小杉放菴記念日光美術館 (1月3日)

 

 昨年に引き続き美術館の初詣は日光美術館から。

 この美術館もう何度も訪れているが、単なる観光地の美術館ではない。ベースとなるのは日光出身の画家小杉放菴の作品だが、現代美術作品の収蔵も多く、かなりとんがった企画も時々行われる。今回も「『描く』を超える 現代絵画 制作のひみつ」と題する現代絵画の企画展。ということで正月早々から現代絵画、しかもほとんどが抽象画である。

 と、その前にこの美術館の顔ともいうべき小杉放菴の代表作を。

《泉》 小杉放菴 1925(大正14)年頃 油彩・カンヴァス 179.0×363

 この絵、なんとなくお目出度い雰囲気があり、この絵に迎えられるとなんとなく美術館に初詣に来たような気分になる。

 この絵については以前にも書いたけれど、東大安田講堂の舞台正面に描かれた壁画の習作である。そのまま丸めて保管されているのを子息が見つけ、美術館に寄贈されたものだという。フランスの象徴主義の画家シャヴァンヌの影響などが指摘されている。これも以前感じたことを書いたが、土田麦僊の絵と雰囲気が似ている。多分、その根底にはやまと絵的なエッセンスが感じられる。さらにいえばルノワール的雰囲気も。

 

 そして企画展。

展覧会・催し物|小杉放菴記念日光美術館 (閲覧:2023年1月10日)

 この展覧会はもともと2020年4月に予定されていたが、コロナ禍の影響で開催とともに美術館が休館となり中止となったもので、2年半を経て再び開催されたものだ。全国でもこうした企画展は多くあり、中には図録等も出来上がったまま中止となったものもある。再開には相当な労力が必要だったことは想像に難くない。企画をされた学芸員のこだわり、情熱みたいなものを感じる。そのいったんは、パンフレットの冒頭にも。

「描く」ことのいま —— 5つの行為を軸に

 現代絵画につきまとう「難しい」というイメージを払拭する。これが、本展企画のきっかけとなった筆者の思いだ。かくいう筆者も「難しい」と思っていた一人であったものの、この仕事に就いて以降、いかにして鑑賞者に現代絵画の魅力を伝えるかを考えあぐねていた。そして、画家自身が著した画論やエッセイなどを読み進めるうちに、彼らの制作は絵筆を手に持ち動かすことで、かたちをつくる「描く」という行為を超えていることに気づき、「線を引く」「空間を刻む」「重ねる」「たらす」「待つ」という五つの章(視点)から、いまを生きる7人の画家の作品を紹介する構想が浮かび上がったのだ。
 しかしながら、本展の準備期間と時を同じくして、新型コロナウイルスの感染が広がりつつあり、首都圏を中心に美術館・博物館が相次いで休館。当館も、2020年4月11日から休館を要請され、結局来館者を迎えることなく5月31日をもって閉幕した。
 2年半の時を経て、再び開催する運びとなった本展ではあるが、この間、出品作家との交流を重ねることで、より作品への理解を深められたように思う。   

 絵筆によって造形する=「描く」という行為を超えた5つの行為という切り口。どこか抽象表現主義のキーワードであるアクション・ペインティング的なものを想起する。しかし、この切り口によって現代絵画が、その作品が読み解けたかどうか、ざっと作品を観た限りでは、それが成功しているのかどうかは判らない。ニワカの自分には、難解な現代絵画=抽象画の鑑賞、理解の糸口、入り方を提示しているに過ぎないのではと思うのが結論でもあった。

Ⅰ 線を引く

 菊池武彦の作品は線を引き重ねることによって構成されている。菊池は画材として岩絵の具に拘り続けている。地中で長い時間をかけて生成された鉱石を原料とする岩絵の具を用いることで、文明が自然を搾取しその恩恵の上に作品が成立していることを思い起こさせてくれるという。

《線の気韻 1993-9》 菊池武彦 1993年 岩絵具/水彩/アクリルメディスムほか 紙

Ⅱ 空間を刻む

 展示作品の中で唯一具象的風景画、日光出身の風景画家入江観は背景や空を刻むようにして表現する。画家はインタビューでこう発言している。

絵描きによっては、空は平らだから”塗る”っていう感覚でやってるでしょう?だけど”空間を刻む”っていう意識がもしあれば、それでは済まないはずなんだよね。

 若くして渡欧し、その前後はセザンヌに傾倒していたという初期の作品。

《風車売》 入江観 1962 油彩・キャンヴァス

 キャリア後半になってから風景画。空の表現はまさに空間を刻む。

《湖上凱風》 入江観 1992年 油彩・キャンヴァス

Ⅲ 重ねる

 色面を重ねることによって制作する佐川晃司の作品を紹介する。

《背にとどまるもの04.8-1》 佐川晃司 2004年 油彩・キャンヴァス

Ⅳ たらす

 間島秀徳の作品が紹介される。抽象表現主義でいうポーリングやドリッピング日本画におけるたらし込みなどを応用する技法。

 間島の制作方法は以下のようなものだ。

まず、木炭ドローイングを施した和紙に、農薬散布用のポンプで水を撒き、刷毛で墨を「たらす」。画面に表れた墨の紋様を手がかりに、制作の方向性を定めた後、耐水性に富むアクリル絵具を刷毛で塗り、また水で画面を濡らす。その上に川砂や岩絵具を筆で「たらし」、水を湛えた画面をゆっくりと傾ける。この一連の流れを何度か繰り返すことにより、作品は完成するのだ。

Kinesis No.607(seamount) 》 間島秀徳 2014年 
顔料/アクリル/墨/樹脂膠/水・高知麻紙 個人蔵

Ⅴ 待つ

 山田昌宏のこの作品は、木枠にゆるく張ったカンヴァスに、混合した絵具を噴霧器で撒き、それを乾燥させることで完成させている。画家は直接絵筆をもつこともなく、画材を準備する以外は何もしていない。絵具が乾ききるのを作品のそばで待つという行為が、画家の制作という行為なのだという。なんとも人を食ったような話だ。アトリエの温度や湿度などをコントロールしてひたすら待つという受動的行為が、芸術制作になるという。

《ティリニ》 山田昌宏 2006年 
アクリルピグメント/蛍光塗料/雲母/アクリルメディウム/水・キャンヴァス

 

 日光という観光地で、正月早々かなりとがった現代美術鑑賞という体験はめったにないものかもしれない。ただし弛緩したありきたりの観光、寺社への初詣といった決まり切った日常性に、こういう切り口のアートをもってくること自体が、まさに現代美術なのかもしれない。

 展示された作品は入江観の風景画をのぞけば、正直ニワカの自分には理解を超えたものばかりだ。それでもいくつかの作品には面白さ、なにかが、クレー的にいえば見えないが見えるような、そんな気にさせられた。

 「『描く』を超える 現代絵画制作のひみつ」展は今月29日までの予定。寺社観光とは違った日光もなかなかよろしいかと。

 5時の閉館と同時に美術館を出る。外は薄暗くなっていて、併設する市営駐車場には自分たちの車が1台残されているだけだった。