みどころ | マティス展 Henri Matisse: The Path to Color (閲覧:2023年5月24日)
東美の「マティス展」に行って来た。ほぼ一週間遅れだけどその感想を少しだけ。
「20年ぶりに開催される大回顧展」、「世界最大規模のマティスコレクションをもつパリ、ポンピドゥー・センターから名品約150点を紹介」、「マティス初期の傑作《豪奢、静寂、逸楽》日本初公開」というのが売りのようだ。
率直な感想としては、やっぱりマティスはいいねの一言だろうか。いろいろと小さな突っ込み所はないわけでもない。でもやっぱり「マティスはいいね」ということに落ち着くのは、マティスがピカソのように理屈で鑑賞する、享受するのではなく、きわめて情動的に受容する作品が多いからということになるのではないかと思ったり。まあ普通に、マティスが好きだからというところ
ただしポンピドゥー・センター、パリ国立近代美術館のことだと思うけど、の名品約150点も、素描や彫刻、そして切り絵のジャズなど小品も多く、油彩はあまり充実していない印象。とこどころにアーティゾン、川村、ひろしま、京近美などからの貸し出された見覚えのある作品も多い。どうせなら、アーティゾンとポーラからそれぞれ4~5点貸してもらえば、より充実した<大>回顧展になったのではないかと思ったりもした。
もう一つ初期の傑作とされる素描作品《豪奢、静寂、逸楽》が今一つだったこと。
1904年にシニャックの招きでサン=トロペに赴き、パリに戻ってから制作された作品。もうどこからどこまでもシニャックそのものというべき点描作品。ただしこの点描どこか変。遠目から見ても視覚混合が起きない。試しに5メートル、7メートル、それ以上と離れてみてもあまりそういう効果があらわれない。これ、色を混ぜ合わせるような置き方があまりされていない。さらに補色対比もきちんと計算されていないような気がする。
マティスは当時色彩と線描の対比というかその衝突をどう解決するかを問題意識にしていたらしいけど、どうもそこには視覚混合という印象派や点描派の技法はあまり考慮されていなかったのかも。視覚混合の効果を考えず、ただ細かく筆触を分けて色彩がどうなるか、つまり絵具を混ぜるのではなくて、という問題意識があったのかも。
マティスは色彩の画家と思われがちだが、今回の回顧展では彼が常にデッサンや線描を意識し続けた人であることが理解できた。そういう点からすると、この絵もあえて輪郭線にも点描を用いるなど、とにかく実験精神旺盛な人だったということが判る。まあそういう人だったんだなと。
以下気になった作品を。
マティスはキャリア的には遅咲きの人だったようで、この絵は26歳の時のもの。国民美術協会に出展したうちの1点で、国家が買い上げた2番目の作品とか。マティスはモローの画塾で絵を習っていたが、この絵にはコローの影響があるとか。なんとも落ち着いた雰囲気で、どこか親密な感じもする。
やや暗い色調ながらその色彩感覚はフォーヴィズムの萌芽を感じさせる。数年後であれば、この暗っぽい顔が黄色や緑で鮮やかになるのだろうが、もっとも自画像でそれはやらなかったのだろうか。以前、ヴュイヤールの自画像が鮮やかな黄色だったのを観たことがあるけど、あれに比べれば随分とおとなしい。
窓と金魚鉢というお馴染みのモチーフだけど、全面ブルーの落ち着いた雰囲気。この時代、パリのセーヌ河岸のアトリエで制作を続けていたらしいけど、この後南仏で展開される赤を強調した明るい華やかな色彩とはえらく違っている。でもこの作品はかなり気に入っている。今回の企画展でも五指に入るお気に入り。金魚鉢の隣にある植木鉢から伸びる植物が窓の外の風景、階段と繋がっているのがけっこう面白い。
1914年8月に第一次世界大戦がぼっぱる。南仏コリウールで制作されパリに戻る際も未完のまま残された作品。戦時下の重苦しい雰囲気、窓の向こうの漆黒はそういうものをイメージしているらしい。これは抽象絵画そのものであり、マティスの実験精神が体現された作品の一つ。
モデルは娘のマルグリット。首にまいたスカーフは気管支切開の傷を隠すためだったとか。この絵も当時の暗い雰囲気が投影されたかのように暗い色調。直線と角ばった顔、服装など幾何学的で明らかにキュヴィスム的技法が用いられている。マティスは点描からフォーヴィスムへと色彩面の表現を強める反面、こうしたデッサン、素描による形態把握面の追求も開始していた。
1920年代、マティスのお気に入りのモデルだったアンリエット・ダルカレールは、この時期多数制作されたオダリスクシリーズでモデルを多く務めた。彼女はニースの映画撮影所でエキストラをしている時にマティスと出会いモデルとしてスカウトされた。彼女は19歳でその後1920年から1927年にかけてモデルを務めた。バレエで鍛えた身体は、難しい体勢や長時間のポーズにも耐えることができた。
モデルはリディア・デレクトルスカヤ。寛いだポーズはマティスの指示ではなくリディアが休息する体勢だったという。図録によればマティスは「モデルがどのようなポーズを取るかを決めるのは画家ではなく、自分はただ奴隷のように従うだけなのだ」と語ったと紹介されている。
リディアはロシア出身で、10歳で父、12歳で母を亡くし、満州で叔母に育てられたのちにフランスにやってきた。当時、移民に対する規制が強く、映画のエキストラやモデルをしながら暮らしていたが、22歳のときに助手としてマティスに雇われ、壁画《ダンス》の制作のアシスタントとなる。
その後、体調を崩したマティス夫人に請われてマティスの身の回りの世話を引き受け、その後はモデルとしてマティスの作品に多数登場している。最終的にはマティスのマネージャーとして画商や来客への対応なども行いマティスの画業を支えた。
これもリディアがモデル。
この抽象性と幾何学的形態となった作品もモデルはリディア。
この作品はひろしま美術館のコレクション。たしかポーラ美術館で開かれたひろしま美術館とのコラボ展で一度観ている。黄色の背景にフランスの国旗の青、白、赤をあしらったドレスを着た女性。この腕の部分や椅子の肘掛部分などには、マティスが何度も描いては修正を加えた痕跡があると、そのときの解説にあったような。
多数出展されていた素描の中で一番気に入った作品がこれ。
これもアーティゾンで何度か観た記憶がある。
この2点の静物画は美しさとともに、セザンヌの影響、多視点的な構成を強く意識したもの。マティスは多くの画家、技法、作法を研究し、それを自作に活かすべく腐心した人だったのだと改めて思う。
ヴァンスでの室内画シリーズの締めくくりとなるマティスの室内画の代表作でもある。この絵を観ているときに、隣の老婦人が連れのおそらくご主人に、「この絵が目玉よ、多分」と話しをされていた。まあそういっても過言ではないかもしれない。鮮やかな赤の色調、壁にはいずれも自作で窓のようにまるで隣室を描いたような白黒のデッサンと窓でカラフルな油彩画が画中画として描かれている。そしてデフォルメが激しい、テーブル上の花瓶や床の動物の敷物など。
この絵にもどこか見覚えがあるなと思っていたのだが、2016年に同じ東美で開かれたポンピドゥー・センター展に出ていた。年代ごとに1枚の作品を展示した異色の企画展の中で、この作品は1948年を彩っていた。
マティス展は4月27日から8月20日までのロングランだ。出来ればあと1~2回は通いたい、そういう企画展だと思う。その間にも例えばアーティゾン美術館やポーラ美術館に足を運んで、国内有数のマティスのコレクションを享受できたらと思っている。