エゴン・シーレ展 (2月28日)

レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才<オフィシャルHP>

(閲覧:3月3日)

 東京都美術館で開かれているエゴン・シーレ展に行って来た。かなり盛況という話は聞いていたが、ウィークデイでもかなりの混んでいる。音声ガイドのある作品の前は人だかりが凄い。これは土日は相当な人出なんだろうなと想像する。

 しかしエゴン・シーレって、日本でそんなに人気あったっけという気がする。そもそもエゴン・シーレというと、表現主義ウィーン分離派クリムトと一緒に括られる28歳で早世した天才肌の画家という感じだろうか。

エゴン・シーレ - Wikipedia (閲覧:3月3日)

 今回の企画展はウィーンのレオポルド美術館所蔵のクリムト作品約50点に、さらにクリムトやココシュカ、ゲルストルなど同時代の作家の作品をあわせ約120点の展示するというもの。

 自分的にいえば、エゴン・シーレはやはりクリムトと同じ括りで認識している。実作はあまり観た記憶がないが、大塚国際美術館の陶板複製画でクリムトと一緒に展示してあったのが、今回の出品作品ではないが多分この手の作品だった。

《死と乙女》 1915年 オーストリア美術館

《家族》 1918年 ベルヴェデーレ・ギャラリー所蔵

 凄い絵なんだけど、どこか薄気味悪い。男はエゴン・シーレ本人がモデルなのだが、死神のような姿であり、強烈に死や性の匂いがぷんぷんとする。鑑賞者を惹きつける凄い作品ではあるが、ある種の人には同じように強烈な拒否反応を与えるようなそういう絵である。

 生よりも死を暗示させる、そして性的なものが醸し出されるこの雰囲気、これはナチスではないが頽廃芸術と烙印を押されるかもしれないし、猥褻感も半端ない。彼が描く女性は、特に素描のそれにはどこか情事に直結した雰囲気がある。情事に至る前、最中、事後を切り抜いたような雰囲気が露骨に描かれている。この人はどこか病的に女性、あるいはセックスに執着するようなタイプなのではないかと、そんなことを漠然と感じたりした。

 調べると案の定というか、かなり変態的な人物だったようだ。十代で絵の才能を認められ、ウィーン工芸学校に入学、さらにウィーン美術学校に進んだが、アカデミズムに飽き足らず、クリムトに師事し、クリムトのサポートもあってか18歳のときに最初の個展を開いている。その後はウィーン美術学校をやめて画家として独り立ちする。

 才能的には自他ともに認めらる天才なのだが、その性癖はというとかなり怪しい。まず4歳下の妹ゲルティに執着し、おそらく15~16歳の頃から妹のヌードを多数描いており、近親相姦関係にあったともいわれている。

 その後も、未成年の少女に執着し、多数の少女をモデルに誘い家に連れ込む。21歳の時に当時17歳だったモデルのヴァリ・ノイツェルと同棲。22歳のときには14歳の少女を家に連れ込み一夜を明かしたことで逮捕され、自宅からは多数の猥褻なヌード画が見つかったことで、24日間拘留されている。

 24歳のときには近所に住むハルムス家の姉妹アデーレ、エーディトと仲良くなり、妹のエーディトと結婚する。しかし別れたはずのヴァリにも執着し、結婚しながらも関係を保とうと持ち掛け拒絶される。そしてエーディトの姉アデーレとも関係を持ち続けたという。エゴン・シーレと妻のエーディトは1918年に相次いでスペイン風邪で亡くなったが、姉のアデーレは70代になるまで長生きし、死後はシーレとエーディトが眠る墓に埋葬されているという。けっこうこの愛憎関係も複雑かもしれない。

 こうした経歴をみていくと、エゴン・シーレは自らの画家としての天才性を強烈に意識する一方で、少女への性的執着に満ちたかなり危ない男だったのではないかと、そんな気がする。そしてその危なさが作品から滲み出ているような、そんな画家だ。

 画家の経歴、あるいは性癖から、なにか怪しいものを作品に感じるという点では、フランスの画家バルテュスを思い出す。彼もまた少女に執着し続けた変態性癖の画家だったような。

 ということで、ぶっちゃけていうとエゴン・シーレはあまり好きな画家ではないような気がする。彼の線の歪み、ねじれた人体は、彼の精神性の表れだったのだろうか。極論的にいえば、精神の歪みは線の歪みとなって現れることが多い。ファン・ゴッホもそうだし、ムンクもそうだ。彼らは間違いなく精神的に病んでいて、それが線に現れた。

 それに対してエゴン・シーレはどうか、彼の性癖を考えれば当然心病んでいたかもしれない。でもどこか違うような気がする。彼の線の歪み、人体のねじれは、どこか狙ってやったような部分もあるような。多分クリムトの影響による装飾的な表現に、新機軸的なねじれや歪み、それが多分受けたから続けたのではないかとそんな気がしないでもない。評判になったので、よりエグく捻じ曲げてみました、歪ませてみました、みたいなそういう意匠みたいなものを感じる。考えすぎだろうか。

 彼が描く素描はどこかロートレックのそれに似ているような気もする。でも、ロートレックが描く女性の素描には、どこかモデルである娼婦たちへの好意的な眼差しを感じる。でもエゴン・シーレのそれは明らかに性的対象としてのそれのような気がする。女を愛し、その延長上で愛情表現としてのセックスではなく、ただたんに自らの欲求を満足させるための欲情的な対象としての女。どうも自分はエゴン・シーレが好きではないらしい。

 人物を描かせると自己主張の強いポートレイトか性的対象としての女性ばかり。それに対して風景画はどうか。エゴン・シーレの才能をもっとも強く感じるのは風景画かもしれない。やや俯瞰から描く街並みは色目を押さえながらもカラフルで立体的でもある。この人はこういう絵を描いていく人であれば良かったのにと思ったりもする。

 エゴン・シーレは28歳で亡くなったが、もっと長生きしたらどうだろう。画風を変えて様々にチャレンジして巨匠と呼ばれる画家となったかもしれない。まあその前に悪癖、性癖から社会的に糾弾され、おりしもナチズムに支配されるオーストリアでは、抹殺されるか、アメリカに移住していたか。これは歴史のイフの部分だ。

 以下気になった作品。

《ほうずきの実のある自画像》 1912年 レオポルド美術館蔵

《縞模様のドレスを着て坐るデーディト・シーレ》 1915年 レオポルド美術館蔵

《カール・グリュンヴァルトの肖像》 1917年 豊田市美術館

 その他、タイトル名を失念した風景画をいくつか。

 

 

 

 

<参考>

3分でわかるエゴン・シーレ(1) ウィーン分離派の画家、エゴン・シーレのサイコパス的人生とその作品 : ノラの絵画の時間

3分でわかるエゴン・シーレ(2) 小児性愛者エゴン・シーレのヌード作品 : ノラの絵画の時間

3分でわかるエゴン・シーレ(3) エゴン・シーレの作品 最終回 : ノラの絵画の時間

(1-3とも閲覧:2023年3月3日)

【美術解説】エゴン・シーレ「オーストリア表現主義」 - Artpedia アートペディア/ 近現代美術の百科事典・データベース (閲覧:2023年3月3日)

表現主義

狭義には、20世紀の初頭にドイツを中心に展開された、芸術家の内面の表出を重視する具象芸術の動向。絵画においては激しいタッチや原色の対比。彫刻においては彫りあとやねじれるような形態が多く見られる。社会批判的な主題も多く採り上げられ、ナチスからは頽廃芸術の中心的存在と見なされた。1905年のブリュッケ、1911年の青騎士などもこの運動の中に含まれ、フランスのフォーヴィスムなども、こした傾向の一つと考えることもできる。主な画家は、エルンスト・キルヒナー、フランス・マルク、エミール・ノルデなど。ヴァシリー・カンディンスキーはここから出発して、抽象芸術へと進んだ。広義には、強く激しい表現形式を持つ美術全般に対して、時代や地域を越えて用いられる。(岩波西洋美術用語辞典)

分離派

独:sezession,   英:secession

「分離するという」ラテン語secedoに由来。ドイツ語のまま「ゼツェッション」ともいう。19世紀末にドイツ各地で盛んになったアカデミズムからの分離運動によって形成された芸術家グループ。印象主義アール・ヌーヴォーの受容・普及に大きな役割を果たした。フランツ。フォン・シュトウックんどを中心としたミュンヘン分離派(1892年)、グルタフ・クリムトを中心とするウィーン分離派(1897年)、マックス・リバーマンーを中心とするベルリン分離派(1898年)などがよく知られている。(岩波西洋美術用語辞典)