西洋美術館企画展 (9月1日)

 西洋美術館に来るのは4月以来なので五か月ぶりのことである。

 確か「憧憬の地ブルターニュ」展に来たときか。個人的には西洋美術館と近代美術館は割とベースになる美術館で、ほぼ各月に通うみたいな感じで年に5~6回は来ていたはずなのだが、なんとなく足が遠のいている。一つには勤めていた頃は、都内での打ち合わせや会議などが終わってから、ふらっと寄るみたいなことが出来た。それもリタイアしてからとなると、やはりディープ埼玉から都内へ出るのはつい億劫になる。

 とはいっても、まったく足が遠のいたかというと、この間でもマティス展には二度行ってるし、まったく上野から遠ざかったということではないとは思う。まあこのへんはちょっとタイミングみたいな部分もあるかもしれない。さらにいうと開催されている企画展への興味という部分もあったりして。

スペインのイメージ 版画を通じて写し伝わるすがた

 スペインのイメージ:版画を通じて写し伝わるすがた|国立西洋美術館
(閲覧:2023年9月2日)

 行かなくて行かなくてと思いつつ、なんとなく足が向かない。そんなこんなで9月3日に会期が終わるので、ギリギリセーフ的、間に合ったという感じだ。

 今回の企画、なんとなく食指が動かないのはというと、どことなとく版画が苦手な部分がある。これは西洋だけでなく、日本でも浮世絵版画よりは肉筆浮世絵のほうが気に入っていたりもする。複製されるので、オリジナリティ的な部分が減じるとか、別にそういうことではないのだけど、どこか興味、関心が薄れるというか。

 さらにいえば、スペインで版画というと、どうせゴヤだろうし、ベラスケスに触発されたマネとか、そのへんがメインになるのではとか、なんとなく予想がつくようなそうでもないような。

 ということで、なんとなくこの企画展にもそんな先入観があった。なのでなんとなく心理的には常設展のついでみたいな感じがしないでもない。

 内容的には版画という小品が中心なので展示点数は240点あまり。かなりボリューミーなのだけど、いかんせん興味が薄い人間にはちと食傷気味というか、じゃっかん飽きがくる。もちろん内容的には興味深い作品ばかりなのだけど、観る側がポンコツなので。途中、ベンチで休む時間も正直多かった。前夜、Netflixで韓国ドラマを一気観したのがいけない。

 解説の中でナポレオンの「ピレネーを越えると、そこはアフリカだ」という言葉が紹介されていた。ようは800年近くイスラムによって支配されキリスト教国家が完全にイベリア半島を制圧するのは15世紀の後半である。それから200年を経過しても、フランスからするとスペインはキリスト教国家というよりもアフリカに最も近い国くらいのイメージがあったのかもしれない。そこには異文化的な部分、エキゾチックな部分などが含まれていたのかもしれない。

 文化的にはどうなのだろう、ベラスケスやルーベンスは多くの国で活躍したうえでスペインの王室に厚遇される。文化的にはフランスよりも海伝いにイタリアとの交流が盛んだったのだろうか、ヴェネツィア支配下クレタ出身のエル・グレコはイタリアに滞在したのちにスペインに渡って活躍した。逆にバレンシア出身のフセペ・デ・リベーラはナポリで宮廷画家として活躍する。

 セビーリャからはスルバランやムリーリョが輩出する。なんとなくイメージ的にはカソリック教国としてイタリアとの親和性を感じる部分があり、どこかフランスの古典主義やロココとは異質な感じもしないでもない。もっともゴヤロココのジャンルに加えられる部分もあるかもしれない。

 いずれにしろ文化先進国フランスから見たスペインには、どこか異文化的部分と後発性みたいな感覚があったのかもしれない。「ピレネーを超えると、そこはアフリカだ」という言葉をキーにしてこの企画展を観ると、ちょっと違った趣もある。そんな感じもしないでもなかった。

 

バルサール・カルロス王太子騎馬像》(ベラスケスに基づく) フランシスコ・デ・ゴヤ 1778年 西洋美術館 

 

スペイン王フェリペ4世》(ベラスケスに基づく) エドゥアール・マネ
 1860年 西洋美術館

 みんなベラスケスを模写しそれを版画にしている。まさにベラスケスの受容だ。

 

《泣く女Ⅰ》 パブロ・ピカソ 1937年 和歌山県立近代美術館

 

《夜、少女に導かれる盲目のミノタウロス》 パブロ・ピカソ 1934年
井内コレクション

 これはちょっと凄い。ピカソの想像力の爆発というか迸りを感じる。これがもし大画面の油彩になっていたら凄まじい衝撃を受けるかもしれない。

 

《ラ・ジターヌ(ジプシー女)》 トゥールズ・ロートレック 1899年
 サントリポスターコレクション(大阪中之島美術館寄託)

 

《たばこ「ジタン」のポスター(フランス専売公社)》 ジュール・ドランシー 1931年 たばこと塩の博物館

 

《「アニス・デル・モノ」のポスター》 ラモン・カザス 1897年 国立西洋美術館

 

《水飲み壺》 ホアキン・ソローリャ 1904年 西洋美術館

 2022年度購入の作品で、この企画展がお披露目となる。ホアキン・ソローリャは初めて知る画家。1861年生まれで、イタリアやフランスで絵を学び、スペインに帰国後人気作家となった。画風は印象派の影響が濃い。

ホアキン・ソローリャ - Wikipedia (閲覧:2023年9月2日)

 ちなみにこの絵の購入価格は約4億3千万円。2022年にはスウェーデンの文豪でもあるストリンドベリの《インフェルノ/地獄》も購入されており、こちらは6億5千万あまりとか。西洋美術館に相応しい絵という点でいえば、まちがいなくソローリャだろうと思うのは、あくまで個人の感想です。

国立西洋美術館 美術作品購入一覧(令和4年度)>

https://www.artmuseums.go.jp/media/2023/06/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8.pdf (閲覧:2023年9月2日)

 

小企画展「美術館の悪ものたち」

美術館の悪(わる)ものたち|国立西洋美術館 (閲覧:2023年9月2日)

 これも9月3日までの小企画展。

国立西洋美術館には「悪ものたち」がたくさんいます。もちろん、職員のことではありません。当館が所蔵する作品のなかの話です。お金に目がくらむ若者、若い女性にうつつを抜かし、あるいは嫉妬する老人、盗人、等々。悪魔や魔女といった悪を象徴する存在や、その手先たちもうごめいています。そして私たちが何よりも恐れる「死」は、いかにも悪ものらしい憎々しげな骸骨として、あらゆる時代の作品に登場します。

 という企画意図らしい。そしてポスターにも使われているのがこの絵。

《『死の舞踏』:(2)死の仮面》 アルフレート・クビーン 1918年

 ヴィラン(villain)をテーマにした企画展ということなんだろうけど、個人的には西洋美術館で一番の悪というか悪魔的存在はフュースリの《グイド・カヴァルカンティの亡霊に出会うテオドーレ》の亡霊じゃないかと思っている。もっともあの大作を小さな企画室で展示するのはちと無理があるのかもしれないが。

 こういうオドロオドロシイやつね。まあ目を引ん剝く馬も怖いけど。

 

 この企画展も版画の小品が多く、なんとなく興味がそそられなかった。版画への苦手意識を克服しないといけないかなと思う今日この頃でした。