8月17日から19日と箱根に小旅行に行ってきた。
初日、最初に訪れたのが強羅にある彫刻の森美術館。
ずいぶんと久しぶりだけど、多分トータルすると片手くらいは楽に行っている。妻が病気になった後、お出かけ好きが始まり、健保の保養所を勝手に申し込むみたいなことで、箱根には年に1~2回行っていた時期がある。その頃は子どもが小さかったので、屋外で遊ばせるということもあり、彫刻の森美術館には何度も行った。
この雑記の記録でも、2010年前後にはちょくちょく彫刻の森に行ったことを書いたものもある。それがだんだんと遠のくのは、多分子どもが中学とか高校になってあまり箱根の小旅行とかに連いてこなくなったからかもしれない。彫刻の森美術館に行かなくなるのと反比例してポーラ美術館に行くことが多くなる。自分の趣向ということもあるし、まあ車椅子を押してアップダウンのある彫刻の森よりは、室内の美術館のほうが楽とか、いろんな理由があったのだろう。
ということで久々の彫刻の森美術館である。
箱根 彫刻の森美術館 THE HAKONE OPEN-AIR MUSEUM (閲覧:2023年8月20日)
午前中に到着したのだけれど、駐車場もけっこう混んでいるし、入り口の券売所にも列ができている。お盆休みは終わったといっても、学生は夏休みだし。そしてなによりも海外の観光客が多い。日常は戻っているということですね。
入館してすぐに係の女性から、車椅子ですとこういうルートで回った方が楽ですよと教えてもらう。まあ何度も来ているからなんとなくわかるといえばわかる。でも、お馴染みの作品の展示場所も変わっていたりもする。係の女性に「たぶん10年ぶりくらい」と告げると、「それではだいぶ変わっていると思いますよ」と。
まあ一般的な時計回りのコースだけど、これ逆に回るとけっこう帰りは勾配あるので、車椅子やベビーカーはしんどいかもしれない。でも考えてみたら、だいたいいつもこのルートで回っているような気もする。
彫刻は造形芸術としては、実は絵画などの二次元造形よりも優位にあったりもする。多分、ギリシア・ローマの頃からそうだったんじゃないかと思う。でもいつからか、彫刻は工芸、彫刻家は職人みたいな感じで、絵画よりも下位に位置づけられたりとか、そういうことがあるかも。ルネサンスあたりまでは、彫刻も絵画も同じ、工房での制作、芸術家というよりは職人だったはずなのだが。
まあ西洋芸術においてはそういう側面もけっこう強かったのではないかと。そういう美術史的な影響からか、自分などもなんとなく彫刻には重きを置いてないというか、正直理解がついていけてない。なんとなく感覚的に「いいな」という部分はあっても言語化できない自身への恨みみたいな部分がある。
もう一ついえば、とくにブロンズ彫刻は石膏原型があれば一定数の鋳造品制作は可能。なのでオリジナル作品が複数存在することになる。西洋美術館のロダンの作品などもそう。これは利点と言えば利点、なにもフランスまで行かなくても《カレー市民》や《考える人》を上野で鑑賞できる。でもどこか鋳造品、特に作家の死後鋳造品はなんとなくコピーみたいな印象がもたれたりとか。
とりあえず気に入った作品をいくつか。
これは確か西洋美術館でもお馴染みの作品。
最初に見た時から『スター・ウォーズ』のデス・スターみたいな印象を持っている。制作時期もほぼ同じ頃なんだけど、ポモドーロは映画観ているんだろうか。
この白骨化した死者の積み重なった造形、どこか『シン・ゴジラ』のラスト、凍結したゴジラの跳ね上がった尻尾の先に同じような白骨化人間がくっついていたのを思い出していたりする。
ピカソ館の前に屹立する像、以前なんとなくピカソの何かしらのオブジェかと思っていたのだが、これかレジェだったのかと今さらのように。ただしレジェのカクカクした感じがないのでちょっと不思議な感じもする。
そしてピカソ館。
個人的には彫刻の森美術館の代名詞というとやっぱりニキ・ド・サンファール。
《ミス・ブラック・パワー》 1968年
至近でド・ド~ンと。
天気も良く、箱根の高台なの湿気もなく、まあまあ気持ちよかったけど、それでも車椅子を押してのアップダウンはきついことはきつかった。年齢的にはちょっとしんどいかもしれないので、次はあるかどうかわからない。まあ出来ればもう少し造形芸術への知識増やしてからくると、もっと楽しい時間を過ごせるかもしれない。このへんは年齢との競争かもしれないなあ。