甲斐荘楠音の全貌-東京ステーションギャラリー (7月28日)

https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202307_kainosho.html

 2月から4月にかけて京近美で行われていた「甲斐荘楠音の全貌」が東京ステーションギャラリーで開催されているというので行って来た。

 甲斐荘楠音については、2021年に東近美で開かれた「あやしい絵」展でも注目されていた画家。まさに「あやしい絵」を体現するような画風。それ以前にはこのポスターにも使われている《横櫛》が、岩下志麻子の恐怖小説『ぼっけえ、きょうてい』の表紙に使われていた。

 《横櫛》はもともと国画創作協会に出展され、岡本神草の《口紅》と入選を競い合い、村上華岳が楠音を推し、土田麦僊が神草を押して譲らず、竹内栖鳳の仲裁で金田和郎の《水蜜桃》が入選したという。

甲斐庄楠音 - Wikipedia (閲覧:2023年7月30日)

 この頃より甲斐荘楠音と土田麦僊の間に確執が生まれ、1926年の国画創作協会第5回展では、楠音の作品の陳列を「穢い絵は会場を穢くする」と拒否したという。この件について楠音は「腕力があればただではすまなかった」と悔しがったという。

 へたすれば刃傷沙汰にもなりかねないようなエピソードがあったというのなんとも。しかし土田麦僊が以前に押した岡本神草も甲斐荘楠音に負けず劣らず、今風にいえば十分にあやしい絵である。多分、麦僊は楠音のくすんだ様な色遣いが気に入らなかったのかもしれない。

 このエピソードによる「穢い絵」、後に岸田劉生が「デロリとした絵」と評したことなどから、甲斐荘楠音というと暗い色調、デカダンス、グロテスク、女の情念を表出させるといったイメージが定着していく。

 

 今回出品された《横櫛》には二つのバージョンがある。

《横櫛》 1916年(大正5年)頃 京都国立近代美術館

《横櫛》 1918年(大正7年) 広島県立美術館

 1918年の国画創作協会展に出品されたのは、広島県立美術館蔵のものだという。ちなみにこの作品は前期展示のみで7月30日まで。二点を並列して観ることができるのはラッキーなことだった。ただしこの広島県美所蔵のものは、後に楠音によって大幅に加筆されており、1918年当時のものとは異なっている。そのため顔の表情などは京近美所蔵のもののほうが、当時の雰囲気に近いのだという。このへんのことについては、このサイトの記事が詳しい。

日本画家 甲斐庄楠音 その2 - 第二京都主義 (閲覧:2023年7月30日)

 

 今回の企画展では、楠音の作品を年次に沿って展示するだけでなく、彼が一時画壇から離れて映画界に転身し、そこで時代考証や衣装デザインを行っていたときの仕事が多く紹介されている。特に目を引くのは市川歌右衛門の「旗本退屈男」シリーズで、歌右衛門旗本退屈男ー早乙女主水之介の衣装をすべて甲斐荘楠音がデザインしていること。またその実際の衣装が展示してあることなのだ。

 あわせて甲斐荘楠音が関わった作品のポスターも多数展示されている。市川歌右衛門大河内伝次郎嵐寛寿郎片岡千恵蔵長谷川一夫などといった往年のスターたち。さらに若手俳優として北大路欣也中村錦之助などなど。北大路欣也の共演が多い印象をもったが、考えてみれば彼は歌右衛門の次男だったか。

 

 さらに甲斐荘楠音の画業についてのキャプションでは、彼が学生時代からレオナルド・ダ・ヴィンチから多く影響を受けていることが解説されていた。なるほど彼の日本画にしては絵具を塗り込んだような、結果としてぼかしのような表現や、暗い色調となったのは、レオナルド的な表現を絹本上に表出しようとしたということだったのかと、ちょっと得心したような気がした。

 このへんの表現、色調、構図はレオナルドだったのか。

 

 おそらく楠音の中ではこういうのを日本画の中で表現したかったのかもしれないな。あのぼかしたような色調や表現は、スフマートとまではいえないだろうけど、レオナルド的なものの受容と考えると、なんとなく納得できたり。

 ようはこれがやりたかったのかと。

 

 楠音のレオナルドの受容については、このへんの記事を参考にさせてもらった。

大正期におけるレオナルド・ダ・ヴィンチの受容の一側面
甲斐庄楠音を中心に- 冨田 真理子(東京外国語大学

http://www.bijutsushi.jp/c-zenkokutaikai/pdf-files/12-5-19_tomita.pdf

 

 以前にもウィキペディア等を読んで甲斐荘楠音には女装癖があったとは知っていた。今回の企画展では自らの作品前でポーズをとったり、芝居の女形の恰好をしている写真なども展示されている。楠音は生涯独身だったというがそういう傾向のある人だったのかもしれない。そう考えると、彼の自画像は女性の内面を、ときにそれをグロテスクな風に表出させるのも、実は彼自身の内面を露悪的に示したものなのかもしれないとは、以前にも考えた。

 今回、彼の女装したポートレイトなどを見るとその思いを強くさせる部分も大きい。彼の描く女性像はある種の倒錯した自画像だったのではないかと。そういう意味では、倒錯という言葉は今的には不適切かもしれない。現代の多様な性への志向性という点、LGBTの視点から甲斐荘楠音を論じるなどという着想もいいかもしれないなと、そんなことを漠然と考えた。

《道行の女性に扮する甲斐荘楠音》 京都国立近代美術館蔵 

 

 その他気になった作品。

《春》 1929年 メトロポリタン美術館

《虹のかけ橋(七妍)》1915-76年、京都国立近代美術館

《畜生塚-未完》 1915年 京都国立近代美術館