今更ながらの2018年問題

 パートさんの契約更新を12月に控えて、面談や更新契約についての準備を進めている。うちのパートさんもだいぶ代替わりしており、10年以上勤めるという方もほとんどいなくなった。別に雇い止めを進めたということもなく、年齢面、それこそお子さんが結婚、出産を機に辞めるとかそういうことが続いたりした。

 改正労働契約法施行の2013年に端を発した無期転換ルールについていえば、5年経過した今年、いわゆる2018年問題についていえば、すでに嘱託社員数名を昨年のうちに無期転換させている。そういう意味では比較的優しい会社の方だとは思っている。

 そして今年契約更新すると数名のパートさんに無期転換の申し込み権が発生する。その準備ということでは、事前にパートの身分、条件のままで無期転換するという方針を決めてはある。企業にとってはずいぶんと虫のいい話だとは思う。でも、会社側は無期雇用を義務づけられるが、労働者側はいつでも辞めることができるという側面もあるにはある。

 出来れば身分を変えて無期雇用できれば一番いいのだが、中小零細の体力ではいかんともし難い。昨日、今日も社労と無期転換の進め方とかを電話で話していたのが、地域の企業で無期転換への対応はというと、たいていが5年の更新を前に雇い止めを行なっているという。

 基本6ヶ月後にまた来て欲しいという形で、契約更新をしないのだが、パート、アルバイトからすれば6ヶ月も待ってはいられないから、当然次を探すことになる。もっとも6ヶ月後に来たとしても、その穴は埋まっているのが実情でもある。人手不足と喧伝されるが、雇用の調整弁であるパート、アルバイトの地域での雇用状況はそんなところなのである。

 この問題、どう対処していくか。問題が一つだけあって、一人の方だけが他の方と異なる労働条件になっていて、このままだとその条件がそのまま無期の条件にも引き継がれる。

 現場にも一応そのことを説明し、いっそのこと社員化も検討するかという話もしているのだが、ちょっとだけクセのある方なので、現場的には敬遠する部分もあるように聞いている。とはいえベテランで仕事に関しては問題がない。さてと落とし所をどのへんにするか、現場や総務できちんと考えてくれればいいんだけど。

シカゴ美術館芸術作品画像無償公開

 Twitterで見つけた。

  で、実際のホームページである。

Discover Art & Artists | The Art Institute of Chicago

 もうずっと眺めていたくなる作品ばかりである。さらにいえば、日本で行われた回顧展で目にした作品がシカゴ美術館の収蔵だったのかと、改めて思ったりもする。

 以前、横浜で観たメアリー・カサットの作品で印象に残っているこれも、シカゴだったんですね。

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The Child's Bath Date: 1893 Artist: Mary Cassatt American, 1844–1926

 そして確かブリジストン美術館でやっていたカイユボットの回顧展で観たこの作品も。

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Paris Street; Rainy Day Date: 1877 Artist: Gustave Caillebotte (French, 1848-1894)

 さらにいえば、シカゴ美術館といえばスーラのこの大作である。いつかこの作品を観るためにシカゴに訪れたい。ささやかな夢なのであるが、多分叶わないんだろうなと思っている。願わくば、この大作が海を超えて日本に来てくれればと思う。

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A Sunday on La Grande Jatte — 1884 Date: 1884/86 Artist: Georges Seurat French, 1859-1891

 

大塚国際美術館

 そういうわけでいつものごとく淡路島のリゾートホテルに泊まることにする。行きも帰りも車でというこれもいつものパターンだ。もうこうやって車での淡路島行はどのくらいになるのだろう。ブログの記録とかをカウントしていくと最初に訪れた2007年5月から通算で12回目ということになった。11年間で12回、ある意味凄いと思う。

 さらにいえば、そのうちの10回は必ず大塚国際美術館へ訪れている。多分、この陶板複製画による西洋美術館に通うようになってから、自分の絵画好きは始まったのかもしれない。

 今回もほとんどいつもスルーする古代、中世を中心に観る。いつもはルネサンスからバロック、近代の古典、ロマン派、写実主義、そして印象派、さらにはピカソ以降の現代絵画というのがおなじみの見学コースだ。それでさえ、最後は駆け足で観ることになってしまう。

 宿で朝食をとり、ゆっくりと来るのでだいたい入るのが11時過ぎ。そのうえ途中で遅い昼食をとったりするので正味で4〜5時間である。ここの展示物、広さからすると5時間ではまったくじかんが足りない。一度でいいから二日間くらいかけてみたいと思うのだが、なかなか果たせていない。

 今回はさらに色気より食い気の子どもも一緒なので、昼食&おやつのケーキタイムもある。ますます時間が足りなくなる。そのうえでふだんほとんど観ることがない中世の宗教画などに時間をかけたため、近代についてはほとんど観ることができずに終わってしまった。

 しかしここで複製画を観た後でオリジナルを観たのは軽く20点を超える。印象派の多くの作品を六本木の国立新美術館でやったオルセー展で観たし、デトロイト美術館展やラファエル前派展、三菱一号館のオルセーのナビ派展などなど。最近も東京富士美術館の「ロシア絵画の至宝展」で観たアイヴァゾフスキーの「第九の波濤」もまた、その巨大な作品を観ていつかはと思っていた作品だった。

 今回もまた好きな作品、気になった作品を写真に撮った。

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小磯良平回顧展

 子どもが神戸で行われる声優のイベントを観にいくと言い始めたのが9月だったか、10月の始めだったか。大学生とはいえ女の子である。一人で行かすのはさすがにちょっと抵抗がある。本人は新幹線か深夜バスを使う、場合によってはビジネスホテルに一泊するみたいなことを言っていた。新幹線で往復するだけで3万くらいの金が飛ぶ。

 親バカなのでつきあうことにする。金曜日に休みをとり、健保の宿を二泊してカミさんと三人で観光旅行をする。イベントがあるのは4日なのでその日は自分とカミさんは帰り、子どもはイベント終了後に深夜バスで帰るという、そういう予定を組んだ。

 子どものイベントに付き合う形で関西行にしたのはいいが、初日にどこかに寄るという予定も立てていない。朝5時過ぎに出発したがウィークデイということもあり、道路も空いていて順調に進み、2時前後には関西に入る。途中でどこか美術館にでも行こうと思い、短時間寄るなら公立美術館かなとあたりをつける。

 神戸にある県立兵庫美術館に小磯良平の「斉唱」という少女たちの合唱する姿を描いた作品があったことを思い出し、そこに行こうとネット検索をしてみると、神戸市に小磯記念館という美術館があることを知る。さらにそこで小磯良平の大掛かりな回顧展をやっていることがわかる。で、早速ナビに入れてみた。

http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/koisogallery/

http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/koisogallery/tenrankai/schedule_201803.html

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 小磯良平についてはほとんど知識がない。画力のある洋画家という漠然とした印象くらいである。例の「斉唱」についても何かの画集かなにかで観て印象に残った作品というくらいだ。

 今回の回顧展ではこの小磯記念館の収蔵作品、兵庫県立美術館、さらに竹橋の近代美術館などに収蔵される作品が一同に会していて、偶々訪れた自分にとってはとてもラッキーな思いがした。

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斉唱

 「斉唱」はちょっとした感動ものである。小磯良平は生涯、西洋画への憧憬のもとに生きた画家だったのじゃないかと思う。日本人のモデルを使っていても、どことなく西洋風な印象だ。

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練習場の踊子達

 ドガに触発されたのだろうか、踊子を描いた作品が数点あり、どれも傑作だと思う。ドガの踊子にはモデルに対する冷徹な視線があるのだが、小磯は逆にある種の憧れのような眼差しがあり、それが踊子たちを美しく際立たせているような気がする。不覚にもこの絵を観ていて目頭が熱くなるのを感じた。絵を観てジワっとしてくるのは、久々の感覚だ。美しいものはそれだけでいいのだという思いがある。

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婦人像

 この絵は当時大スターだった八千草薫をモデルに短時間で仕上げたものだという。この前平塚市立美術館で観た小倉遊亀の作品の中に、越路吹雪をモデルに描いた作品があったが、昭和の大画家が昭和のスターを描いた作品を観る自分もまた昭和生まれである。なにか同時代意識を感じたりもする。

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コスチューム

 小磯良平はシャセリオーなど新古典主義の画家にも影響されていると解説の中にあった。それを強く感じさせるのがこの作品だ。小磯が画力があり、美しい作品を描く画家に強く影響を受けたのだと思う。

『まっ直ぐに本を売る』を読む

 

まっ直ぐに本を売る―ラディカルな出版「直取引」の方法

まっ直ぐに本を売る―ラディカルな出版「直取引」の方法

 

  取次を通さない書店との直取引をで成功している出版社トランスビューを紹介した本である。著者の石橋毅史は出版社勤務から出版業界紙新文化」で記者に転身した出版ジャーナリスト。これまでにも出版不況の状況を取り上げた『本屋は死なない』、長く神保町の顔でもあった岩波ブックセンターの社長柴田信に取材した『口笛を吹きながら本を売る』などの著作がある。

 トランスビューについては以前からその存在は知っていた。モデルから哲学者となった今は亡き池田晶子の『14歳からの哲学』がベストセラーとなったことも耳にしていた。万を越す物量を直取引でこなすのはさぞや大変だろうなと素朴に思った記憶がある。

 以下、気になった部分を本から引用。また断片的な感想を少しだけ。

  トランスビュー法蔵館から独立した編集者と営業担当の二人によって2001年に創業した人文・社会学系の出版社である。編集代表の中嶋廣が若い営業担当工藤秀之を誘って作った二人だけの出版社だ。のちに中嶋は体調を崩し一線を退き、その後は工藤がほぼ一人で事業を続けている。

 工藤は中嶋に誘われた時に最初から直取引をイメージしていたという。一般的な出版社のように取次に合せるのではなく、「商売の方法は自分で決める」ことに拘った。

 トランスビューは、はじめから要望を明確にしていた。

 それは「あくまでもメインは書店との直取引であり、取次ルートは補完的に使う」「書店には七掛け(低下の七○パーセント)で卸すので、取次も同じ七掛けで仕入れてほしい」という二点である。取次としては、特例を除いて新規出版社に提示する条件はY社と同じ六七パーセント程度と決めているから、トランスビューの要望は受け入れられない。

 彼らは「では、やめます」と席を立つことで一歩目を踏み出したのだ。

 流通の方法は自分で決める。

 取次に合わせて妥協はしない。(P53)

 なぜ工藤は直取引にこだわったのかという問いに対して、

「書店にまっとうな利益を得てほしいからです」

 工藤秀行は、きわめて簡潔に答えた。

「取次ルートにおける書店の粗利益率は、たしかに低いと思います。何パーセントがいいかは書店によって違いもあるかもしれませんが、ウチは七掛けであれば卸せる。ではそうしよう、ということです」(P55) 

 本が大量に売れた時代であればまだしも、今のように本が売れない、本が売れない部分を補完すべき雑誌もインターネットの不況により壊滅状態という状況にあって、書店の利益率の低さは経営を圧迫する。

 少し前のビジネスモデル(多分20〜30年前になるかもしれない)に則していえば、一般的に出版社は取次に対して定価の7掛けで卸し、取次は書店にだいたい8掛けで卸す。まあ自分のような古い人間からすると取次の口銭は8分口銭といっていたのだが、判りやすくすればだいたい取次は1割。なので書店の利益は2割となる。その2割で人件費を含む経費を賄っていくのは多分難しい。

 出版は薄利多売が長く当たり前だったが、その多売がなくなってしまえば書店の経営は立ち行かなくなる。今、どんどん本屋が閉店している状況というのはだいたいこういう背景がある。本や雑誌が売れないうえに、雑誌はコンビニに、本はネット通販に客をとられる。ほとんどジリ貧の状況だ。

 今、まだビジネスとして成立している書店のほとんどは、本以外の物販やDVDレンタルや販売や喫茶スペースなど利幅の大きい併売品に依拠しているといえるだろう。ただしCDやDVDはネット配信が主流になってきているので、こちらもまた衰退産業となっているのが実情。

 そうした状況の中で、トランスビューの工藤が掲げた「書店にまっとうな利益」を得てもらうための7掛けという設定は実際そのとおりなのだと思う。

 そのうえでトランスビューは創業から6年後には掛け率を7掛けから6.8掛けに変更する。おそらくベストセラーとなった『14歳からの哲学』の影響もあるのかもしれない。しかし正味を自発的に下げる出版社はたぶんこれまでの出版業界からすると前代未聞なのではないかと思う。

 トランスビューは書店回り営業を行わない。創業当初は社名を認知してもらうために回っていたが、ある時期から自発的に回らなくなったという。

 なにを仕入れるか、なにを売るかを決めるのは、書店の仕事である。

出版社の役割は、これが円滑にできるよう対応することにある。トランスビューの本を仕入れ、売りたいと思ってくれた書店に、望むままの冊数を、できるだけ早く送る。売れたらまっとうな利益を得られる条件を設定しておく。

この態勢を常に準備しておくことが仕事の要諦であり、書店が自発的に「売りたい」と思っていない本を、ときには会社同士、あるいは書店員と営業担当の人間同士の情も絡ませて置いてもらうように仕向けることは、お互いのために良くない、と考えたのである。(P62)

 

 トランスビューの直取引の方法は「トランスビュー方式」という三原則として業界に認知されるようになった 

  1. すべての書店に、三割(正確には多くが三二パーセント)の利益をとってもらう。
  2. すべての書店に、要望どおりの冊数を送る。
  3. すべての書店に、受注した当日のうちに出荷する。

  これに対して著者石橋毅史はこの方法が成立するのには、書店にとって「売れる本」をつくりつづける必要があるという感想を述べる。

 そのとおりだと思う。書店に十分な利益を得てもらうとはいえ、書店営業をしない、つまり書店に本を置いてもらう努力をせず、あくまで書店の自主的仕入れを待つという販売スタイルで、直仕入れという書店にとって大きな手間暇のかかる取引を強いる(語弊があるか)のである。そうしたビジネスモデルが成立するには一にも二にも商品力のある書籍を作り続け、提供し続ける必要がある。ましてや長い歴史のある老舗出版社のような出版社のブランド力に依拠することもできないのである。

 自分自身の拙い経験、版元営業の経験からいえば、売れない本の営業ほどつらく切ないものはない。返品がフリーであるという前提のもと、試しに、駄目元で置いて欲しい、売れなければ自由に返してくれという販促活動である。その時に思ったこと、さらにいえば版元になる以前働いた書店での経験を含めていえば、出版販売の大前提は売れる本を作ってまくことに尽きるのである。売れる本であれば書店はいくらでも取る。トランスビューではないが、書店訪問などしないでも御用聞きに徹していても、書店は自主的に仕入れてくれるのである。

 ただしこの本が売れるというのは、ただひたすらベストセラー本を作り続けるということではないとは思う。本にはそれぞれ商品特性があり、極めてクローズドな読者を対象としていて、その限られた購買層にとってはとても有益な情報が満載された本というものが明らかに存在するのだ。

 端的にいえば専門書である。定価5000円で2000部作った本はその刷り部数からして売れる本とはいえない。しかしその2000部が確実にその本を必要とする読者に購入され、さらに500部重版して売り切れたとしたら、その本は多分売れた本といえるのである。

 それはまた同様に初刷り700部、定価10000円の本であってもそれが1000部はけたとすればよく売れた本なのである。

 古くから地域で営業している書店で目利きのある店員がいるところであれば、そういう本の情報に接した場合、うちではこの本は1冊か2冊は確実に売れる。○○さんと○○さんに声をかければ、どちらかは買うみたいなことが想定できるかもしれない。それが地域の書店なのではないかとも思ったりもする。

 とはいえそうした幸福な商売ばかりがあるのではない。出版業はたいていの場合、博打と出版社の資金繰りが全てである。この本はひょっとしたら売れるかもしれない、化けるかもしれない、そんな無謀な思惑や、とりあえず締め日までに3点取次にぶちこめれば、翌日3割は現金化できて息がつげるみたいな自転車操業的な理由で、多分売れないとわかっている本を作り続ける、そんなことをここ数十年業界は続けてきたのではないか。

 さらにこの業界では取引は個々、老舗出版社の優遇、取次との取引条件は憲法と同様不磨大典みたいな形で既得権益かしている部分がある。

 考えてもみよう、よく老舗出版社や専門書出版社、医書出版などにある買い切り高正味という取引条件である。買い切りで高正味というのは、書店にとってどういうことになるか。1冊1000円の本を10冊仕入れて全部売れれば書店の利益はだいたい2000円くらいとなる(取次正味8掛けとして)。しかし2冊売れ残ってそれが返品できないとなれば、利益は(2000円-1600円)400円となる。3冊売れ残れば利益は完全に吹き飛ぶ。在庫した売れ残り品がいずれ売れればいいのだが、往往にして販売残はそのまま不良在庫となることが多い。

 それでも定価が高ければまだ利幅が多くなる。例えば1000円が10000円であれば、2冊残っても4000円の利益は出る、1000円でも10000円でも販売にかけるコストは一緒だとすれば、定価は高ければ高いほど良いということになる。書店、取次から出版社への要望として必ずあがるのが定価を上げて欲しいということなのだが、それは多分こういうことに起因している。

 同様に今や出版社も様々な物流経費の上昇が利益を食いつぶしているのが現状だ。トラックなどの輸送費、個々の配送にかかる宅配便等の上昇。定価をあげない限りは成立しないという状況がそこかしこに現れている。

 なのに出版社はなかなか定価を上げることに踏み切れない。なぜかといえば、定価を上げればただでさえ読者離れが進む状況で、もっと本が売れなくなるのではないかという危機感があるからだ。でもそれは多分薄利多売によるベストセラー幻想の残滓ではないかと密かに思ったりもしている。

 本は売れない。ここ十数年、出版不況といわれ続け、今では出版敗戦とまで叫ばれている。確かに出版物は以前のように情報商品として多売される商品ではなくなってきていることは確かだ。そうはいっても読者家、読書人は少数ながら確実に存在している。出版物はもう不特定多数に享受される商品ではないかもしれないが、ある種の知的嗜好品としては多分ずっと存在し続けるのだ。

 そうであれば、それであればこそ、出版社は特定の少数な購買層に向けて商品を提供し、それを書店がリレーしていくというビジネスは成立すると信じたいと思う。そのためにはまず少数向けという前提のもと、本の価格を上げる、そのうえでメーカー(版元)、流通としての取次、書店が確実に利益を確保できるような仕組みを作っていくということじゃないかと思う。頑なに取次には7掛け、書店直は8掛け程度やればいいという出版社は、自ら読者に直接販売していけばいいのではないかと思う。多分、高騰する宅配運賃を吸収するためには、今より定価を上げなくてはやっていけなくなると思う。

 話がだいぶ逸れた。『まっ直ぐに本を売る』について最後に思うこと。ここ1~2年の輸送費の高騰、端的にはドライバーの労働集中問題から一気に噴出した宅配便運賃の値上げは、直販出版社に直撃しているのではないかと思っている。だからこそトランスビューは同じような直出版の取引代行という取次的な形での商売も始めたのだろう。一社で物流経費を賄うのは難しい、だとすれば何社か集まって経費を分散させるしかない。

 最近思っていることではあるが、出版社の自社配送の維持の難しさと、物流倉庫を経由したうえでの共同配送の模索みたいな部分と通じる部分ではないかと思っている。

 まもなくこの業界でのキャリアを終えようとする自分にとっては、直取引でビジネスを成立させているトランスビューにはぜひ生き残っていってもらいたいと思っている。自分のキャリアの終焉と同時にこの業界のビジネスもまた終焉を迎えるのでないかという、ある種の諦観と絶望。その中で生き残り策を講じている小出版社の取り組みはわずかであれ、希望でもあると思う。

ガンではなかった

 泌尿器科に先週受けた生検の結果を聞きに行った。 

前立腺生検術を受ける - トムジィの日常雑記(ブログ版)

 この検査の後に医師からはガンの確率は低いという説明は受けてはいたが、ガンマーカーの数値が高く、生検を受けたという事実は重く圧し掛かっていて、一週間がけっこうプレッシャーというか鬱々たるものがあった。

 医師からは最初に検査報告書を一枚渡され、予想どおりガンではないという説明を受けた。正直、ホッとしたというか、ほぼ全身で安堵を表現したようなリアクションになった。

 すると医者からはこんな投げかけがあった。

「ガンではないのに、数値高かったですよね」

「ええ、PSAは5.1でした」

「ガンでなくても数値が上がる場合があるんだが、なぜだと思います?」

「いや~、ちょっとわかりません」

「数値があがるのは、前立腺が大きい場合です」

 そんなやりとりだった。そこで前立腺肥大の場合、治療を受けるのかと聞くと、今のところ尿のきれも悪くないというし、夜中に何度も尿意で起きるということもないようなので、そのへんが気になるようになったらまた来て下さいということだった。

 ようは、今後しばらくは通院治療の必要なしということで、正直一安心だった。ただし前立腺肥大ということは、まあ62歳という年齢からすれば、多少そういう症状が出てきても仕方がないのかなと思う部分もある。しかし尿が出にくいとか、頻尿とか様々な症状も今後出てくるかもしれない。さらにいえば勃起不全といった<男性>性のアイデンティティに関わる部分にもいろいろと支障が出る。いや、実はもう少しずつそういう傾向もないではない。

 とはいえガンと宣告されれば、手術や長きに亘る治療が続くことになる。それを思うと判決が回避されたということで、もうしばらく仕事や家事を頑張っていくべきことができる。まあ一安心である。

 最後に医師は、この検査の限りではガンの恐れはないが、他のところはわからないよと脅し文句も忘れずジャブを放ってきた。まあつっけんどんな部分もあるが良いお医者さんだと思う。

<病理組織診断及び所見>

Prostaic tissue,no evidence of malignancy,biopsy

 標本は前立腺の生検組織12本

  1.  左底部外側
  2.  左底部内側
  3.  左体部外側
  4.  左体部内側
  5.  左尖部外側
  6.  左尖部内側
  7.  右底部外側
  8.  右底部内側
  9.  右体部外側
  10.  右体部内側
  11.  右尖部外側
  12.  右尖部内側

 組織学的には、全体に過形成性で部位により萎縮腺管や慢性炎症像が混在する前立腺組織よりなっている。何れの組織片にも、異型はみられず、悪性を示唆する所見は認められない。

 

 

シビックハッチバック

 フリードがリコールとかでディーラーに持っていく。なんでも二列目シートに問題ありとか。この車はディーラー試乗車の2年落ち、乗っていたステップワゴンが5年経過でそろそろ次を考えようかというところに、どうですかお手軽価格でと勧められ勢いで購入したもの。

 フリードはまあ割と気になっていた車ではある。子どもも大学生になって一緒に行動することも少なくなったし、そろそろワンボックスのミニバンに乗る必要も少なくなってきた。とはいえカミさんが基本車椅子生活なので、それを考えるとミニバンは外せない。そういうところで例のちょうどいいサイズというのは惹かれるところでもあった。まあ試しに乗るのなら中古でいいかもしれないし、一応ディーラーからの購入なので、諸々サービスも受けられそう。

 実際、同じディーラーで3台新車を乗り継いで、4台目な訳で一応は上客なのではないかとは思っている。

 このフリード、特に問題はないのだが、乗り始めにブレーキの鳴きがけっこう頻繁にある。一、二回診てもらって、ブレーキパッドを調整してもらったのだが、症状も改善されていない。今回のリコールでも、もう一度調整してもらうことになっている。

 話がどんどん逸れていってるのだが、リコールによる部品交換は一泊二日のため代車を用意してもらったのだが、それがこれよ。

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 持ってきたメカニックの人に聞いたさ、何これって。完全なスポーツカーじゃない。自分の乏しい車の知識では、ホンダでこんな車あったっけと思った。すると返ってきた答えが「シビックです」とのこと。シビックって確か生産中止になっていたんじゃなかったっけ。復活したのって聞いたら、去年出た新型ですという。

www.honda.co.jp

 「これって、自分の知っているシビックじゃない」というのが正直なところである。シビックはホンダが誇る大衆車だったはず。トヨタカローラ、日産のサニーと共に日本のファミリーカーを支えてきたセダン車のはず。それがファミリーカーといえばミニバンということになり、日産のサニーとともに生産中止になった。

 それが7年ぶりに復活したという。しかしデカイ、見事な3ナンバーである。これは完全に欧州市場を意識した車なのかなと思った。いろいろ調べるとイギリスで製造とかいう。このデカさ、3ナンバーは明らかに欧州仕様。さらにこのスポーティなフォルム、タイヤのアルミの格好良さ。

 実際乗ってみると、シートも適度なホールド感があり、よく走る、キビキビと曲がる。けっこうロングドライブしても疲れないなと感じた。運転する楽しみをけっこう満喫できそうだというのが、家まで帰った時の感想。

 とはいえ、我が家の狭小駐車場ではこの車を車庫入れするのは一苦労、二苦労である。もう4〜5回切り返してやっとのことで入れた。

 けっこう人気で納車まで半年待ちとかいう話もあるらしいのだが、しかし、しかしである。ファミリーニーズで障害者を抱えた我が家にはこのカッコいい車は無用の長物といっていい。カミさんはというと真っ赤でカッコいいと横で呑気に話してはいたけど。

 この車を代車で出すって、自分はディーラーからどう思われているんだろうとちょっと気になってしまった。運転は基本下手の横好きであるが、この車の取り回しは正直難儀である。まあ普通に広い道路走っている分にはたいへん心地良いことは心地良い。それにしても還暦過ぎたジィさんにこんな車代車で出すって、ある意味イヤミだよなと思ったりもする。

 後から連絡があり、フリードは諸々調整含めて戻ってくるのは木曜くらいになるとか。どうすんだ、その間。