三溪園に行ってみた (8月24日)

 神奈川区役所での要件を済ませてから、さてとせっかく横浜に来たのだからとどこかに行ってみるかとなった。本当は、翌日にちょっとした野暮用で長野に行く予定があり、早目に帰りたいとは思ったのだが、お出かけ大好きの妻と一緒なのでそういう訳にもいかない。

 なんとなく三溪園に行ってみるかと思いつく。ネットで調べると閉園は5時で最終入場は4時半。ナビを入れると4時過ぎには着く。土日は駐車場はすぐに満車になってしまうだろうけれど、ウィークデイの閉園間際なら多分空いているだろうと。

 

横浜 三溪園 - Yokohama Sankeien Garden - (閲覧:8月27日)

 

 懐かしい庭園公園である。入り口を入ると池とその向こうには小山と三重塔が見える。

 

 

 

 

 三溪園は明治時代養蚕業で財を成した原富太郎の私邸である。自身も書画を成し原三溪と号した。三溪園はそこから名付けられている。さらに富太郎は、当時の日本美術院に参加した画家を後援し、三溪園内で毎回が絵の展覧を行った。目をかけた画家には多額の生活費を渡してその画業を支えたという。

 特に下村観山は特に贔屓にしていたようで、多数の作品を購入している。園内にある美術館三溪記念館には富太郎自身の書画とともに多くのコレクションが展示されている。その中で今回は下村観山のこの絵が目をひいた。

 

《漁夫図》 下村観山

 三溪園を訪れるのはいつ以来だろう。記憶を辿るともう随分と前、ひょっとすると山下町に住んでいた頃、小学校に上がる前の思いでしかない。だとすると60年以上ぶりのことなのかもしれない。園内に一番奥の南門、記憶的にはその向こうはずっと遠浅の海だった。ほぼ自分の最古の記憶の一つかもしれないが、その海岸で潮干狩りをしたり、夕陽を見たようなそんな情景が浮かぶ。

 今ではその海岸は埋め立てられ、産業道路や高速道路が走しる。埋立地の一部は本牧市民公園になっているという。こんな風景に変貌してからも多分40~50年を経ているのかもしれない。

 

 気がつけば4時半くらいになっていたので、やや速足で車椅子を押して正門まで戻ることにする。

 

 

 

 

 

 暑い日だったがそこそこに気持ちよく、しかも空いていたので小1時間庭内散策を楽しんだ。もう少し涼しい時期とか桜の季節がいいかもしれないとは思った。