清春芸術村 (8月25日)

 春にリタイヤした友人が週の半分くらい田舎で農業生活をしている。何度か誘われていたので、先週末に一泊で泊りに行った。場所は長野県の富士見町で山梨県との県境。斜面に田園が広がる高原で、八ヶ岳南アルプスに囲まれたなかなか景観的すてきなところである。

 

 美術館巡りが趣味というのを知っているので、友人が周辺の美術館に連れて行ってくれた。まず最初に訪れたのは清春芸術村。

清春芸術村|Kiyoharu Art Colony (閲覧:2023年8月24日)

 ここは白樺派同人による美術館構想を、吉井画廊社長の吉井長三が私財を投入して、廃校だった清春小学校の跡地に建てたもの。

清春芸術村 - Wikipedia (閲覧:2023年8月24日)

 この美術館の建設にあたっては、文人画家でもあった岩波書店の元会長小林勇が、吉井のアドバイザーをしていたことなどを、以前何かで読んだことがあった。建設に対して反対があった地元の有力者などに対しても小林が説得をしたという記録もあるとか。もっとも小林は白樺美術館の竣工を見ることなく亡くなったとも。

吉井長三と小林勇と清春芸術村とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書

(閲覧:2023年8月24日)

 

 まず駐車場の前、芸術村の脇には小林勇が住んでいた鎌倉の家が移築され、レストランになっている。

 

 そして入り口にて入場料1500円也を支払って中へ。

 

 

ラ・リューシュ

 エッフェル塔を設計したギュスターヴ・エッフェルが設計した集合アトリエ兼住居ラ・リューシュ(蜂の巣)を再現したもの。

光の美術館

 安藤忠雄設計のいかにも的なミニマリズム建築。内部もコンクリうちっぱなし的。

 

 こういうの流行りましたね。でもいささか古さを感じさせるか。今なら竹とか自然素材使った隈研吾風だろうかなどと、不埒なことを友人と小声で話しながらみる。

 

ルオー礼拝堂

 

 ジョジュル・ルオーを記念して建てられた礼拝堂。宗教に関係なく芸術村を訪れる芸術家の瞑想空間となっているとHPにあるけど、なんとなく無節操な感じもしないでもない。キリスト教の礼拝堂を「宗教に関係なく」というのがちょっと微妙。どうせなら定期的にミサを行うとかそういう節操も必要な気もしたり。まあなかなか荘厳な雰囲気もあるので、余計「宗教に関係なく」が引っかかってしまう。

 

茶室 徹

 ツリーハウスならぬ茶室。樹齢80年の檜の上に建てられている。もちろん中には入ることが出来ないので、下から見上げるだけ。よく見ると檜の柱には小さな穴。これなんだろうと友人に聞くと、多分虫食いじゃないかと言われた。そのうち朽ちるのかちょっと心配になった。

 


 ウィークデイの午前中だったので閑散としている。見学客も自分らを含め数組。芝生には自走式の草刈りロボットが動いている。

 見学客のなかに車椅子の高齢者の方がいたけど、多分ここは車椅子での移動はけっこうハード。まず芝生は車椅子押すのに適していない。あちこちに階段もあるし、白樺美術館も光の美術館も館内は段差だらけ。アートは意外とバリアフリーは親和性がない感じがする。帰りがけに車椅子の方は杖で芝生を歩いていた。その歩き方を見るとどうも妻と同じ片麻痺のようだ。ゆっくりと芝生を歩くのはそれなりにいい運動になるかもしれない。

 白樺美術館では晩年のピカソのアトリエでの日常を撮った写真展が開かれていた。

『創りなさい。続けなさい。』Pablo Picasso / David Douglas Duncan展

 

 それなりに興味深いものがあるけれど、この企画展のせいでコレクションがあまり展示されていない。出来れば梅原龍三郎岸田劉生の作品などをもっと観たかった。

 

 

 駐車場の端っこにはなぜかアトリエカーが置いてある。これは梅原龍三郎のために吉井長三が作ったものだと。車はシトロエン製を改造したもので社内で絵を描くことができる。足腰が弱って屋外での写生も難しくなった梅原のためということらしい。もっとも友人に言わせると、著名かつ高齢な画家にとにかく絵を描かせるために缶詰めにしたのではということだった。画廊からすれば大先生にとにかく絵を描いてもらえれば商売になるということか。ちょっと穿ち過ぎかもしれないけれど。

 

 芸術村は雰囲気も良く1時間くらいのんびりと過ごすことができる。ただし美術館、作品鑑賞ということを期待してくるとちょっと拍子抜けしてしまうかもしれない。あと芸術村と小林勇との関連もあり、冬青こと小林勇の絵も少しは観ることができるかとなんとなく思っていたのだが、まったくそれらしいものがなかった。

 今回はピカソの写真という企画展が開かれていたということもある。時期によっては冬青庵作品が展示されることもあるのかもしれない。これはいつものことだが、作品との出会いは一期一会みたいなものだ。