群馬県立近代美術館「杉浦非水展 時代をひらくデザイン」 (6月1日)

 午前中、妻の通院に付き合う。定期的に通っている糖尿病外来はいつも混んでいる。今回も2時間近くかかる。しかし最近の外出というと自分の通院か妻の通院の送迎のどちらかみたいなことが多い。年寄りの夫婦というのはそんなものだろうか。

 

 診察が終わり、処方された薬やらなんやらもすべて受け取ったのが12時半過ぎ。妻はいつものごとくお出かけモードに入っている。近場で昼食をとるか、どこか美術館にでも行くかとしばし思案。そういえば群馬県近美で杉浦非水展をやったいたこと思い出す。ネットで調べると6月18日までだ。こういうのは思いついたときに行かないと結局行かず仕舞いで終わることままある。

 

 杉浦非水の展覧会はけっこうあちこちでやっていたなと思う。首都圏ではたばこと塩の博物館でやっていたけど、その後も各地を巡回しているみたいだ。杉浦非水展のホームページがありそれを確認すると2021年7月から全国を巡回していて、今回の群馬県近美が6会場目。おそらくこれが最後となるようだ。

杉浦非水展 (閲覧:2023年6月2日)

 

 ディープ埼玉から群馬高崎は比較的近い。群馬県近美にはもう4回ほど行っているが、車で1時間弱というところだ。1時半くらいには周辺に着いたが、美術館の近くにある蕎麦屋で昼食をとったので、美術館に入ったのは2時半近く。杉浦非水はデザイン系で商業ポスター類なので、軽く流す感じいいかなと思ったり。群馬県近美は常設展示が充実しているので、そちらにも多少は時間を割きたいなとも。

 

トップページ - 群馬県立近代美術館 (閲覧:2023年6月2日)

 

 まず杉浦非水についてのおさらい。美術館で作ったパンフレット(おそらく子ども向け)からの略歴を引用。

         杉浦非水 1876-1965(享年89歳)

杉浦非水てどんな人?

 明治9年(1876)、愛媛県松山市に生まれました。本名は朝武(つとむ)。16歳から日本画を学び、画家をめざして21歳で上京し、東京美術学校(今の東京藝術大学)で学びました。洋画家の黒田清輝がフランスから持ち帰った印刷物や写真を見て、ヨーロッパのデザインに感激し、図案家になることを決意します。雑誌や本の装丁をはじめ、三越呉服店(今の三越)のポスター、PR雑誌をデザインして評判となり、「三越の非水」「非水の三越」と言われました。

 また、図案の本や雑誌を出版し、美術学校(今の武蔵野美術大学多摩美術大学)で教えるなど、日本にデザインを広め、その向上に力を尽くしました。

 この展覧会では、歌人だった妻、翠子とのパートナーシップや、コレクションしていた珉下品など、プライベートな部分からも非水を知ることができます。

『杉浦非水 時代をひらくデザイン」展覧会ガイドより

 より詳しい経歴はこのへんから。

杉浦非水 - Wikipedia (閲覧:2023年6月2日)

杉浦非水 (閲覧:2023年6月2日)

 

 多摩帝国美術学校(現多摩美術大学)の初代校長だったことや、東京美術学校時代は黒田清輝に師事し、同門には中沢弘光がいた。今回の展覧会でも中沢が描いた杉浦の自画像が展示してある。

 

 そして黒田清輝がヨーロッパから持ち帰った印刷物、ポスター類から図案=デザインに目覚めたというのだが、黒田はどんなものを持ち帰ったのか。その参考例としてミュシャのポスターが1点展示してある。

《ジョブ》 アルフォンス・ミュシャ 1898年 三重県立美術館

 そして杉浦はミュシャのポスターなどをひたすら模写する。そして三越の図案家として作った初期作例はこのへんだ。

三越呉服店 春の新柄陳列会》 三越呉服店 1914年 愛媛県美術館

 女性がドレスではなく着物を着ているけど、ほぼミュシャである。ある種の和洋折衷風とでもいったらいいのだろうか。

 

 同じ1914年に作られたポスターもやっぱりミュシャである。

《星製薬》 1914年 アドミュージアム東京

 星製薬というと反射的にショートショートの神様、星新一を思い出す。彼は星製薬の創業者星一(はじめ)の長男で、二代目社長を経てSF作家としてデビュー。もっとも星新一は父親の急逝のため若干25歳で社長となったが、会社はすでに経営破綻しており、その譲渡と残務整理を担わされた。

 まあどうでもいいことだが、中学から高校にかけて星新一を愛読していたので、なんとなく星製薬という企業名に反応してしまう。会社は1910年に創業しているので、この広告の頃は興隆期にあったのだろう。ポスターは超モダンなミュシャである。

 

 その後、非水のデザインはミュシャ風、和洋折衷の意匠から、じょじょにデザイン色を強める。その代表作ともいえるのがこのあたりか。

《新宿三越落成 十月十日開店》 1930年 愛媛県美術館

《東洋唯一の地下鉄道 上野浅草間開通》 1927年 愛媛県美術館

 楽しい意匠、デザイン、戦前日本の最先端のデザインを楽しむという体で、けっこう楽しめる。こういってはなんだが、ポスター、本や雑誌の装丁作品などという点でいえば、肩肘張らないで楽しめる、そういう展覧会でもある。