恒例の「春の江戸絵画まつり」企画展「ほとけの国の美術」に行ってきた。
この春の企画展に行くのは4年目になる。
- 2021年 「動物の絵 日本とヨーロッパ」展
府中市美術館「動物の絵 日本とヨーロッパ」展に行く - トムジィの日常雑記
- 2022年 「ふつうの系譜 『奇想』があるなら『ふつう』もあります-京の絵画と敦賀コレクション」展
府中市美術館 ふつうの系譜 「奇想」があるなら「ふつう」もあります - トムジィの日常雑記
- 2023年 「江戸絵画お絵かき教室」展
府中市美術館「 江戸絵画お絵かき教室」 (3月16日) - トムジィの日常雑記
そして今回はどんな切り口から江戸絵画をみせてくれるか。
春の江戸絵画まつり ほとけの国の美術 東京都府中市ホームページ
(閲覧:2024年3月31日)
仏教画中心にということである。「菩薩来迎図」、「曼荼羅」、「地獄極楽図」、「禅画」、そして「仏陀涅槃図」とそこに多く動物が描かれているということの派生から、この春の江戸絵画の売りでもある丸山応挙や長沢芦雪の「狗子図」などに「かわいい動物画」も多数展示されている。結局、毎年この「ゆるかわ」的動物画をどう見せるかということで、この企画展続いているのだろうかと思ったりもする。それだけヒットした企画といえるか。
「春の江戸絵画まつり」という企画なので、江戸期の絵画が中心だが、「菩薩来迎図」、「曼荼羅」などには、鎌倉期や室町期のものもある。また絵画以外の仏像では円空の仏像も一章を設けて展示されている。
この企画展は展示点数も多い大型企画展なのだが、日本画は作品保護のため展示期間が限られている、さらに所蔵先との関係もありで前後期で大幅な展示替えがある。今回もトータルでの出展作品は117点にのぼるが、前後期でほぼ半々の展示となっているので、全貌を観るためには最低二度は足を運ぶ必要がある。
<展示点数>
通期展示 13
前期展示 54
後期展示 50
合計 177
<開催期間>前期:3月9日(土曜日)~4月7日(日曜日)
後期:4月9日(火曜日)~5月6日(月曜日・振替休日)
おそらくこの企画展での目玉ともいうべき作品土佐行広の《二十五菩薩来迎図》(京都市・二尊院)は通期で展示となっていて、最初に大きく展示され目を引くことになる。
土佐行広 二十五菩薩来迎図(17幅のうち)重要美術品 京都市・二尊院蔵(前・後期展示)
狩野了承《二十六夜待図》 (前期展示)
「二十六夜待」は行事の名で、旧暦の正月と七月の二十六日の夜、月の光の中に阿弥陀三尊が現れると言い伝えから、人々が集まり月が昇るのを待ったという。これは阿弥陀如来のの脇侍の一尊である勢至菩薩(せいしぼさつ)が月の神の化身だとする中国の仏教書『法華文句』に書かれた思想に由来するのだという。
また『往生要集』では阿弥陀如来の顔が月に例えられていたなど、月と阿弥陀如来を結び合わせる様々な言い伝えがあったことに由来してこの行事が生まれたものだという。江戸時代には特に芝から高輪辺りでは多くの人が集い賑わいを見せたのだという。
狩野了承は(1768-1846)は、鍜治橋狩野家の狩野探信に学んだ表絵師。幕末期には庄内藩の御用絵師になった。江戸時代の幕府の御用絵師は狩野家が奥絵師として、鍛冶橋・木挽町・中橋・浜町の四家が務めた。その奥絵師の門人や分家が独立したものが表絵師と呼ばれ15家あった。
この絵は俯瞰で遠く房総半島から昇ってくる月と、それを見るために集まった人で賑わう海沿いの町を描いてる。明るい月光と家々の灯り、薄暗い海景を描いてる。本来はもっと暗いのだろうが、月明かりでぼんやりと浮かぶ海を薄墨で描いている。浮世絵でも水墨画でもない、どこか西洋的な風景画を思わせる不思議な絵だ。昇る月の中には確かに三尊が描かれている。
春日曼荼羅 (前期展示)
藤原氏の氏神である春日明神に藤原家の繁栄を願い、参詣の代用として多数制作されたのが《春日宮曼荼羅》。日本古来の神々は、仏教の仏が神となって現れたという本地垂迹の思想によるもので、月が昇る御蓋山(みかさやま)の上空には五つの仏が描かれている。それぞれ一宮の本地仏(服塢検索観音もしくは釈迦如来)、二宮の本地仏(薬師如来)、三宮(地蔵菩薩)、四宮(十一面観音)、若宮(文殊菩薩)となっている。
春日宮曼荼羅は多数制作されていて、奈良市南町自治会所蔵のもや東京国立博物館所蔵の者などが有名。いずれも昨年の「やまと絵」展で実作を観ている。本地仏が描かれているのは南町自治会のものだが、それは丸い円の中に描かれている。今回の作では本地仏が雲に乗って描かれている。
岩佐又兵衛《達磨図》 (前期展示)
達磨図は今回3点が出品されているが、前期展示は岩佐又兵衛の1点。遂翁元慮と白隠慧鶴のものは後期展示。
喜多元規《隠元・即非・木庵像》 (前期展示)
日本に黄檗禅をもたらした中国の僧隠元は、1654年に63歳で来日し、はじめ長崎の興福寺に入り、次に崇福寺の住侍となる。さらに1658年に江戸で四代将軍徳川家綱に謁見して、1660年幕府より宇治に土地を拝領してそこに黄檗宗の寺院萬福寺を建立した。隠元に遅れて来日したのが弟子の即非、木庵らである。隠元の黄檗宗には後水尾天皇を始め、公家や幕府の要人らが帰依した。
隠元隆琦 - Wikipedia (閲覧:2024年3月31日)
作者の喜多元規は隠元に従って来日した中国の画家楊道真に学び、黄檗宗の僧の肖像画を専門にした。
鈴木其一《毘沙門天像》 (前期展示)
正面性による細密画である。この細密画は中国の影響だろうか。同時にこのシンメトリー的な正面性も、上の黄檗宗の隠元の肖像画と似通っている。中国の肖像画は唐代あたりまでは横向きだったが、明代の後半からこうした正面性が多くなっていて、清代になると王族などを描いた肖像画は正面を向くものが多い。
イエズス会の宣教師で画家でもあったジュゼッペ・カスティリオーネは中国に来日し、清王朝の宮廷画家として仕えた。彼が最初描いた清皇帝の肖像画は、斜め向きだったが、当時すでに中国では要人の肖像画は正面から描くことになっていたため描き直しを命じられ、描き直した正面からの作品が皇帝に気に入られたという。
7月19日はジュゼッペ・カスティリオーネの誕生日 - クリプレ
(閲覧:2024年3月31日)
鈴木其一のこの作品の頃にも、貴人や仏教画を正面から描く中国の様式が伝えられていたのだろうか。
白隠慧鶴《豊干禅師》 (前期展示)
豊干は中国唐代の僧。寒山十拾の師匠とされる。虎の背に乗って周囲を驚かせたという話があり、虎に乗ったり、虎を従えた絵が多く描かれている。
仙厓義梵《豊干禅師図》 (前期展示)
仙厓義梵(1750-1837)は江戸時代臨済宗古月派の禅僧。元祖ヘタウマともいうべき妙味のある絵を描き、狂歌も詠んだという。白隠慧鶴とともに江戸時代の禅画ではとても人気があるという。正直いって、今回の企画展、さまざまな仏画、動物画が出ていたが、この絵が全部持っていったような感もある。この脱力感は禅的な境地を超えているような気もしないでもない。
伊藤若冲《石峰寺図》部分 (前期展示)
人気の若冲。これも前期展示だ。ポスター等にも使用されている《白象図》は後期に展示される予定とか。石峰寺は黄檗宗の寺院で若冲がデザインしたという五百羅漢の像が有名。若冲は晩年、石峰寺の門前で過ごした。
この図のデフォルメされた僧侶は羅漢たちで、中には説法する釈迦も描かれている。若冲は実際の石峰寺の中に仏の世界を描き出した。拡大するとその面白味がよく判るような気がする。
白隠慧鶴《すたすた坊主》 (前期展示)
葛飾北斎《布袋図》 (前期展示)
長沢蘆雪《藤花鼬図》 (前期展示)