西洋美術館「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」 (3月22日)

 そしてその日の終着点、西洋美術館。

 

ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ|国立西洋美術館 (閲覧:2024年3月25日)

飯島由貴・遠藤麻衣らの抗議行動

 西洋美術館で初めての「現代美術」の企画展ということで注目していた。しかも内覧会でいきなり出展作家たちによる抗議活動も行われた。

飯山由貴がイスラエルのパレスチナ侵攻とスポンサーの川崎重工に抗議。国立西洋美術館「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」記者内覧で|美術手帖  (閲覧:2024年3月25日)

 西洋美術館のメインスポンサーである川崎重工の前身は、西洋美術館のコレクションの母体となった松方幸次郎が経営していた川崎造船所である。その川崎重工は、パレスチナ侵攻を行うイスラエルより武器(ドローン)を輸入し、利益を与えるとともに代理店として利益を享受している企業だと、今回の企画展に参加した飯山由貴は批判してビラを撒き、賛同者たちによるコールやダイインも実行した。

 また同じく企画展に参加した作家遠藤麻衣は、百瀬文は抗議のパフォーマンスを実施した。

飯山由貴がイスラエルのパレスチナ侵攻とスポンサーの川崎重工に抗議。国立西洋美術館「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」記者内覧で|美術手帖 (閲覧:2024年3月25日)

国立西洋美術館の館内ロビーでアーティストの遠藤麻衣と百瀬文が川崎重工に対する抗議パフォーマンスを実施|美術手帖 (閲覧:2024年3月25日)

 そしてこのアーティストたちによる抗議行動に対して、公安警察が美術館内に入り、作家のパフォーマンスを監視したことも報じられた。

出品作家、ガザ侵攻に抗議活動 国立西洋美術館、警察が監視 | 毎日新聞

(閲覧:2024年3月25日)

 この公安警察の美術館への立ち入りについて、西洋美術館は警察に要請をしていない。おそらく何らかの形で情報を得ていた警察側が、抗議行動が行われたことに即座に反応したということなのだろう。

 ようは美術館であれ、表現者はすべて公権力の監視対象であり、美術館という表現の場も監視されているということ可視化されたということなのだろう。そしてもう一つガザへのイスラエルの侵攻とジェノサイドともいわれる無差別攻撃に対して、表現者たちが声を上げたことは大きな意義があると自分は思っている。さらにいえば表現者たちは炭鉱のカナリアなのだということを改めて思ったりもした。

 そうした事前の情報もありぜひ観てみたい企画展と思ってはいた。

展覧会の企図について

 今回の展覧会を企画した西洋美術館主任研究員の新藤淳氏は企図についてこうパンフレットで記しているので一部抜粋する。

国立西洋美術館一そこは基本的に、遠き異邦の芸術家たちが残した過去の作品群だけが集まっている場です。それらは死者の所産であり、生きているアーティストらのものではありません。この美術館にはしたがって、いわゆる「現代美術」は存在しません。しかしこのたび、そんな国立西洋美術館へと、こんにちの日本で活動する実験的なアーティストたちの作品をはじめて大々的に招き入れます。

そうするのには理由があります。国立西洋美術館の母体となった松方コレクションを築いた松方幸次郎は、みずからが西洋において蒐集した絵画などが、未来の芸術家の制作活動に資することを望んでいたといえます。また、戦後に国立西洋美術館の創設に協力した当時の美術家連盟会長、安井太郎のような画家も、松方コレクションの「恩恵を受ける」のは誰よりも自分たちアーティストであるとの想いを表明していました。これらの記憶を紐解くなら、国立西洋美術館はじつのところ、未知なる未来を切り拓くアーティストたちに刺載を与えるという可能性を託されながらに建ったと考えることができます。
けれども、国立西洋美術館がじっさいにそうした空間たりえてきたのかどうかは、いまだ問われていません。

 「松方幸次郎が望んでいたという未来の芸術家の制作活動に資する」という思い。その虚妄性とともに、当時の軍需産業の経営者であり、東洋の成金としてヨーロッパで美術品を買い漁った松方への批判的な眼差しを飯山由貴は自らのインスタレーションの中で俎上に載せていたりする。

 本来的には西洋美術館という器とそこに収蔵される西洋美術の作品群から、現代のアーティストたちはどのようなインスピレーションを得て、どのようなモチーフ化して新たな作品群を生み出すか、そういうことがひょっとしたら期待されていたのかもしれない。でもそれはちょっと期待外れだったかもしれない。

 アーティストたちは西洋美術館というある種の国家的権威、さらにはそこに収蔵される西洋古典美術という権威に対する批判的アプローチしてみたり、対象化、相対化、客体化、を図ってみたりしているのだろう。それは造形芸術として提示されものもあり、パフォーマンであったり、あるいは引用であったり、またさらには思考実験であったりと千差万別でもあった。

 なんとなく感じられたのは、造形表現よりもテキストを積み重ねることによって、西洋美術館という対象とその何重にも積み重ねられたさまざまなイメージを剥ぐような試み。それらは失敗とはいわないけれど、けっして成功した試みとはいえなかったかもしれない。

 西洋美術館も現代芸術のアーティストに門戸を開き、包容力を示そうとした。でも美術館の思惑とはちょっと異なる位相に連なる作品も多かったのかもしれない。

 美術館側もアーティストの側も、どこかで「あれ、こんなはずではないんだが」と感じあっているような、そんなギャップが見え隠れしていたような気がしてならない。互いに過度な気負いがあり、それがかみ合わことなく展覧会が始まってしまったような。

 新藤氏の企図はこのように続く。

ともあれ、ある程度は予想していたこととはいえ、展覧会の準備を進めながらに気づかされるのは、過去の芸術作品のみを所蔵する国立西洋美術館は、いまを生きる気鋭のアーティストたちがかならずしも好んで訪れるところではない一例外は少なからずいらっしゃるとしても一という事実です。ゆえにこの展覧会の課題は、その距離を埋めることでもあります。あるいは、国立西洋美術館やそのコレクションとあらためて向きあっていただくなかから、アーティストのみなさんにあらたになにかを考えていただく契機をつくること一それが本展の狙いです。結果として今回の展覧会では、彼ら一彼女らから国立西洋美術館にたいして、さまざまに批判的な問いが投げかけられることにもなるでしょう。美術館そのものを多角的に問題化することが、本展の企図にほかなりません。

 展覧会の課題は、「西洋美術館と気鋭のアーティストたちの距離をうずめることにある」。そして「あらたななにかを考えていただく契機をつくる」こと。それは成功していたかどうかというと微妙なようにも感じられた。あえていえばアーティストたちは、美術館との距離について考えそれをうずめるのではなく、その「みぞ」そのものを問題意識化したのではないかと、そんなことを考えた。

 そしてあらたな何かよりも、現在体制、あるいは権威としての「国立美術館」、さらにはもう一方の絶対的な美術的権威でもある「西洋美術」そのものに対しての意見陳述、そんな作品が散見したようにも思えた。

 自分自身、考えがよくまとまっていない部分は間違いくある。そして展示作品についていえば、情報量が非常に多く、多角的かつ多種多様でもある。逆に言えばトータライズされた部分、企画展としてのまとまりはまったくないに等しい。悪くいえば参加作家が好き勝手に西洋美術館にアプローチしてみました的な部分もあるかもしれない。それでも「美術館そのものを多角的に問題化する」という企図からは大きなズレはないということなのかもしれない。でも間違いなく、難解とはいわないけれど、判りにくい、受容しにくい企画展でもあるとは思った。

 ただ一方で、展覧会というものは、あるいは芸術作品というものは、面白いと感じればいいのかもしれないと割り切ってみれば、散漫で難解とも思える作品群の中でも、これはちょっと面白いというように、受容のレベルを下げてみればそれでいいのかもしれない。

 飯山由貴や田中功起のテキストは難解で「ちょっと何いってるかわからない」みたいにスルーしても、小田原のどかの転倒彫刻はちょっと面白いとか、そういう見方でもいいのかもしれない。バリ島の藤田嗣治はいくらなんでもとか、まさかの西洋美術館での高尚ストリップがとか、そういう部分でもいいと思ったりもした。

気になった作家たち

小沢剛

 藤田嗣治を日本人の画家としてよりも西洋絵画におけるエコール・ド・パリ派の画家の一人として扱っている。そのうえで戦争協力への批判からフランスに帰化しパリを拠点にした藤田嗣治が、パリではなくバリに移住していたらという「駄洒落じゃないか」と突っ込みたくなるような歴史のIFから「帰ってきたペインターF」シリーズをみせてくれる。面白いがやっぱり「駄洒落じゃないか」と突っ込みたくなる。

 

 
小田原のどか

 地震大国である日本の美術館において、彫刻作品の転倒はあり得る現実である。事実、関東大震災の時に上野の日展会場では、展示してあった彫刻作品が軒並み転倒して粉々になったともいう。地震の脅威にさらされる日本においての彫刻の存在を、小田原のどかはロダン作品を「転倒」させて展示する。

 

日本における彫刻という存在を課題化し、近代日本のねじれを指摘し続けた小田原は、西洋美術館を象徴する存在のひとつであるオーギュスト・ロダンの彫刻を、赤い絨毯の上に「転倒」させて展示。また、古くから供養のために建てられながらも地震による倒壊も多く見られる五輪塔、そして部落解放運動のなかで「水平社宣言」を起草し、のちに獄中で転向した西光万吉の日本画をともに展示した。いずれも「転倒」や「転向」を含意しており、これらが緊張感のある関係をもって配置されることで、第二次世界大戦を経て対米追従した日本、震災の脅威にさらされ続ける日本、そしてそのなかで育まれた日本の美術が表れている。

 

 

 さらに「転倒」から「転向」へと思考実験を積み重ね(駄洒落じゃないのか)、部落解放運動のなかで「水平社宣言」を起草し、のちに獄中で転向した西光万吉の日本画を展示し、転向論についてのテキストを転じする。

 「転向」については判断保留だが、普通に転がったロダンは面白く感じられた。

飯山由貴

 内覧会での抗議声明のように、もっとも先鋭的かつ政治的なアプローチをとった飯山は松方コレクション(複製?)とともに大量の手書きテキストを並置するインスタレーションを展示した。そこでは松方幸次郎と川崎造船所軍需産業としての実相を可視化させたり、松方が若き日本の芸術家のたちのためにとコレクションした西洋美術が、戦争プロパガンダとしての戦争記録画に繋がっていったのではないかという問いなど、問題意識化の舌鋒は鋭い。

 

 

 

この島が帝国であった時期、西洋から輸入された技術としての油彩画、西洋画と国粋主義思想と軍事中心主義が癒着して、様式としては美術作品でありプロバガンダでもある大量の作品が産み出された。
松方コレクションの作品は、のちに戦争画・作戦記録画(アジア太平洋戦争期に陸海軍の委嘱で制作された公式の戦争絵画群)と呼ばれるそれらの美術史と近代史に特有の文脈を持つ一連の絵画に影響はあったのだろうか。

歴史画は歴史的事実を視覚化したものではない。フィクションとしての歴史に具体的なイメージを付与して現実のごとく見せるからくりだ。
西郷隆盛の顔は、さきののべたようにキオッソーネが西郷徒道や大山巌の顔を参考にして作り出したものだが、そうと知ってはいても、このお雇い外国人んお創造した顔をはなれて、西郷という人物像を思い浮かべることはむずかしい。
イメージのしみはしぶとくこびりつき、用意にはおとしきれない。

 手書き文字は読みにくく、しかもびっしりと書かれている。しかしその内容は興味深くついつい引き込まれて読んでしまう。

田中功起

 田中功起は作品の展示ではなく、西洋美術館への「提案」をテキスト化して提示した。その中には作品展示での高さに言及し、子どもや車椅子ユーザーにとっては常に見上げるような展示になっていることを提起していた。

美術館へのプロポーザル1:

作品を展示する位置を車椅子/子ども目線にする西洋美術館の常設展示室には多くの絵画が展示されている。下見のために展示室に行くと、多くの観客に交じって車椅子の観客がいることに気づいた。そのひとは、テイントレット(ダヴィデを装った若い男の肖像)(1555~60年頃)を見上げていた。車椅子の位置からするとほとんどの絵画の展示位置は高すぎるように感じた。すべての絵画が車椅子と子どもの目線に合わせて低い位置に展示されている美術館を想像してみる。

 田中はこうした視点をもったのは、自らが子どもを育てるにようになり、ベビーカー押しているなかでの気づきだとしていた。

 こうした田中の提起に対して西洋美術館は常設展示で実験的に数点の絵を車椅子ユーザーや子どもの視線に合わせて低く展示してみせている。今回は一人で来たので、健常者の自分からするとずいぶんと観にくい展示だが、車椅子利用者の妻がいたらどんな反応を示しただろうか。

 

 

遠藤麻衣

 白いカーテンで仕切られた部屋に入ると怪しげな回転ベッドが回っている。そのなかほどは盛り上がっていて、何かが横たわっているようにも見える。そして正面のスクリーンでは館内で撮影されたと思わしきストリップの映像が流れる。腕まである白い手袋をした裸体の女性は、その腕を蛇のように身体に這わす。ちょうど手の部分には目がついていてまさしく蛇である。そしてもう一人のダンサーが現れて二人は絡み合う。

 美術館の中でこうしたストリップ、それも高尚なストリップを見ていると気恥しい部分もある。二人のダンサーは鍛え上げれた美しい姿態で絡み合う。あとで確認すると一人は現役ストリッパーの宇佐美なつで、もう一人が遠藤麻衣だという。

 壁にはエドワルド・ムンクリトグラフが展示してある。これは人と動物の異種交配を描いた《アルファとオメガ》という作品で、遠藤と宇佐美のパフォーマンスはここからインスピレーションを得ているという。

 ストリップ、あるいはソフトなAVといってしまえばそれまでだが、いやらしさや煽情的な部分はない。どちらかといえばフェミニズム的な要素が濃く、少なくとも男女関係なく観ることができる。ただしヘアヌードを含めた表現であるためゾーニングが図られている。HPにも以下のような注意がなされている。

本展には一部、芸術上の目的のため性的な表現を含む作品が展示されています。このような作品を不快に感じる方やお子様をお連れの方は、入場に際して事前にご了承頂きますようお願い致します。

 西洋美術館、とくに入口の部分や常設展示の入り口のロダン作品が置かれたスペースでの二人の女性が絡み合うパフォーマンスは、ある意味で西洋美術館の包容力みたいなものが感じられた。二人のパフォーマンスも芸術性は高く、最初に高尚なストリップと称したが鑑賞に堪える質を有している。しいていえば音楽がどこか安っぽい感じで、これはまさにソフトなAV、ストリップ小屋のBGM的である。多分、これは狙っているのかもしれないが、せっかく西洋美術館でのストリップなので荘厳なクラシックでも使えばいいのにと思ったりもした。

 どんな音楽がいいか。月並みにいえばバッハの無伴奏チェロなんかがいいかもと、俗人の自分は思ったりもした。

 

 
パープルーム

 梅津庸一が主催するグループによる作品空間。ラファエル・コランやピエール・ボナールらの作品から想を得た作品が、パッチワークのような空間の中に展示されている。ボナールはまさしく西洋美術館の所蔵品だが、コランの《フロレアル》って西洋美術館持っていたっけと、ちょっと記憶にないなと思いよく見てみると、《フロレアル》は藝大美術館から貸し出しのようだった。

 
坂本夏子

 初めて知る作家だ。1983年生。抽象画、グリッド、点描などによる作品だが、不思議と奥行き感というか立体感がある。多分、狙っているのだろうがそのへんが特に面白く感じた。競作もあり同時に展示してある梅津庸一や杉戸洋の作品がどこか平面的なので、その差異みたいなものが特に面白く感じられた。個人的にはこの作家の作品が今回一番心に残ったかもしれない。

 

《Tiles》 坂本夏子 2006年 油彩/カンヴァス 個人蔵 

《秋(密室)》 坂本夏子 2014年 油彩/カンヴァス 高橋健太郎コレクション

《階段》 坂本夏子 2016年 油彩/カンヴァス 国立国際美術館