常設展示からいくつかの作品を。
《Y市の橋》
松本峻介は13歳の時に脳脊髄膜炎のため聴力を失った。それまで聴こえていた音のある世界が一瞬にして沈黙の世界に変わったということである。それも多感な思春期の頃にだ。それを知ってから、彼の作品には音がないと思うようになった。ある種の後付けの先入観のようなものかもしれないが、どの作品にも静謐なイメージが漂う。というか無音の世界だ。
《全体》
正直、カンディンスキーやパウル・クレーはいつまでたっても判らないままでいる。抽象絵画によって描かれる潜在的な深層心理や本質、混沌などなど。ただ作品から感じる印象という点でいえば、カンディンスキーの作品にはなにか心を躍らせるようなワクワク感やファンタジー感がある。そしてなによりも音がリズムが聴こえてくる、響くような気がする。そういう印象性だけで実は十分なのかもしれない。まさに考えるな、感じろなのかも。
この絵からも確かに音が聴こえてくる。ワクワクするような楽し気な音だ。それを思ったときに、前出の松本峻介がもしも抽象絵画を描いたらどんなものになっていただろうか。多分、具象の場合と同じように音の聴こえない、静かで淋しい抽象画になるのだろうか。
《コンストラクチオン》
木片、布、ブリキ、毛髪、外国雑誌の切り抜きなどをコラージュした作品。前衛芸術あるいは反芸術のもっとも初期の日本的受容とでもいうべき作品。ドイツ留学中にダダやロシア構成主義の洗礼を受けた村山知義が、帰国してから制作した作品。これこそがヨーロッパ最先端のアートであるというある種の宣言にも聞こえてくる。ドイツ帰りの新進作家の斬新な作品としてそれを嬉々として受容するインテリたち。
作った本人も、多分鑑賞する側もよく判らないまま受容していく。そんな風にして前衛芸術は展開されていったのだろうかと、そんな気もするが、1925年制作という歴史性を思えば多分凄いのだろうとだんだんと思えてくる。
例えば古賀春江の《海》とかこの作品とかが、近代日本におけるシュールレアリスムや前衛芸術の受容的作品としていつか重文に指定される日が来るかもしれない。多分ないとは思うけど。
《婦人半身像》
これはなんとなくいいなと思う。岡田三郎助というとポーラ美術館の《あやめの衣》が有名だ。あのすべすべした白い背中の艶めかしさは魅力だが、それより9年も後に制作されたこの真横からの像というのが面白い。この絵はキャンバスに岩絵具を用いて描かれているとか。
チャイナドレスを着た女性というのは、日本の大陸進出時代=中国への侵略という15年戦争の時代にあって、中国の風俗が日本にも親和的だったことの反映なのかもしれない。
《道》
月並みだが大好きな作品でもある。著者曰く「遠くの丘の上の空をすこし明るくして、遠くの道がやや右上がりに画面に消えていくようにすることによって、これから歩もうとする道という感じが強くなった」という(『20世紀の絵画』 光村推古書院刊)。
まっすぐな一本道が遠く丘陵を這うように曲がりくねっていく。あたかも戦後の新生日本の進む道を表したと評されると何かで読んだ記憶もある。自然とビートルズの「ロング・ワインディング・ロード」が聴こえてくるような気もする。
《渇仰》
片岡球子は一時期膠の代わりにボンドを使って絵具を定着させたという。この絵はどうなんだろうか。ボンドを使う理由は発色が良いという話もあるのだが。