東京富士美術館へ行く (9月28日)

 もう一週間以上も前になってしまうが、都内での健康診断のあとどこにも寄らずに埼玉に戻った。木曜は妻のデイサービスが休みの日でお出かけモード。昼過ぎに家に戻ってからどこかへ出かけるかということになる。

 電車の中でスマホで検索していると、東京富士美術館がすでに開館しているという。去年の8月いっぱいで長期休館に入っていたのだが、8月にオープンしていたと。さらに9月16日からは大型企画も行われているという。

 東京富士美術館は家からだと、圏央道を使って一本なので、道路が漉いていれば30分かそこらで行ける多分一番近い美術館でもある。以前もウィークデイの午後にふらっと行くみたいなことも多かったので早速行ってみる。

世界遺産シルクロード

世界遺産 大シルクロード展 | 展覧会詳細 | 東京富士美術館

 日中平和友好条約45周年ということで、かなり大きな企画展である。

<開催概要>-チラシ・HPより

東洋と西洋を結ぶシルクロードは、古代から重要な交流、通商ルートであり、多様な民族が興亡した文化融合の地でした。本展覧会では中国の洛陽、西安、蘭州、敦煌、新疆地域など各地の主要な博物館、研究機関の所蔵する文物の中から、シルクロードの名宝を紹介します。遣唐使など日本との縁が深い唐時代を中心とした名品を展観するとともに、あわせて世界遺産に登録された遺跡の遺品も展示します。

 出品リストによれば展示品は196点にのぼる。しかもうち45点が一級文物とか。これは国家一級文物のことだと思うが、だとすれば日本の国宝にあたるものでもあり、貴重な名品が多数出品されていることになる。しかも入り口脇には、駱駝の剥製まで。

 今後も1年以上をかけて全国6ヶ所を巡回するというかなり大掛かりな企画展でもある。

シルクロード展巡回展

東京会場:東京富士美術館  2023年9月16日(土)~12月10日(日)
九州会場:福岡アジア美術館 2024年1月2日(火)~ 3月24日(日) 72日間
東北会場:東北歴史博物館  2024年4月9日(火)~ 6月  9日(日) 54日間
四国会場:愛媛県美術館           2024年6月22日(土)~ 9月1日(日) 62日間
中国会場:岡山県立美術館       2024年9月16日(月祝)~ 11月10日(日) 48日間
関西会場:京都文化博物館       2024年11月23日(土祝)~ 2025年2月2日(日) 56日間

プレスリリース)

https://www.fujibi.or.jp/assets/tfam/files/pdf_pressrelease/1202309161_release.pdf

(閲覧:2023年10月6日)

 主催は各美術館と各地の新聞社、放送局、そして一貫して中国文物交流中心が担っている。この中国文物交流中心とは、中国の文化財保護行政機関を統括する国家文物局の直属機関で、中国文化財の出国等に関する実務全般、海外展示、海外文化財の中国での展示、博物館関連の海外との共同事業の実施等を担う期間だという。いわば中国政府の全面的な協力によって実施される大型企画展ということだ。

 そのトップバッターとして東京での開催を東京富士美術館が行うというのもさすがという気もする。まあなんとなく昔からのイメージからすると、中国と創価学会とは独自のパイプがあり、こうしたシルクロード関連の展覧会事業を何度も実施していたような記憶がある。中国と創価学会のパイプは、それこそ毛沢東時代から文化交流があり、公明党がある種、日中外交の露払い的な役割を果たしてきたこともあった。多分に竹入、矢野時代のことのようにも思う。

 まあここ十数年は自民党との連立政権を組み、中国との関係を重要視しない清話会系の安倍政権が長く続いたため、公明党創価学会と中国とのパイプも次第に先細ってきているようにも見受けられる。それを思うと、こういう企画展が開催されるのは嬉しいことのようにも思う。

 最近は台湾情勢や処理水放出などで危機感を煽る論調も多く、日中関係も悪化の一途というところ。そうしたなかでも、こういう文化交流事業が続くのはよいことだと思う。

 中国美術、特にシルクロードという中央アジアの遺品、名品については、正直知識が乏しい。しかし東アジアの周辺国という点では、中国の多大な影響を受け、朝鮮とともに日本は中華文明の伝播によって形成されてきた部分が大きい。中国からもたらされる文化を受容するなかで独自の文化をも形成してきたということは、文化史全般にいえることなのだろう。それを思うと、こうした中国および中央アジアの文化的遺品の数々は、日本文化の源流ともいえる。そんなことを思いつつ様々な遺品や仏像を観た。

《菩薩坐像》 唐・7–8世紀/2000年洛陽市奉先寺遺跡出土/ 高86.5cm/
一級文物/石彫/龍門石窟研究院

 この異様なほどくびれた腹部などの造形は、同時期法隆寺献納宝物であった《菩薩半跏像》や中宮寺の《菩薩半跏像》と同じ形式で、時代的にはいまだ写実表現が取り入れられる以前なのかなどと思ったもりした。中国と日本、唐代と白鳳時代においても、美術造形は同時代性を帯びていたのかなどと、あまり根拠なく思ったりもした。

 

 冒頭にアップした駱駝の剥製は、以前に中国から創価学会池田大作会長に贈られたものだそうな。東京富士美術館の収蔵品にはこういうものもあるのかと、ちょっと驚いたりもした。

西洋絵画 ルネサンスから20世紀まで

 いつもの常設展である。久々ということもあるし、また昨年の8月まででもしばらく展示してなかった作品などもあり、久々の再開みたいな感じでちょっとだけ嬉しくなったりもした。

 

 

 

《タヴォラ・ドーリア

 ダ・ヴィンチの失われた壁画《アンギアーリの戦い》を知る最良の作品とされる《タヴォラ・ドーリア》は東京富士美術館からイタリアに寄贈されウフィツィ等で展示されていたようだが、イタリアとの協定に基づいて2023年7月~2027年6月頃まで、日本に戻り展示されることになったという。これまで複製の展示だったが、これは修復された実作のようだ。いちおう監視員さんにも聞いたのだが、そういうようなお答えだった。

<プレスリリース:《タヴォラ・ドーリア》特別展示

https://www.fujibi.or.jp/assets/tfam/files/pdf_pressrelease/tavola_doria_release.pdf

(閲覧:2023年10月6日)

 

ロココ三連発

 上部フラゴナール、下部左がシャルダン、右がヴァトー。こういう陳列が出来るのも所蔵品の多い富士美ならでは。

 

 同じくカナレット。

 カナレット三連発

 

《男の肖像》 フランス・ハルス 1633年 油彩・カンヴァス

 これはあまり見覚えがない。初めてかもしれないし、一度や二度観ているかもしれない。フランス・ハルスはレンブラントと同時期に活躍した人で肖像画、集団肖像画が多く描いている。美術の教科書系ではルーブル所蔵の《ジプシー女》あたりが有名か。国内ではほとんど観ない画家のようにも思う。

 

《もの思い》 カミーユ・コロー 1865-70年頃 油彩・カンヴァス

 これも大好きな作品の一つ。ずいぶんと久しぶりの再会のような気もする。森の中で、摘んだ草をスカートの前の部分に載せ岐路につく女性を描いている。《もの思い》というタイトルのとおり、女性の雰囲気にはどこか心ここにあらずな雰囲気がある。

 

《牧草地の牛、ルーヴシエンヌ》 アルフレッド・シスレー 1874年 油彩・カンヴァス

 

《水辺の柳、ポン=タヴェン》 ポール・ゴーギャン 1888年 油彩・カンヴァス

 

《漁師の娘》 アドルフ・ブーグロー 1872年 油彩・カンヴァス

 美人過ぎる漁師の娘。おそらくモデルに田舎風の服を着せてアトリエで描いたもののような気がする。生活感のないうわべだけ田舎風なある種理想化された働く漁師の娘。こんな美人の漁師いるわけないじゃないかという突っ込みもあるにはある。でも当時はこういう理想化された田舎の風俗が、都市のブルジョアには受容されたのだろう。ブーグロのすべすべ感あふれる筆致、画力は申し分がない。

 

古代ローマのスタジオ》 ローレンス・アルマ=タデマ 1874年 油彩・板

 歴史画を得意とした画家。いつかこの人の絵をまとまって観てみたいものだと常々思っている。

 

《黄昏の古径》 アンリ・シダネル 1929年 油彩・カンヴァス

 家の中の灯には人のいるような雰囲気もある。確かに人がいるはずなのに不在。径の向こう、建物の奥はなんとなく異界めいているような。この絵を観るといつもそんな思いがする。

 

《ヴァイオリンのあるマルト・ルバスクの肖像、サントロペにて》 
アンリ・ルバスク 1920年頃 油彩・カンヴァス

 これも大好きな絵。多分、何度か書いているがモデルは画家の長女のマルト。この絵が好きなのは、どことなくうちの子どもに似ているような気がするという親バカ的な部分。

 

《ポール・アレクサンドル博士》 アメデオ・モディリアニ 1909年 油彩・カンヴァス

 モデルは、エコール・ド・パリの画家たちの良き理解者、支援者だった皮膚科専門医。富士美のモディリアニというとこの絵1枚だと思うが、これも久しく観ていなかった。本当に久々の再開。モディリアニの絵の中でも割と好きな部類。

 

 

若い女》 ピエール・ボナール 1905年頃 油彩・カンヴァス

 

《睡蓮》 クロード・モネ 1908年 油彩・カンヴァス

 この《睡蓮》は富士美の看板作品の一つ。1908年、視力が低下しつつあるがまだ例の抽象画めいた雰囲気はない。作品解説によれば1904年以降の《睡蓮》では岸辺の部分描写が消失し、二次元性が強まっているという。

 

 

《皇后ジョゼフィーヌのティアラ》