リプシュタット博士の講演

 Twitterのタイムラインに流れてきた。映画「否定と肯定」のモデルでもあるデボラ・E・リプシュタット博士の講演である。タイトルは「Behind the lies of Holocaust denia」。

www.ted.com

 丁寧に日本語字幕もあり、またYuko Masubuchiという方がテキストの翻訳もされている。その中で心に残ったのは、以下の言葉だ。

「彼らの嘘を事実と同列に扱ってはいけません」

「相対的な真実などありません」

「最も重要なことは真実と事実が『攻撃』されているということです」

 リプシュタット博士の著作は文庫になっている。

 

否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる闘い (ハーパーBOOKS)

否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる闘い (ハーパーBOOKS)

 

 映画の方はこちら。

 

否定と肯定 [DVD]

否定と肯定 [DVD]

 

  最期に自分へのメモとしてYuko Masubuchi氏の翻訳をあげておく。

ホローコースト否定論の嘘の背後にあるもの

Behind the lies of Holocaust denial (Deborah Lipstadt | TEDxSkoll)

 

デボラ・E・リップシュタット

Translatedby Yuko Masubuchi

Reviewed by Riuška Poništova

 

 今日は皆さんに「嘘つき」と「訴訟」と 「笑い」の話をします。 ホロコースト否定説について初めて聞いた時、私は笑ってしまいました。ホロコーストの「否定」ですって? 大量虐殺事件の中でも世界一記録が充実している、悪名高きあのホロコーストを否定して一体誰が信じるのでしょう?

  考えてみてください。もしも否定者らが正しいなら、誤った証言していることになるのは誰でしょうか? まず犠牲者が挙げられます。自らの悲痛な体験を証言した生存者たちです。 他には誰がいるでしょう? 目撃者です。東部戦線の数多ある街や村や都市の住民が目の当たりにしたのは、隣近所に住む人々が老若男女問わず一斉に検挙され、街の外れまで連行された揚げ句に銃殺され野ざらしにされる姿でした。そしてポーランド人もです。絶滅収容所近郊の町や村に住んでいた彼らが、毎日のように目にしたのは大勢の人を詰め込んだ列車が収容所へと向かい、空っぽになって戻る光景でした

  しかし何よりも重大な誤証言は、誰のものになるでしょう? 加害者たちです。こう証言する人々です。「我々がやった」、「私がやった」、こんな一言が続くかもしれません。「やむを得なかった、強要されたんだ」。それでもやはり「私がやった」とは言うのです。

 考えてみてください、第二次世界大戦終結以降の戦争犯罪裁判において、「そんな事実はない」と言う戦争犯罪者は 、どの国にもいません。「やらされた」とは言っても 、「なかった」とは言いません。その時は じっくり考えた結果、この件は放っておくことにしました。私には研究や論文や心配事などもっと大事なことがあるしと、気持ちを切り替えました。

 それから10年と少し経った頃、2人の偉い学者から-ホロコースト研究で最も著名な歴史学者である2人ですが― 声をかけられました。

「一緒にコーヒーでもどうだい? 君にぴったりな研究課題があるんだが」

 私を見込んでわざわざ課題を持ってきてくれたことに、好奇心と自尊心をくすぐられて「どんな内容ですか?」と尋ねました。

ホロコースト否定説だよ」

 笑ったのはこれが2度目でした。ホロコースト否定説? 地球平面説の類? プレスリー生存説みたいな? そんなこと言っている人たちを調べろと? するとこう言われました。

「そうとも 興味があるんだ 一体 何者なのか? 何が目的なのか? どうやって人々を納得させているのか?」

  そこでこう思いました。教授たちが調べる価値があると考えるなら、ちょっとの間、気晴らしにやってみよう。1年か2年、長くてせいぜい4年、学術界では数年は「ちょっとの間」ですから。

  学者は仕事はとっても遅いのです

 よし調べてみようと思い、研究を始めました。その結果、いくつかの結論を導き出しました。その中の2つを皆さんにお話しします。

  1つは、否定者は「羊の皮を被った狼」であるということです。本質はナチスやネオナチと同類です。「ネオ」を付けるかどうかはお任せします。ただ見た限りでは、ナチス親衛隊のような制服を着ているわけでも、壁に「かぎ十字」があるわけでもなく、ナチス式敬礼「ジークハイル」をやる人もいませんでした。代わりに出てきたのは、いかにも立派な学者さながらに振る舞う人々でした。

  彼らには何があったかというと、研究所を作っていました。その名も「歴史見直し研究所」、一見、それらしい機関誌も出していました。『ジャーナル・オブ・ヒストリカルレビュー』、脚注のびっしり入った論文が詰まった機関誌です。

 新たな呼び名までありました。「ネオナチ」ではなく、「反ユダヤ主義者」でもありません、「修正主義者」です。口上はこうです、「我々は修正主義者である。我々の目的はただ1つ、誤った歴史認識を修正することだ」。

 しかし、うわべをはぎとり少し内側を覗くと、本性が見えます。何が見えたと思います?当時と変わらぬヒトラー賛美に、第三帝国反ユダヤ主義、人種主義や偏見への賞賛でした。関心を惹かれたのはそこでした。反ユダヤ主義、人種主義、偏見が、いかにも理性的な説の姿を装っていたのです。

  もう1つ発見したことがあります。私たちはよく、物事には事実と見解がある、という考え方を教えられます。しかし否定者たちを研究してから考え方が変わりました。「事実」があって「見解」があり、そして「嘘」があるのです。否定者たちのもくろみはこうです。まず自分たちの嘘を「見解」として装います。例えば「斬新な見解」や「型破りな見解」といった調子です。しかしその後、これは「見解」だから議論すべきだと言ってきます。その後否定者たちは事実を歪めます

  私は研究内容を本にして出版しました。『ホロコーストの真実―大量虐殺否定者たちの嘘ともくろみ』、この本は世界各国で出版されました。ここイギリスでは、ペンギンブックスから出ました。出版社とのやりとりも済んで、次に移ろうとしていた時です。ペンギンブックスから手紙が届きました。

 私は笑ってしまいました。これで3度目でした。実は笑いごとではなかったのですが、封筒を開けるとデイヴィッド・アーヴィングがホロコースト否定者と呼ばれたことに対して、イギリスの法廷で私を名誉毀損で訴えようとしているという知らせでした。

  私を訴えるというデイヴィッド・アーヴィングとは何者でしょうか?デイヴィッド・アーヴィングは歴史著述家です。著書のほとんどは、第二次世界大戦についてです。著書のほぼ全てにおいて展開している主張が、ナチスは実はそんなに悪ではなく、連合国は実はそんなに善ではなかった、というものです。ユダヤ人に何が起きたにしても、まあ自業自得だったのだという主張です。証拠資料があることも承知で、事実を知りながらもどうにか歪めて、こういった結論を出していたのです。昔から否定者だった訳ではありません。

 しかし80年代後半に、否定説を非常に精力的に支持するようになりました。

  私が笑ってしまったのは、この男がホロコーストを否定するだけでなく、否定説に誇らしげだったからです。こんなことを言った男です。「私が戦艦アウシュビッツを沈める」。さらに生存者の腕に掘られた数字のタトゥーを指さして、「その腕のタトゥーで今までにいくら稼いだ?」と言い放った男です。

 こんなことも言った男です。「ケネディ上院議員のチャパキディック事件の犠牲者は、アウシュビッツガス室の犠牲者よりも多い」。これはアメリカの事件ですが、事実かどうかは調べてみてください。まったく恥も外聞もなく、ホロスコートを否定していた男です

  さて、たくさんの学者仲間にこう忠告されました。「そんな奴、相手にするな」と。名誉毀損訴訟は無視できないと説明すると、「一体誰が彼を信じるというのか」と言われました。しかし問題がありました。イギリスの法律では、被告つまり私の側に立証責任があるのです。自分が言ったことが真実だと、証明しなくてはなりません。これとは対照的に、アメリカやその他多くの国々であれば、原告側である彼に立証責任があります

  つまりこういうことです。私が戦わなかったとしたら、自動的に彼の勝訴になるのです。そして彼が勝訴した場合、こんなことを言っても正当な主張になってしまいます。「デイヴィッド・アーヴィング版ホロコーストは正規の見解である。デボラ・リップシュタットは私を否定者と呼び、これには名誉毀損が成立した。したがって私デイヴィット・アーヴィングはホロコースト否定者ではない」。

 アーヴィング版とはこんな内容です。「ユダヤ人虐殺計画は存在しなかった。ガス室も存在せず、銃による大虐殺もなかった。ヒトラーはこの惨劇に一切関連していない。これらは全てユダヤ人のでっち上げである。ドイツ人から金をせしめ、ユダヤ人国家を作るのが目的だ。ユダヤ人は連合国の支援と協力の下、資料や証拠をねつ造したのだ」。

  これを黙認してしまったら、生存者や生存者の子供たちに顔向けができないと思いました。これを黙認してしまったら、歴史学者として失格だと思いました。というわけで戦いました。映画『否定と肯定』をまだ観ていない人は、ネタバレ注意ですよ。

 私たちが勝ちました

  判決はこのような内容でした。「デイヴィッド・アーヴィングは嘘つきであり、人種差別主義者であり、反ユダヤ主義者である。偏向した歴史観を持ち、嘘を並べ、真実を歪めた。そして最も由々しきことに、これを意図的に行った。」

 私たちが示したパターンは、25件以上の目立った実例から導き出されました。些細な誤りではありません。会場には執筆経験のある方も多いと思いますが、間違いはつきものです。だから再版はありがたいのです。誤りを修正できますからね。

  しかしこのケースでは、どの例も方向性は同じでした。ユダヤ人を非難し、ナチスの無実を主張するものです。

  ではどうやって勝ったかというと、アーヴィングの脚注を辿り、情報源を突き止めたのです。こうして判明したのは何かというと、大多数の事例でも、圧倒的多数の事例でもなく、何らかの形でホロコーストに触れていた全ての事例において、証拠であるとされたものは歪められており、部分的な真実であっても日付は書き換えられ、順序は並べ替えられ、議事録には出席してもいない人物が加えられ、つまり証拠など存在しなかった、ということです。出された証拠では証明にならなかったのです。

 私たちは「何が起きたか」ではなく、アーヴィングが事実であると主張した内容も、ついでに全ての否定者の主張も-アーヴィングが彼らを引用するか、逆に引用されるかのどちらかですから-誤りだと証明しました。彼らの主張を立証する証拠がなかったのです。

  さて、私の話は単なる物語にとどまりません。奇特な6年にもわたる長く困難な訴訟の物語-アメリカ人の大学教授が、法廷闘争に引きずり込まれ、相手には「ネオナチの論客」という判決が下る-そんな物語では終わりません。

 どんなメッセージがあるのか?真実とは何かという話においては、実に重要なメッセージが込められています。なぜなら現代では皆さんご存知のように、真実や事実は言わば「攻撃」を受けているからです。ソーシャルメディアが様々な恩恵をもたらしながらも、同時に招いてしまった事態があります。「事実」、それも客観的な既成事実と「嘘」との違いがなくなり、同列になってしまったのです。

  そして3つ目が過激主義です。KKKの白装束という形や十字架を燃やす儀式としては表れず、あからさまに白人至上主義者的な言葉さえ聞かないかもしれません。「オルタナ右翼」や「国民戦線のように呼び名は様々ですが、しかし根底にはいかにも理性的な説を装うホロコースト否定説に見られたものと同じ過激思想なのです

  今の時代、言ってみれば「真実」は「防御態勢」にあります。最近、『ザ・ニューヨーカー』に載った- クイズ番組を題材にした風刺漫画を思い出します。司会者が出演者の1人に言います。「はい、あなたが正解です。でも対戦相手の方が 大声で叫んだので 彼のポイントになります」。

  私たちには何ができるのか? まず始めにもっともらしい見た目にだまされないこと。その下の中身に目を向ければ、過激主義が隠れているのです。そして次に 「相対的な真実」など存在しないと理解しなくてはなりません。3つ目に、私たちは「攻め」に回らねばなりません。「守り」ではいけません。誰かが荒唐無稽な主張をしてきたら、相手がその国で一番偉い立場の人だったとしても、世界一偉い人だったとしても言わねばなりません。「証拠はあるのか?根拠は何なのか?」言質を問わねばなりません。彼らの嘘を事実と同列に扱ってはいけません。

  先ほども言いましたが、相対的な真実などありません。私たちの多くが、高等教育を受け、良識あるリベラルな世界で育ち、何にでも議論の余地があると教わりました。しかし、それは間違いです。確実に真実であるという物事は存在し、紛れもない事実や客観的真実もあります。何世紀も前にガリレオが教えてくれたことです。地球が太陽の周りを回っているという持説をバチカンに無理やり撤回させられた後も、彼は意見を表明しました。何と言ったと伝えられていますか?

「それでも地球は回っている」。

 地球は平らではありません。気候は変動しています。プレスリーが生きているわけありません。

  最も重要なのは、真実と事実が「攻撃」されているということです。私たちの目の前にある-私たちに課された-目前に迫る困難は重大です。戦える期間は短いのです。今、行動しなければなりません。後からではもう手遅れなのです

  ありがとうございました。

 

偕楽園で梅を観る

 美術館の後、せっかくなので近接する偕楽園に行っていることにした。そうちょうど梅が見ごろなのである。

www.ibarakiguide.jp

 偕楽園から道路を隔てた駐車場はかなり混んではいたけど、3時過ぎということでなんとか入ることができた。そして歩道橋を渡って偕楽園へ。

f:id:tomzt:20190317171120j:plain

 ここは去年9月にも来ているのだが、もう夕方だったのでガラガラだった。

 そして梅林に行くにはかなり急な坂道を行かなくてはならない。

 これは去年取ったものだけど、こんな注意書きも。

f:id:tomzt:20190321201724j:plain

 車椅子の場合は二人以上いないと登るのが困難なんである。去年は割と余裕だったんだが、今年はけっこうきつかった。途中でゼイゼイ、バクバクみたいな感じだった。わずか半年くらいなんだけど、けっこう体力落ちているのかもしれない。まあ62歳だし、とりあえず登りきったことを良しとすべきか。

 そして梅林はというと、けっこう遅い時間だったけどかなりの人手。梅というと埼玉だと越生の梅林あたりが有名だけど、まあ広さ的にはさほど変わりはない感じ。ただし遊歩道の整備された感じとかはさすが名所水戸という感じで、偕楽園のほうが良い風。

f:id:tomzt:20190317172000j:plain

f:id:tomzt:20190317164351j:plain

f:id:tomzt:20190317163431j:plain

f:id:tomzt:20190317163159j:plain

 なんだかんだで2時間近くぶらぶらとして過ごす。まあカミさんには美術館よりもこっちの方が楽し気だった模様。

茨城県近代美術館へ行く

 前日の日光から一転、水戸に来た。去年も一度来た茨城県近代美術館に来るためだ。目玉ともいうべき蔵出しの企画展をやっている。

茨城県近代美術館名品展ザ・ベストーモネ、ルノワール、大観から靉嘔まで」

http://www.modernart.museum.ibk.ed.jp/images/exhibition/kikaku/201901/press_thebest.pdf

次回企画展 | 展覧会 | 茨城県近代美術館 | The Museum of Modern Art, Ibaraki

 ここはモネやクールベの作品も収蔵しているが、なんといってもご当地の大家である横山大観の作品を多数コレクションしている。さらに日本美術院の北茨城五浦への移転に伴い、横山大観菱田春草、下村観山、木村武山等がこの地で研鑽に励んだということもあり、この4名の作品も多数コレクションされている。

 この4人が肩を並べて絵の修行をしているところが写真としても残っている。近代日本画黎明期の記録という意味では興味深いものがあると思う。

f:id:tomzt:20190317153628j:plain

  一番手前が木村武山、その横でカメラの方を向いているのが菱田春草、さらに横山大観、一番奥が下村観山である。その向こうの部屋は岡倉天心が起居する間だという。 

 こんな風にして画業に励んでいたのかと思うと興味深いし、なによりこの写真きちんと遠近感のある見事なショットともいえる。

 そして今回の企画展の目玉といえるのが横山大観の「流籠」。

f:id:tomzt:20190319005307j:plain

流籠(横山大観

 他館からの貸し出し希望が多数寄せられる作品とのことだが、かくも艶かしい作品を描いた横山大観のどことなくスノッブな部分を感じさせる。ある意味なんでも描くことができる天才画家でもあり、さらにいえば大衆受けする作品も自在に描くことができたということか。

 俗受けする美人画といってしまえば、それまでなんだが、人を惹きつける魅力溢れた作品だと思う。

 そして今回観た作品の中で、もっとも感銘を受けたのがこれ。

f:id:tomzt:20190319005313j:plain

「落葉」(菱田春草

 1911年に没した菱田春草がその2年前に描いた作品で、同題のものが5作品ある。一番有名な六曲一双の屛風画は永青文庫福井県立美術館にあるという。

 細密描写と空気遠近法による木立の表現などちょっとした感動を観る者に与える。近代日本画のある種の到達点、メルクマールとなる作品ではないかと思う。

空気遠近法は、大気が持つ性質を利用した空間表現法です。 例えば戸外の風景を眺めてみると、遠景に向かうほどに対象物は青味がかって見え、また同時に、遠景ほど輪郭線が不明瞭になり、対象物は霞(かす)んで見えます。

 37歳で早世した春草のことを惜しみ、横山大観は常日頃から自分よりも春草の方がはるかに上手いと口癖のように話していたという。

 同じような画題で下村観山の名作「木の間の秋」があり、「落葉」制作の2年前1907年という。春草は当然、観山の作品を観ているのだろう。2作とも傑作だと思うが、春草の作品の方が感情移入する部分が多々あるようにも思う。

 その他では同じ五浦日本美術院組の木村武山「安房劫火」も圧倒させるものがあった。

f:id:tomzt:20190320211924j:plain


  洋画ではシスレーピサロの定番的印象派作品が素晴らしかった。

f:id:tomzt:20190317130419j:plain

「グラット=コックの丘からの眺め」(ピサロ

f:id:tomzt:20190317130129j:plain

「葦の川辺ー夕日」(シスレー

 この「葦の川辺」は一度観ている。確か2015年に練馬区立美術館で開催された「シスレー展」に出品されていた。

tomzt.hatenablog.com

 印象派の王道を行くような絵だと思う。画家の目に映った光と影による自然の情景、その一瞬をキャンバスに映したとるのが印象派の理念と目的である。この絵はまさにその王道を行くような、印象派の総てが体現されている。印象派の絵って具体的にどういうものですかと問われたならば、モネでもピサロでもなく、シスレーアルフレッド・シスレーのこの絵を見せればいい。

 ザッツ・印象派、これはそういうものだと思う。

日光へ来た

 久々、日光へ来ている。

 健保の宿の中では部屋を取りやすいので、通算すると多分一番来ているところなのだが、ここのところけっこうご無沙汰でもある。

 いつもだと日光での観光はせず、笠間へ行ったり、宇都宮へ行ったりと、美術館巡りをすることが多い。さらにいえば、宿で夕食の後カラオケをしたりということも。交通費を考えなければ、上げ膳据え膳で軽く飲んで、カラオケまでしてという点では随分と安上がりなのだ。まあ庶民の細やかな贅沢のようなものか。

 たまには日光での観光をと思い、頻度からすると江戸村とかに行くことも多いので、今回は鬼怒川の東武ワールドウクェアに行ってみた。世界的建築物のミニチュア版が多数陳列してあるテーマパーク。建築好きだとけっこう楽しめる場所かなと思いつつ、たまに訪れる。

 まあここに来るといつも眺めてはちょっとした感傷に耽るのはここかもしれない。

f:id:tomzt:20190316142125j:plain

 まだ20世紀の頃、一度だけ訪れたニューヨーク旅行の際は、車で前を通っただけだったけど、この建物がたった数時間で完全に崩落したのは、今でもまだ信じられないことでもある。

 そしていつか、いつか行ってみたいバルセロナのこの未完の巨大建造物。

f:id:tomzt:20190316145909j:plain

 多分、実物を見るのは果たせないかもしれないなとも思う。まあそういうものだ。

ザ・デストロイヤー死去

 Twitterのタイムラインを眺めていたらニュースが流れてきた。

digital.asahi.com

 懐かしいオールドネームである。多くの人にとってはTVの「噂のチャンネル」で和田アキ子せんだみつおと絡む覆面コメディアンとして記憶することが多いのだろう。

 いっぱしのプロレス小僧だった自分にとっては気になるレスラー、ヒールの看板の一人という感じでの記憶に残っている。さらにいえば彼の伝記をどこかで読んだ記憶がある。当時プロレス雑誌ではスターレスラーの生い立ちあストリー化していた。それには元々大学の花形フットボール・プレイヤーからレスラーに転身したディック・ベイヤーはベビーフェースとしてデビューしたが、個性に乏しく、飛び技としてのドロップ・キック以外にファンを印象付けることができなかったことなどが書かれていた。

 そしてベイヤーは自らドライバーを用いて前歯を叩き折り、悪党面に変身し、さらには覆面を被りヒールとして再デビューしたという。まあこの辺のほとんどはプロレス的なストーリーだとは思うが、けっこうよく覚えていた。

 それからのデストロイヤーは中西部から西海岸に転身して、覆面レスラーとして初めてWWAの世界タイトルをものにしている。WWAも懐かしいプロレス団体だ。マッチメークをジュリアス・ストロンボーが担っていたとか、ベアキャット・ライトが黒人初の世界チャンピオンになったり、あの流血鬼フレッド・ブラッシーがヒールになったり、ベビーフェースになったりとかいろいろ楽しい団体だった。

 小学生の高学年から中学生にかけて、東スポを毎日のように駅のキヨスクに買いに行くのを日課にしてたのだが、東スポは割とWWAの記事を一面に掲げることが多かったように記憶している。

 そしてデストロイヤーは来日して力道山や馬場と抗争を繰り広げる。確か1969年に馬場とインターナショナル選手権をかけて60分フルタイムの試合を行い、馬場が1-0で勝った試合を今でもけっこう覚えている。デストロイヤーがとにかくタフなレスラーという印象だった。

 デストロイヤーの伝記に戻れば、彼の出た名門シラキュース大学のことなんかも、デストロイヤーなくしては覚えることはなかっただろうと思う。それがニューヨーク州にあることから、デストロイヤーことディック・ベイヤーはけっこう都会派なのかと思った時期もある。あとで調べてみるとニューヨーク州といってもシラキュースは北西にあり、ほとんどカナダとの国境沿いという場所だった。

 そういえばディック・ベイヤーがデビュー当時主戦場としていたのは五大湖周辺の他、カナダ地区だったとその伝記にはあったように思う。

 懐かしさもあってか、ウィキペディアの記述とかも読んでいると懐かしいオールドネームのオンパレードでつい楽しくなってしまう。

ja.wikipedia.org

 デズトロイヤーがフレッド・ブラッシーを破り、WWA世界チャンピオンになったとか、さらにカーボーイ・ドン・エリスやディック・ザ・ブルーザーと抗争し、バーン・ガニアビル・ロビンソン、マッド・ドッグ・バション、ペドロ・モラレス、イワン・コロフ等とも闘っている。ジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤーはアメリカの超一流のプロレスラーだったのだと思う。

 ご冥福を祈る。

西洋美術館へ行く

 今年初めての上野西洋美術館である。ここ数年、美術館の初詣はここみたいな感じで、最初に訪れるのは西洋美術館だった。自分のもっとも好きな西洋絵画のコレクションが最も充実している場所という意味で、ここがベースになると勝手に思っている部分がなきにしもなのだ。

 それが今年に限ってはなぜか東京冨士美術館が最初になってしまい、2月に上野を訪れた際にも長期休館だったということで3月まで訪れることができずにきてしまった。

 今回、特別展をやっているのはこの美術館の設計者でもあるル・コルビジェの企画展である。「ル・コルビジェ 絵画から建築へ-ピュリスムの時代」。

 

lecorbusier2019.jp

 通常、企画展は本館地下で行うのだが、今回の展示は本館をまるまる使っている。以前、「スケーエンの芸術村展」は新館の一部を使ってやったことがあるのだが、本館での展示というのは始めて。まず入ってすぐの1Fにはコルビジェが設計した建築物の模型が展示してある。そのまま階段を上ると、いつもなら常設展時されている14世紀から18世紀の絵画のスペースがすべて、コルビジェやオザンファンなど関連する作品の展示となっていた。

 さてと、まずコルビジェについてだが正直、抽象絵画という括りでしか理解していない。実際のところ彼の描いた平面的な静物画は自分には理解不能な部分が多い。しいていえばエモーショナルな部分がなく、無機質的な感じが強いので、作品に入っていけない部分が多々ある。ようは観る者の情動を排除するような感じがある。

 コルビジェやオザンファンが唱導した「ピュリスム」についても正直ほとんど理解できていない。

キュビスムをさらにおし進め,機械にイメージを求めた普遍的で純粋な造形言語の創造を目ざした。

キュビスムをさらに純化し、装飾性・感情性を排した表現形態を追求した。

キュビスムをさらにおし進め,機械にイメージを求めた普遍的で純粋な造形言語の創造を目ざした。

・明確な線および形,簡潔な画面構成を強調し,造形言語の純化を企てた。

・装飾に堕したとキュビスムを批判し,機械にイメージを求めて明確・簡潔な抽象造形を目ざす〈ピュリスムpurisme〉を唱える。

 だいたい定義、説明されるのはこんな感じである。ようはキュビズムを批判的に展開して、その装飾性、エモーショナルな部分を剥ぎ取り純化させた芸術運動。その結果として無機質な機械のイメージに近い作品を作り出した。

 彼らのキュビズムへの批判的アプローチにも関わらず、キュビズムの側から運動に呼応したのはフェルナン・レジェだという。今回の企画展の中でもレジェの作品は多数展示されている。当時のレジェは機械的イメージとその分割構成による作品を多数描いており、そのへんで親和性があったともいわれている。

 しかし、コルビジェやオザンファンは当初のキュビズムへの批判的アプローチから、じょじょにキュビズムを評価する側に回る。結果としてピュリスムキュビズムの一派生ジャンルのようになっていくとも。

 また当初、運動に共鳴したレジェはじょじょに機械的イメージからより自然的な形態にアプローチを変えていくとも。

 まあ、このへんは一夜漬け的な感じなのであまり、ちょっとした個人メモとしてだけ。

 新館の方はいつもの回廊にミレーやフュースリ、ブーグロー、それから印象派ピサロルノワールセザンヌ等、さらにはモネの部屋、さらにはゴーギャン、ドニ、ボナール、シニャック、最後は現代絵画の部屋でピカソ、キース・ヴァン・ドンゲンなどなどとおなじみのスペースでほっとしたという感じである。

 

 

あの素晴らしい歌をもう一度2019

f:id:tomzt:20190312003008j:plain

www.anosuba.net

 懐かしいライブに行ってきた。基本的には中高年相手の同窓会ライブである。よくある夢グループのコンサートのフォーク版みたいなものだ。出演者もだいたい自分と同じから70前後、観客もだいたい同じくらいだ。

 小雨降る九段下から武道館を行く人の群もなんというか、平均年齢高いなと思えてしまう。つい若ぶって地下鉄から地上に出るときに無理して階段を早足で登っていたのはご愛嬌。

f:id:tomzt:20190312003004j:plain

 出演者は登場順でいうとこんな感じだった。

きたやまおさむ杉田二郎

戦争を知らない子どもたち

海援隊

「母に送るバラード」

贈る言葉

尾崎亜美

「春の予感」

「マイ・ピュア・レディ」

太田裕美

木綿のハンカチーフ

「君と歩いた青春」

宇崎竜童

「サクセス」

さよならの向こう側

トワエモア

「空よ」

「ある日とつぜん」

「虹と雪のバラード」

白鳥恵美子・森山良子

PPMメドレー」

森山良子

「この広い野原いっぱい」

「乾杯の歌」

「聖者が町にやってくる」

いずみやしげる・宇崎竜童

TOKIO

いずみやしげる

「黒い鞄」

「春夏秋冬」

イルカ・太田裕美尾崎亜美

春一番

上條恒彦小室等

「どこかで誰かが」

高田漣

「自転車に乗って」

イルカ

なごり雪

「人生フルコース」

杉田二郎

「風」

「男どうし」

六文銭

「キング・サーモンのいる島」

「雨が空から降れば」

面影橋

上條恒彦六文銭

「出発の歌」

アンコール〜全員

「あの素晴らし愛をもう一度」

  順番とかも含めてかなりあやふやだが、だいたいこんな感じだったか。休憩を含めると4時間近いロング・ライブだったが楽しい時間を過ごせた。森山良子が「聖者が町にやってくる」をジャズヴァージョンで歌い、スキャットで様々なミュージシャンのフレーズを真似てみせたのにはビックリ。それもコルトレーンソニー・ロリンズのサックスやミルト・ジャクソンライオネル・ハンプトンのヴァイブをやってみせるとか、かなりコアなところをついていたのが楽しかった。

 さらにいえば総じて女性陣は年齢を感じさせない人が多かった。特に上記の森山良子や白鳥恵美子は、昔と同じ歌声だったし、太田裕美尾崎亜美、イルカは昔を彷彿とさせた。

 病気でなければ、ここに山本潤子も加わっていたのだろうと思うと、少し淋しい思いもした。

 このライブ・イベント、昨年についで2回目らしい。武道館の器を満席にさせるコンテンツだけにひょっとすると来年もあるかもしれない。毎年、少しずつ違う面々が加わるようだが、出来れば五つの赤い風船斉藤哲夫あたりが入るといいと思う。そして当然のようにアリスとかもあるかもしれないだろうし。

 高齢者向け、団塊リタイア組向けのコンテンツといってしまえばそれまでだが、歌に様々な記憶、思い出が連なるのである。センチメンタルでなにが悪い。

 当然のごとく4時間、しばし涙ぐみながら一緒に歌っていた。