宇都宮美術館 (1月4日)

 日光の保養所に泊まると近隣の美術館をということで、宇都宮美術館を訪れることが多い。新年早々の開館が4日からだというので行って見ることにした。

 まずは色気より食い気ということで、館内のレストランでやや遅めのランチ。セルフ形式で比較的安価なランチが食べれる。対面のテーブルもあるが、基本は窓に面したカウンター席で外を見ながら食べる。なかなか良い雰囲気だ。

 

 現在開かれている企画展は「開館25周年記念 全館コレクション展 これらの時間についての夢展」という、美術館の歴史を振り返るもの。会期は1月15日までなのでほぼギリギリセーフというところか。

宇都宮美術館|企画展 (閲覧:2023年1月10日)

 1997年開館して25年、うちの子どもが生まれた年である。それを思うとそこそこの年月を経た美術館だとも思うが、全国のハコ物施設としては比較的新しいところか。ここは居心地の良い雰囲気のあるところで、昨年暮れに亡くなった磯崎新が設計した群馬県立近代美術館とともに、スペース部分けっこう気に入っている。調べると岡田新一の設計だという。

宇都宮美術館 - Wikipedia (閲覧:2023年1月10日)

 全館コレクション展は7章に分かれて展開されている。

1章 宇都宮美術館 企画展ポスター年譜

2章 再現展示 1997年第1回コレクション展

3章 時間に色と形を、月と太陽

4章 不変へのまなざし

5章 シャガール わが生涯 もの言わずして語る人

6章 1919-1943年 日本とドイツ

7章 白昼夢をさまよう 青木野枝、佐藤時啓、やなぎみわ

 企画展ポスター年譜ではこれまで行われた企画展が見わたせる。馴染のあるものも多いが、自分が初めてこの美術館を訪れたのは2015年からのようだ。数えてみるとこんな感じである。

2015年11月 「夢見るフランス絵画展」

2016年  9月 「スター・ウォーズ展」

2019年  4月 「勝井三雄展」

2019年  8月 「水木しげる 魂の漫画展」

2020年  8月 「メスキータ展」

 美術好きというか興味を覚えたのは多分鳴門の大塚国際美術館に何度か訪れてから。そして各地の美術館巡りを始めたのは2014年あたりからだから、ちょうどその頃から訪れるようになったんだなと思う。まあ健保の保養所が日光にあり、そこから1時間足らずで行けるということもあったからか。

 それでもこの企画展はみな印象深く覚えている。さらにいえばこの美術館の常設展示されているコレクションもみなお馴染みだ。もちろん目玉のマグリット《大家族》も何度も観ているし。あれは開館に併せて当時6億円で購入したと何かでよんだ記憶がある。

 そして第2章の第1回コレクション展。多分ほとんどの作品を観ているのだが、久しぶりみたいな感じのものが多い。しかし開館時にこれだけのコレクションを揃えたというのも素晴らしいことだと思う。以下気になった作品を幾つか。

《LE REVE /夢》

《LE REVE/夢》ルネ・マグリット 1945年 83✕70

 前述したように宇都宮美術館といえばマグリットの《大家族》である。自分は多分最初に観たのは京都市立美術館でのマグリットの回顧展だったと記憶している。あれは六本木の国立新美術館で見逃がしたのを、京都旅行に行った時たまたま開会していたので観に行ったのだったか。

 マグリットというと、人を食ったようなシュルレアリスム作品が基本なんだが、この作品はどちらかというと再現的というか普通の裸体画だ。そこはかとない抒情性もありつつも、どこか実在感が希薄な幻想性も帯びている。まさに「夢」なのだが、それが表現上のどういう部分から生じるのか。マグリットの確かな画力と魔術みたいなものだろうか。

《裸女》

《裸女》 里見勝蔵 1927年頃 80.3✕60.6

 フランスでヴラマンクに師事した日本におけるフォーヴィスムの第一人者である。この人のフランス時代の作品は、師匠ヴラマンクそのままのような深緑と傾いた家並みの冬景色みたいな作品を多数観ている。

 この作品はヴラマンクの影響を脱しつつ、フォーヴィスムキュビスム的形状への意識を取り入れているような。ただし背景の青緑はヴラマンクそのものかもしれない。

 里見勝蔵作品は、昨年閉館したサトエ記念21世紀美術館でも観ているが、晩年の彼の作品はもっと明るい色鮮やかでややデフォルメされた風景画が多数になっていくような。

《雪》

《雪》 海老原喜之助 1930年頃 65.1✕80.3

 白と青だけで描く冬山と空。小さな点景でスキーやスケートに興じる人々を描く。19歳でフランスに遊学し、「海老原ブルー」と讃えられた作品の一つという。ペインティング・ナイフを使った青と白のみで、冬山の表情を単調さに陥らず描き切ったものだと感心する。この作品、この美術館のコレクションの中でもかなり好きな部類でもある。

《STADT ENDE/都市の境界》

《STADT ENDE/都市の境界》 パウル・クレー 1926年 36.9✕51.3

 相変わらずというか、クレーはよく判らない。その判らなさは図録等の解説にも連鎖して、たいていの解説が作品以上に判りにくいものだったりもする。売店で売っていた1999年発行の『宇都宮美術館収蔵作品選』の解説も相当に何を書いてあるのかが判らない。曰く、クレーはタイトルという作品の”境界”に意を注いだ。クレーの境界意識は、作品提示の形式への一貫した執着と重ね合わされる。この作品の台紙の作品を取り巻く耳の部分は、「どこまでが作品か?」という問いを観者に投げかける。などなど。

 抽象絵画の難解さやクレー作品の難解さは、得てして作品解説をも難解にしてしまうのだろうかと思ったりもする。いや~、クレーは難しい。

 この作品についていえば、ニワカの自分にとっては、比較的とっつきやすい。《都市の境界》というタイトルと、クレーにしては比較的対象性があり、具象的な建物の形象がある。その建物群はどちらかといえばキュビスム的趣も兼ね備えている。そして上部、空なのか背景の山並み的景色なのか、そこから中央を横切り左下の部分は都市ではない何かの具象を想起させる。

 都市の境界とは、都市と都市との境界ではなく、都市によって象徴される文明的なものとそうではない自然的なものとの境界なのか。まあ諸々解釈は可能だが、作品自体は、淡い色調とともにそうした解釈することをあまり求めない情緒的なところに収斂されるような気もしている。都市の冷たさ、非人間性とは異なるような、そんなものを感じさせたりもする。

 結局のところ、クレーは難しい。

《衣裳 エスキース

《衣裳/エスキース》 カジミール・マレーヴィチ 1923年頃 33.3✕26.0

 正方形、円、十字架などの極限まで切り詰められた形態による抽象度の高い作品を「シュプレマティズム(至高主義)」絵画と名付けたマレーヴィチである。多分、実作を観るのは初めてかもしれない。

 この作品自体は、ロシア革命に加わりソ連の芸術行政に加わるようになったマレーヴィチが抽象主義を放棄して具象的な作品に回帰し始めた頃のもののようだ。その後、スターリンの台頭とともに、ソヴィエトの芸術政策が「社会主義リアリズム」一辺倒になるにつれて、マレーヴィッチは政府に疎まれ、逮捕や投獄されるようになる。その頃には抽象表現は捨て去り、写実的な作品を描いていく。

 この作品は「シュプレマティズム」的な純粋抽象から具象的な表現に移る過程のようにも思える。

特別展示-大巻伸嗣

 
特別展示-力石 咲