5月の日誌的①

5月2日(木)

 明け方近くまでAmazonプライムで『プライベート・ライアン』を観ていたせいか、昼過ぎまで寝ていた。昼夜真逆になりそうな老人である。こういう生活はなんだか高校生のときの夏休みみたいな感じだ。

 『プライベート・ライアン』はもう何度目だろう。もう片手ではきかないかもしれない。この映画と『ゴッドファーザー』が一番繰り返し観ているかもしれない。それくらいなぜか気に入っている。戦争で殺し合いをしている最中に、兄弟3人が戦死したので残った弟の二等兵一人を帰国させる任務を負ったレンジャー部隊。安易なヒューマニズムと戦争のアイロニー

 そして激しい戦闘の中で生き残り帰還した二等兵は、家庭を築き激戦の地だったノルマンディーを訪れる。戦没者の墓地の中で、自分を救ってくれた大尉の墓の前で崩れるようにして膝をつく。そして「私はいい人生を送れたでしょうか」と問いかける。

 老いたライアン二等兵の後ろでは同じように老いた、おそらくかっては美しかっただろう妻がいて、さらに息子や娘たち、さらに孫が見守っている。ライアンは品のいいスウィング・トップにコットンパンツという装い。リタイアした経営者然としている。妻や子どもたちの様子からも、アメリカの中産階級の成功者然としている。こういう風に特に説明もなく、その服装とかそういうところで物語を語らせるのは、スピルバーグの達者な演出だと思ったりもした。

 「私はいい人生を送れたでしょうか」

 いつか自分もそんなことを自問自答する時がくるのか。眠い目をこすったのは、あるいは目頭が熱くなったせいかもしれない。

 

 ここ数日、熱いのにも関わらず日中に石油ファンヒーターを稼働させ、ようやく灯油がなくなったので物置にしまった。併せてグルニエにしまってあった扇風機を3台下して、逆に電気ストーブ類をしまった。あとはいつ合わせの掛布団を薄がけにするかだ。

 

 夕方、妻の皮膚科通院があるので送っていく。受付で診察券を出したのだが、保険証と重度心身障害者医療費受給者証が見当たらない。いつも身障者手帳に入れあるはずなのに

 記憶をたどると4月23日に歯医者に行っているので、その時に返してもらってないか。いやそれだったら歯医者から連絡があるはずだ。とりあえず皮膚科は次回でかまわないということですんだ。そこですぐ家に帰って探すと、置いてあるお薬手帳の中に入っていた。お薬手帳は4月16日に糖尿病の通院に来たときに使用しているので、多分そのときに妻が入れたままにしていたみたいだ。

 妻のこういううっかりは、病気のせいだとは判っているのだけど、イラっとすることがある。いずれはもっと症状が悪化して、いわゆる認知症状が重くなるのかもしれない。それは今はあまり考えないようにしているのだけれど。

5月3日(金)

 前夜、4ヶ月分記帳した預金通用の明細をパソコンに打ち込んだ。使っているのは現役時代から一番よく使っていた簡易データベースソフト桐。帳簿的な使用では入力効率という点ではエクセルなんかよりはるかに使い勝手がいい。もっとも30年くらいずっと仕事で使ってきているという慣れの部分が大きいかもしれない。家のパソコンに入れているのはかなり前のヴァージョンだが、Windows11でも問題なく動いている。 

 とりあえず引き押しも特に怪しいものは見当たらない。自分のと妻の通帳と二つ分を入力。さらに買い物レシートを貼り付けてあるノートからここ2週間分を入力した。これはもう1年半くらい続けている。総計を取るととんでもない金額になるが、まあこういうことをするだけでも少しは金遣いを控えめにするような心理が働くかと思って続けている。

 その後、最近は利用明細を送ってこないカードをそれぞれのサイトからダウンロードできるようにした。いずれはまとめてCSVでダウンロードしてこれも桐のファイルに取り込もうかと思っている。このへんは仕事しているときによくルーチンとして行っていた。

 たいていは専用システムからデータをダウンロードしてそれを加工して経営資料を作ったりとかそんなことだっただろうか。

 

 そんなこんなで10時過ぎに起きて、燃えるゴミの日だったので慌てて出しに行く。一応、回収前かどうかを一度確認に行ったりとか。それから妻のインシュリンをうつ。

 昼過ぎに妻と二人で府中市美術館に「みほとけの国の美術展」を観に行く。府中市民の森公園はすっかり初夏みたいな感じで夕刻でも心地よかった。

 家に帰ると、子どもが帰って来ている。この日から3日間、子ども的にはのんびり実家で過ごすという。こっちはおさんどんの日々が続くことになる。

 

5月4日(土)

 家族三人で川島の平成の森公園に行く。車で30分くらいの川島の田園地帯の中にある広々とした公園。まあご近所散歩の延長だ。

 園内では咲き始めの薔薇を見たり、園内をのんびり一周する。天気も良く、カラットしていて心地よい。ある意味、一年で一番いい時期だ。世界は諸々たいへんなことが多いが、少なくともディープさいたまは平和だとは思った。

 夕食はブルコギ、豚肉生姜焼き、中トロ刺身、ほうれん草のおひたしなど、子どもが好きなものでまとめた。

 

5月5日(日)

 高速に乗り群馬県立近代美術館へ。もっとも高速が混んでいたら即変更して近場の公園にでもと思っていたのだが、思いのほか高速は空いていて。1時間かからずに玉村スマートチェンジまで行く。

 着いたのは11時少し前。少し早めの朝食をというとこで、群馬県近美近くの梅やという蕎麦屋に入る。ここは開店が11時だが、すでに行列が出来ている。6番目か7番目だったのだが、テーブル席はいっぱい。お座敷席は妻が座れないので、カウンター席に家族三人並んで食することに。

 自分はいつものもりそばとミニイカ天丼のセット。妻は天重のセット、子どもは天ざる。値段はまさに自分>妻>子どもという順。まあいいか。

 

 群馬県近美は「コレクションの作り方」という常設展示のみの展示。いつもは二階の常設展示コーナーにある作品のうち日本近代の洋画、西洋美術のみを展示してあった。二階は次の企画展の準備なのか締まっていた。感想については別途書くかもしれない。

 その後は群馬の森の中をのんびりと散歩。ここは開放的でいい。

 

 園内の奥に今年1月に撤去された「朝鮮人追悼碑」の跡地を探してみた。献眼顕彰碑の隣にあった碑だがきれいさっぱりと無くなっていた。

 

 もともと歴史修正主義たちのグループが、追悼式典で参加者が「朝鮮人の強制連行」に触れたことで「碑文は反日的」と批判し、撤去を求めたことに押されて、県が更新を不許可とし強制撤去したというものだ。更新不許可の理由が「政治的行事は行わない」という設置条件に抵触したというものだ。

 この国は自治体レベルを含めて、戦前の記憶をないものとする歴史修正主義が横行する国になってしまった。これも長く保守政権が続く影響かもしれない。これは多分、ヨーロッパにおいてナチスヒットラームッソリーニを賛美し、ファシズムは悪い部分もあったが良いこともしたという論調が広まるのと同じかもしれない。少なくともそれは公のレベルでは相手にされないヨタ話の類なのだが、日本においてだけはそうした歴史修正主義が流通している。

群馬の森「朝鮮人追悼碑」代執行で撤去方針…それで「政治的な紛争」はなくなる? 抗議が止まらない理由とは:東京新聞 TOKYO Web

群馬の森 - Wikipedia

  献眼顕彰碑の隣に空虚ななにもない空き地がある。それを見ているとなんとも悲しい気分になってきた。

 

 帰宅後はカレーを作る。カレールーをバリ辛にしたら、かなり辛い出来になった。その他にはコブサラダ、冷凍してあった安いステーキ肉を切って焼いたものなど。

5月6日(月)

 朝、妻のインシュリンをうつ。昨日は急かされていて忘れてしまったので、自責をこめて起きて最初にうつことにした。その後は朝食作り。前日のカレーとオムレツ、ほうれん草のお浸し。

 午後は、子どもを家まで送っていく。途中、子どもの地元近くにある銚子丸で回らない寿司を奢ることにする。妻はダイエット中、自分はさほど腹が減っていなかったのであまり食べなかったので、子どもが一人で頑張っていた。親二人があまり食べなかったのと、アルコールがなかったためか、料金は思いのほか安かった。

 

 子どもと別れてから、妻どこかで遊びたい、海に行きたいというので、葛西臨海公園に行った。GWの最終日の5時過ぎということでえらく空いていた。

 この公園に来たのは何年ぶりだろうか。結婚する前に一度来ただろうか、あとは子どもが小さい頃で妻がまだ障害者になる前。それからするともう20数年ぶりみたいなことになるのだろうか。

 

 園内をぐるりとしてから、最後に大観覧車に乗った。もともと高いところは苦手なほうだが、年と共に苦手意識が強くなっている。けっこう風が強かったので、風の音とかも恐怖心をあおる。一周17分くらいの間、けっこう緊張していた。

 景色はなかなかいい感じだったか。