上原美術館 (6月16日)

 下田公園のあじさい祭りの後に訪れた。

 最近は下田に行くと必ず寄るようになっている。小ぶりな美術館だが落ち着いた雰囲気で居心地がよい。訪れたのは3時くらいだったのだが、6時までに伊東の宿に戻る必要があり、駆け足での鑑賞だった。

 いつもは近代館、仏教館という順番で鑑賞するのだが、今回は先に仏教館へ。

きれいな仏像 愉快な江戸仏

 仏教館では常設展示されている、永平寺から引き取った130体の仏像の他、企画展ではそれ以外に収蔵している仏像総て、特に小ぶりの江戸仏が沢山展示してあった。

 まずは新収蔵品で初公開された《阿弥陀如来像》。

 《阿弥陀如来像》 鎌倉時代(13世紀) 木造・漆箔・玉眼 像高99.8

 

《吉田寺阿弥陀三尊像》 鎌倉時代(13世紀) 木造・玉眼  寄託品

 そして江戸仏たち。

 

 江戸仏は解説の中にもあったが、小ぶりで造形的にも稚拙な感じがする。

 仏像の歴史は教科書などでも飛鳥、白鳳、奈良、平安そして鎌倉までにページが割かれ、江戸期というと円空や木喰の木彫り像や目黒五百羅漢寺の松雲元慶の羅漢像くらいしか記述されない。しかし制作された仏像の総量は飛躍的に伸びたとういことなのだが、多くは今回展示されるような小型でノミで一気に作ったような木彫り像が多い。

 中には素人が制作したようなどこか原始的なプリミティブ・アートのような趣のあるものさえある。鎌倉時代までの技巧的にも様式的にもある種の頂点を極めたような精巧さとは真逆な仏像群だ。

 これはどういうことなのだろうか。おそらく仏教がより大衆化するなかで、宗教的権威としては凋落した部分や、仏像制作の一大スポンサーであった大規模な寺社や貴族の没落などの影響があったのかもしれない。そしてそれに代わる武士たち、とくに大名が大規模な寺社への寄付、寄進のスポンサーとなったのかどうか。歴史的知識が追い付いていないのでなんともいえない。

 ただし江戸時代、幕府によって寺請制度が確立し、檀家制や人別帳など戸籍管理などにより寺院の経済的基盤は確立したが、逆に宗教的には世俗化していき信仰心の源となるような宗教的権威が不要になったみたいなこともあったのかもしれない。いずれにしろ大型の仏像によって権力者や民衆の帰依を必要とするようなニーズが失われたとか、そういう部分もあったのかもしれない。

 さらにいえば世俗化によってより身近な対象として、ミニマムな仏像、比較的簡単に作られるものが必要になったとか。そのへんが小型仏像として大量に制作されたのかもしれない。

 明治期の廃仏毀釈によって廃棄された仏像の多くは、ひょっとしたら江戸時代に大量に作られた小型の仏像群だったかもしれない。小さな寺や各家庭にあるような小型の木彫り仏像は、廃棄や焚き付けにされることが多かったのではと勝手に想像にしてみたりもする。

 しかし今回の江戸仏は思いの外楽しかった。なかにはアフリカの彫刻などにも通じるような原始性を思わせる作品もある。

不動明王像》 1737年 南伊豆町青龍寺 

 これなどは造形的にはなんの影響なのだろうと思ったりもする。どこか古代の埴輪のような雰囲気の感じないわけでもない。たぶんこうした江戸期の仏像が広く知れ渡るようになったのは、ひょっとしたら近代以後、研究が進んだのはかなり後になってからなのかもしれない。

 もしも明治とか大正時代にこうした作品が多く紹介されていたら、日本の芸術動向にも多くの影響があったかもしれない。例えば萬鉄五郎や里見勝蔵あたりが、こうした江戸仏をモチーフにしたキュビスム作品を描くとかなんとか。

 原始的なものへの眼差しは、えてして古代や海外、アフリカや中南米などにそれを求めることが多い。しかしもっと身近なところにそのモチーフがあったのかもしれないなどと思ったりもする。しかし一方で江戸仏な稚拙な造形も含めて宗教性が薄らいでいき、単なる民芸品、工芸品的なものに取り込まれていったのかもしれない。まあ割と適当な考えではあるけれど。

雨をたのしむ

 雨をモチーフ、テーマにした作品を集めた企画展。新収蔵品を含め鏑木清方が7点展示してある。

《木母寺夜雨》 1936(昭和11)年 絹本彩色・軸装 126.6✕41.9

 新収蔵・初公開となっている。梅若伝説をもとにした謡曲隅田川」で知られ、江戸名所とされていたかっての木母寺境内を描いたもの。この作品、昨年東近美で開かれた「鏑木清方展」でも出展されていたが、そのときには個人蔵となっていた。その後に上原美術館が所蔵することになったようだ。

 

《十一月の雨》 1955(昭和30)年 紙本彩色・軸装 54.6✕81.6

 これも同じく昨年の「鏑木清方展」で観ている。背景左は焼き芋屋、右には絵双紙屋。初冬の雨の中、温かい焼き芋屋というモチーフでは、1896(明治29)年に《初頭の雨》という作品がある。清方は77歳にして遥か遠き明治の記憶を蘇らせて《十一月の雨》を描いた。

 

 その他で惹かれたのは小林古径

《芥川》 小林古径 1926(大正15)年頃 絹本彩色・軸装 47.5✕75.0

 伊勢物語の「芥川」に想を得た作品。この後、この女性は左に立つ鬼に食われてしまう。蔵の中で眠る女性。闇の中から出現する鬼。これからの惨劇を予感させる劇的な場面の緊張。ロマン主義大和絵とでもいったらいいのか。