「新聞記者」を観る

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 話題の社会派ドラマ「新聞記者」を観た。それも13日の配信日の深夜に1話から5話まで一気観して翌日に最終6話を観た。面白かった。映画の「新聞記者」とはだいぶ異なる内容で、政治スキャンダルというテーマに即していえば、かなりストレートな内容になっていたと思う。

 映画は実際の東京新聞記者が話すテレビ放映が流れたりとかはあるけど、どこか遠回しな印象があったしモデルが特定されないような配慮がされていた。それに対してこのネット配信ドラマはより直截な感じ。やっぱりアメリカ資本のNetflixには日本の体制に対しての忖度なんていうものはないということか。

 逆にNetflixだからこそ映画と同じ監督の藤井道人にしろスタッフにしろより自由に撮ることができたのかもしれない。

 映画版「新聞記者」には甘さがあり、今回のNetflix版はより辛辣な内容という感想をTwitterかなにかで見たが、甘さという点でいえば今回のNetflix版もけっこうそういう部分もある。政治に無関心な就活中の大学生を主要な登場人物に配するところは、ドラマのリアリティさを無化するような甘さを感じさせる。

 ただしあの若者を登場させることが政治的アパシー層に入りやすいように配置されているとすれば、それはけっこう正解かもしれないとは思った。割と人気のある若手イケメン俳優をキャスティングしてる部分など、けっこう狙っているのだろう。こういう甘さとそこに人気俳優を配置するみたいなところがないと、ガチガチな社会告発モノになってしまい、エンターテイメントとしての入り口をかなり狭めてしまう。

スタッフ・キャスト

●スタッフ 
監督: 藤井道人
脚本: 山田能龍、小寺和久、藤井道人
エグゼクティブプロデューサー :坂本和隆、高橋信一
企画・プロデュース: 河村光庸
プロデューサー:佐藤順子、山本礼二
音楽: 岩代太郎
撮影: 今村圭佑
照明: 平山達弥
録音: 根本飛鳥 

●キャスト

米倉涼子
綾野剛
横浜流星
吉岡秀隆
寺島しのぶ
吹越満
田口トモロヲ
大倉孝二
田中哲司
萩原聖人
柄本時生
土村芳
小野花梨
橋本じゅん
でんでん
ユースケ・サンタマリア
佐野史郎 

 監督の藤井道人は映画版「新聞記者」、「ヤクザと家族」しか観ていないけれど、骨太で正攻法な演出をする若手監督だとは思っている。いずれもエンターテイメントとしてもしっかり出来ていてダレることなく観れた。個人的な好き嫌いの部分もあるが「ヤクザと家族」はしょうしょうくさいというか登場人物たちが類型的過ぎるきらいがあるような気がした。

 本作については映画以上にテンポもよくダレ場も少ない。もっとも内容、テーマがまあ普通の日本人ならだいたいは知っているような政治的事件だけに、特に説明的な描写を省いても観る者がついてこれるという部分はあったように思う。

 出演者についていえば、この政治的事件を扱ったドラマで、よくもここまで実力派の役者を揃えられたものだと感心する。映画の「新聞記者」で女性記者役の主演が韓国女優シム・ウンギョンになったのはテーマ的に日本人女優に敬遠されたという話もあった。まあこれが事実かどうかはわからないが。

松坂桃李主演映画「新聞記者」の女性記者役決定が超難航した“理由” | アサ芸プラス

 とはいえテーマとなる政治的スキャンダルについては、政権側と反体制側それぞれに意見、見方が当然異なってくるため、出演するとなるとそれなりのリスクをがある可能性もある。それを考えるといかにネット配信番組とはいえ人気俳優たちの出演はそれなりの勇気がいることだったかとは思う。

 主役の米倉涼子は視聴率を稼ぐことができる国民的女優だ。彼女の当たり役である例の「私失敗しないので」のドクター大門未知子からすると、今回の女性記者役はまったく正反対の役柄かもしれない。ある種のイケイケ感と目力、そういうあくの強さとは異なり内省的な演技を徹底している。そのへんはモデルとなる東京新聞記者のある種のイケイケ感を意識してあえて逆の役作りをしたのかもしれない。

 米倉がこのドラマや役柄について語っていたインタビューを見たが、彼女は自分の役柄はある種の狂言回し的であり、あくまで主演は事件に翻弄される人々であるというようなことを言っていた。ようは総理の意向によって事件を引き起こす若手官僚を演じた綾野剛、公文書改竄を実際に行い、罪の意識に苛まれ心を病んでいく末端の官僚役の吉岡秀隆やその妻を演じた寺島しのぶたちこそ主役であると。

ネタバレ

 この手のドラマ、映画の感想だと必ずネタバレとかそういう話がでてくる。でもこの「新聞記者」についてその手の配慮は無用かもしれない。

 このドラマは5年前に一大政治的スキャンダルとして喧伝された「森友学園問題」を題材にしている。そして登場人物の多くが実在の人物を強く想起させるようになっている。以上、ネタバレでした。

 なので普通にこの国に暮らしている日本人であれば少なくともこのドラマの題材、テーマはだいたいにおいて了解可能ということになる。その中で、なぜ私立学園に国有地が格安で払い下げられたのか、その交渉記録等の公文書が財務省によって改竄されたのか、さらに実際の改竄作業を命じらた末端官僚がなぜ自裁を遂げたのかについて、それらにスポットライトをあてたドラマということである。

 森友学園問題においては学園経営者の特異なキャラクターや運営された私立幼稚園の特殊な教育方針などという派生する様々な題材もあるが、あえてそのへんはすべて捨象し、公文書の改竄がなぜ行われたのか、そしてそうした違法行為が政権中枢の関与によりいかに隠蔽されていったかを大胆に描いている。このへんは政権擁護者たちからは事実無根のフィクションであると批判したいところだろう。

 さらに政権側による情報捜査や隠蔽行為には政府参与という立場で関わるフィクサー的人物が出てくる。この人物が当初海外から帰国し、空港で逮捕直前に上からの指示で逮捕を逃れるところなどは、レイプ犯として告発された総理関連の著作をもちテレビに頻繁に出演していたジャーナリストを強く想起させる。

 具体的なモデルとドラマの登場人物をどうか。5年前の事件なのである程度調べれば、このへんは割と誰でも推定できるかもしれない。もちろんドラマはフィクションであるからあくまで推定だ。

松田杏奈(望月衣塑子)=米倉涼子

栄新学園=森友学園
鈴木和也(赤木俊夫さん)=吉岡秀隆

鈴木真弓(赤木雅子さん)=寺島しのぶ

村上真一(谷査恵子?)==綾野剛

官邸官僚(今井尚哉?・杉田和博?)=佐野史郎

内閣参与(山口敬之?)=ユースケ・サンタマリア

中部理財局職員(美並義人?・楠敏志?・池田靖?)=役者名不明

森友事件について

森友学園問題 - Wikipedia

 わずか5年前の政治的スキャンダルなのにすでに風化してしまっている。しかしこの事件では国有財産の不当なほどの値引きがあり、公文書の改竄があったのに国側で法的に罪を問われた者は誰もいない。大阪地検は一応捜査を行ったが、関係者全員を不起訴としている。そして唯一、近畿財務局で実際に改竄の作業を行い、そのことの責任意識から精神を病んだ赤木俊夫さんだけが自殺という悲劇的な最後を遂げられた。

 それ以外の関係者はというと、ほとんどみな官僚としては出世している。つまりは命じられて違法行為(改竄)を行っても、総理の意向として地方組織に圧力をかけても、事件を捜査しても不起訴の結論を導きだせば、官僚はみな組織上では出世していくということなのだ。

 官僚は没価値的な歯車として行動をすることを義務づけられるとは、官僚機構を論じた社会学者の定義だったか。とはいえそこには高い倫理意識が必要である。そうでなければ命じられるままに究極の不法行為に手を染め、しかもそれに対して「命令されたから」というだけでなんの道義性や良心の呵責をもたないロボットのような役人が生まれてしまう。ナチスドイツにおいてユダヤ人を虐殺したのはそうした倫理性に欠けた優秀な官僚たちだったことを忘れてはいけないと思ったりもする。

 しかしこのリスト、森友問題に関わった官僚たちのその後というリストをみると暗雲たる気分となる。

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昭恵夫人お付き秘書は出世 森友「関係官僚15人」のその後|NEWSポストセブン - Part 2

映画の感想(個人的な思い)

 前述したようにドラマのテンポはいい。ネット配信ドラマでもけっこう当たり外れはあるし、好みによって続けて観るかどうかはある。ただだいたいにおいて成功しているドラマは次から次と観続けるとができるし楽しみになる。成功しているドラマにはお話の面白さや意外性、役者の演技力、演出力など様々な要素が重なっていて、なるほど次から次と観ることが楽しみになる。

 この手のドラマについて多分自分は初心者の部類かもしれない。もともと映画は観る方だけどテレビドラマはほとんど観ていない。ネット配信ドラマを集中して観始めたのは仕事をリタイアしてからだからまだ1年かそこらだ。

 それでもここ1年ではまったドラマは例えばNetflix系でいえば、韓国ドラマの「よく奢ってくれる綺麗なお姉さん」「賢い医師生活」「海街チャチャチャ」など。欧米系では「クイーンズ・ギャンビット」やすでに15シーズン以上になる「グレイズ・アナトミー」など。さらにいえば同じ医療系ドラマでこれも長寿ドラマだった「ER」なども続けて観た。「グレイズ・アナトミー」など一昼夜かけてワンシーンズまとめて観たこともある。

 逆に話題になった「イカゲーム」は途中で断念。「愛の不時着」もとびとびでしか観ていない。ようはドラマとしての面白さがずば抜けていないと意外と続けては観ていられないというところがある。あと演出の出来も意外と影響する。「ER」は初期のものは演出がミミ・レーダーのものはずば抜けて面白かったし意外性のある演出が際立っていたように思う。

 そうした点からいっても「新聞記者」は十分ドラマとしての面白さ、テンポの良い演出力、役者陣の演技力と及第点以上のものがあると思う。どの役者がとりわけ優れているということもなく、また主役の米倉涼子に極端にスポットライトを与えたドラマということではなく、本当にどの役者もきちんと演じている。まあしいていえば悲劇的な最後を遂げる官僚役の吉岡秀隆とその妻寺島しのぶが役に恵まれていたところはあるかもしれない。

 逆に総理夫人付官僚から内調に転じ、権力の走狗として生きることと良心との板挟みで悩み次第に精神が崩壊していく若手官僚を演じる綾野剛の演技は、「ヤクザと家族」に続いてやや過剰気味な部分がある。もちろんその演技に破綻があるということではないけれど。

 ドラマの中ではもっともフィクション性の高い就活中の大学生木下亮を演じる横浜流星も、その真面目な役柄が緊迫したストーリーの中では浮く可能性もあるのだが、意外とすんなりと1ピースとしてうまく嵌っていて、誠実な雰囲気も嫌味となっていない。 同じ就活中で、社会的な常識を身につけていない木下に新聞の読み方を教える女子大生役の小野花梨もどこにでもいそうな、真面目できっと勉強も出来る女子を演じていて好感がもてる。

 いまでは多分ほとんど絶滅しているのではないかと思われる新聞配達のアルバイトをしている大学生という役柄を、横浜と小野はそこそこのリアリティを感じさせるように演じている。格差が広がり、大学生の有償奨学金が問題になる時代であるから、こうした苦学生が社会には多数いるのだろうと思う。そういう意味では、新聞配達の苦学生という設定も一定程度、ようはそこそこのリアリティがあるのだと思うし、そういう設定の上では若い俳優は好演している。

 最後、優等生でそこそこに意識の高い女子学生はコロナ禍、内定を取り消され失意のうちに故郷に帰る。それに対して漫然とした学生生活を送っていて社会への問題意識も希薄だった男の子は、公文書改竄問題に巻き込まれる中で社会性に目覚め、それをきっかけに新聞社への内定を取り付ける。ここにはコロナ禍での就活問題や、就職においても男女差別が顕在化していることなど、若い人にも興味をひくようなテーマ性を取り込んでいたりもする。

 「新聞記者」は単に政治的スキャンダルだけをテーマにしたドラマではないのかもしれない。現在の日本社会の閉塞性自体を、首相のお友達への優遇といった平等性の対極の問題や、権力によって公文書すら改竄され、それが罪にも問われることなくスルーされ、忘れられようとするこの国の病を問題にしているのかもしれない。

 森友問題は5年を経過してすでに風化し忘れられようとしている。関係者は口を閉ざしている。このドラマもドラスティックに悪が追い詰められ裁きを与えらるようなカタルシスは一切ない。しいていえば社会正義に目覚めた若者と自殺した官僚の遺族が国を訴える裁判を起こすところに一抹の希望を感じさせるだけだ。

 しかし現実はというと、国家に対して民事訴訟を起こした赤木さんの遺族は、訴えを認め損害賠償を応諾するという国の奇策によって、真実の明かす道は閉ざされたままとなっている。なぜ赤木さんは公文書の改竄を命じられたのか、それを命じたのは誰なのか、そしてその責任の所在はどこにあるのか。それらを国はけっして明かすことを拒んでいる。

 そういう現実をすでに知る我々にとっては、現実の閉塞性をそのまま投影してこのドラマを観ることになる。そこにはけっしてカタルシスが起こることはない。

公文書改竄の責任

 公文書改竄の責任はどこにあるのだろう。財務省が出した報告では、国会での理財局長の答弁との整合性をとるために改竄が成されたということになっている。ではなぜ理財局長は公文書とは異なる虚偽答弁をしたのか。優秀なキャリア官僚で局長にまでなった者が個人の判断でそういう答弁をするのか、あるいはそれを理由に公文書改竄を指示するのかどうか。

決裁文書の改ざん等に関する調査報告書について : 財務省

 報告書で俎上にのぼった理財局長は国会の証人喚問では刑事訴追の恐れがあるということで証言を拒み続けた。しかしその後検察の捜査により不起訴となったが、その後も一切表に出ることもなく一切の説明を果たしていない。

 企業組織であれ官僚組織であれ、基本部下の責任は上司の責任である。上場企業でも会社内で大きな不祥事が起きればトップの社長が責任を取る。それでは国有財産を不当に値下げして売却し、その交渉記録等の公文書を改竄した財務省で責任を取った者はいるのか。理財局長の上は財務官僚のトップである財務事務次官である。そしてその上司にあたるのは財務大臣であり、その上にあたるのは内閣総理大臣だ。森友問題が発覚したときの財務大臣麻生太郎、総理大臣は安倍晋三である。

 そして誰も実は知るようになぜ公文書の改竄が行われたのか。それはまさに国会答弁との整合性をとるためであった。ただしその答弁は理財局長のそれではなく、当時の総理大臣の国会答弁だったのだ。

「私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい。」

安倍総理の「私や妻が関係していたということになれば、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」発言に関する質問主意書:質問本文:参議院

 

東京富士美術館 (1月13日)

 例によってカミさんがどこかへ行きたい、美術館に行きたいという。美術館を口にすればけっこうな確率で自分が動き出すということを熟知している。寒いのであまり外出したくないのだが、とりあえず家から一番近い美術館へということで東京富士美術館に行くことにする。ここは最寄りの高速道路を使えば30分と少しで行ける。しかも西洋絵画の所蔵についていえば、国内では長期休館中の上野西洋美術館の次くらいのコレクションがある。まあその他でいえばアーティゾンやポーラに匹敵するくらいだろうか。

古代エジプト

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 9月から開催されていた古代エジプト展。一人立ちした子どもも観に行ってけっこう良かったといっていたのだが、なんとなくこの手の博物館ネタはちょっと腰が引ける部分がある。かなり評判だったということも聞いていたので、込み具合も多分そこそこなんだろうなと思ったりもした。ちょっと性格違うけれど、以前富士美で開かれていた刀剣の展覧会の時は駐車場も満杯で、かなり下の方にある臨時駐車場を案内されたことがあった。車椅子だとけっこうな距離を上っていくことになるのでその時は断念した。なので、富士美の人気展覧会で博物館的なネタの時はなんとなく敬遠してしまう。

 今回はというと会期末(1月16日まで)ということで行ってみた。ウィークデイの割にはけっこう人が多い。例の宗教団体関連の招待客も多数いるみたいだけど、まあこれは別の話。

古代エジプト展 天地創造の神話 | 展覧会詳細 | 東京富士美術館

 古代エジプト展については2020年から2021年にかけて二つの展覧会が国内を巡回していたようだ。一つがこの国立ベルリン・エジプト博物館所蔵の「古代エジプト展」。

 そしてもう一つはオランダ、ライデン国立古代博物館所蔵の「古代エジプト展」だ。

 なんで同時期に日本でこういう大掛かりなエジプト展が開催されたのかわからないけれど、ちょっと紛らわしいとは思う。まあ自分は考古学的なものへの興味は割と低いので、展覧会の比較も出来ないし、そもそもエジプト美術等への知識も欠けるので評価もできない。そのうえで今回の国立ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展」に限っていえば、予想以上に面白かった。

 しかしそもそもなぜドイツやオランダに膨大な古代エジプトの発掘品がコレクションされているかといえば、19世紀から20世紀にかけて欧州各国が盛んに発掘競争を行った結果なんだろうと思う。このベルリン博物館のコレクションについても開催概要の中にこんな解説がある。

ベルリン国立博物館群のエジプト博物館とは

ベルリン国立博物館群は、ドイツの首都・ベルリンに流れるシュプレー川に浮かぶ「博物館島」にある5つの博物館を中核とする総合博物館群です。プロイセン王国歴代のコレクションを礎とし、先史時代から現代にいたるまで、世界的な規模と質を誇るコレクションを擁しています。

さらに、第二次世界大戦東西ドイツ分裂の時期を経て、1999年には「博物館島」全体がユネスコ世界文化遺産に登録され、2000年代からは各博物館の改築やコレクションの整理が急ピッチで進められています。

エジプト博物館は、「博物館島」にある5つの博物館のうち、2009年に改修を終えた「新博物館」内にあり、世界で最も有名な女性像の一つとして知られる「ネフェルトイティ(ネフェルティティ)の胸像」を所蔵している博物館として有名です。

紀元前3000年頃の動物の彫像から、古代エジプトに終焉を告げたローマ皇帝の肖像まで、壮大なエジプト史を網羅する同館のコレクションは、17世紀のブランデンブルク選帝侯の所蔵品を発端とし、その後のプロイセン王が主導した発掘や購入により、世界有数のエジプトコレクションとなりました。とりわけ、宗教改革によって個性的な芸術が生まれたアマルナ時代の充実した所蔵品と6万点にものぼるパピルス・コレクションは必見です。

 展示されるコレクションはどれも興味深いが、とにかくそれらがすべて今から2100~3500年くらい前のものだったということに驚かされる。日本でいえば原始的な土器だの埴輪だのが作られていた時代、かくも見事な工芸品や棺などが作られていたというのは、本当に驚異的である。古代エジプト文明の秀逸さを改めて認識させられる。まあそんな当たり前といえば当たり前の感想だ。

 まあそんな優れた文明がローマにやられてしまうわ、その後の2000年の歴史の中でいえばアフリカ北部に位置するエジプトが後進国になってしまうというのは、なんていうか文明の盛衰というのか、そんなものを漠然と思ったりもしてしまう。

 展示構成はというと、古代エジプトの神話と信仰を解説しそれに基づいた展示となっている。

この世界は、天も地もない全くの暗闇で、
ヌンと呼ばれる混沌とした「原初の海」だけが存在していた。

その大海から自力で出現したのが創造神アトゥムである。
初め、アトゥム神は大海の中をただよっていた。

やがて、大海の中から「原初の丘」と呼ばれる小高い丘が出現した。

その丘に這い上がったアトゥム神は
自力で大気の神シュウと湿気の女神テフヌウトを生み出した。

シュウ神とテフヌウト女神は夫婦となり、
彼らの間に、大地の神ゲブと天空の女神ヌウトが誕生した。

しかし、ゲブ神とヌウト女神は片時も離れない。
そこで、父であるシュウ神が2神を引き離し、
天と地を分け、その間に大気が存在することとなった。

その後、ゲブ神とヌウト女神の間には
オシリス神、イシス女神、セト神、ネフティス女神が誕生。

創造神アトゥム、シュウ神、テフヌウト女神、ゲブ神、ヌウト女神、
オシリス神、イシス女神、セト神、ネフティス女神の九柱は
創世神話にかかわる重要な神々として、ヘリオポリスの9柱神と呼ばれる。

第1章 天地創造と神々の世界

第2章 ファラオと宇宙の秩序

第3章 死後の審判

 原初の混沌として無秩序な世界から創造神が生まれ、そこから世界が作られていく。どこの世界でも神話の基本型は一緒だなと思う。キリスト教=聖書にしろ、古事記にしろ、みんな混沌とした世界から創造神によって秩序が生み出されていく。神話の構成は結局、その文化圏における人々の世界認識なり解釈を物語として口述したりテキスト化していく過程だったということなんでしょう。まあこのへんは拙い文化人類学的な知見からの感想だけど。

 この展覧会は基本的には展示物の撮影は全部可だったので、なんとなく興味があるものを幾つか撮った。前述したようにいずれも2100年~3500年も前のものだと思うと、なにかいろんな感慨みたいなものを覚えたりもする。

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常設展示

 栃木県立美術館で富士美のコレクションによる「名画でたどる400年」という展覧会が行われていたのでかなりの名品が貸し出されていたはずだ。この展覧会は12月26日で終了しているので、すでに作品は戻ってきているとはいえまだそれらはおそらく展示されていないだろう。故に現在の常設展示はやや貧弱かなとか適当に思っていたのだが、それは杞憂というべきか、常設展示はけっこう充実していた。

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『煙草を吸う男』(ラ・トゥール

 富士美の目玉的作品の一つでもあるラ・トゥールの『煙草を吸う男』。夜の画家とも評されるラ・トゥールの代表作の一つか。バロック期のフランスの画家ラ・トゥールは作品自体が少ないこともあり、20世紀に入って再評価されるまでは忘れられた存在だったとか。写実性と強調された光と影の表現が特徴的な人でもある。陰翳礼賛という谷崎の言葉はこの画家にこそ相応しいかもしれない。

 

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『ローマ、クィリナーレ宮殿の広場』(カナレット)

 都市景観画(ヴェドゥータ)で有名な画家である。観光名所を描いたいわゆる「おみやげ絵」なんだが精密な写実に優れたこの手の絵がいつ観ても楽しいし、いろんな発見があふれている。犬同士のお見合いなど多分空想的な素材もあふれていて、カプリッチョ(奇想画)の雰囲気もある。

 

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『犬を抱く少女』(フリンク)

 フリンクは17世紀オランダの画家で、レンブラントの工房で助手として働いていたという。レンブラントに影響を受けた画家で、レンブラントの作品といわれていたもので後にフリンク作となったものもあるという。この作品は中央に描かれた少女の生き生きとした表情など、ちょっとレンブラントとは異なる趣がある。いつも観るたびに心動かされるような作品で割と気に入っている。

 

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古代ローマのスタジオ』(アルマ=タデマ)

 もともとはオランダ人でイギリスに帰化した画家で19世紀から20世紀にかけて、主に古代ローマギリシャ、エジプトなどの歴史を題材にした作品で評判となった画家だという。

ローレンス・アルマ=タデマ - Wikipedia

 この作品も古代ローマの工房で絵に見入る人々を描いている。右端のベンチに片膝をついているのは絵の作者だとか。アルマ=タデマのこの絵もどこか心に残る、気に入った作品だ。アルマ=タデマの回顧展みたいなものがあればぜひ行きたいと思うのだが、多分これは少なくとも日本ではないだろうなと思ったりもする。

 と、ここまでが第1室、第3室で興味をひいたもの。第3室はここ半年かあるいはもう少しの期間ずっと近代イギリスの写実的な風景画が主に展示してある。ターナー、ジェームズ・バレル=スミス、ウェイトなどなど。美しく精密な描写でけっこう好きな作品も多いが、さすがに何度も観ていると少し凡庸かなどと思ったりもする。

 そして第5室は印象派とウォーホルなど現代作品がまとめてある。このへんの目玉が栃木に行っているのだろうと思っていたのだが、けっこう目玉的な作品があって少しほっとしたりする。

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マイヨール『春』をバックにマネやルノワールなど

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『海辺の船』(モネ)

 1881年の作品、まさにこれぞ印象派といえるような作品。どことなくヴーダンの影響を見受けられる。小さく配置された人との比較でいうとこの浜辺に乗り上げている舟はけっこう大きなもののようだ。

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『春、朝、曇り、エラニー』(ピサロ

 『秋、朝、曇り』と対になる作品なので『秋~』の方が貸し出されていたりするのだろうか。1900年の作品ということらしいが、点描画法に影響を受けた時期を脱して印象派的画風に回帰した頃の作品かもしれない。これぞピサロ印象主義みたいな感じがする。

 

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『読書する女』(ルノワール

 1900年頃の作品。この時期にはルノワール印象派的な画風から離れ、古典主義と印象派的手法の融合を目指していたという。この作品はその成功例の一つかもしれない。肩と背中を露出させ無防備に読書に熱中するような女性の姿が妙にエロチックでもある。読書とエロティシズム、相反するもののようだが、このポーズは多分狙ってあえてモデルにそういう仕草を取らせたんだと思う。

 

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『散歩』(マネ)

 以前、富士美の学芸員の説明の中で、「当館の看板娘」と評されていたように記憶している。自分的にはマネの代表作みたいに思っているほど気に入っている作品。

 

西洋版画の魅力

西洋版画の魅力展 | 展覧会詳細 | 東京富士美術館

 12月10日から1月30日まで開かれているミニ企画。富士美が所蔵する版画約70点が展示されている。デューラーゴヤシャルダンドラクロワ、ミレー、マネからピカソまで。版画は小品が多いのと、どうしても複製的な印象が強いのであまり興味を持てないのだが、著名な画家たちの作品は興味深く、その魅力を再認識した感じだった。

 画家が版画に興味を持つのは、習作的な部分、その陰翳を含めた表現に作家として興味を示した部分などもあるのだろうと思う。まああとはオリジナルの油彩とは別に、割と簡易に複製が作れることで画家にとっては経済的な効能もあったのかもなど。興味をひいたゴヤドラクロワ、ミレー、マネなどを。

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 そしてここでもやっぱりピカソが最後にもっていくという感じがする。

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『鳩』(ピカソ

最後に

 新年早々の富士美にそこそこ堪能したという感じ。特に「西洋版画の魅力」は思いのほか面白く、30日までの会期に出来ればもう一度来たいと思ったりもした。また2月からは収蔵作品を中心とした「梅村松園 松篁 淳之 三代展」も開かれる予定だという。上村松園・松篁・淳之 三代展 | 展覧会詳細 | 東京富士美術館

 豊富なコレクションから様々な企画展覧会が出来るし、それとは別に古代エジプト展のような巡回展にも加わる。それらも興味深く楽しみな部分もあるのだけど、実をいえば富士美に最も期待するのはそのコレクションの蔵出し一挙大放出のような企画である。

 2017年に開かれた「とことん見せます!富士美の西洋絵画」展。あれは展示規模といいいほとんど西洋美術館を超えるくらいのボリュームのある展覧会だった。出来れば4年に一度くらいああいう蔵出し的な展覧会を開いて欲しいと思ったりもする。あの壁面に三段に展示される名画の数々みたいなのをもう一度、いや一度といわず何度も観てみたいと思う。

ロニー・スペクター死去

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「Be My Baby」で知られるロネッツのリード歌手、ロニー・スペクターが78歳で死去(Rolling Stone Japan) - Yahoo!ニュース

 ツィッターのタイムラインに流れてきて知った。7

 ほぼ1年前、彼女の夫だった有名な音楽プロデューサー、フィル・スペクターがコロナで獄中死した。フィル・スペクターのいわゆるウォール・オブ・サウンズを体現したのがロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」だったこととかを書いた。

フィル・スペクターとBe My Baby - トムジィの日常雑記

 二人の結婚は5年かそこらで破綻したのだが、後にロニーの自伝によれば結婚生活はかなりハードなもので、ロニーはフィルのDVに苦しめられたという。フィルの死に対して寄せたロニーのツィートにはこう記されていた。

He was a brilliant producer, but a lousy husband.

 それから1年、今度はロニーの訃報に触れることになる。とても淋しい気分だ。

 ロニー・スペクター(ヴェロニカ・ベネット)はロネッツのリード・ヴォーカルとして、ポップスのクラシックともいうべき「Be My Baby」「Walking in the Rain」で知られている。

ザ・ロネッツ - Wikipedia

 ロネッツはヴェロニカと姉のエステル、そして従妹のネドラ・タリーによるガールズ・グループだ。ヴェロニカとエステルのベネット姉妹は母親がアフリカ系とチェロキー系のハーフで父親は白人、従妹のネドラ・タリーは母親がアフリカ系とチェロキー系のハーフで父親がプエルトリコ系。ニューヨーク出身の彼女たちはある意味、他民族国家の申し子とでもいっていいのかもしれない。しかし50~60年代のアメリカにあって、母親がアフリカ系とネイティブ・アメリカンのハーフという出自はけっこうハードだったかもしれないなと思ったりモスル。デビュー前に彼女たちがアポロシアターに出演しているというのも、有色人種という出自で歌手を目指すという意味では当然だったのかもしれない。

 パンチの効いたヴェロニカの歌唱力と三人の容姿、ロネッツは多分今日的な意味でいえばアイドルだったのだと思う。キュートなベネット姉妹と美人のネドラ・タリー。特にヴェロニカはオキャンで相狂おしいタイプ、ネドラ・タリーはとびきりの美人である。白人からも黒人からも受け入れられる。さらに三人のファンキーな雰囲気は意外と若い女の子にも人気があったと思う。実際、当時の映像を見ると客席は若い女の子ばかりの印象もある。


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 しかし本当にヴェロニカ=ロニー・スペクターは可愛らしい。

 

 ロネッツ解散後はロニー・スペクターはソロで活動や新たなメンバーをバックにロネッツとしても活動した時期もある。しかしヒット曲に恵まれず、どちらかというと懐メロ的な歌手として過ごしていたようだ。それでも2007年にはロネッツとしてロックの殿堂入りを果たし、レジェンド的な存在でもあった。ロックの殿堂入りに際してプレゼンテーターを買って出たのは、ロネッツのファンであることを公言していたストーンズのキース・リチャードだった。

 ポピュラー・ミュージックのレジェンドとしてのロニーの活躍は多数の動画が残っているので、彼女がレスペクトされる存在だったことは確認できる。


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 この1988年のテレビショーでのパフォーマンスでは、ゴーゴーズのボーカル、ベリンダ・カーライルとジェファーソン・エアプレインのグレイス・スリックを従えての熱唱である。サックスで参加しているのはクレランス・クレモンズである。なんというかクレランス・クレモンズが小僧のようでさえある。

 

 ビーチ・ボーイズの「I can hear music」はもともとフィル・スペクターが作りロネッツが歌ったものをカバーしたものだ。それを知ったうえでこの2000年代の動画を見るとなんとも味わい深いものがある。


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 ロニー・スペクターは結局のところフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドを体現した曲「Be My Baby」を歌ったロネッツのリード・ボーカルという括りで語られていくのかもしれない。それほどこの曲は多くの者に愛され、歌われてきた。そしてこれからもきっと歌い継がれていくのだろうと思う。ロニー・スペクター=ヴェロニカ・ベネット、ロネッツのリード・ボーカルにして60年代の相狂おしいアメリカン・ポップスのアイドル。

 ご冥福を祈ります。

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空白の記事

 雑記にエクセルファイルを張り付けるため、htmlで編集をやろうとしたんだけど、スキルがまったくない。エクセルファイルは400行くらいのデータだけど、htmlに変換すると7000行くらいになる。しかもデータが左寄せになってしまう。

 はてな記法の  <div align="center"></div> とか、

一般的(?)な

div.left {

 text-align: left; 

}

など試してみたけどなんかうまくいかない。まあ知識不足なんだけど、数行ならいいが7000行となるとどうしていいのか。ブロックとかまったく理解しないまま見よう見真似でやってるから立ち往生する。

 ということで全部削除して終わらせたつもりだったのだが、どうやらそのまま投稿してしまったみたい。

 ゼロからHTML勉強しようかなとか思ってはいるんだけど、敷居が高すぎるような気がする。まして還暦過ぎのジイさんだしね。

 ということで空白記事の顛末でした。

2021年の物故者

 去年もやったので(2020年の物故者 - トムジィの日常雑記)、2021年の物故者を振り返ってみる。朝日新聞12月30日朝刊16面、17面「2021年あの日」の亡くなった方々から。

1月7日 トミー・ラソーダ(93)

1976年から1996年までロサンゼルス・ロジャースの監督を務めた人である。特に81年のワールド・シリーズ制覇はなんとなく覚えている。多分一番メジャーリーグに関心があった頃だ。スティーヴ・ガービー、ロン・セイ、レジー・ジャクソン、新人ヴァレンゼエラなどなど。

1月12日 半藤一利(90)

歴史家の代表みたいにいわれてるけど、基本この人は文藝春秋の編集者だと思う。自分らが若い頃は『日本の一番長い日』は大宅壮一編だったけど、実質的にはこの人がまとめたもので、いつの間にかこの人の仕事ということが一般的になった。

1月22日 ハンク・アーロン(86)

1974年、ベーブ・ルースが持っていた大リーグ通算本塁打記録714本を抜いた。そして76年に通算本塁打755本で現役生活を終えた。この記録は翌年(77年)に王貞治によって破られたが、あの時の喧騒をよく覚えている。

2月5日 クリストファー・プラマー(91)

サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ大佐である。往年の二枚目スターであり様々な映画で準主役、脇役として活躍した。この人がアカデミー賞助演男優賞に輝いたのは2010年の「人生はビギナーズ」。末期がんの老人で独身の息子ユアン・マクレガーに自分がゲイだとカミングアウトする役だったか。当時80歳、トラップ大佐の面影がないくらいにおジイサンになっていたっけ。

2月8日 森山周一郎(88)

テレビ放映される吹き替映画の声優として欠くことの出来ない存在だった。テリー・サバラスチャールズ・ブロンソンは常にこの人だったな。

2月9日 チック・コリア(79)

「リターン・トゥ・フォーエバー」。あのカモメのジャケットとエレピ。かってジャズ喫茶でこのアルバムがかかると憤然として席を立つファンも多かった。

3月24日 田中邦衛(88)

いつのまにか国民的俳優になってしまったけど、自分にとっては永遠の青大将だった。

3月26日 沢村忠(78)

キックの鬼、必殺「真空飛び膝蹴り」。60年代後半から70年代初頭にかけてキックボクシングが毎週7時台にテレビ放映された時代、この人は国民的人気を博したスーパースターだった。

4月3日 田村正和(77)

坂東妻三郎の息子で俳優として長男の田村高廣、弟の田村亮とともに「田村三兄弟」といわれた。父親に一番似ていたのは長男の高廣、正和は豪放な父親と違い細面な二枚目だった。

4月9日 エディンバラ公フィリップ殿下(99)

エリザベス女王の夫というだけの存在として記憶される人。そのエリザベスももう95歳、在位69年になる。

4月30日 立花隆(80)

「知の巨人」と呼ばれるが、「田中角栄研究」のイメージがあり、ずっとジャーナリストという風にとらえていた。「田中角栄研究」の後は「日本共産党の研究」や「革マル・中核」などを次々と出し、左翼というものを判りやすく国民に了解可能なものとして提示してみせた。その後の「脳」、「臨死体験」などサイエンス・ライターとしての活躍については自分はほとんど読んでいない。

5月5日 富永一朗(96)

漫画家、「チンコロ姐ちゃん」などがある。この人は漫画よりもテレビ番組「お笑いマンガ道場」の出演者・回答者として人気があったという記憶がある。

5月30日 小林亜星(88)

CMソングの作曲家。やっぱりドラマ「寺内貫太郎一家」の印象が強いか。

6月21日 原信夫(94)

日本のジャズバンドの草分け原信夫とシャープ&フラッツのリーダー。紅白歌合戦での伴奏などで有名だけど、60年代は様々な歌番組で演奏していたような記憶がある。

7月28日 江田五月(80)

父親江田三郎の急死により裁判官から政治家に転身し、社民連日本新党民主党などで活躍した。父親同様に社会民主主義構造改革派の人だったと記憶している。

7月31日 サトウサンペイ(91)

朝日新聞四コマ漫画フジ三太郎」の連載を1965~1991年と長期で連載した。

8月7日   みなもと太郎(74)

みなもと太郎は朝日の「亡くなった方々」に載っていない。でも自分にとっては今年亡くなった方の中でも最重要な人物だった。

さらば みなもと太郎 - トムジィの日常雑記

 8月17日 笑福亭仁鶴(84)

関西落語の重鎮。かってはラジオの深夜放送のDJや若者向けの公開バラエティ「ヤングおー!おー!」などで若者に人気があった。落語家でDJをやるということでは三枝とこの人がはしりだったかもしれない。

8月19日 千葉真一(82)

キイハンター」、アクションスター。「仁義なき戦い 広島死闘篇」の粗暴なヤクザ大友勝利が一番印象的。

8月24日 チャーリー・ワッツ(80)

ローリング・ストーンのドラマー。ビートルズサウンドを支えていたのがリンゴのドラムだとすれば、間違いなくストーンズチャーリー・ワッツのドラムなくして成立していなかったか。

 9月6日  ジャンポール・ベルモンド(88)

多分、60年代にはアラン・ドロンを遥かに上回る人気俳優だった。ゴダールの「勝手にしやがれ」「狂気いピエロ」に出演。ヌーベル・バーグの代表的なスター俳優だった。

9月7日 色川大吉(96)

日本近代史の大家、自由民権運動など民衆史はこの人によって確立したともいえる。

色川大吉先生逝く - トムジィの日常雑記

9月24日 さいとう・たかを(84)

ゴルゴ13」、「サバイバル」、「無用ノ介」などなど。自分が少年時代に愛読したマンガ家がほとんど鬼籍に入ってしまったんだなという淋しさが募る。

9月30日 すぎやまこういいち(90)

東大卒、フジテレビのディレクターを経てマルチな作曲家に。主にタイガースへの楽曲提供を覚えている。晩年はネトウヨというか反動的な言説で知られ、なんとなく晩節を汚してるような気がした。

10月7日 柳家小三治(81)

小さんを継がず小三治のままで終わった。小三治という中堅どころの名跡を大名跡にしたのはこの人だったからこそか。自分が10代から20代、落語をよく聴いていた頃に活躍していた人が亡くなるのは淋しい。

10月8日 白土三平(89)

漫画界の巨人だった。「忍者武芸帳影丸伝」、「サスケ」、「真田剣流・風魔」、「カムイ伝」、「カムイ外伝」など。今でも時々読み返している。

10月12日 中根千枝(94)

社会人類学者。講談社現代新書『タテ社会の人間関係』はロングセラーだった

10月18日 コリン・パウエル(84)

黒人初の参謀総長そして湾岸戦争を指揮し後に国務長官を務めた。共和党系でこの人が初の黒人大統領になるかと思わせた時期もあった。

10月29日 太田淑子(89)

声優の草分けの一人。「ひみつのアッコちゃん」か。

11月9日  瀬戸内寂聴(99)

実はきちんと読んでないかも。ドロドロとした恋愛ものが多かったような印象。尼さになってからは実はあまり関心がなかった。

12月8日  古谷三敏(85)

BARレモンハート」、「寄席芸人伝」など、何度読み返しただろうか。

古谷三敏死去 - トムジィの日常雑記

 

まだら認知症について

 妻が脳梗塞を発症したのは40代半ばで、片麻痺高次脳機能障害となってから16年が経過している。当初から40代の障害者が受けられるサービスはほとんどなく、65歳未満でも介護保険サービスが受けられる16の特定疾病の一つ脳血管疾患ということで、ずっと介護保険サービスを受けている。リハビリ主体のデイケア、入浴などのデイケアなどだ。通所でそうした施設に行っても、周囲は30以上も年齢が上の高齢者ばかりだったので、最初はかなり違和感を感じ、出来ればやめたいという話をよくしていた。

 昨年、ようやく還暦を迎えたけれど、今でも周囲の利用者は70代後半から80代が中心で、90代以上も沢山いるという。多くの方が認知症を抱えているのであまりコミュニケーションが取れないという。その中でも比較的しっかりしている人とはよく話をしているという。そういう方は多くの利用者の中でも数人だという話。

 いつも入浴の時に一緒になるけいこさん(仮称)は、80代のおばさんで品があり割合しっかりしている人だ。数年前にダンナさんを亡くされ、今はマンションに一人暮らしだという。いつも気持ち良さそうにお風呂に入りながらこんなことを言う。

「お風呂は気持ちいいわね。いつもこんな広いお風呂に入れて本当にありがたいわ」

 少し前のこと、けいこさんは入浴の時いつものような話をしたあとでこんなことを言い始めた。

「お風呂は気持ちいいわね。いつもここでお風呂に入るから家で入らなくてもいいんだけど、夫がいるからお風呂沸かさなくちゃいけないんだよ」

 妻は、あれけいこさんのダンナさんは亡くなっているはずだけどと思った。そんな会話が何度か続いたある日、同じように家でもダンナさんのためにお風呂を沸かしているとけいこさんが言い始めると、たまたま一緒になった別のおばあさんがけいこさんの間違いを指摘した。

「あれ、けいこさん、もうダンナさんいないじゃない」

するとけいこさんはこう返事した。

「いるよ、夫は。あっちにもこっちにも」

「え~、なにそれ」

 妻は別の日に職員とけいこさんの話をした。職員の話だと、けいこさんは午前中は割としっかりしているらしいのだが、帰宅時間の頃になると言うことが支離滅裂になることが多いのだとか。帰りの車の中でも「どこへ連れて行くの」みたいなことを言い始めるのだとか。職員はそれを「まだら認知」だと言っていたとか。

 まだら認知症とは文字通り認知の症状がまだらに現れるものだという。

まだら認知症とは、その名の通り認知症の症状が「まだら」にあらわれることを言います。脳血管性認知症に含まれますが、あくまでも症状の呼び名であって、認知症の種類ではありません。

脳血管性の認知症によくみられる「物忘れはあるけど理解力は問題ない」「同じことができる時とできない時がある」など、症状に波があることが特徴的です

【医師監修】まだら認知症とは?症状や脳血管性認知症との関係性・予防法まで解説|サービス付き高齢者向け住宅の学研ココファン

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【知っておきたい】まだら認知症|LIFULL介護(旧HOME'S介護)

 

 一人暮らしのけいこさんが帰宅後、本当にお風呂を沸かしているのかどうかわからない。妻の話を聞いていて、旧式のガス釜の風呂だと火をつけっぱなしにしたら危ないなとか思ったりした。マンションの自動湯沸かしタイプだと湯が溜まるだけだから多分問題はないのだろう。

 時間によって症状の程度に差が出るのは、まだら認知の例のごく一部だという。さらにいえば引用したサイトにあるように、認知症の中にまだら認知症という種類があるわけではなくあくまで症例としてあらわれるということらしい。それは脳血管性認知症の一つの症例であるということだ。

 脳血管性障害のダメージにより脳の機能が低下。ダメージを受けなかった部分の機能は健在となるため、認知症状がまだらに起こる。妻の病気とずっとつきあってきているので、脳血管疾患に起因する障害が様々であることは知っている。妻の場合は右側頭葉と前頭葉に大きな梗塞巣があり、それによって左下肢、左上肢の機能は全廃している。ただし言語機能は問題はないし、嚥下障害もない。記憶についても短期記憶、長期記憶ともに問題はない。ただし注意障害についていえば、幾分反側無視があるのと注意の転換がうまくいかないことがある。

 高次脳機能障害については発症当時はかなりひどい状態だったが、急性期リハビリがうまくいったのか症状はだいぶ改善されている。それは15年経ってもほとんど変わらない。つまり悪くはなっていないということだ。でも、脳血管疾患により脳にダメージを受けているだけに、いつ認知症状が出てくるかわからない。

 もっとも認知症についていえば、還暦を遠に過ぎた自分だっていつそういう症状が現れるかわからない。こればかりは神のみぞ知るというところだ。朝、普通に話をしていたり、午前中に新聞を読んだり本を読んだりしていたのに、午後になると自分が何をしていたのか、あるいは自分がどこにいるのかすらわからなくなる。そういうことがいつ起きるかどうかわからない。高齢者にはそういう可能性がいつもあるということをどこかで覚えていた方がいいのだろうと思う。

リトル・シングス(The Little Things)

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https://www.netflix.com/title/81267316

リトル・シングス | Netflix

 Netflixの視聴ランキング上位にあったので観た。アカデミー賞受賞の名優デンゼル・ワシントンラミ・マレックジャレッド・レト共演ということで期待してみたのだが、これはちょっと期待外れというか、率直にいって面白くなかった。ラストを含めてモヤモヤとした後味の悪さ、中盤でのもたつきというかテンポも良くない。正直、途中で眠くなった。一部寝落ちして巻き戻したくらいだ。

90年代のロサンゼルスで、連続殺人事件の解決に向け、ある刑事と協力することになった保安官代理。だがそんな2人の関係が、捜査を思わぬ方向へと導いていく。

リトル・シングス - Wikipedia

 カルフォルニア州カーン郡の副保安官(デンゼル・ワシントン)は情報の受け渡しのためロサンゼルス郡の保安局に向かう。そこは彼が以前殺人課に勤務していた場所でもあり、彼の後任の刑事(ラミ・マレック)に協力して当地で発生した若い女性ばかりを狙う連続殺人事件の捜査にあたることになる。捜査の過程で容疑者(ジャレッド・レト)が浮かぶが、容疑者は捜査をあざ笑うかのように、ワシントンやマレックを翻弄していく・・・・・・。

 この映画を理解するには保安官というか、アメリカにおける郡という地方行政組織についての理解が必要かもしれない。そうでないとカーン郡やロサンゼルス郡の保安局というものがよくわからない。途中までデンゼル・ワシントンはカーン郡という田舎からロス市警に派遣されたような気がしていた。つまりワシントンはかってロス市警の敏腕刑事で、その後釜がラミ・マレックだと、そんな認識だったのだが、どうもこれが違うみたいで、ロス市警よりも上部機関であるロサンゼルス郡保安局の刑事であったということのようだ。

 アメリカの郡というのはどういうものか。

郡 (アメリカ合衆国) - Wikipedia

 郡は州と基礎自治体(市や町)との間にある行政区分組織ということになる。そこにはそれぞれの郡で保安官とその下に警察組織を持っている。保安官というと我々のイメージは西部劇におけるマーシャルや地方の警察組織をイメージし、保安官=田舎の警察署長兼警察官みたいな風に考えるが、保管官は警察組織の長というのが実際のようだ。

アメリカ合衆国の警察 - Wikipedia

郡保安官
郡ごとに、法執行官の長として配された保安官。本来的には「シェリフ」と称されるべきであるが、上記の経緯より「マーシャル」や「コンスタブル」と混用されていることも多い。通常は、住民による選挙で選ばれる単独の公選職であるが、これだけでは手が回らないため、指揮下に警察組織を編成して、実業務はこちらに代行させることが多い。この指揮下の人員は、保安官補(deputyないしassistant; 保安官助手とも)と称されるのが通例である。ただし大規模な組織では警察式の階級制度を導入していることもあり、この場合は、実態としては自治体警察とほぼ同様である。

本来的には、地域の一般警察業務を一手に担い、管内における下記のような法執行業務の全てを所掌することになっている[8]。

治安の維持と犯罪の捜査
拘置所・矯正施設の管理
裁判関連事務
しかし実際には、郡の統治機構の発達に伴って、これらを専門に所掌する組織が分離独立している場合も多くなっている。またアメリカ合衆国では、国土がくまなく郡に分割されているが、都市部などある程度の人口が集まった地域では自治体が立ち上げられている場合が多く、自治体の多くは自らの自治体警察を設置している。この場合、郡保安官は自治体が立ち上げられていない非法人地域や、自治体は発足しているが警察を保有しない地域を管轄することになり、日本にかつて存在した国家地方警察に近い性格となっている[8]。

現在、3,500ほどの郡保安局/保安官事務所があり、郡保安官のみ1名の事務所から、ロサンゼルス郡のように18,000名もの職員がいる大組織まで、規模は多彩である。警察組織の拡充により仕事量は大幅に減っており、郡保安官そのものを廃す州もある一方で、市の財政難から市警察を廃し、郡保安官に警察業務を返戻する事例もある

 ロサンゼルス郡保安局の職員は18000名!である。だから映画の中でその刑事であるラミ・マレックがテレビを入った記者との会見を開いていたりする訳だ。これは日本でいうと、保安局=県警もしくは警視庁、市警察は所轄みたいなそういう括りかもしれない。ということで同じカルフォルニア州にあるカーン郡の副保安官が、大都市ロサンゼルス市を管轄するロサンゼルス郡の保安官の捜査に協力するというのが、この映画において最低限の予備知識となるのかもしれない。と、ここまで学習終了。

 連続殺人事件の捜査は難航を続け、カルフォルニア州内での事件ではあるが、より広域的な捜査が可能なFBIが担当する可能性がでてくる。そうなると郡保安局はFBIの管理下におかれる。その前に事件を解決したいという現場の刑事たちの焦りが事件の伏線となる。そこに浮かび上がってきた、いかにも怪しいサイコキラー的な容貌、言動を供えた容疑者ジャレット・レトの登場。彼が捜査を攪乱し、マレックやワシントンらの焦りは最高潮にまで達する。そして事件はさらなるアクシデントに見舞われて・・・・。

 黒人のベテラン刑事と若手敏腕刑事による猟奇殺人事件の捜査、20年前だったらこの役はモーガン・フリーマンブラッド・ピットだったなって、それは『セブン』か。誰もがそれを思うかもしれないけど、映画のテンポ、展開、猟奇度、ショッキングなラストと、どれもが『セブン』の方が上だと思う。逆にいえば『リトル・シングス』そのどの部分も中途半端。

 まあしいていえば、デンゼル・ワシントンの演技力だけに期待し、それだけを確認する映画のような気もする。ラミ・マレックはというと、少なくともこの映画の演技については判断保留。別に彼でなくても良かったかもしれない。その意味では、ジャレット・レトも同様。せっかく猟奇的な風貌に仕上げ、意味深な演技するけど、別にだからどうなのみたいな感じ。

 Netflixでの視聴ランキングで人気作、主役陣が豪華みたいなことで観るとけっこうがっかりするかもしれない。まあこの主役陣でこれ、みたいなガッカリ感は正直ある。最後に、捜査にミスもあれば、刑事も人だから焦りや緊張からとんでもないことしでかすことだってある。そして警察はよくも悪くも身内の不祥事は組織的に隠蔽する。これは一般的にみて多分正しい。