高崎市タワー美術館「比べて見せます!日本画の魅力」 (6月2日)

 高崎市タワー美術館で開かれている「比べて見せます!日本画の魅力」展を観てきた。

 

 この美術館は駅に直結した高崎タワービル21の3階、4階にある。自分は駅に隣接したヤマダデンキの駐車場に車を止めたが、昨日は台風接近、線状降水帯が日本列島を横断するという悪天候、かなりの雨模様だったが濡れずにタワービルまで行くことができる。本当にアクセスのいい立地である。

 駅近の美術館だと静岡駅前の静岡市美術館などもあるが、駅から歩道橋デッキで直結しているのは自分はこの高崎タワー美術館しか知らない。ここなら駅ビルでの買い物のついでに寄るとか、金曜日は8時まで開館しているので仕事帰りにとかそういう利用もできる。

 ついでにいえばこの美術館は高崎駅の東口側にあるが、西口にも歩いて数分のところにもう一つ高崎市美術館がある。タワー美術館は日本画専門、高崎市美術館は洋画で近代美術、現代美術が中心だ。まったく高崎市民が羨ましくなる。

 

 高崎市タワー美術館は山種美術館を設立した山崎種二の三男山崎誠三が自身のコレクションの収蔵・展示を目的に開いた私設美術館だったが、いったん閉館。その後ヤマタネグループから収蔵品の寄贈を受けた高崎市が市立美術館としてリニューアルしたものだという。

高崎タワー21 - Wikipedia (閲覧:2023年6月3日)

 

 今回の企画展展は、日本画で好んで用いられるモチーフ、題材をもとに、画家のの捉え方、表現方法などを比較してみせるというもの。とりあげるモチーフ、画題はまるっといえば花鳥風月となるが、具体的には花なら「梅」、「桜」、「紫陽花」、「牡丹」などなど。動物も「兎」、「鶴」など。また人物も「美人画」、「舞妓」、風景画も「朝陽」、「夕陽」、「雪景色」など多様。展示点数が合計67点で、のんびり名品を観てひととき過ごすのにちょうどよいスペース、点数だ。

比べて見せます!日本画の魅力/高崎市タワー美術館 | 高崎市

(閲覧:2023年6月2日)

 

 この日はウィークデイ。前夜からひたすら雨、雨、雨という悪天候なのでとにかく空いている。美術館に入ったのは11時過ぎくらい。数人いる客は自分と同じような高齢者ばかり。まあウィークデーの午前中の美術館はどこも同じようなものでしょう。

 

 気になった作品をいくつか。

紅梅 

 梅を題材にした作品は8点展示してある。収蔵作品の中でも多い画題のようだ。それこそ横山大観中村芳中速水御舟加山又造奥村土牛小林古径などなど。それぞれ多用な表現なんだけど、個人的には御舟と古径の二点が一番気に入った。直線的で写実的な御舟と曲線的でやや装飾的な古径、そんなところだろうか。

《紅梅》 速水御舟 1925年(大正14) 26.6✕24.0

 

《紅梅》 小林古径 1953年(昭和28) 100.0✕82.0
寺崎広業

《美人観花》 寺崎広業 1904年(明治37) 140.0✕71.0

 正直にいうとほとんど知らない画家。たしか草薙奈津子の『日本画の歴史』の中に名前が出ていたような気がするが覚束ない。そもそも町の水道工事店工務店みたいな名前といういい加減な印象が強い。

 調べると狩野派、四条派、南画と異なる師から学び、早くから人気画家となった。東京美術学校でも教員を務め、岡倉天心の辞任とともに橋本雅邦、横山大観菱田春草らとともに東京美術学校を辞め、日本美術院創設に参加。翌年、東京美術学校に復職して後進の指導にもあたった。その後は文展を中心に活躍し、画壇では確固とした地位を築き、格調高い作品を次々発表。1917年には帝室技芸員にも選ばれている。名実ともに日本画壇の重鎮というところか。

 今では美術史の教科書にも名前が載ってはいても作品までは紹介されない。ある意味忘れられた画家の一人かもしれない。でも当時はおそらく、横山大観竹内栖鳳らにも匹敵するような画家だったようだ。たぶんこういう画家は沢山いるのだと思う。

 美術史的には明治大正期の日本画壇というと、日本美術院岡倉天心横山大観菱田春草、下村観山らがメインとして記述されることが多く、その繋がりの中で今村紫紅、土田麦僊、安田靫彦前田青邨速水御舟小林古径などがとりあげられる。多分、少し後の美術史研究家のスポットライトのあて方が、正統な日本美術史として定着させてしまったのかなと思ったりもする。多分そのへんには例えば土方定一あたりが関係しているのかもしれない。

 寺崎広業は1919年2月21日に亡くなっている。その葬儀には三千人もの会葬者があったという。ちなみにその前日の2月20日には村山槐多がスペイン風邪をこじらせて22歳の若さで夭折している。その死を伝えたのは『中央新聞』一紙だったという。

 今、ちょっと絵をかじった人なら多分たいていの人が村山槐多を知っていると思う。生命力を感じさせ、激情をキャンバスにぶつけたような激しい筆致の絵は、現代でも人気があり、同時代の画家としては同じく夭折した関根正二とともに取り上げられることが多い。でも1919年(大正8年)という時代にあっては、村山槐多は無名の洋画家、寺崎広業は日本画の大家ということだったのだと思う。

 その絵についてはというともう見事というしかない。美人画の表情、その衣装の表現など非の打ちどころがない。この絵の並びでは人気の上村松園が二点、ほかに鏑木清方伊東深水らも展示してあるが、その画力は遜色ないというか、こと技術力という点では寺崎広業が勝っているようにも思えた。

寺崎広業 - Wikipedia (閲覧:2023年6月3日)

寺崎広業[画人伝・秋田24] (閲覧:2023年6月3日)

室井東志生

《水翳》 室井東志生 2010年(平成22) 197.0✕145.0

 これは新しい、現代の日本画である。最初、まずこの絵が目に入ってきて、なんとなく橋本明治あたりかと思い、キャプションで確認した。室井東志生、初めて知る名前だ。あとで確認すると橋本明治に師事した画家だという。モダンな表現で妖しさと涼し気な気品を感じさせ、観る者の眼を惹きつける。

室井東志生 :: 東文研アーカイブデータベース (閲覧:2023年6月3日)

 高崎市タワー美術館では、自分の知らない日本画の作家を知ることも多い。例えば川端龍子の弟子で、のちに川端康成の知遇を得た牧進なども、この美術館で知った。室井東志生も2012年に亡くなっているが、その作品またどこかの美術館で観ることもあるかと思う。こうやって今まで知らなかった作家の名を知り、作品に触れるというのも美術館巡りの愉しみの一つなんだろうなと思ったりもする。