マラドーナ死去について

 マラドーナが死んでもう一週間になろうとしている。

 60歳、まだ死ぬ年じゃないと思いつつも、アル中、薬中であの太り方、多分成人病のデパートみたいな風だったから、遅かれ早かれそういう知らせが届いても仕方なかったのかなと思ったりもする。

 マラドーナは多分、自分にとっては初めての年下のサッカーアイドルだった。喩えは悪いけど女性アイドルなんかだと、自分が高校くらいまではみんな年上のアイドルが普通だった。岡崎由紀から始まって南沙織とか天地真理とか。多分、キャンディーズとか浅田美代子あたりが初めての同い年のアイドルで、例の中三トリオあたりが年下のアイドルとして出てくる。

 サッカーでもアイドルというか、スターはみんな年上だったところに現れたのがマラドーナだったか。多分、彼のことを知ったのは多くの日本人がそうだったように、1979年のワールドユースだった。小柄できゃしゃな体格ながらテクニックは抜群で、彼がボールを持つととにかく誰も奪取できない。ドリブル、キラーパスとすべてにわたって抜きんでた存在だった。

 その後の記憶では、金額欄が白紙の契約書でバルセロナに移籍したとかそういう伝説の後、欧州で活躍を続けていたが、テクニックはあるけど独りよがりのプレーも多く、ファールを受けて倒される時間も多かった。もっともマラドーナは晩年までほとんどの試合で激しいチャージを受け、ボールを持っているか、パスを出すか、シュートを打つか、倒されるか、みたいな感じがした。試合によっては倒されて悶絶するシーンが多いなんてこともあったように思う。多分、これは記憶とイメージの問題。

 その独りよがりのプレーの集大成は1982年のスペイン大会だったか。マラドーナは倒され続け、最後の最後に報復プレーで退場となりピッチを去った。それから4年後、メキシコ大会で彼は頂点に立った。あの大会はマラドーナによるマラドーナのための大会と形容されることが多いけど、実際あのときのアルゼンチンはマラドーナを引き立て、彼の能力を最大限に活かす、そういうチームだった。フォーメーションはこんな感じだっただろうか。

           バルダーノ

     マラドーナ 

エンリケ          ブルチャガ

       バチスタ

オラルコティエチア        ジュスティ

     ルジェリ      クラウセン

        ブラウン

  このチームは3バックの3人とマラドーナ以外はほとんどの時間汗をかきピッチ上を走り回っていた。3バックは守備に専念、そしてマラドーナは攻撃だけに参加という具合だった。こと攻撃に関してはとにかくマラドーナにボールがわたり、彼から展開される。マラドーナが守備をしないため、バチスタ、エンリケ、そしてとくにブルチャガに激しい運動量が求められた。そして彼らはそれに応え、マラドーナが決定的な仕事をするためのサポートを行っていた。

 多くの試合でマラドーナは相手チームからの激しいマークにあいチャージを受けた。ただし最初のボールタッチですぐにボールをはたき、バルダーノやブルチャガにパスを回し、あまりドリブルで仕掛ける時間は少なかったので、例の倒されて悶絶シーンは以前よりも減っていたと思う。そして彼がピッチ上で倒れることが少なかったのが例のイングランドとの準々決勝だと思う。

 イングランドはもともと激しい試合をするがファール、特にプロフェッショナル・ファールが少ないチームだった。この試合でも特定の選手をマラドーナのマークにつけなかった。改めて見返してみるとマラドーナはふだんの試合に比べてピッチ上に倒れることが驚くほど少なかった。

 前半、圧倒的にアルゼンチンが攻めているが、それでも決定的な時間は少なかったし、守備に専念して後半勝負という戦術が徹底されていたのだと思う。しかし後半、逆にマラドーナにやられてしまった。あの神の手ゴールはまちがいなくハンドであり、今ならあれは一発レッドに匹敵すると思うし、世紀の誤審の一つだと思う。ただしあのときマラドーナのマークを外し彼の侵入を許したことが敗因だとも思う。あれはスペースを消し、彼の侵入を体で止めてしまえばよかったのだ。

 あのゴールでイングランドの集中が切れ、それが次の五人抜きに繋がったのだとは思う。それを思うとあのハンドゴールがなければ試合の行方はどうなっていたか。しかしあの五人抜きは抜かれた順にいえば、まずベアズリーからフェンウィック、ブッチャー、リード、シルトンとなる。ブッチャーとリードはペナルティエリア内なので、体で止める訳にはいかない。そういう意味ではベアズリーが抜かれた後のフェンウィックがポイントになる。彼がペナルティエリアの外でレッド覚悟で止めていれば間違いなくあのゴールは防げたのだ。しかし・・・・・、イングランドは紳士過ぎたのだと思う。それがすべてだったのかと思う。

 あの試合、イングランドは攻撃の糸口をつかめないままだった。もっとも前半は徹底して守備に専念していたことも大きい。解説の岡野俊一郎氏は、さかんにホドルとリードがどっちがメインで中盤を作るのか、役割分担がはっきりしていないと話していた。そしてリードがワドルと交代したことによって中盤はホドルが作るという役割が明確になり、リネカーの1点に繋がったと解説していた。

 これは正直まったく的外れだと思う。リードは守備的MFであり、ホドルは攻撃的MFだ。役割分担ははっきりしている。ただし前半に関していえば、ホドルもまた守備に時間を費やすようなゲームプランになっていただけのことだ。後半2点のリードされたこともあり、リードとクリス・ワドル、スティーブンとバーンズを交代させた。交代メンバーはいずれもウィングタイプであり、サイドからの攻撃の徹底がプランされた。多分、ホドルは攻撃に専念するどころかやや下がり目からパスを供給することになったと思う。とにかく点を取り返すことが必要だったのだ。

 すべてにおいてタラレバになってしまうが、もしも神の手ゴールが認められなければ、マラドーナがイエローかレッドをもらっていたら、あの試合の展開は変わっていただろうし、マラドーナのキャリア自体も変わっていたかもしれない。

 とはいえマラドーナが20世紀の偉大なプレイヤーであることだけは変わらない。キャリアの晩年の頃だったか、ブラジルとの代表戦で浮いたボールをあの分厚い胸でトラップして後ろにそらし、反転して相手を抜き去ったプレーを観たことがある。あれをあのタイミング、あのスピードでできるのは彼だけだったと思う。

 とはいえ、彼はまたサッカーの牧歌的な時代に存在したスーパースターだとは思う。現代のサッカー、スペースのつぶし合いと、とにかく相手をフリーにしないゲームの中で彼のテクニックは限定的でしか活かされないかもしれない。

 20世紀の偉大なスーパースターに追悼の意を捧げます。


マラドーナ 神の手・5人抜き イングランド VS アルゼンチン  (86` FIFA WC メキシコ大会


伝説の名実況 「マラドーナの5人抜き」 NHK山本アナ

 

『夜の訪問者』とチャールズ・ブロンソン

夜の訪問者 [DVD]

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  これもいつ録画したのか判らないのだが、多分BSプレミアムで取ったもの。実はこれも初めて観た。多分、若い頃はチャールズ・ブロンソンものはさほど食指が動かなかったんだと思う。ウィキペディアによると1970年の作品。この年はチャールズ・ブロンソンの当たり年みたいなもので、この映画とルネ・クレマンの『雨の訪問者』とがほぼ同時期に公開されているのでは。さらにいえば例のマンダムのCMも1970年で、日本でチャールズ・ブロンソンのブームが起きていたと。

 『夜の訪問者』は舞台がマルセイユで、釣り船クルーザー)のオーナーで観光客相手の商売をしている主人公が、かっての囚人仲間に襲われる。彼はドイツ駐留のアメリカ軍人で、上司を殴って服役している時に囚人仲間に誘われて脱獄に加わる。しかし仲間が警官を殺害したため一人だけ逃走。仲間は捕まり服役していたのが、再び脱獄し逃走した彼に復讐し、さらに麻薬の密輸の手助けに加わるよう強要する。

 元軍人で釣り船のオーナーという役柄はブロンソンにはそこそこあっているのだが、セリフがフランス語なのがまず馴染まない。ブロンソンほどフランス語があわない俳優もいないのではと思わせるくらい馴染んでない(個人の感想)。武骨、男臭さが売りのブロンソンエスプリというのがちょっとなのだ。そのへんは『雨の訪問者』も同様なのだが、あれはルネ・クレマンフィルム・ノワールっぽいミステリーなのでちょっと違うような感じがする。

 それに対してこの『夜の訪問者』はというと、監督が007シリーズのテレンス・ヤング。そう、この映画のアクションはなんとなく007シリーズっぽい雰囲気で、舞台がマルセイユで明るいリゾート地の雰囲気がなんとなく『サンダーボール~』とかの感じ。映画の中でロングワイディング・ロードでのカー・アクションなんかもあるんだけど、あれもなんか007風である。

 ストーリーは割とハイテンポなのでけっこう普通に観てしまえるのだが、正直しんどい映画といえるし、多分二度は観ないと思う。観た後で速攻消去しましたね。

 俳優陣もなぜか脱獄囚のリーダー格が名優のジェイムス・メイスン。さすがにそれなりの雰囲気出しているんだけど、ちょっと仕事選べみたいな感じか。さらにブロンソンの妻役をリブ・ウルマン。彼女は名女優でたしかベルイマンによく使われていた人。上手い人なんだけど、このアクション映画に彼女必要みたいな疑問符も。さらに脱獄囚の愛人役でブロンソン映画にはきってもきれないブロンソンの妻ジル・アイアランドも出演している。なんか知らないがブロンソンの出演契約にはアイアランドの共演がオプションになっていたのかってくらいに彼女はいつもなんかしら出てくる。

 てなことで久々に70年代アクション・ミステリーを堪能(?)させていただきました。しかしチャールズ・ブロンソン、当時なんであんなに人気があったのだろう。もともとはアクション系、肉体系の脇役さんで、60年代の半ばからはB級映画の準主役ポジションを確保していたように思う。この人を最初に認知したのはバート・ランカスターの『ベラクルス』あたりか。まあ印象に残る悪党っていう定番ポジションだったか。さらには『荒野の七人』、『大脱走』では印象に残る役柄だったと思う。

 そういう風に脇役、悪役というイメージを子ども心に持っていたので、マンダムのCMは面食らった部分もある。でもあのジェリー・ウォレスの歌と同様けっこうはまりましたね。あの曲はギター弾きながら歌ったりもしたし、「う~ん、マンダム」のセリフは学校なんかで言ってふざけていた。

 70年代一大ブレイクしてチャールズ・ブロンソンは国際人気俳優の地位を確立し、特にフランスでの活躍ではアラン・ドロンとの共演映画などもあったと記憶している。80年代もそこそこ主演作もあったようだが90年代になると一気に出演作も減り、2003年に81歳で死去しているという。そうかもう40年近く前に亡くなっている人なんだね。1921年生まれだからもし存命なら100歳ということになる。まあそういうものだ。

 20世紀ハリウッドのちょっと風貌の変わった肉体派、男臭さ、マッチョが売りの性格俳優、アクション俳優というのがチャールズ・ブロンソンを形容する言葉になるんでしょう。そう、そういう役者さんもいましたねという形で記憶され、いずれ忘れられてしまうのでしょう。

チャールズ・ブロンソン - Wikipedia

山崎美術館と橋本雅邦

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 川越市役所に兄のことを相談に行こうと思っていたのだが、ちょうど着いたのが昼時だったので時間つぶしのために寄った。前からその存在は知っていたので一度来たいとは思っていたところ。

 こじんまりとした美術館で川越蔵造りの街並みの中にある。よくある観光地の小さな美術館といってしまえばそれまでのところ。料金も500円と規模からするとちょっと割高感もあるかもしれない。と、これは観光地のそういうものという前提でのこと。

 それに対して明治画壇の牽引車にして日本画近代化の第一人者、横山大観菱田春草らを指導した画家橋本雅邦の作品を常設展示しているとなると、ちょっと違った見方ができるかもしれない。橋本雅邦は幕末期に狩野派の流れを組む画家として、時代が移り変わるなか、狩野芳崖とともに日本画をリードした人であるし、とにかく画力に優れた人である。その作品がまとまって展示されているというのは嬉しい。

 小さな入り口を入り受付を超えると小部屋が二つあるが、そこには橋本作品とは違う陶磁器などが。そこをスルーして一番奥のやや広い部屋に橋本作品がある。両側に掛け軸が5~6点ずつ。一番奥には二曲一双の障屏画が。

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 真ん中の陳列ケースにはノリタケなどの美しい陶磁器が展示してある。

 橋本雅邦の作品はどれも見事で一見の価値あるものばかり。係の女性に聞くと2~3ヶ月に一度展示替えがあるとか。たまに訪れてみるのにちょうどいいかもしれない。イメージ的にはやや小ぶりながら、青梅の川合玉堂の美術館に近いだろうか。

 役所に行くまでのほんの少しの時間潰しだったが、十分な内容だったと思う。奥でお茶と和菓子のサービスみたいなものもあるようだが、時間がないのでそれは断った。この美術館を設立運営しているのは老舗の和菓子屋さんらしいので、実はこの美術館、お茶と和菓子がメインなのかもしれない。なので、自分のように絵を観てすっと帰っちゃうような客は珍しいのかも。

 橋本雅邦の略歴などが記された解説と共にこんな写真も展示してあった。まさに明治期日本画壇の歴史そのものである。

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母と暮らせば

 

母と暮せば [DVD]

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  これもBSプライムで録画していたやつを観た。この映画も観るのは初めて。というか、多分山田洋次の映画はよっぽどのことがないと劇場では観ないしDVDとかも借りることはない。ただし友人の中に山田洋次作品が好きなのが数人いるし、まあだいたいそういう人たちは共産党系の人なんだけど、けっこう面白かったということだったので、どこかで観ておかなくてはと思っていたことはいた。なのでBSで放映するというのでチェックはしていたのだが、はてさていつ取ったものかは定かでない。

 お話は長崎で被爆死した息子が亡霊となって母に会い来る。その亡霊と老母の会話を通じて戦争によって翻弄される庶民の悲劇を浮き彫りにさせるというもの。もともとは井上ひさしの戯曲『父と暮らせば』を翻案したものらしい。井上ひさし山田洋次、ベタといってしまえばそれまでか。

 主演の吉永小百合はやっぱり名女優というか、いい味を出している。この役はキャリアのある女優さんで演技力のある人なら、誰でもけっこういい雰囲気でできるかもしれない。30年前だったら八千草薫あたりかも。

 ただし時代的には長崎の原爆から3~4年後という設定で、医学生の息子の母親ということでいえば年齢的には多分50代かと思う。2015年の作品なので吉永小百合は70歳くらいか、ちょっとしんどいかなと思う部分もないではないが、そこは映画である、そういうリアリズムはちょっといらんかとも。誰かが田中裕子あたりがやっていたらみたいなことを書いていたのを読んだことがあるが、自分などはこういうの大竹しのぶで十分でないかなどと適当に思ってみる。

 息子役の二宮和成はこの映画での演技で多くの賞をもらうなどけっこう評価されているようだが、まあ普通というか、ひょうひょうとした演技もさほど特筆したものはないようにも思う。息子の恋人役を演じた黒木華は好演している。山田洋次作品では『小さなおうち』も良かったが、多分山田洋次はこういう女優が好きなんだと思う。

 映画は亡霊として出現する息子と母親の会話をもとに進められるが、最終的には母親は病死して、息子が死の世界に誘う。母親の病気は特に病名とか症状は描かれないが、原爆病が暗示されている。と、そのラストの描かれたを観て思ったのは、息子の亡霊とは実は死神だったのではないのか。死神が息子の姿となって出現し母親を死に誘う、そういうお話なのかということ。

 まあ、これはけっこう多くの人が指摘しているので、けっして目新しい評でもなんでもないようだ。そういうことであればもっとストレートに死神の心象を描いたりしたほうが、意外と面白い映画になったかもしれない。

 これも誰かが指摘していたが、肩を寄せ合って母子が天国へと旅立つラストシーンの背景では中高年の白い衣装の合唱団が讃美歌のような歌を歌っている。けっこう不気味であれはいらないなという感想も読んだことがあるのだが、あの美しい(らしい)ラストも実は異形というか。

 死神がエスコートしてあの世に旅立つ老母、その背景で天使のような中高年が美しいコーラスを響かせる。あれがなぜ少年少女ではなく中高年かといいうと、多分あの人たちは原爆で亡くなった人たちを暗示しているからだと思う。だとすれば、最後に白い中高年の人々は反転、原爆で亡くなったときの地獄図にとって変わるという風にも見えてしまえるところが怖い。

 もう少しユーモラスあるいは悪趣味的にテンポよく作ることも可能な映画だが、それはそれ、この映画は山田洋次作品である。人情と情緒、そういうものだと思う。

ある団地の風景

 午後、兄の家に向かう。昨日見つからなかったインスリンの注射器とかを探すためで、それはすぐに見つかった。その後、昨日兄が洗濯機に放り込んでおいた衣類を洗濯して干す。さらに溜まった書類等を、市役所関係、保険関係、介護関係などに分けて床に置き、クリアファイルに整理した。それから当座必要になりそうな下着類をまとめて、インスリンと一緒にして部屋を出た。

 1階について車まで歩き出すと、カシャンカシャンと金属をたたくような音が上の方でする。そこで見上げると、隣の棟の最上階のベランダで小さな女の子が洗濯物を取り込んでいる光景が目に入った。

 女の子は4歳~5歳くらい。物干し竿にハンガーとかで干してある洗濯物を一枚ずつ取り込もうとしている。背が小さくて衣類に手が届かないので、布団叩きをもって、何度もチャレンジしながらハンガーを一つずつ外して衣類を手にする。そして一枚ずつ部屋の中に持ち込み、また出てきてハンガーの衣類を降ろす。布団たたきがハンガーに当たったときにカシャンカシャンと音がしている。

 親に言われてやっているのか、自分の判断なのか。親が室内にいるのか、それとも一人で留守番しているのか、そういう事情はまったくわからない。でも、女の子はたんたんと一枚ずつ衣類をおろし、その都度部屋の中に持ち込んでいる。えらい子だなと思う反面、こんな小さい子にベランダで衣類を取り込ますのはちょっと酷ではないかと、ちょっと不安なことが頭をよぎる。

 ずっと見ている訳にもいかないので、女の子3枚の衣類を取り込むところで自分は車に向かった。考えてみると女の子が取り込んでいるのは全部小さな子供服で、多分それは自分の服のようだ。自分のものは自分でやる、取り込んで部屋の中で自分でたたむところまで躾けられているのかどうか。あるいは自分の衣類だけをとりこんで、家の中で着替えて遊ぶのかもしれない。わずかな時間、目にした光景だったけれど、いろんなことを思い巡らしてしまった。

 後で思い出すと、女の子はハンガーを降ろして衣類を抱える前に、なんとなく乾いているかなという感じで確認している様子にも見受けられた。小さな女の子の午後のお仕事。彼女にとって、今日がいい1日であって欲しいと願った。

 

兄の通院と入院

 今日は兄の人工透析の日。朝一番で皮膚科の外来受診があるため送迎バスに乗れないということで、兄を送ることになっている。それ以前に起居動作が難しいため、朝からつめて着替え等を手伝うことになっている。

 朝、6時起き。7時過ぎに兄宅に向かうと、兄は思ったよりは状態は良く、なんでも痛み止めが利いているという。着替えを手伝い、持ち込んだ車椅子で部屋の中を移動させ玄関で靴をはかせる。階段はなんとか自力で長い時間をかけて降りる。階段下から車までは車に常時積んである妻の車椅子で移動。

 最初に皮膚科を受診。処置室で火傷の状態を恐る恐る確認すると、かなりひどい状態。皮膚科医は家での処置が良くない、これでは悪化するという。自宅では隔日で訪問看護師が処置しているようだが、それだけでは難しいようだ。さらに右足の切除した親指の傷跡をみて、状態が悪化しているとのこと。日々の消毒とかがきちんとできないとドンドン症状は悪化し、場合によっては足首からの切断になるという。

 さらに左足親指の壊死については軽度であるとの診断。大学病院で切断を勧められたことを話すと、血管外科だとそういう診断になるかもしれないが、今のところは必要はない。ただし症状が悪化すれば切断は必須だという。

 その後、透析室に兄を連れて行く。その後、1時間近く待ってから透析の担当医と面談。大学病院での入院は左足親指切断を前提としたものだが、皮膚科医の話では時期尚早ということを説明。そのうえで足の状態が悪く起居動作が難しく人工透析にも通えない状態であることを話して入院をお願いした。

 医師からは入院は早くて翌週の水曜日なら可能といわれる。火曜日に透析があるので一日早まらないかとお願いしたが、難しいとのこと。これで火曜日も透析に連れてきて、さらに水曜に入院に連れてくることで、こちらの負担は大きいが、それでも受けいれていただけたので正直有難かった。ただし、医師からは入院治療は長期にはできないので早急に退院後の施設を探すようにといわれた。

 透析の後、午前中休診だった整形外科に受診する。ここでも1時間近く待ったうえで診察を受ける。整形外科の医師はわりと気さくな感じで、右足のねんざよりもまず切断した右足親指のつけねの状態をみて、これはひどいとし、さらに左足親指の壊死、火傷などをみて、これってもう自宅では対応できないだろうと率直にお話してくれた。そこで透析の担当医からは来週入院と言われていると説明すると、それまで自宅で生活できないでしょうと言っていただき、そのまま即入院となった。

 整形外科医の話では、身体の状態と起居等生活できるかどうかの判断は内科の先生にはできない、これは外科の判断ですとのことだった。当初から出来れば今日から入院させていただければと考えていたので、正直有難かった。

 その後は入院の諸手続きと看護師からの簡単な説明を受け、処方されている薬がすべて必要とのことで、急遽兄の家に戻って机に上に分類保管されている薬をすべて袋に入れてまた病院に戻った。その内容をみた看護師から「インスリンは」と問われて、形状も含めよくわからなかったので、また探してみますということにした。

 朝7時過ぎに兄を迎えに行き、病院を出たのが午後7時半頃。もうぐったりとした感じなのだが、多分これからは退院後の受け入れ施設(そんなものがあるのかどうか)を探さなければいけない。徒労感と逼迫感、しばらく眠れない夜が続くような気がする。

物置の設置

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 小さな庭に物置を設置した。購入したのは10月の頭だったと思う。確かその前週にパチンコで大勝ちしたので、そのあぶく銭でモノになるものをということで近くのホームセンターで買ったのだと思う。しかし2ヶ月近くたっての納入なので、なんとなく購入したときのモチベーションもなく、そんなこともあったねみたいな感覚だ。

 庭にはすでに物置が置いてある。確か2008年に外構の工事をしたときに一緒にイナバの物置を設置した。画像の緑のやつだ。このときの工事は確か、玄関までの階段が三段で一段ごとの高さが大きいこと、手すりがないことなどから、カミさんの出入りに無理があるということで行ったものだったと思う。そのときに庭の木を一本切り(確か杉の木だったと思う)、そこに物置を設置した。多分、スタッドタイヤや石油ファンヒーター、石油のポリタンクとかを保管するようにということだったと思う。

 そして今回はなぜさらに物置を増設ということか。小さな庭にさすが二つは多いだろうと思いつつも、長く生活するとガラクタ類が多く出る。現在はほぼ使っていない和室が物置と化しているのだが、これを何とかしたいという思いもあった。さらにいえば、二階のグルニエに物が置けるのだが、季節ものをここに入れてその都度出すのがけっこう苦労というかシンドクなってきたということ。

 例えば各部屋用の扇風機数台と冬用の電気ストーブとかの入れ替えを春秋にやっているのだけど、これが段々と苦労になっている。昔はそれこそこれに2月くらいにはグルニエに置いているひな人形セットを出して、3月の終わりにはまたしまってみたいなことも普通にやっていたのだけど、子どもが高校くらいになってからはそれもやめてしまった。今ではそんな言葉あるかどうかしらんがグルニエの肥やし状態。

 ここのところ物の出し入れのシンドサだけでなく、なんとなくアブナサもあるように思えてもいる。一人で何度も物を抱えて梯子を上り下りして出し入れをするのが、けっこう大変なうえにちょっと危ないかなと思い出した。夏の終わりだったか、ホームセンターでちょっと大きめの踏み台というかやや小ぶりの梯子を購入した。そのときに少し登ってみたところ、足を踏み外して着地に失敗、転倒した。大事には至らなかったけれど、けっこうシビアに老いを感じることになった。

 そういうのもあって、季節ものの保管と入れ替えのためにグルニエを使うのは危ないし、いずれ無理になるだろうから、物置の増設とか考えないといけないかなどと思ったわけだ。

 設置は朝8時に職人が1人できて、11時少し前までかかった。車庫に職人の車を入れるので朝7時台に車を動かして、近くのコインパーキングに持って行ったりした。きちんと土台のブロックとアンカーをコンクリで固定したうえで設置してもらったので、多分耐用年数はそこそこあるだろうと思うので、自分が生きてる間は大丈夫かなと思う。生きてりゃ、どんどんガラクタ類が増えるので、季節モノの入れ替えとか、スーツケースとかを入れていくと、あっという間に物置はいっぱいなるかもしれない。そろそろ断捨離ではないが、諸々物の整理とかいらないものを捨てるとかやっていかないといけないとは思うのだが。