 3月30日 ポーラ美術館

ポーラ美術館「部屋のみる夢」 (3月30日) - トムジィの日常雑記

ポーラ美術館常設展~雑記 (3月30日) - トムジィの日常雑記

16. 3月31日 上原美術館

上原美術館 (3月31日) - トムジィの日常雑記

17. 4月1日 池田20世紀美術館

池田20世紀美術館 (4月1日) - トムジィの日常雑記

18. 4月6日 国立西洋美術館

西洋美術館「憧憬の地ブルターニュ」 (4月6日) - トムジィの日常雑記

西洋美術館常設展 (4月6日) - トムジィの日常雑記

19. 4月14日 千住博美術館

軽井沢へ行って来た④ 千住博美術館 (4月14日) - トムジィの日常雑記

20. 4月21日 東京国立近代美術館

東近美「重要文化財の秘密」再訪 (4月21日) - トムジィの日常雑記

東近美「重要文化財の秘密」展示リスト② - トムジィの日常雑記

東近美~所蔵作品展 (4月21日) - トムジィの日常雑記

東近美~修復の秘密と山領まり氏のこと (4月21日) - トムジィの日常雑記

21. 4月28日 東京ステーションギャラリー

東京ステーションギャラリー「大阪の日本画」展 (4月28日) - トムジィの日常雑記

22. 5月5日 遠山記念館

遠山記念館 (5月5日) - トムジィの日常雑記

23. 5月7日 府中市美術館

府中市美術館「江戸絵画お絵かき教室」再訪 (5月7日) - トムジィの日常雑記

24. 5月13日 小杉放菴記念日光美術館

小杉放菴記念日光美術館「旅する日光」 (5月13日) - トムジィの日常雑記

25. 5月13日 宇都宮美術館

宇都宮美術館 (5月13日) - トムジィの日常雑記

26. 5月14日 茨城県近代美術館

茨城県近代美術館 (5月14日) - トムジィの日常雑記

27. 5月18日 東京都美術館

マティス展に行って来た (5月18日) - トムジィの日常雑記

28. 5月26日 青嘉堂

青嘉堂-明治美術狂騒曲 (5月26日) - トムジィの日常雑記

29. 5月31日 龍子記念館

龍子記念館 (5月31日) - トムジィの日常雑記

30. 6月1日 群馬県立近代美術館

群馬県立近代美術館「杉浦非水展 時代をひらくデザイン」 (6月1日) - トムジィの日常雑記

31. 6月2日 高崎市タワー美術館

高崎市タワー美術館「比べて見せます!日本画の魅力」 (6月2日) - トムジィの日常雑記

32. 6月16日 上原美術館

上原美術館 (6月16日) - トムジィの日常雑記

33. 6月17日 湯河原美術館

湯河原美術館 (6月17日) - トムジィの日常雑記

34. 6月17日 成川美術館

成川美術館 (6月17日) - トムジィの日常雑記

35. 6月30日 東京都美術館

マティス展と制作の痕跡 (6月30日) - トムジィの日常雑記

36. 7月13日 鏑木清方記念美術館

鏑木清方記念美術館 (7月13日) - トムジィの日常雑記

37. 7月15日 神奈川県立近代美術館葉山館

神奈川県立近代美術館葉山館 (7月15日) - トムジィの日常雑記

38. 7月27日 東京国立近代美術館

東近美-ガウディとサグラダ・ファミリア展に行く (7月27日) - トムジィの日常雑記

東近美ー所蔵作品展MOMATコレクション (7月27日) - トムジィの日常雑記

39. 7月28日 東京ステーションギャラリー

甲斐荘楠音の全貌-東京ステーションギャラリー (7月28日) - トムジィの日常雑記

40. 8月10日 国立新美術館

テート美術館展を観に行った (8月10日) - トムジィの日常雑記

蔡國強(ツァイグオチャン)展にも行く (8月10日) - トムジィの日常雑記

41. 8月17日 箱根彫刻の森美術館

箱根彫刻の森美術館 (8月17日) - トムジィの日常雑記

42. 8月17日 成川美術館

成川美術館再訪 (8月17日) - トムジィの日常雑記

43. 8月19日 ポーラ美術館

ポーラ美術館「シン・ジャパニーズ・ペインティング」 (8月19日) - トムジィの日常雑記

44. 8月24日 三溪記念館

三溪園に行ってみた (8月24日) - トムジィの日常雑記

45. 8月25日 清春芸術村

清春芸術村 (8月25日) - トムジィの日常雑記

46. 8月25日 康耀堂美術館

康耀堂美術館 (8月25日) - トムジィの日常雑記

47. 8月31日 東京都現代美術館

ディヴィッド・ホックニー展 (8月31日) - トムジィの日常雑記

東京都現代美術館「被膜虚実 特集展示横尾忠則―水のように・ 生誕100年 サム・フランシス」 (8月31日) - トムジィの日常雑記

48. 9月1日 国立西洋美術館

西洋美術館企画展 (9月1日) - トムジィの日常雑記

西洋美術館常設展 (9月1日) - トムジィの日常雑記

49. 9月3日 川越市立美術館

川越市立美術館「杉浦非水の大切なもの」 (9月3日) - トムジィの日常雑記

50. 9月13日 半蔵門ミュージアム

半蔵門ミュージアム《大震災実写図巻》 - トムジィの日常雑記

51. 9月15日 熱海山口美術館

熱海山口美術館 (9月15日) - トムジィの日常雑記

51. 9月27日 東京国立近代美術館

東近美に行って来た (9月27日) - トムジィの日常雑記

52. 9月28日 東京富士美術館

東京富士美術館へ行く (9月28日) - トムジィの日常雑記

53. 10月12日 国立西洋美術館

キュビスム展美の革命 (10月12日) - トムジィの日常雑記

54. 10月26日 東京国立博物館

やまと絵-受け継がれる王朝の美 (10月26日) - トムジィの日常雑記

特別展「やまと絵 受け継がれる王朝の美」リスト - トムジィの日常雑記

55. 11月5日 府中市美術館

インド細密画を観る (11月5日) - トムジィの日常雑記

56.  11月16日 東京国立近代美術館

東近美- 棟方志功展 (11月16日) - トムジィの日常雑記

東近美-所蔵作品展 (11月16日) - トムジィの日常雑記

57. 11月24日 SOMPO美術館

「ゴッホと静物画」展を観た (11月24日) - トムジィの日常雑記

58. 11月24日 中村屋サロン美術館

中村屋サロン美術館と中村屋カレー (11月24日) - トムジィの日常雑記

59. 12月8日   神宮美術館

神宮美術館 (12月8日) - トムジィの日常雑記

60. 12月9日   伊藤小坡美術館

伊藤小坡美術館 (12月9日) - トムジィの日常雑記

61. 12月14日 上野の森美術館

「モネ 連作の情景」展 (12月14日) - トムジィの日常雑記

62. 12月27日 ポーラ美術館

今年の美術館巡りはポーラ美術館で締め (12月27日) - トムジィの日常雑記

今年の美術館巡りはポーラ美術館で締め (12月27日)

 今年の美術館巡りの最後はポーラ美術館。

 狙って訳でもないが、なんとなくそういう星巡りというか。

 

 

モダン・タイムス・イン・パリ 1925

 

 企画展は12月16日から始まったばかりの「モダン・タイムス・イン・パリ1925」。

 いわゆるマシン・エイジとポーラの所蔵品でエコール・ド・パリやフェルナン・レジェやドローネーらのキュビスム、抽象画が中心。ここに工業製品としての化粧用品や香水瓶などのコレクションをコラボ。さらに現代アートも交えている。

モダン・タイムス・イン・パリ 1925 ― 機械時代のアートとデザイン | 展覧会 | ポーラ美術館

  マシン・エイジというとデュシャンを連想する。展示作品はなかったが、デュシャンが監督しマン・レイが協力した《アネミック・カメラ》(東京富士美術館)がずっとビデオ上映されていた。

 当然、工業製品の美みたいな展示もある。

《ブガッティタイプ52(ベイビー)》

《ブガッティタイプ52(ベイビー)》 1920年代後半―1930年代前半、トヨタ博物館
《蓄音機(H.M.V. 32型)》

蓄音機(H.M.V. 32型) グラモフォン社 1927年 H16.4×W40.0×D45.5cm ホーン Diam.58.0cm 東京大学総合研究博物
《蓄音機(H.M.V. リュミエール 460卓上型)》

蓄音機(H.M.V. リュミエール 460卓上型) グラモフォン社 1924-1925年 H27.7×W44.0×D57.2cm 振動板 Diam.36.0cm 東京大学総合研究博物

 別にオーディオマニアでもなんでもないけど、こういうのを見るとちょっとうっとりする。横に犬の置物があったらと思ったのは内緒だけど。

 

 機関車もマシンということでなぜかモネとキスリングが。

《サン=ラザール駅の線路》

 《サン=ラザール駅の線路》 クロード・モネ 1877年 油彩/カンヴァス H60.5×W81.1cm
《風景、パリ—ニース間の汽車》

《風景、パリ—ニース間の汽車》 キスリング  1926年 油彩/カンヴァス H80.7×W100.2cm

 二つとも大好きな作品だけど、なんだか久しぶりに観たような気がする。特にキスリングのこの汽車の絵は。ほとんど脱線寸前みたいな感じがするが、その分汽車の躍動感が強調されている。個人的には「機関車もくもく」と呼んでいる。

《傘をさす女性、またはパリジェン ヌ》

《傘をさす女性、またはパリジェン ヌ》  ロベール・ド ローネー  1913年
油彩/カンヴァス H123.5×W90.3cm

 この絵、割と好きというか気に入っている。判りやすいイメージなんだが、横で観ていた妻に言わせると「傘をさす女性って?」となる。このへんがと示すとなるほどみたいな。

 ドローネーはキュビスム運動に加わるも1910年代に脱して抽象絵画に移行したとは、美術史のテキストなどにある。この絵は抽象絵画としてはやや具象性を残していて、どこかキュビスム的要素もあるような気がする。

 キュビスムピカソ、ブラックによる表現的展開が、「分析的キュビスム」、「総合的キュビスム」にあるとする。そうするとそのフォロワーでもあるドローネーの試みはさしずめ「色彩的ないし色面的キュビスム」とでもいったらいいのではないかと、なんとなく思ったりもしている。

《複数のなかのひとつの像》

《複数のなかのひとつの像》   ワシリー・カンディンスキー 1939年
油彩/カンヴァス H89.4×W116.4cm ポーラ美術館

 正直にいうとカンディンスキーの絵は理解できないでいる。これはパウル・クレーについてもそうだけど理解不能。同じことは難波田龍起についてもいえる。ようは抽象絵画というのがどうにも判らない。ただ作品によっては、なんとなく心をウキウキさせるようなものがあるような。

 抽象作品は絵画がもっていた対象を描く、写すという具象性を捨象して、印象や感覚、感情の様態をそのまま描くというようなことなのかもしれない。そこではフロイト的な無意識であったり、音楽的なリズムやハーモニーとその受容によって生じる心の反応を二次元的に表現するみたいなことなのかもしれない。理知的な作品の解説や分析よりも情動的な部分、説明不能性を優先するようなもの・・・・・・。ますます不明なものに陥る。

 カンディンスキー自身は著作『抽象芸術論―芸術における精神的なもの』の中で、自身の作品を3つに分類しているという。

1. インプレッション(印象)

 外的なもの、対象から受ける印象を表現したもので、キャンバスにデフォルメされてはいるが具象性がある。

2.インプロヴィゼーション(即興)

 内なる感情や記憶を表現したもの。一定の具象物から想起した場合もあり、また感情を動かしたり記憶を喚起するための具象物が作品に散りばめられる。ただし無秩序で自由に表現される。

3. コンポジション(作曲)

 心の中で形成される感情を色彩と造形で表現したもので、インプロヴィゼーションによる形態を綿密に組み合わせて描くもの。具象性はまったく捨象され、記号や幾何学的文様を組み合わせること構成される。

 なんとなく意味合いは判るのだが、いざ作品に接すると。それをどう言語化(理解)するのかというところで途方に暮れてしまう。上記の作品でも中央に描かれているのは人物の顔のようでもあり、その右横には魚のようなそうでもないような、さらに両側にいるのは人間のようでもあり、どこか海生生物のようでもあり。ようは「考えるな、感じろ」みたいなところに逃げ込むような。

 《ポスター「1931年パリ万国植民地博覧会」》

 《ポスター「1931年パリ万国植民地博覧会」》 ジャン・ヴィク トル・ドゥムー
1931年 リトグラフ/紙 H159.7×W120.6cm 京都工芸繊維大学美術 工芸資料館

 万国植民地博覧会というインパクトのあるタイトル、そしてエキゾチックであるが本質的に植民地の住民に対する差別性を内包するような絵柄。第二次世界大戦以後、植民地が解放されてから80年を経た現代にあっては明らかにNGな作品だ。

 そもそもこの万国植民地博覧会は、英国に次ぐ植民地帝国フランスがその最盛期でもある1931年5月~11月に開催したもので800万人が入場した。しかし植民地の現地人25000人を見世物的に披露するなどで「人間動物園」と称された曰く付きの博覧会でもあった。

【歴史散策】ヴァンセンヌの森の国際植民地博覧会(1931年)の会場跡。 - OVNI| オヴニー・パリの新聞 (閲覧:2023年12月30日)

Paris Colonial Exposition - Wikipedia (閲覧:2023年12月23日)

《ファルコネッティ嬢》

《ファルコネッティ嬢》 キスリング 1927年 油彩/カンヴァス H129.9×W89.3cm
《 パリ 》 

《 パリ 》 ラウル・デュフィ 1937年 油彩/カンヴァス 4面、各面H190.0× W49.8cm
《現実線を切る主智的表情》

   《現実線を切る主智的表情》 古賀春江  1931年(昭和6)油彩/カンヴァス H111.5×W145.2cm 株式会社西日本新聞社福岡市美術館寄託)

 これは初めて観る作品。代表作《海》と同じくシュルリアリズム的な作品で、写真誌、科学雑誌などに掲載された写真からのコラージュ作品だが、簡潔なイメージだ。これについてはWikipediaの説明を引用する。

「現実線を切る主智的表情」画面左の射撃手は「アサヒグラフ」1926年2月24日号pp.8-9の「湖上佳人の射撃練習」を利用したものと推測されている。また、スケッチ段階で射撃手が持っていたのはライフル銃であったのに対し、最終的な絵ではライオット・ガンに変更されている。このライオット・ガンは、「アサヒグラフ」1928年2月22日号p.11の写真「新型自動ライフル銃」を用いたものとみられる。画面右の馬と柵は「アサヒグラフ」1926年6月2日号p.14の「かろがろと飛び越えて」の馬を利用したものである。馬に乗っているロボットは、当時の日本で1931年を頂点としてロボット・ブームがあり、その影響によるものとみられる。

古賀春江 - Wikipedia (閲覧:2023年12月30日)

ゲルハルト・リヒター

ゲルハルト・リヒター《ストリップ(926-3)》

《ストリップ(926-3)》 ゲルハルト・リヒター 2012年

 リヒターの新収蔵品である。このコーナーではポーラ美術館が所蔵するリヒター作品3点で1室を使っている。昨年、香港のオークションで30億円で落札して新収蔵した《抽象絵画 (649-2) 》も展示されている。この《ストリップ》はいくらだったんだろうと、下世話なことを考えてしまったり。

抽象絵画(649-2)》 ゲルハルト・リヒター

 

コレクション展

 1室にポーラ美術館を代表する印象派の名画が集められている。どれもお馴染みの作品ばかりだが、改めて観ているとやはりセザンヌ、モネ、ルノワールらの作品が秀でていることがわかる。

 何かの本で展覧会に行ったときには、一つの部屋-展示場所で一番気になった作品、気になった作品を選ぶこと、そしてそれがなぜ気に入ったかを考えてみることが大切みたいなことが書いてあった。ある意味、展覧会での美術鑑賞の基本中の基本なのかもしれない。なんとなくそんな感じで作品を観ることが多いのだが、この部屋でさすがに1点だけを選ぶのは難しい。それほどポーラ美術館の印象派コレクションは粒ぞろいともいえる。

 その中で気に入った作品をいくつか。とはいえまあ定番中の定番ではあるけれど。

セザンヌ《砂糖壺、梨とテーブルクロス》

《砂糖壺、梨とテーブルクロス》 ポール・セザンヌ 1893-94年
 油彩・カンヴァス 50.9×62.0cm

 この作品はモネやルノワールの名画と並べても異彩を放っている。存在感がありあり。単なる静物画ではない。卓抜な構成面、左の厚手の布、砂糖壺、果物、それらの多視点的配置、さらに色調など、すべて部分で不均衡でありながら絶妙なバランスを感じる。セザンヌは生涯に約200点もの静物画を制作しているというが、その中でも特に秀でた作品の一つではないかと改めて思ったりもする。

 この絵が展示してある壁面のちょうど逆側にゴーギャン静物画が展示してある。ゴーギャンがまだそのオリジナリティを確立する以前、印象派的な画風での習作と思わしきもので、それ自体美しい静物画なのだが、セザンヌ作品に対峙させるとやはりのインパクトには大きな差がある。ポーラ美術館もずいぶんと意地の悪い展示を行うものだと思ったりもする。もちろん好みの問題もあり、ゴーギャン作品を良いと感じる人も多数いるだろう。

 そしてまたこうも思う人も多分多いだろう。あのゴーギャンがこんな絵を描いていたのかと。

ポール・ゴーガン 《白いテーブルクロス》

《白いテーブルクロス》 ポール・ゴーギャン 1886年 油彩・板 54.4×58.2 cm
ルノワール《レースの帽子の少女》

《白いレースの帽子の少女》 ピエール・ルノワール 1891年
 油彩・カンヴァス 55.1×46.0cm

 美しい作品。印象派の表現から脱し色彩表現へと向かい「真珠色の時代」と称された時期の作品。西洋美術館の《帽子の女》とともに、国内のルノワール作品の中でも一、二を競うような名画だと思う。というよりもルノワールが描いた女性の肖像画の中でも十指に入るような。

 お隣に展示してある《髪飾り》(1888年)の椅子に座る少女が着ているドレスとこの《白いレースの帽子の少女》のドレスは同じものだ。ドレスはルノワールの所有していたものだと何かで読んだ記憶がある。

ルノワール《髪飾り》

《髪飾り》 ピエール・ルノワール 1888年 油彩・カンヴァス 81.4×57.3cm
モネ《睡蓮》

《睡蓮》 クロード・モネ 1907年 油彩/カンヴァス 93.3×89.2 cm 0

 今回のコレクション展でモネの作品は5点展示している。《散歩》、《セーヌ河の日没、冬》、《ルーアン大聖堂》、《睡蓮の池》とこの《睡蓮》。「マシン・エイジ・イン・パリ」の方に《サン=ラザール駅の線路》がありだが、やはりポーラのモネコレクションを代表する《ジヴェルニーの積みわら》、《バラ色のボート》の展示はない。積みわらの方は確か上野の森美術館のモネ展のほうに行っていたように記憶している。

 今回の展示作品の中でいうと、これまでだと文句なく《睡蓮の池》(1899年)が一押しだった。日本風の太鼓橋と美しく咲く睡蓮が散りばめられた池を描いた作品だ。だけれど今回はというとどこかこの《睡蓮》の落ち着いた雰囲気がしっくりきた。《睡蓮の池》はなんとなく賑やかしのような、ちょっと過剰な表現のような気がして。それがその日の気分だったのか、それとも自身の趣向が変わってきたのかちょっと判らない。

 この《睡蓮》の落ち着いた色調、雰囲気。これが次第に具象が崩れ抽象めいていくのが、これ以後のモネだ。西洋美術館の《睡蓮》(1916年)は色調や筆触が大きく変わっていく。多分、目の病気のせいもあるかもしれない。とりあえず今回のモネのベストワンはこの《睡蓮》。

モネ《睡蓮の池》

《睡蓮の池》 クロード・モネ 1899年 油彩・カンヴァス 88.6×91.9cm
スーラ《グランカンの干潮》

《グランカンの干潮》 ジョルジュ・スーラ 1885年 油彩・カンヴァス 66.0×82.0cm

 これも大好きな作品だ。制作点数の少ないスーラの作品としては国内でも唯一無二みたいなものかもしれない。点描表現による計算された構成、筆致によりながら、抒情性が醸し出される。スーラは点描表現において科学性、理論面を研究したというが、この抒情的な雰囲気は単なる理論家のそれではないように思える。32歳という若さで早世したのが残念でもある。20世紀まで生きていたら、どんな風に作風を変化させていったか。

 この作品の左側にはピサロの点描作品《エラニーの花咲く梨の木、朝》があり、右側には上で紹介したゴーギャンの《白いテーブルクロス》がある。スーラと比べるとピサロのそれは残念だが習作のようにも思える。同じく印象派的習作のようなゴーギャンも含め、スーラと比べるとかなりの差を感じる。真ん中にスーラを持ってきた意図は一目瞭然かもしれない。

ボナール《浴槽、ブルーのハーモニー》

《浴槽、ブルーのハーモニー》 ピエール・ボナール 1917年頃 
油彩・カンヴァス 45.8×55.1cm
黒田清輝《野辺》

《野辺》 黒田清輝 1907年 油彩・カンヴァス 54.9×72.8cm
杉山寧《洸》

《洸》 杉山寧 1992年 麻布彩色・額装 180.0×220.0cm

西洋美術館常設展示 (12月14日)

 上野の森美術館のモネを観た後、時間が少しだけあったので西洋美術館にも寄ってみた。時間は4時くらいだったので正味1時間半の勝負。まあ何度も来ているところなので1時間ちょっとでも楽しめるし、なんとなく時間配分も自然とできる。

モネ補遺

 西洋美術館のモネのコレクションは国内有数の規模だ。上野の森のモネ展にも《波立つプールヴィルの海》が貸し出されているみたいだが、主要作品はほぼすべて観ることができる。上野のモネは西洋美術館で完結するみたいな感じだろうか。

《雪のアルジャントゥイユ》 

《雪のアルジャントゥイユ》 1875年 油彩・カンヴァス 55.5×65cm 松方コレクション

 上野の森の方では《アルジャントゥイユの雪》(ジュネーヴ美術史美術館)が出品されている。英語のタイトルは《The snow at Argentuil》。でもって西洋美術館のこの作品の方は《Snow in Argentuil》。微妙だ。

 いずれも1875年の作品。モネは35歳でこの時期、妻カミーユと生まれたばかりのジャンを連れてアルジャントゥイユに暮らし始めた。生活は困窮しマネの援助を受けている。1876年、エルネスト・オシュデと知り合いモネの作品を多く買い上げてもらうなど、援助を受けているが、その翌年オシュデが破産し、モネの経済状態も悪化する。その翌年の1878年、病弱なカミーユは3月に次男ミシェルを出産するも健康状態は悪化し、9月に32歳で亡くなる。

 この時期、アルジャントゥイユで過ごしたモネの生活は困窮状態にある。そんな中で制作された作品の1点。モネは雪景色を多数描いている。オルセーの《かささぎ》なども有名。印象派の画家では、シスレーピサロも雪景色を題材にした作品もあるが、やはりモネの表現は抜きんでているような気がする。

《舟遊び》

《舟遊び》 1887年 油彩・カンヴァス 145.5×133.5cm 松方コレクション

 多分、西洋美術館のモネの中ではこの作品が一番好きかもしれない。そしておそらく《睡蓮》とともに西洋美術館のモネ作品の目玉的なものかもしれない。たまに長期で見かけないときは海外に貸し出されることもある。以前、「《舟遊び》しばらく見ませんね」と監視員に聞いたとき、「今は海外に旅してます。帰ってくるのは半年くらい先です」みたいな答えが返ってきたことがあった。

 舟上のモデルはアリス・オシュデの娘のブランシュとシュザンヌ。モネとオシュデの家族はエルネストが破産した後一緒に住んでいて、アリスは病床にあるモネの妻カミーユの面倒をみている。カミーユが死んだあとも、アリスとその子どもたちはモネと同居を続けている。カミーユが亡くなったのは1879年なので、この《舟遊び》は8年も後の作品だ。

 その後、アリスの夫でかってのモネの支援者だったエルネスト・オシュデは1891年に亡くなり、翌1892年7月にモネとアリスは正式に結婚する。支援者の妻との同居が始まったのは1878年8月なので14年の歳月を経ている。こういうのも道ならぬ恋みたいなことになるのだろうか。

《睡蓮》

《睡蓮》 1916年 油彩・カンヴァス 200.5×201cm 松方コレクション

 モネは1908年頃から視力が低下していき、1913年に白内障と診断され後に2度手術を受けている。自分も片方だけだけど去年白内障の手術を受けたけど、たしかに両目ともにこの病気だと視力は相当に低下して、周囲はぼやけていく。晩年のモネの絵は抽象的ともいわれるが、これは多分病気の影響が大なのではないかと思っている。モネと白内障について言及したブログもググるとけっこう目にすることもある。

眼科の豆知識~画家モネと白内障~ | 金沢文庫アイクリニック 

(閲覧:2023年12月20日

第95話:白内障の話 その2 モネと白内障: ひらめきの散歩道

(閲覧:2023年12月20日

 モネの目の状態の悪化は、まちがいなく絵の表現にも影響している。晩年の《睡蓮》や《薔薇の小径》などの連作はほとんど抽象画と化しているものがある。そして20世紀の新進気鋭の画家たちによってモネの晩年の作品は再評価され、抽象画の嚆矢とされていたりする。抽象画と眼病、多分そういう論文がけっこうあるのではないかと思ったりもする。

 本作は西洋画のコレクションを開始した松方幸次郎がモネのアトリエを直接訪ねて、画家本人から購入したということは有名だ。

その他の常設展示

 今回の常設展示では1点も撮影していない。というか最近は西洋美術館の常設展示ではもう撮影することはほとんどない。基本ミーハーなので、撮影可だとけっこう写真は撮る。試しに西洋美術館の作品画像どのくらいあるか、適当に写真保存してあるフォルダーを見てみた。西洋美術館に最初に行ったのは、割と遅咲きで2015年頃から。というか美術館を回るようになったのも多分その前後から。

 それでまあ全部ではないと思うけど、適当に抜き出してみるとあっという間に200点くらいの画像が出てきた。もちろんかなりの重複はあるにしろ、けっこうミーハーそのもので撮っているみたいだ。その中のいくつかをアップする。

《悲しみの聖母》

《悲しみの聖母》 カルロ・ドルチ 1655年頃 油彩・カンヴァス

 ピックアップした画像で一番多かったのが実はこれ。西洋美術館でこれが一番好きということでもないのだけど、なんていうか来るたびに撮っている。ときには顔のアップ、指のアップ、青いマントのドレイパリーのアップなんかも。ショップで額絵も買ったりもしているので、多分に相当好きだということだ。

 ジャンルというか時代的にはバロック様式に入るのだろうか。ドルチはこの絵と似通った聖母像を多数制作している。たしか《親指のマリア》とかだったか。江戸時代中期密入国して捕縛され幽閉されたイタリア人シドッチの所持品の中に《親指のマリア》の複製があったと、たしかトーハクでそれを見た記憶があるのだが定かではない。

《自画像》

《自画像》 マリー=ガブリエル・カペ 1783年頃 油彩・カンヴァス

 これも何枚も画像が出てきた。多分気に入っているのだと思う。カペは18世紀末から19世紀初頭にかけて活躍した女流画家。フランス革命後に女性に門戸を開いたサロンに最初に参加した画家の一人だとか。でもこの当時、女性が画家として生きていくのはたいへんなことだったのではと想像する。ましてこの美貌だし。

 この作品は彼女が22歳くらいの頃の作品。自信ありげに上から目線くれている、小生意気というか、自分の才能にある意味絶対の自信もっているような表情。ロココの時代の末期、こういう野心的な女性画家が出てきたのは、やっぱり新しい時代の到来ということだったのだろうかなどと思ったりする。

《帽子の女》

《帽子の女》 ルノワール 1891年 油彩・カンヴァス 56×46.5cm 松方コレクション

 たぶんこの作品も西洋美術館で一、二を争う人気作品。国内のルノワール作品ではこの作品とポーラ美術館の《レースの帽子の少女》が抜きんでているような気もする。いずれも「真珠色の時代」の代表作。この作品も額絵を持っていて階段のところにかけていたりする。

アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》

アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》 ルノワール 1872年 
油彩・カンヴァス 156×128.8cm 松方コレクション 

 戦後、松方コレクションをフランスに返還要求したときに、フランスがこの作品を日本に返還するのを渋ったと聞いたことがある。返還交渉を通じて、よくぞこの作品を戻すことに成功したと、交渉にあたった外交官を絶賛したくなる。第一回の印象派展が開かれたのが1874年なので、印象派以前の作品といえるかもしれない。

 図録解説によれば、ルノワールは自信作としてサロンに出品したが残念ながら落選したとある。主題的にはドラクロワの《アルジェの女たち》に着想を得たということから、ロマン主義的な影響もあるのかもしれない。サロンの落選でルノワールもまた新しい表現として印象主義に向かう契機の一つになった作品かもしれない。

《洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ

《洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ》 ティツィアーノとその工房 1560-70年頃
 油彩・カンヴァス 90×80.3cm

 これも何度も写真を撮っている。工房の作品だがX線写真などの解析によるとサロメの右腕や侍女の首のあたりはティツィアーノの真筆であるとされている。しかしサロメといえばファム・ファタール(運命の女)=男を破滅させる魔性の女の代名詞とされる。やはりモローの《出現》やビアズリーの妖艶な挿絵などが有名だ。それに対してこの作品はというと、なんというか肝っ玉母さん風というか女の二の腕みたいな感じをいつもしてしまう。とても魔性の女には見えないが、この二の腕なら断首も容易かと納得したり。

《あひるの子》

《あひるの子》 ジョン・エヴァレット・ミレイ 1889年 油彩・カンヴァス 121.7×76cm 水嶋徳蔵氏より寄贈(旧松方コレクション)

 これも何枚も写真が出てくる。それだけ自分にとっては印象深い作品なのかもしれない。とにかくこの少女の正面を見据えた視線、目力みたいなものを感じさせる。

《母と子(フェドー夫人と子どもたち)》

《母と子(フェドー夫人と子どもたち)》 カロリュス=デュラン 1897年 
油彩・カンヴァス 190.5×127.8cm 松方コレクション

 これも好きな作品。なんていうか画力の高さ、三角形の安定した構図など、とにかくスキがないというか。こういうのが名作、名品というのだろうなとなんとなく思っている。

 カロリュス=デュランは第三期共和制期のサロンで活躍した画家で、後に国民美術協会の会長に就任するなど人気を博した人。日本から留学した藤島武二や有島生馬も師事したという。

《哲学者クラテース》

《哲学者クラテース》 ジュゼペ・デ・リベラ 1636年 油彩・カンヴァス 124×98.5cm
ゲッセマネの祈り》

ゲッセマネの祈り》 ジョルジョ・ヴァザーリ 1570年頃(?) 油彩・板 143.5×127cm

 何度か観ているうちに、ヴァザーリヴァザーリ、どこかで聞き覚えがあるなと思っていて、『芸術家列伝』の著者であることを思い出した人。『芸術家列伝』は全部は読んでいないけど、主要な画家についてはつまみ食い的に読んでいる。ルネサンス期の芸術家のエピソードはたいていのこの本に拠っていることが多い。画家にして建築家、芸術理論家であり、同時代の芸術家の評伝を記録した人。

 

「モネ 連作の情景」展 (12月14日)

 

「モネ 連作の情景」展を観て

 来場者が20万人を超えたという上野の森美術館で開催されている「モネ 連作の情景」展を観てきた。人気とはいえウィークデイなのでそれなりの混雑かなと思っていたのだけど、いやいやめちゃ混みでした。平日料金2800円、土日は3000円という入場料なのに。いや~、モネってやっぱりすごい人気なのですね。モネだけの作品による大回顧展、展示リストや図録によると作品総数は75点。とはいえよくよくリストを観てみると、ちょこちょこ抜けていてぜんぶで63点。

 開催は上野の森美術館と大阪中ノ島美術館の二か所。上野が2023年10/20~2024年1月28日、大阪が2024年2月10日~5月6日までという、けっこうロングランでもある。多分東京で見ることができない12点は大阪でということになるのでしょう。

 しかしウィークデイでもこの混雑は、最近だとトーハクの「やまと絵」に匹敵するかもしれない。さらにいえば画家単体でいえば、もはや若冲かモネみたいな感じなのだろうかなどと思ったり。さらに意地悪くいえば、モネだったら至近にある西洋美術館に行けば常時5~6点は観れるのになどと思わないわけでもない。まあいいか。

 

 会場内は本当に混んでいて各作品の前は長蛇の列。キャプションをじっくり見方々、さらに音声ガイドの印がついている作品の前での渋滞はなかなかなもの。自分はというと、途中から列に並ぶのやめて空いてそうなところに転々とし、あとは鑑賞者の列の後ろから観たりした。

 ただし妻は車いすなのでもうひたすら列に並ぶしかない。基本的に美術館では妻とは別行動とって妻は自走する。お互い自分のペースで観るというのでずっときている。ただし混んでいる展覧会だと妻はなかなか進まない。車いすの関係でとにかく一番前で観るしかないので。上野の森美術館は1階、2階が展示室になっているので、自分は1階をひととおり観てから妻のところに戻って、今度は妻の車いすを押しながらということにした。

 そして二階への移動だが、上野の森美術館には鑑賞者用のエレベーターがない。二階に上がる場合には監視員に言って、バックヤードに案内してもらい、作品や資材の搬入搬出用のエレベーターで上がる。こういう美術館は何度か経験しているし、上野の森美術館も初めてではない。記憶にあるのでは府中市美術館もエレベーターは作品搬入搬出を兼用している。

モネの連作について

 今回のモネ大回顧展のコンセプトはモネの連作にスポットをあてている。同じ主題、モチーフを異なる角度や視点から、異なる時間、異なる季節を通して何度も描く「連作」の効果を、モネが「連作」というアイデアを生み出すに至った経緯に主眼を置いた、日本で初めての展覧会というの売りらしい。

 モネの「連作」というと、一般的には<積みわら>、<ポプラ並木>、<ルーアン大聖堂>、<睡蓮>、<セーヌ川の朝>などが有名で、さらに<エトルタの断崖>などがある。「連作」に主眼を置いてということなので、どんな作品があるかと思ったのだが、例えば<積みわら>は3点のみ。それも自分には割とおなじみのポーラ美術館と大原美術館の2点とスコットランド・ナショナル・ギャラリーの《積みわら、雪の効果》だけである。図録にはこれもおなじみの埼玉県立近代美術館所蔵の《ジヴェルニーの積みわら、夕日》が掲載されているので、これは多分大阪会場での展示ということか。<睡蓮>は4点あるが、国内でも有名なポーラ美術館のものもない。アーティゾンの《睡蓮》は図録に掲載があるので大阪会場のみの展示のようだ。

 その他はというと<ルーアン大聖堂>は1点もない。モネがロンドンに旅行したときの連作では<チャリング・クロス橋>が1点、<ウォータールー橋>は3点。他に<エトルタ>は2点だった。

 そういう意味では「連作」に焦点をあてたというのはちょっと言い過ぎじゃないかなどと少しだけ思った。いや、期待値が大き過ぎて。とはいえモネ、こんな作品描いていたんだとか、こういうモティーフ、こんな構図、など新しい発見もたくさんある。さらにいえば基本印象派好き、モネ好きなので、これだけの作品を観ることができるのは眼福至極という感じで、展覧会としては大満足のものでした。

気になった作品

《昼食》

《昼食》 1868-69 油彩・カンヴァス 231.5×151.5cm 
シュテーデル美術館(フランクフルト)

 「連作」がテーマの企画展だけど、ある意味この作品が目玉のよう。印象派以前のモネの大作で渾身の自信作だったが、1870年のサロンに落選してしまう作品。この落選によりモネは新しい表現ー印象主義に向かうことになった転回点となった作品なのだとか。美術史のイフ的にいうと、もしもこの作品がサロンに入選して、モネが売れっ子作家となっていたら、印象派は違っていたものになっていたか。いや多分、遅かれ早かれモネは光に移ろう瞬間をキャンバスに閉じ込めるような表現に向かったのではないかと思ったりもする。

 この作品は中産階級の家庭生活の一コマを切り抜いたような作品で、ジャンル的には風俗画の類。黒の表現などには明らかにマネの影響がありそう。あとこういうテーマは当時、モネが親しくしていたフレデリック・バジールが描いていたような気がする。バジールはモネの画家としての友人だけでなく、経済的にも支援していた。その後、1870年に普仏戦争が起きるとモネは兵役から逃れるためロンドンに向かった。一方、バジールは兵役を志願し戦死する。もしもバジールが生き延びていたら、カイユボットと同じく画家でありながら、他の印象派の画家を支援し続けたのだろう。

《ザーンダムの港》

《ザーンダムの港》 1871年 油彩・カンヴァス 47.5×74.0cm 
ハッソ・プラットナー・コレクション

 普仏戦争によりロンドンに避難したモネは帰国の前にオランダのザーンダムに滞在した。そのとき描いた作品の一つで、すでに印象主義の萌芽がある。前景の大きな杭が協調されるのは浮世絵の近像型構図の影響かもしれない。

《モネのアトリエ舟》

《モネのアトリエ舟》 1874年 油彩・カンヴァス 50.2×65.5cm
クレラー=ミュラー美術館

 アトリエ舟はモネがボートの上に小屋を設置しアトリエとして使ったものだ。モネはこの船に乗り、水上から河岸の景色を描いたのだという。アトリエ舟で思い出したのは、清春芸術村で見たアトリエカーだ。あれはたしか画廊が足腰の弱った梅原龍三郎のために作ったものだったか。

《ヴェトイユ》

《ヴェトイユ》 1880年頃 油彩・カンヴァス 59.7×80.0cm 
グラスゴー・ライフ・ミュージアム

 

 まさに印象主義そのものというような風景画だ。前景には緑の草に補色的に小さな赤い花を模様のように描いている。ちょっと面白いと思ったのは右下のサインも赤い絵の具を使っているところ。

《ヴェトゥイユの教会》

《ヴェトゥイユの教会》 1880年 油彩・カンヴァス 50.5×61.0cm
サウサンプトン美術館 

 1878年、支援者だった百貨店経営者エルネスト・オシュデが破産する。モネの経済状況は厳しくなるなか、セーヌ川沿いの小さな村ヴェトゥイユに転居、モネと妻のカミーユ、そしてオシュデと妻アリス、その子どもたちの奇妙な同居生活が始まる。オシュデはその後事業の再起を図るためパリに戻る。オシュデの妻アリスはモネやモネの病弱の妻カミーユの世話をする。そして1879年カミーユが死去する。

 1880年はモネはサロンに復帰し、少しずつ絵が売れ始め生活にもゆとりが出始める。経済的困窮と妻の死、そういうどん底から少しずつ明るい兆しが見え始めた、そういうモネの心理状態を映すかのような明るい情景でもある。

 1881年にヴェトゥイユを去ったモネは、1901年から翌年にかけて再びヴェトゥイユを訪れてこの教会を15点の連作で描いている。

《ヴェルノンの教会の眺め》

《ヴェルノンの教会の眺め》 1883年 油彩・カンヴァス 64.8×80.0cm
 吉野石膏コレクション(山形美術館寄託)

 美しい印象主義的な風景画。こういう絵を観ていると、モネの画力がシスレーピサロよりはるかに優れていることがなんとなく判る。全体の雰囲気は表現はたしかにシスレーがよく描いていそうな構図ではあるのだけどどこか違う。シスレーピサロには凡庸さを感じてしまう。

 この絵は吉野石膏コレクションである。たしか三菱一号館で開かれた「印象派からその先へ—世界に誇る吉野石膏コレクション」展でこの作品は観ている。

モネの空気遠近法?

《ヴァランジュヴィルの漁師小屋》

《ヴァランジュヴィルの漁師小屋》 1882年 油彩・カンヴァス 58.0×71.5cm
 ボイマンス・ファン。ベーニング美術館(ロッテルダム
《ヴァランジュヴィルの教会とレ・ムーティエの渓谷》

《ヴァランジュヴィルの教会とレ・ムーティエの渓谷》 1882年 油彩・カンヴァス 59.7×81.3cm コロンバス美術館
《ヴェンティミーリアの眺め》

《ヴェンティミーリアの眺め》 1884年 油彩・カンヴァス 65.1×91.7cm
 グラスゴー・ライフ・ミュージアムグラスゴー市議会委託)

 この3点が今回の展覧会で一番気に入った作品かもしれない。いずれも近景、中景、後景という風に画面が三つに分かれている。面白いと思ったのは、近景は筆触分割による印象派的な表現で、日光による鮮やかな景色を演出している。そして中景には筆触分割が用いられていない。さらに後景の空は淡く薄い色彩でかすむように描かれている。これって空気遠近法?と思わせるものがある。

 至近の筆触分割、中景、後景はオーソドックスな自然主義的な風景画の様式に則っているような、そんな感じの絵だ。モネは風景画の革新を目指すうえで最適な解をもとめるために様々な表現、様式をひとつのカンヴァスの中で試みていたのかなどと、ちょっと思いつきっぽく考えたりした。もっともこれは当時にしろ、今にしろ、まあ普通の表現なのかもしれないけれど。

サヴォイ・ホテルのモネ

《チャリング・クロス橋、テムズ川

《チャリング・クロス橋、テムズ川》 1903年 油彩・カンヴァス 73.4×100.3cm
 リヨン美術館 
《ウォータールー橋、曇り》

《ウォータールー橋、曇り》 1900年 油彩・カンヴァス 65.0×100.0cm
 ヒュー・レイン・ギャラリー(ダブリン)

(ロンドン拡大図)

 1890年後半頃までには、モネの連作絵画は好調な売れ行きをみせていて、モネは裕福になっていった。1899年9月、大規模な絵画制作のため、再婚したアリス・オシュデとともにロンドンに旅行し、テムズ川沿いのサヴォイ・ホテルの6階にあるスイート・ホテルに6週間滞在した。今では五つ星ホテルとしてロンドン、いやヨーロッパを代表するサヴォイ・ホテルである。

 ホテルの部屋のバルコニーからモネは、ウォータールー橋やチャリング・クロス橋の景色を数点の絵に描いている。そうした連絡として上記二点が展示されている。図録にはロンドンの拡大図が掲載されていて、サヴォイ・ホテルから見たそれぞれの橋の位置関係がわかるようになっている。まさにホテルのバルコニーからみた橋の景色である。

 しかしあの高級ホテルのスィートに6週間にわたって滞在し、作品制作を行ったというのは、モネが当時まさに売れっ子中の売れっ子画家だったことを証明しているかもしれない。

 サヴォイ・ホテルは興行主だったリチャード・ドイリー・カートによって設計されたイギリス最初の高級ホテルだ。多くのセレブリティが定宿にしたことでも有名、特に当時の大スターたちが利用したり、そこに住んだことでも知られている。

サヴォイ・ホテル - Wikipedia (2023年12月19日)

サヴォイの有名人 | 歴史 | The Savoy (2023年12月19日)

ジヴェルニーのモネ邸

 図録の巻末の関連地図の中にジヴェルニーのモネ邸と庭の見取り図が掲載されていた。我々はモネがキャリアの後半をこの自邸で過ごしたこと、その庭で多数の作品を描いたことは知っている。しかしその庭がどのくらいの規模であるのかなどは知る由もない。この地図によってモネの自邸が思った以上に広大であることなどを知ることができる。

 モネの自邸は今は観光名所にもなっているようだが、この広さだと回るには数時間、あるいは半日くらいは要するかもしれない。川から水をひいて作った睡蓮の池の規模もなかなかなものだ。なにより驚くのは自邸やアトリエから薔薇の小径を通って睡蓮の池に行くには、鉄道の線路を横切るのである。モネの家には鉄道の線路が横切っているというのはちょっとした驚きでもある。

 モネは毎日のように自邸から睡蓮の池まで行き、そこで写生して、帰ってからアトリエで手を加える。場合によっては、日時で移ろう景色を描くために、別のキャンバスを義理の娘ブランシュに持ってこさせ、複数の絵を同時に描くということもあったのだという。こういう地図を見ると、モネの制作の日々がより具体的なものとして想像できるような気がする。

伊藤小坡美術館 (12月9日)

伊藤小坡美術館 | 猿田彦神社(三重県伊勢市)  (閲覧:2023年12月17日)

 ここを訪れるのは三度目。というかここ三年、伊勢志摩に行くたびに訪れている。こじんまりとした小さな美術館。世間的には土曜日で、伊勢神宮外宮周辺は駐車場待ちの車が列を連ねている。駐車場からおはらい通りを内宮に向かう参拝客も多い。そういう世間の喧騒とはまったく無縁。美術館の前の駐車場には車が一台もなく、館内も我々以外誰もいない。土曜日でも午前中はずっとこんな感じだろうか。

 伊藤小坡は明治、大正、昭和と活躍した女流画家。もともと伊勢神宮近くの猿田彦神社宮司の長女として生まれた。そういうことで猿田彦神社近くのこの場所に小さな美術館があるのだろう。

 1877年(明治10)生まれで、幼少の頃より古典文学、茶の湯柔術を習い、1895年に京都四条派の流れをくむ磯部百鱗に絵の手ほどきを受け歴史人物を好んで描いた。

 1898年(明治31)、画家になることを決意し京都に出て森川曽文に師事し、同時に美術史家や漢学者らから漢学、国語、美術史、漢字を学んでいる。1900年(明治33)からは谷口香嶠に師事し、1907年(明治40)の京都新古美術展に出品して四等賞を受賞して画家としての基盤を確立する。

 1905年(明治38)に同門の伊藤鷺城と結婚し、1906年から1914年までに三女をもうけ、家事や子育てに勤しみながら画業を続け、1915年(大正4)に第9回文展に出品した《制作の前》が初入選三等賞を受賞して、上村松園に続く女流画家として脚光を浴びた。

 以後、日常風俗を描写したものから歴史を題材にしたやまと絵まで幅広いジャンルで活躍。1928年(昭和3)に51歳で竹内栖鳳の竹杖会に入会し、歴史画の大作を次々と発表。画業と家庭生活を両立させ1968年(昭和43)、90歳と長寿を全うした。

 上村松園よりは2歳下、松園が竹内栖鳳門下となったのは20歳の時で、一方小坡は51歳。20代から活躍した松園に対して、家事育児のため家庭に入っていたとはいえ、小坡はかなり遅咲きかもしれない。以前、二人を比較して一子をもうけたけれど家事育児を母親にまかせて画業を突き進んだ松園と、家事育児と画業を両立させた小坡、どちらも女流画家として茨の道を歩んだのだろうと思ったりもした。

名都美術館へ行く~「上村松園と伊藤小坡」 (5月14日) - トムジィの日常雑記

 女流画家というともう上村松園の一人勝ちみたいな感じもする。帝国芸術院会員、帝室技芸員文化勲章受章と評価はまさに一人勝ちだ。でもどこかその生き方、性格の凛とした部分とかも加味された評価のような気もしないでもない。戦後の評価は宮尾登美子の小説によるところも大きいかも。

 しかし画力や作品の質という点でいえば、伊藤小坡もけっして劣っていないような気もする。作品のジャンルという点でいえば小坡が歴史画なども描いていて、かなり幅広さがあるのに対して、松園はどこか偏狭というか、まあパターンが決まっているような気もしないでもない。

 近代日本の女流画家ということでいえば、伊藤小坡だけでなく、野口小蘋、奥原晴湖などももっととりあげるべきかなどと思ったりもする。

 

《秋草と宮仕へせる女達》 1928年(昭和3)

 竹内栖鳳の竹杖会入会を機に日常的な題材から、王朝物語などをモチーフにした作品を発表するようになる。この作品も『源氏物語』に想を得たもので、中央に秋好中宮を描き、その周囲に同じ『源氏物語』に登場する7人の女性を描いている。いずれもやまと絵的なひき目かぎ鼻ながら、きちんと表情というかキャラクターの表情が差異化されている。十二単の着物の柄なども美しい。

 

《秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)図》 1929年(昭和4)

秋好中宮は、『源氏物語』に登場する人物で、光源氏の従妹に当たり、前斎宮であり、冷泉帝の女御であったことから斎宮女御とも呼ばれる。秋好中宮という呼称は、『源氏物語』には現れず、後世の読者が与えた名で、源治が彼女に近づいて「あなたは春と秋のどちらがお好きか」と尋ねた際、「母御息所(みやすどころ)の亡くなった秋に惹かれる」と応じたことに由来する。 「主要解説」ー伊藤小坡美術館より

 

《伊賀のつぼね》 1930年(昭和5)

 この美術館の目玉というか代表作にして、伊藤小坡の代表作でもある傑作。

伊賀のつぼね(伊賀局)は、南北朝時代南朝の武将篠塚伊賀守重宏の娘で、御第五天皇の寵姫阿野簾子(あのれんし)に仕えた。正平3年(1348)に北朝の武将高師直南朝の拠点賀名生(あのう)の宮を襲撃した際、吉野川の橋が落ちていたので、簾子を逃すために、松桜などの大枝を折り川にかけて簾子を救ったという武勇伝が伝わる。

この画は、伊賀局の豪胆さにまつわるもう一つの逸話を題材にしている。正平2年(1347)、簾子の御所の西の山に亡霊が出るといううわさが立ち、ある夜、気丈夫な局がそれを確かめようと、亡霊が出るとうわさされていた庭で納涼をしていると、松の梢に鬼の姿をした何者かが現れたので一喝したところ、「院(簾子)」のために命を失った藤原基任の霊である」と応えて姿を消した。それを聞いた簾子が、吉永院宗信法印に命じてくようすると亡霊は現れなくなった。

亡霊を敢えて描かず、一見美しい庭に吹く生暖かい風にたち騒ぐ笹や薄、ぬらりと揺らめく局の髪にただならぬ妖気を潜ませる着想がすばらしい。鮮やかな彩色と確かな運筆は、京都の四条派に学んだ小坡の卓抜な技量の到達点を示す。

「主要解説」-伊藤小坡美術館 より

神宮美術館 (12月8日)

 

神宮の博物館  (閲覧:2023年12月16日)

 この美術館を訪れるのは2年ぶりくらいになるだろうか。倭姫文化の森の苑地内にある。とにかく周囲の環境、ゆったりとした建物内、すべてが素晴らしい。式年遷宮ごとに伊勢神宮に奉納された作品を展示するだけあって、日本画、洋画、工芸品、書などが中心で、いわゆる問題作とか現代アート、中小作品などはない。そういう意味では肩ひじ張らないで鑑賞することができる。

 前回もそうだがウィークデイの午前中だと、ほとんど観覧客もいない。前回は完全に妻と私二人の貸し切り状態だったが、今回も自分たち以外に三人くらいいただろうか。こんなんでいいのかと思わないでもない。

 今回は最初の一室で「令和4年度奉納 神宮式年遷宮奉賛美術品展」が開かれていた。土屋禮一の屛風画など興味深いものもあった。その分、常設展示は二室だけだったためか、前回よりも少ない感じだった。前回はそれこそ、大観あり、小倉遊亀あり、片岡球子ありで、さらに自分はよく知らないがいずれも大家による琴線に触れるような作品が多数展示してあった。

神宮美術館・徴古館 - トムジィの日常雑記

 今回はというとよく知らないし、ぐっとくるような作品は少なかった。府中市美術館などで見慣れた牛島憲之の作品があってちょっとうれしかった。

《夕凪》 牛島憲之  61.0×121.5

 

 この美術館は周囲の環境及と美術館の左から裏にかけての庭園が美しい。建物は大江宏の設計だが建物自体が周囲の庭園と融合したインスタレーションみたいな雰囲気もある。館内の廊下はガラス張りになっていて庭園が見渡せる。終わりかけの四季桜がガラス超しに美しく咲いていた。

 

 

 

 

 

 

 

中村屋サロン美術館と中村屋カレー (11月24日)

 SOMPO美術館の後、新宿西口から東口に移動して中村屋へ行く。

 遅い昼食が主目的だが、その前に中村屋サロン美術館へ。美術館は新宿中村屋ビルの3階にある。

 

中村屋サロン美術館について

 中村屋の創業者相馬愛蔵・黒光夫妻は芸術・文化に深い理解を示し、愛蔵と同郷の彫刻家萩原守衛(碌山)や萩原を慕う若き芸術家などを支援しました。彼らは新宿の中村屋に集い、お互いに切磋琢磨することでそれぞれの道を探ります。その様子は後にヨーロッパのサロンに例えられ、「中村サロン」として日本近代美術史にその名を刻むとともに、中村屋に芸術・文化の薫りを添えました。

 中村屋サロン美術館はその歴史を今に伝えるべく、2014年10月に開館いたしました。ここでは中村屋サロンの芸術家たちの作品をご紹介するとともに、新進芸術家や地域に関する作品展示・イベント、その他、広く芸術・文化の振興につながるような企画を実施してまいります。

 小規模な施設ではありますが新宿という立地を生かし、多くの人々が集い、気軽に芸術・文化に親しめる場、まさにサロンのような場所を目指してまいります。

              中村屋サロン美術館パンフレットより

 

 今回はというと「戸張孤雁の芸術展」という企画展が開かれていた。

展覧会案内│中村屋サロン美術館 (閲覧:2023年11月30日)

 戸張孤雁は萩原守衛の友人の画家、彫刻家。1901年に渡米し、アメリカで萩原と知り合い意気投合い。帰国後は萩原のアトリエに入り浸るようになる。萩原が柳敬助のために完成させた中村屋裏のアトリエで急逝した際には、相馬黒光とともにかけつけたという。その際に二人で萩原の日記を燃やしたという逸話もあるという。日記には萩原の人妻黒光に対する想いが記されていたためとも。

 パンフレットには簡単な中村屋サロン相関図も掲載されていて興味深い。

 

 中村屋サロン相関図 中村屋サロン美術館パンフレットより)

 

 孤雁の作品ではこれがちょっと気になった。う~む、虚無か。

《虚無》 戸張孤雁 1920年 碌山美術館所蔵

 

 中村屋サロン美術館の入場料は企画展によって異なるようで、今回の戸張孤雁展は500円。喫茶室やレストランで使えるドリンク券や売店での割引券ももらえるのでけっこうお得かもしれない。一緒に2014年に開かれた開館記念特別展「中村屋サロン」の図録も購入した。

 色気の次はB2Fのレストラン&カフェManna/マンナで定番のカレーを食す。実は今回中村屋へ寄りたいと思ったのは、通信教育のレポートでカレーについて書くという課題があり、中村屋のカレー及び中村屋サロンについて書こうと思ったから。付き合ってくれた友人も久々ここのカレーが食べたいと言っていたのでラッキーだった。そしてゴッホと中村サロンの芸術に触れてからのカレーはまあまあ格別というか、いつものごとくに美味しかった。