やまと絵-受け継がれる王朝の美 (10月26日)

 トーハクで開催されている特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美」を観てきた。

東京国立博物館 - 展示・催し物 総合文化展一覧 日本の考古・特別展(平成館) 特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」 (閲覧:2023年10月28日)

特別展「やまと絵 -受け継がれる王朝の美-」/2023年10月11日(水)~12月3日(日)/東京国立博物館 平成館(上野公園) (閲覧:2023年10月28日)

 SNSなどでも行った人のコメントなども「凄い」との声が多くかなり大掛かりな企画展でもある。出品リストを見ると245点のうち国宝約50数点、重文約130点というもの。そのなかでも超目玉的作品は四大絵巻(「源氏物語絵巻」、「信貴山縁起絵巻」、「伴大納言絵巻」、「鳥獣戯画」)と神護寺三像など。

 これはたぶんウィークデイでも半端なく混むだろうなと思った。まあ手術の後はわりと早起きしているので、午前中から動き出し、上野に着いたのは10時半くらい。これくらいは一般からすれば普通なんだろうけど、うちの場合だいたい動き出しが昼過ぎなもので。

 本展覧会は土日以外は期日指定はないみたいで、とくに待たずに入ることができた。でも館内はやっぱりかなりの人で列をなしている。とにかく進まない。中には単眼鏡でじっくり観る方もいらっしゃるのどの作品の前も大渋滞。思えば去年の「国宝展」も同じ頃だったかなと思い出したり。

 いつものパターンで空いている場所を選んで観たりを始めたのだが、やっぱり国宝というか教科書に載っているような作品はきちんと観たい。なので基本は列に並んでました。後ろで監視員の女性が、呪詛のようにぶつぶつと小声で「前列の方は歩きながらの観覧をお願いします」呟いているけれど、誰も応じない。まあ普通そうだろうね。

 一緒に行った妻は音声ガイドを聞きながらゆっくりと車椅子自走。自分はあちこち食い散らかすような感じで観た。なんていうか性格的にずっと並んで観るというのに慣れない。

 国宝、重文のオンパレードなので展示期間が限られている。そして展示替え、画面替えが多数ある。

展示期間

① 10月11日(水)~10月22日(日)

② 10月24日(火)~11月  5日(日)

③ 11月  7日(火)~11月19日(日)

④ 11月21日(火)~12月  3日(日)

 『鳥獣戯画』の有名な兎と蛙の相撲を取る場面は甲巻なので、すでに展示が終わっていた。ただし『信貴山縁起絵巻』の飛倉の巻の展示期間は①②10/11~11/5までだったのでラッキーでした。また一番観たいと思っていた神護寺三像は展示期間②10/24~11/5までだったのでこれも本当に幸運。この先こういうのって、いつ観ることができるかわからない。高齢者の立場からすると、ラストチャンスの可能性も高かったりもする。

 それを思うと名品、名作を鑑賞するというのは、一期一会みたいな部分があるなと思ったりもした。

 それではやまと絵とはなにか。図録冒頭の一文のなかではこう定義されている。

やまと絵は平安時代前、唐絵と呼ばれる中国由来の絵画に学びながら成立し、独自の発展を遂げてきた世俗画(仏画などの宗教画ではない絵画)のことを指す。中国を舞台とする唐絵に対し、日本の風景、風物を描く絵画のことで、後に水墨画を中心とする新しい技法、理念をもつ中国絵画、すなわち漢画がもららされると、それ以外の伝統的様式に立つ着色画を主にやまと絵と呼ぶようになる。

                           「やまと絵の静率と展開」 土屋貴裕

 なるほど中国伝来の唐絵、漢画に対するものとして日本独自な絵として生まれたということか。多分時代背景的には、遣唐使が廃止されて中国文化の渡来が乏しくなる。その中で文字文化的にはカナが生み出され、漢詩ではなく和歌が詠まれるようになる。そうした和歌に添えられる絵としてやまと絵は成立したのかもしれない。

 ただし狭義でいえば、中国絵画の影響が濃いいわゆる漢画の流れは、山水画水墨画を経て、武士権力者のための絵師集団としての狩野派が形成され連綿と続いていく。それに対して朝廷の絵師グループであった土佐派によって受け継がれていたのが、やまと絵みたいな部分もあるかもしれない。

 ただし今回の企画展ではやまと絵の範囲を思い切り広げており、狭義での漢画の流れ以外の日本的風景、人物を描いたものはすべてやまと絵というくくりであるように思えた。

 しかし明治期になって、それまで狩野派、土佐派、円山・四条派、浮世絵などの流派で呼ばれていた絵画が、「西洋画」と区別されるために「日本画」という大きなくくりのなかで呼ばれるようになった。それと同じように中国からの影響を大きく受けた「唐絵」「漢画」と区別するために「やまと絵」という総称でくくるという、そういうことなのだろう。

 なので今回の特別展で展示される作品の範囲はきわめて広い。狭義での<源氏物語絵巻>で描かれるような、没個性なキャラクター化された「引き目かぎ鼻」の人物像と、似絵による高僧や位の高い武士を描いた神護寺三像との間には、大きなひらきもあるが、これもやまと絵である。

 土佐派的な風景描写と狩野派のそれは大きく異なる部分もあるが、狩野派二代目狩野元信は土佐派と婚姻関係を結んだという伝承もあり、漢画系のなかに土佐派的な作風を取り込もうとしたと伝えられている。そのため今回の企画展にも数点が展示されているのだが、素人目にはどこからみても狩野派風にしか見えなかったりもする。

 まあある意味今回の企画展では「やまと絵」のスパンを思い切り広げていると、そんな印象も持った。 

 

 

《伝源頼朝像》 鎌倉時代13世紀 京都・神護寺

 正直いうとこれ観ることができただけで来た甲斐があった。かっては源頼朝像として歴史の教科書でお馴染みのもの。それがいつ頃から「伝」となったかは定かではないが、日本の肖像画の傑作中の傑作。そしてほぼ等身大に近いようなスケールだ。武士を描く日本画はみんなこの絵を参考にしているのだろうと思ったりもする。すぐに連想するのは安田靫彦の『黄瀬川の陣』だろうか。

 三像の残り二つは《伝平重盛像》、《伝藤原光能像》。この二点は人物が頼朝像とは違って右を向いている。写実性とともにある種の威厳性を備えているのは頼朝像と光能像で、重盛像はやや弱弱しい、柔和な雰囲気だ。しかし三像を並べて展示してあるため、それをじっくり観ると頼朝像が表現的にも際立っている。仏像や高僧を描いた似絵とは異なり、実在の武士を描いた俗画ではあるが、ある種礼拝として描かれたのではないかという記述が辻惟雄監修の『日本美術史』の中にあったがうなずける。

 この三像と交代するように、11/7日からは《天子摂関御影・摂関巻》(豪信筆)が展示される。それぞれの摂関像はこの神護寺三像と同じ衣装、ポーズとなっている。おそらく公卿や武士の中でも位の高いもののポーズ、表現としてこのスタイルが13世紀に確立したのだろうか。

 

源氏物語絵巻 柏木二》 平安時代12世紀 愛知・徳川美術館

 教科書のおさらいみたいになるが、源氏物語絵巻は下書きの線を濃彩で塗り込めて、その上から描き起こしと呼ばれる細い輪郭線を描き直す「つくり絵」という技法で画家れている。人物の面貌は「引目鉤鼻」という類型的な形で、人物の個性を描かず、特定されないような手法をとっている。室内の場面では「吹き抜き屋台」という、屋根や天井を取り払って室内を覗き込むような構図で描かれる。

 当時、宮廷の女性たちのあいだで手遊み描かれていた「女絵」の作風をもっているという。

 この絵巻が宮廷女性によって描かれたものかは不明なのだろう。ただし色鮮やかでやわらかい雰囲気はたしかに女性的ともいえる。おそらく「女絵」とは和歌を詠みそれを書いた紙に添えられた絵の発展形なおかもしれない。

 

信貴山縁起絵巻》 平安時代12世紀 奈良・朝護孫子寺

 縁起絵巻とは社寺創建の由来や沿革、本尊や祭神の霊験などを絵巻に仕立て民衆にわかり易く説明するために鎌倉時代に盛んに制作された。《信貴山縁起絵巻》はその一つで絵巻で描かれるのは、信貴山にこもって修行している僧、命蓮。命蓮は法力が強く、托鉢の鉢を飛ばして強欲な長者の米蔵を鉢にのせて山に運ぶ(飛倉)。また信貴山から下りずに加持祈祷して醍醐天皇の病気を治したりする。最後には長く別れ別れになっていた姉と東大寺大仏のお告げにより再開するという。おそらく当時に伝わる説話を題材にしたものと考えられている。

 描法は《源氏物語絵巻》などの濃彩を塗り込める「つくり絵」ではなく、軽快な筆づかいで、表情や動き、個々の人物の個性を描き分け、筆線を生かす淡彩で描かれている。建物の外観は写実的に描かれていて、建造物の描写を省略する「吹き抜き屋台」の手法は使われていない。

 当時、高い技術をもとに描く専門絵師の風俗画を、「女絵」と区別して「男絵」と称したとも伝えられている。必ずしも描いた絵師の性別に関係なく、やわらかい線描と鮮やかな色彩を塗り込める「女絵」と細密な描写を常とする「男絵」という区分けがあったのかもしれない。

 

 

《春日宮曼荼羅》 鎌倉時代13世紀 奈良・南市町自治

 奈良時代に生まれた日本固有の神々と仏教を融合する神仏習合思想。平安時代には仏を本地(本来の姿)とし、神を垂迹(仮の姿)とし、神は仏が仮の姿で現れたものと考える本地垂迹思想が広まっていく。さらに鎌倉時代には神の地位が高められて神仏合体とされるようになった。神道に重きをおく天皇崇拝の右寄りの人々からすれば噴飯ものかもしれないが、当時の支配層、天皇家や貴族から武家の頭領まで広くこの思想を受容していた。

 そうした神仏習合思想の一環として、神社の社殿に仏寺が建立される。そこで信仰を広めるために制作されたのが宮曼荼羅である。社殿の上方には本地仏が円相のなかに描かれている。

 描法としては吹き抜き屋台と同じような斜投影による技法で社殿が描かれている。この斜投影の技法、一点遠近法とは異なるわけだけど、これって誰が始めたものなんだろう。当然日本固有ということはないだろうから、やはりこれも唐絵の影響なのかもしれない。

 

 今回のやまと絵展、とにかく国宝、重文が沢山展示されている。なので最近学習している日本美術史のテキストに出てくる作品も多く、なんとなく美術史の復習みたいな感じになってしまった。

 

 ちなみ今回の図録はソフトカバーで480ページある。ハードカバーでなくてもすでに鈍器そのもの。このボリューミーは数ヶ月、なんとなくページめくるだけで幸福な気分になれそうでもある。