西洋美術館~山本英子氏の寄贈品 (1月12日)

 トーハクを4時ちょい過ぎに出て、せっかくだからと西洋美術館に美術館の初詣に行く。西洋美術館は5時半まで開館しているので正味1時間ちょっと観ることができる。暮れに行ってばかりなので、企画展の「ピカソとその時代」はパスして常設展をさらっと流すことにした。

 まずルネサンスから近代までをざっと観てから、新館の19-20世紀美術へと順に観て行く。ここの所蔵品は松方コレクションを中心に少しずつ購入品を増やしてきているが、少なくない点数が個人寄贈されている。ルノワールピカソの幾つかの作品は梅原龍三郎からの寄贈であったりとか。

 そうやって作品キャプションを見て行くと、ふと同じ名前が多くあるのに気がつく。「山本英子氏より寄贈」というキャプションだ。山本英子氏って誰?

 ググると以下のような記事があるのを見つける。

 美術館にとって、収蔵作品の充実を図ることが何よりも亜要な責務であるのは、改めていうまでもない。国立西洋美術館においては、従来より、作品収集のために以下の三点を基本方針としてきた。第一は、当館開設の核となった松方コレクションが対象としている19世紀後半から20世紀初頭にかけてのフランスおよびその他の諸国の近代美術の優品を揃えること、第二は、西洋美術全般を扱う日本での唯一の国疏美術館として、主としてルネサンス以降の西洋美術の流れを歴史的に辿るために必要な作家、流派の代表的作品を集めること、そして第三は,版画部門を充実させることである。もちろん、近年の美術品の価格の高騰は、その使命の遂行に大きな困難を投げかけているが、今回の購入作品は、いずれも上記の基本の方針に叶っており、限られた予算の範囲内での最も適切な選択であったと言えるであろう。
 これらの購入作品に加えて、山本英子氏より,近代美術の優れた作品を多数御寄贈頂いたことは、当館にとってまことに有難いことであった。その寛大なお志に,国立西洋美術館として深く感謝申し上げたい。大変残念なことに、山本英子氏は、その後平成4年1月に逝去された。謹んで心より御冥福をお祈りする次第である。このほか,フジカワ画廊(水嶋徳蔵氏)をはじめとする篤志家からも貴重な作品を御寄贈頂いた。ここに感謝の意を表したい。

国立西洋美術館年報 25巻-26巻ーはじめに」(高階秀爾) 発行1994年7月1日

http://file:///C:/Users/owner/Downloads/No.25-26_06Takashina.pdf

(閲覧:2023年1月16日)

 さらにググると西洋美術館で出していた小冊子「ZEPHYROS」1997年2号にこんな記述がある。山本英子氏を含め寄贈作品について当時の学芸課長だった雪松行二氏による一文である。こちらも引用させていただく。

国立西洋美術館の所蔵作品のなかに数多くの寄贈作品が含 まれていることは、 意外と知られていない。 所蔵作品の数は 設立時 (1959年)の370点 (松方コレクション)から、 現在2164 点と大幅に増えているが、 そのうちの実に294点が寄贈作品な のである。 
1965年に山村徳太郎氏から寄贈されたエルンスト、ミロ、 アルプ、ポロックら、現代美術のコレクション、そして、1970 年代後半に梅原龍三郎画伯から寄贈された古代ギリシャのキ クラデス彫刻、 ルノワールドガ ピカソ、ルオーらの作品 は、当館のコレクションに大きく幅と厚みを与えた。 そのほ か、スーティン 《狂女〉 (林泰氏、 1960年)、 ロダン 《バルザ ック (最終習作) 〉 (朝日新聞社、1962年)、デュビュッフェ 《美しい尾の牝牛〉 (平野逸朗氏、 1979年) などは、 当館にと って欠かすことのできない貴重な作品である。 
近年寄贈を受けたものでは、ヴュイヤール《縫い物をする ヴュイヤール夫人〉 (フジカワ画廊、 1990年)、ドラン 〈ジ ャン・ルノワール夫人〉 (山本英子氏、 1990年) 藤田嗣治 《坐る女》、 ボナール <働く人々> (柿沼冨二朗氏御遺族、 1992 年)、モンティセリ 《公園にて》 (上野久徳氏、 1995年)、 ボナ ール 《花》(吉井長三氏、 1996年)などがある。 〈坐る女 > は1926年という藤田の絶頂期の傑作であり、 ドランの肖像画 は、画家ルノワールの息子の映画監督ジャンの妻をモデルに しているが、 どこか黒柳徹子さんを想わせる。 ボナールは、1987 年に購入したジャポニスムを示す初期の 《坐る娘と兎〉に加 えて、3点となった。 

私もこれらの寄贈のいくつかのお手伝いをしたが、その中 で最も強く記憶に残るのは山本英子さんのことである。 山本 さんは東京の蒲田にある小さな病院の院長で、 当時、ガンの末期状態にあった。 若いころは画家を志したが、 結局、 家業を継いだのか医者になった。 それでも美術への愛はいっこう 衰えず、画廊で好きな作品を見つけるとどうしても欲しくな り、月賦をしてでも手に入れた。 毎月の支払いは200万円もあ ったという。 
山本さんのいかにも心地よさそうなお住まいには、 居間、 食堂、廊下などいたるところに絵や彫刻が飾られていた。 ドラン、デュフィ、ビュッフェ、ロダンブールデル、 クラヴ ェー、大作は少ないが、いかにもコレクターの趣味をうかが わせる作品ばかりであった。 山本さんの目の前でこれらの作品を壁からはずすことには躊躇した。 しかし、山本さんは毅然として言った。 「意識がしっかりしているあいだに整理しておきたいの。 私は長い間これらの作品といっしょに暮らせて 本当にしあわせでした。絵とか彫刻はみんなのものですから。」 作品を寄贈してくださる動機はさまざまであろう。しかし、 こういう方々によって西洋美術館は支えられているのである。 皆様、本当にありがとうございました。 

「ZEPHYROS」1997年2号 「絵とか彫刻は みんなのものですから・・・」
国立西洋美術館学芸課長 雪山 行二 

https://www.nmwa.go.jp/jp/education/pdf/zephyros_02.pdf

(閲覧:2023年1月16日)

 これらの記事から山本英子氏は、蒲田にある病院の院長をしながら西洋近代絵画のコレクションを続けられたが、1992年(平成4年)にご逝去されている。氏は雪松氏の文にあるように、若い頃は画家を志していたが家業の病院を継ぐため医師となり、医業のかたわら好きなフランス近代絵画のコレクションを少しずつ増やしていかれたという。そして亡くなる間際に、所蔵品を西洋美術館に寄贈され、表題を言葉を残されたというのだ。

「絵とか彫刻はみんなものですから・・・」

 こういう市井の篤志家によって西洋美術館のコレクションが豊かさを増し、美術愛好家、自分のようなニワカ者もそのすばらしい作品を享受できるということなのだと思う。

 誰かこの山本英子氏のことを本なりにまとめていただけないかと思ったりもする。平凡な医師としての人生、でも彼女は芸術を愛し、それを少しずつ手元に置き生活を豊かにされ、最後に所蔵作品を公共の手に委ねたのだ。原田マハあたりに書いてもらったら、ハートウォーミングな物語になるのではないかと。

 名画とそのキャプションにも多くの人生があるということをなんとなく思ったりもする。一昨年だったかイスラエル博物館所蔵印象派展がたしか三菱一号館で開かれた。あの膨大なコレクションもユダヤ系の富裕なコレクターの寄贈、遺贈によって構成されている。その中にはナチスドイツによる熾烈な迫害を経験された人々もいたかもしれない。絵画の所有に様々な人生が付随している。それらを読む、知ることも絵画鑑賞の一つかもしれない。

ジャン・ルノワール夫人(カトリーヌ・ヘスリング)》

ジャン・ルノワール夫人(カトリーヌ・ヘスリング)》
 アンドレ・ドラン 1954年 山本英子氏寄贈
《果物 Fruit》 アンドレ・ドラン

《果物 Fruit》 アンドレ・ドラン 1954年 山本英子氏寄贈
《町役場》 モーリス・ヴラマンク

《町役場》 モーリス・ヴラマンク 1920年 山本英子氏寄贈
モーツァルト Mozart》 ラウル・デュフィ 

モーツァルト Mozart》 ラウル・デュフィ 1943年 山本英子氏寄贈

 今回、展示されていなかったもの、見落としたものなども多分多数あると思うが、調べた限りでは他にもこんな作品が山本氏からの寄贈のようだ。

《花のある静物 Still Life with Flowers》 ピエール・ラプラード

(閲覧:2023年1月16日)

《浴女たち Bathers》 アンドレ・ドラン

(閲覧:2023年1月16日)

《鰊のある静物》・《素描 : 後ろを向いた男》 ベルナール・ビュッフェ

独立行政法人国立美術館・所蔵作品検索

(閲覧:2023年1月16日)

《ばら Rose》 オーギュスト・ルノワール

(閲覧:2023年1月16日)