東近美に行って来た (9月27日)

 午後から都内の歯医者通院。前回、神経をとった奥歯の治療、当初は土台を形成して差し歯にする予定だったが、自分の歯がだいぶ残っているので被せ物をするだけですむ。今回の治療でとりあえず終了。次回は定期健診で12月か1月頃になる予定とか。5月から続いていた歯の治療がひとまず終了。もっともいつ取れてもおかしくないなうん十年も前に入れた差し歯が何本もあるし、歯の治療はたぶんずっと続くのだろうとも。

 

 2時半過ぎに解放されたので、久々に東近美に行ってみることにした。お茶の水から竹橋までは歩いても15分くらい。

 東近美は10月6日からの 棟方志功展の準備期間のようで、現在行われているのはMOMATコレクション展のみである。2階の企画展示室では、女性作家による抽象芸術を集めた「女性と抽象」が行われている。

 しかし企画展が行われていないウィークデイーの東近美はえらく空いている。そして外国人の観覧者が多い。展示室によっては日本人よりも外国人の方が多いような印象すらある。インバウンドというか、海外旅行してその国の代表的な美術館、しかも近代美術館に足を運ぶ。これはまあ日本人旅行客がニューヨーク近代美術館やパリのポンピドー・センターに行くようなものかもしれない。

 

ハイライト

安田靫彦-居醒泉(いさめのいずみ)

居醒泉(いさめのいずみ) 安田靫彦 1928年(昭和3) 紙本彩色

 長らく寄託されていた作品で、昨年コレクションに加わったものだという。いわれてみるとこれは観たことがあるようなないような。瀕死の状態にあるヤマトタケルが居醒泉(いさめのいずみ)の水を飲んで蘇生したものの、その後病身となり死に至るというエピソードを画題にしている。

川端龍子-草炎
《草炎》川端龍子

 安田靫彦に続いては川端龍子の《草炎》。ハイライトでの展示は去年の9月以来。2年連続でこの作品をこの時期にハイライトに展示するのはたんなる偶然だろうか。ちなみにその時には、お隣には土田麦僊の《島の女》が展示してあった。

 《草炎》は紺地に金泥で描かれていて、紺紙金泥による教本を基にしている。月夜に月光に妖しく光る庭の草木を描いたかのようだが、実は夏の炎天の情景だという。金泥の鮮やかな部分と暗い部分である種の遠近を表しているようでもある。左隻の背後にセザンヌが映り込んでいるのも一興だ。

 至近で観ると、陽光の当たり方を表したような手前の鮮やかさと後ろの薄暗さ。そういう陰影をきちんと表現しているということが判る。

 
平櫛田中-永寿清頌

《永寿清頌》 平櫛田中 1944年 木、彩色


 

 

 やけにリアルな写実彫刻である。これは彩色の影響なのだろう。そういうことが解説キャプションにも書いてあった。興味深い内容なので引用する。

迫真の写実的彫刻に色をつけたら、もっと真に迫って生々しいことがわかります。ということは、西洋の写実的な彫刻で色をつけないのが普通だったのは、この生々しさから距離を置くためだったのか? また、彩色されるのが普通だった江戸時代以前の写実彫刻がそれほど生々しくないのは、写実から距離があったからなのか? この生々しさを、迫真ととらえるか、俗ととらえるかで、平櫛の肖像彫刻の評価は当時二つに分かれました。

 写実的な彫刻に彩色すると生々しくなる。なるほどと思った。そして西洋の彫刻が大理石にしろ、ブロンズにしろ、彩色してないのは、「生々しさ」を避けるという側面があった可能性があると。

 いわれてみればそのとおりかもしれない。ミロのヴィーナスが着色していたら。ミケランジェロの彫刻が肌色に着色されていたらとか。生々しさとリアルさはほぼ同義だが、美とエロスは同義か相反するか。崇高なエロスと俗=卑俗さも多分紙一重かもしれない。直截にいえば美的作品とポルノの境界線上みたいな話になるかもしれない。

 彩色しないというのはある種の保険なのかもしれないとか、あまり根拠なく思って見たりもする。特に三次元的リアルさの彫刻、彫像に関しては。さらにいえばギリシア、ローマに由来する肉体美を誇示するような彫刻は、基本的には擬人化された神々の像でもあり、ある種の理想的な人体、理想的な美の具象でもあった訳なので、俗っぽさ、卑俗な人間ぽさは避けなくていけなかったのかもしれない。

 江戸時代までの仏像は当初は着色されていたり、金箔でギラギラだったとも聞く。それでも俗っぽさが避けられたのは、どこかデフォルメされ、中性化された如来や観音たちだったからなのかも。

 一方で写実主義からより実際的なリアリズムとなると、そうはいかない。それまで懸命に避けてきた俗っぽさが前面に出てくる。理想的な人体は、より肉々しい、リアルな身体として提示される。まあクールベやマネのヌードなんかはまさしくそれだな。

 それを思うと、彫刻に関してはあまり肉々したリアルな人体像って意外と少ないかもしれない。脂肪の塊みたいなヌード像はあまり観た記憶もない。リアルかつ着色されたヌード彫像などがあったら、それはやっぱりポルノとの境界線が曖昧になる。

 脈絡もなくいろいろ考えさせられる。しかしこの平櫛田中の着色された彫刻。やっぱりどこか俗っぽい部分もあるし、なんとなくチープな感じもしないでもない。フィギュア像みたいなチープさといったら言い過ぎだろうか。

安井曾太郎梅原龍三郎

 4階2室には安井曾太郎梅原龍三郎の風景画が展示されている。 

 一般的にはセザンヌの影響を受けた安井曾太郎ルノワールに師事した梅原龍三郎っていわれる。解説書の類にしろ、美術館でのキャプションでもそんな解説をみることが多い。でも今回展示してあった作品を観ると、どっちがどっちみたいな感覚になる。まあ結局のところ、習作期にあっては様々な影響下で様々な技法、表現法を試行すると、そういうことなのだろう。

《春の家》 安井曾太郎 1911年 油彩・キャンバス

《熱海風景》 梅原龍三郎 1917年 油彩・キャンバス

 そしてよりセザンヌ的な森田恒友

《フランス風景》 森田恒友 1914-15年 油彩・キャンパス

3階10室

蒔絵祭り

 3階10室の手前のコーナーでは人間国宝漆芸家の田口善国の作品が「生誕100年 田口善国/墨画瓢々」として展示されている。田口が師事した松田権六の作品、田口善国の子息である田口義明の作品、さらに田口善国が日本画の手ほどきを受けた奥村土牛の作品なども。

 その中でも松田権六、田口父子の蒔絵作品の美しさにはほれぼれする。さらにいえば、より現代的な蒔絵作品を制作している田口義明のモダン性は、明らかに松田権六までの旧来的な蒔絵の伝統芸を刷新する作品を作り続けた田口善国の作品があって初めてこそみたいな感覚をもった。さながらこの小特集は蒔絵祭りみたいな雰囲気だ。

松田権六作品
田口善国作品
田口義明作品
富岡鉄斎

 10室奥のコーナーは南画・文人画として富岡鉄斎が特集されている。

 南画・文人画はどこか苦手な印象がある。多分、賛文が読めない恨みがあるからかもしれない。鉄斎自身の口癖が、「自分の絵を見るならまず賛文を読んでくれ」だったとも伝わっている。そのへんがハードルをあげているのかもしれない。

 鉄斎の絵は中国明清の文人画、江戸時代の文人画、さらには狩野派、やまと絵なども研究している。鉄斎は長命で88歳で没している。当初は文人画の形式に即していたが、晩年になると自由な画風に変わり、一般にも鉄斎の作品は70代以降のものが高い評価を得ているという。79歳の時に重要文化財指定の《阿倍仲麻呂明州望月図・円通大師呉門隠棲図》を、亡くなった1924年、88歳で《二神会舞図》を描いている。

 《二神会舞図》はトーハクで何度か観た記憶があるが、なんとなくいいなと思った。なんていうか富岡鉄斎についていうと、この「なんとなくいい」というのが率直な印象かもしれない。今回の展示に気に入ったのは《東坡酔帰図》だ。

《東坡酔帰図》 1907年頃 紙本墨画

 東坡は蘇東坡のことだろうか。鉄斎は誕生日が同じ12月19日だった蘇東坡の詩、書画に憧れをもっていたという。そういうものがよく出ているようにも思う。

 富岡鉄斎は明治大正期に海外の画家、批評家にも評価されていて、エコール・ド・パリの画家ジュール・パスキンからは「鉄斎こそは近代日本画壇の持つ唯一の世界的な画家」と評され、建築家ブルーノ・タウトは鉄斎をセザンヌを想起させると語ったという。*1

その他気になったコーナー・作品

《セメント・モリ》

《セメント・モリ》 風間サチコ 2020年 木版・版木

 

 新収蔵品とのこと。風間サチコ、もちろん初めて知る作家、初めて観る作品。《セメント・モリ》・・・・・・、ダジャレかよという突っ込みすら受けつけないようなインパクトがある作品だ。

 風間サチコとは。

MUJIN-TO Production » 風間サチコ (閲覧:2023年10月2日)

 今回の《セメント・モリ》についていえば、どこかで丸木位里・俊の原爆の図を想起するような、文明に対する強烈なプロテストとともに絶望を暗示するような部分を感じたりする。上記サイトでの他の作品などには、どこか単色のタイガー立石みたいな乾いたシニシズムめいたものを感じたり。

 《セメント・モリ》のキャプションにも諸々考えさせる部分がある。

風間は近代以降の社会の矛盾に木版画によって鋭く切り込んできました。本作では、産業革命以降の人間社会を支えたコンクリートの原料であるセメントと、セメントの原料である石灰岩の採掘に従事した労働者、そして有機物の屍の増殖である石灰岩といった要素が重層的に重ねられています。版画が戦後の労働運動の伝播に寄与した歴史を想起させつつ、「メメント・モリ(死を想え)」の系譜に連なる本作は、近代化の過程で忘却されてきた様々な死を想起させます。

女性と抽象

女性と抽象 - 東京国立近代美術館 (閲覧:2023年10月2日)

 2階ギャラリー4で開催されている女性作家による抽象芸術のミニ企画展。

 企画意図は上記HPにあるとおりで、以下一部引用。

近年、海外では台北市立美術館「她的抽象(彼女の抽象)」展(2019年)、ポンピドゥセンター「Elles font l’abstraction(彼女たちは抽象芸術を作る)」(2021年)など、女性のアーティストによる抽象芸術をテーマにした展覧会が開催され、既存の美術史における「抽象芸術」の枠組み自体を問い直すとともに、個々の背景をもつ女性のアーティストによる抽象表現を再評価する試みが進んでいます。

 一方でこの企画展用に作られた小冊子「女性と抽象」の中には、この企画展を企画した学芸員(全員女性)6名による企画者座談会が収録されている。その中には<女性>と冠すること自体の差別性への提起も成されている。

佐原(しおり):すでにストックされていた解説の中にも、女性の作家に対して「女性作家」や「女性アーティスト」という言葉が使われていたり、配偶者や家族(有名な男性)に言及されていることがあったのですが、今回はそういった不均衡な前提について議論できたのが非常に重要だったと思います。

松田(貴子):時代による性差のとらえ方の違いを感じました。当初「女性」や「女流」と前置きすることは、シンプルな区分だった。けれども次第に差別的なニュアンスが付されるようになっていく。作品紹介の際に女性や用紙について言及するものや、既存の価値観にとらわれない表現を推奨する批評家が、女性の作家に対してひどく偏った発言をしている記事を見た時は驚きました。表現は自由なはずですが、それを取り巻く環境は封建的だった。そうした雰囲気の中で制作するとはどんなことだったのかを改めて考えさせられました。

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佐原:作品収集や展覧会企画における」ジェンダーバランスの是正は、大きな課題のひとつですね。今後も積極的に携わり、既存の美術史の再検討を促す土壌を作っていきたいですね。

『女性と抽象』 コレクションによる小企画「女性と抽象」 東京国立近代美術館より

 なぜ「女性」と抽象なのか。戦後の抽象芸術の一側面を「女性」という切り口で企画するのか。結局のところ男性偏重の美術史において「女性」作家が置かれてきた社会的位置といったことを改めて再確認せざるを得ないということなのかもしれない。

 我々は確かに「女性」や「女流」と前置きする言葉を発することに慣れている。男性作家顔負けの「女性」作家、あるいは新進気鋭の「女流」作家の登場などなど。女だから珍しく扱われる、スポットライトがあたる。これらは文化における男性優位社会の表れなのかもしれない。

 女性が女性性を抜きにして作品制作してきちんと評価を得られる時代は。今回取り上げられた戦後に台頭した女性作家による抽象表現。そこには男性、女性の区別なく発表の場があり、きちんと評価されるべき社会的背景があったのだろうか。

 ものすごく卑俗なことを想像するのだが、女性が芸術活動を行っていくときに、その女性性によって受ける様々なハラスメントという名のハードルがあったのではないか。師、指導者、先輩、同輩からの性的なハラスメントの数々。たぶんに性的な関係を強いられるなどあったかもしれない。卑俗な想像だなこれは。

 なかにはそれらがトラウマとなって、作品制作のモチーフとなる場合もあるだろう。あえて性的な部分を作品から隠し、想起させない作品、そのために高度に抽象性のある表現が生まれた可能性など。

 21世紀の今、国立の近代美術館においてもあえて「女性」と冠せざるを得ない企画展が開かれる必要があるといこと。それがこの社会のジェンダーバランスにおける歪さを象徴しているといったら言い過ぎだろうか。

《作品》 桂ゆき 1978-1979年 コルク・板

《集積の大地》 草間彌生 1950年 油彩、エナメル、麻布

田中敦子草間彌生

 

*1:日本画の歴史 近代篇』(草薙奈津子) 中公新書