ドライビング Miss デイジー

 これもまたBSプライムを録画していたもの。公開当時もかなり話題になったし、今では80年代から90年代にかけて制作された映画としては、すでに名作とされる映画の一つでもある。実をいうと初めて観る。いつか観ようと思っていてそのまま30数年が経ってしまった。

 この映画では、主演のジェシカ・タンディアカデミー賞主演女優賞を受賞、共演のモーガン・フリーマンは男優賞にノミネートされた。ジェシカ・タンディは戦前から活躍する美人女優で、たしか80歳での受賞は主演女優賞としては最高齢となるはず。アカデミー賞の授賞式をまとめたビデオで受賞の様子を何度か観ていたが、観客がスタンディング・オベイションで迎えるなかで、ユーモラスにスピーチしていたのを覚えている。

ドライビング Miss デイジー - Wikipedia (閲覧:2023年3月22日)

ジェシカ・タンディ - Wikipedia (閲覧:2023年3月22日)

 映画の舞台は、1940年代から70年代にかけてのアメリカ南部。元教師である老齢の未亡人デイジーは活動的で自分で運転する車で町での買い物などをしている。あるとき運転を誤り事故を起こしてしまう。母親のことを心配する実業家の息子は、黒人の専属運転手ホークを雇い、彼女の家に向かわせる。最初は運転手自体を、そしてホークが黒人であることから抵抗していたデイジーは、じょじょに受け入れていき二人の間には密かな友情を芽生えていく。

 1940年代はまだ人種差別が合法だった時代。そこから公民権が施行される70年代までの歳月、運転席と後席での二人の会話を中心に繰り広げるドラマが起伏も少ない。たんたんとしたという表現がよく似合う。

 デイジーとホークの年齢は具体的に語られることはないが、おそらく物語の最初の頃デイジーは60代前半、ホークが50代半ばくらいだとして、それから40年の歳月というと、映画の最後はデイジーは90代超、ホークもゆうに80代ということになる。とはいえもともと最初から老人二人の物語だけにあまり年齢を重ねたというイメージはない。

 デイジーは元教師でありインテリである。開明的な部分と頑迷な部分が入り組んだとっつきにくいタイプだ。彼女はユダヤ人でもあり、そのへんが南部という土地柄のなかでも、アングロサクソン系の白人とはどこか違っている。いわば白人社会の中ではもっとも低くみられ差別される立場の者が、より低層の黒人に接するという複層的な構図がある。

 デイジーは自分は他の白人のような人種差別はしないという考えを持っている。家で長く使っている黒人家政婦に対しても、お互いの領域をあまり干渉しないような付き合い方をしている。しかしホークはフレンドリーにデイジーの領分に入ってくる。そのことがデイジーの気分を逆なでするし、デイジーは自身が黒人に対して無意識に抱いている差別意識を否応にも意識せざるを得ない。

 映画の後半、はお互い何も言わなくても心通じあうよう雰囲気の中で特にドラスティックな展開もなく終わる。

 ジェシカ・タンディは凛とした気品を感じさせる元教師の老婦人を熱演した。オスカーは当然だと思う。第62回(1990年)の他のノミネート女優は、ミシェル・ファイファージェシカ・ラングイザベル・アジャーニ、ポーリン・ジョーンズ。ジョーンズを除くとみんな美人女優でけっして演技派とは言いにくい。受賞は幸運だったかもしれない。とはいえ他の候補者たちは現在までノミネートも受賞もない。彼女たちにとっても恵まれた作品での唯一のチャンスだったかもしれない。星廻りみたいな部分だろうか。

 モーガン・フリーマンは当時52歳くらい。長いキャリアの中でもこの映画あたりから注目され始めた。今や名優的存在だがキャリアの成功は多分この映画からだろう。

 デイジーの息子役を演じているのは、ダン・エイクロイド。あの『ブルース・ブラザース』のエルウッドだ。才人で『サタデー・ナイト・ライブ』出身のコメディアンの彼も、この映画では母親を心配する太った中年男を好演した。コメディ俳優としてはすでに80年代『ゴーストバスター』などで一本立ちしていたが、この映画あたりから準主役クラスの性格俳優として活躍するようになった。

 この映画はある意味高齢者映画でもある。南部の田舎町で運転が出来なくなった老婆が生活に諸々支障をきたす。それまで自由に運転して町に買い物に行けたのに、それが出来なくなる。そこで息子が心配して運転手を手配する。他人に運転を委ねることへの不安、しかも相手は黒人である。しかしそんな生活に慣れて行く日々。

 ある意味では現代の超高齢化社会を先取りするようなテーマ性がある。日本のようなモターリゼーション社会では、特に地方では車がないと日々の生活が成り立たない。しかし高齢ドライバーの危険運転も日々社会問題となっている。

 この映画のような金持ちは個人的にドライバーを雇うことは可能だろう。でも日本のような社会でそれは一般的ではない。介護保険の導入で介護を家庭ではなく社会で行う仕組みは2000年より外形的に導入され、すでに20年を経過している。老健施設などの通所サービスから、ヘルパーによる訪問介護なども普通に実施されている。その質の部分や急速に進む高齢化での財政的な問題などはあるが、一応制度としては機能している。

 そうした仕組みの中に、こうしたドライバーの派遣事業などを組み込むことは可能だるか。今現在、そうした事業は通所サービスへの送迎などに限られているが、もっと日常的な生活補助として、一人のドライバーが幾つかの家庭を掛け持ちで運転を行う。サービスを受ける側は、ドライバーが来ることで町での買い物や医療機関への通院、場合によっては観光的なちょっとしたドライブなどを楽しむことができる。

 地方では車という足がないと、生活自体が成立しない。高齢者の運転免許返納が進まないのは、そうした地方の事情ということもあるのかもしれない。

 『ドライビング Miss デイジー』を観ていて、そんなことが感想として浮かんでくる。それもまた自身が高齢者でもあり、そして超がつく高齢化社会に日々生きているからかもしれない。

ジャイアンツ

  以前BS放映を録画してあったもの。

 1956年公開という古い映画だ。もちろん何度も観ているが多分今世紀に入ってからは初めてになるだろうか。エリザベス・テイラーロック・ハドソンジェイムズ・ディーンという三大スターの共演だ。

ジャイアンツ (映画) - Wikipedia (閲覧:2023年3月22日)

 ジェイムズ・ディーンは公開前の1955年に事故死しているので、この映画が彼の遺作である。孤独で影のある彼のキャラクターそのままの男ジェット・リンクを熱演していた。彼はこの映画製作時は24歳、売り出し中の青春スターだった。

 主演三人の中でのメインというか、クレジットでも最初にくるのはエリザベス・テイラージェイムズ・ディーンより一つ下の当時23歳。10代からキャリアを積み重ねてきた当時もっとも人気のあった美人女優だったか。彼女はこの映画の中でも群を抜く美しさで圧倒的な存在感がある。

 三人の中でなんとなく影が薄いというか、二枚目だが大根というか演技の面ではやや劣ると思われていたロック・ハドソンは当時30歳。長身でマッチョな二枚目俳優だったが実はゲイ。たしか59歳でエイズで亡くなっている。

 映画はテキサスの大牧場の御曹司ジョーダン・ベネディクト(ロック・ハドソン)が東部の上流階級から花嫁を連れてくるところから始まる。花嫁のレズリーがエリザベス・テイラーだ。そこから二人が老境に達するまでの様々な出来事、石油が採掘され牧場経営から石油成金となっていく様や、家族の問題、メキシコ系への人種差別などが絡みある叙事詩的映画でもある。

 大牧場の使用人だったジェット・リンク(ジェイムズ・ディーン)は、不慮の事故で死んだベネディクトの姉の遺言でわずかばかりの土地をもらう。そこで石油採掘に成功して、ベネディクトよりも裕福な大富豪となる。

 ジェット・リンクは実は人妻レズリーに密かに恋心を抱いている。富豪となった彼はレズリーへの恋心から、ベネディクトとレズリーの娘ラズ(キャロル・ベイカー)に接近する。ラズは立身出世を果たした大富豪ジェットに興味を抱き次第に恋するようになる。年の離れたジェットとラズは婚約を発表する間際、ジェットが実は母親をずっと愛していることを知り離れて行く。

 映画の後半ではエリザベス・テイラーロック・ハドソンジェイムズ・ディーンの三人が老け役に挑戦している。その中ではジェイムズ・ディーンがどこか滑稽なピエロのような感じである。ナイーブな青春スターのディーンにはちょっと難しい役だったかもしれない。

 ラズを演じたキャロル・ベイカーは1931年生まれで、映画の中で母親役のエリザベス・テイラーよりも一歳年長、歳の離れたカップルという設定のジェイムズ・ディーンとは同い年だったりと、微妙な部分もある。まあそれもハリウッドの映画システムみたいなものだ。また60年代後半にニューシネマで異彩を放つデニス・ホッパーも出演しいる。

 この映画は出演者とは別に西部テキサスのスケールの大きさが主題となっている。同じようにテキサスの広大な牧場を描いた映画に『大いなる西部』があった。あちらは花嫁ではなく花婿が東部からやってくるという『ジャイアンツ』とは逆転の設定だった。出演はグレゴリー・ペックジーン・シモンズなんだが、なんとなく記憶的には『大いなる西部』の方が先に公開されているような印象があった。調べると『大いなる西部』は1958年の公開と2年後のようだ。

 監督は『ジャイアンツ』がジョージ・スティーブンスで『大いなる西部』がウィリアム・ワイラー。いずれもハリウッドの巨匠的監督だ。制作は『ジャイアンツ』がワーナーで、『大いなる西部』はユナイテッド・アーティスト。比較的同時期に同じような映画ということになるが、おそらく『ジャイアンツ』の大ヒットがあって制作に踏み切ったのかもしれない。

 1950年代半ばというとハリウッド映画はまだ全盛期の時代だった。1949年からテレビが急速に普及してきたため、ハリウッド映画はテレビに対抗すべく大画面のシネマスコープによる大作映画を量産した。多分、『ジャイアンツ』もそうした流れの中で制作されたのだろう。そして50年代後半から60年代になるとハリウッド映画は低迷下する。もはや大作映画が飽きられ思ったような興収が得られない状況となる。そこから60年代後半、独立プロによる低予算のニューシネマが生まれてくる。

 そういう時代背景を思うと『ジャイアンツ』は、豪華賢覧なハリウッド映画の最後の輝きをみせた作品の一つなのかもしれない。美男、美女が大画面に登場し、広大なテキサスを舞台にした古き良き西部劇である。しかし新時代の到来はテキサスを大牧場から油田地帯へと変える。そしてそれまでのハリウッド映画では隠されていた人種問題も可視化される。古き良き西部劇の時代から新時代への変化。それらを盛りだくさんに詰め込んだのがこの作品だ。

 66年も前の古い映画である。出演者もほとんどが物故者となっている。ラズ役のキャロル・ベイカーは91歳で存命とのことだ。

0.5ミリ

0.5ミリ

0.5ミリ

  • 安藤 サクラ
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0.5ミリ - Wikipedia (閲覧:2023年3月21日)

 安藤サクラの主演映画である。以前、『百円の恋』を観て、この女優が好きになった。まったく知識がなかったのだが、奥田瑛二の娘なのだとか。『百円の恋』は32歳ひきこもりのどうしようもない女性が、ボクサーの恋して自分もボクシングに挑戦するという話。そして最後に試合に出ても報われることなくボコボコにされてしまう。どこにも救いのないような話だった。

 女子ボクシングをテーマにした映画では、クリント・イーストウッド監督、ヒラリー・スワンク主演の『ミリオンダラー・ベイビー』があった。あれもいい映画だったが悲惨な結末だった。多分、名画だけど二度と観たくない作品リストの一、二を争うのではないかと思うような映画だ。当然、一度観た切りである。

 『百円の恋』で安藤サクラは、太っただらしない引きこもり女性から、しまったアスリート然としたボクサーとなるまで肉体改造する。かなりストイックな役者魂をもった人なのだろう。

 そして『0.5ミリ』はというと、安藤扮する世話好きで熱心な三十代の介護ヘルパーさわが、介護先で寝たきりのおじいさんと添い寝して欲しいと頼まれる。娘らしい婦人から「おじいさんの冥途の土産に」みたいに頼まれて仕方なく。しかしその最中にトラブルに巻き込まれて、職も家も失う羽目になる。

 さわに転々と旅をしながら、町々で徘徊し挙動不審な行動をとる独居老人の家におしかけヘルパーとして住み込み、老人たちと奇妙な生活を始める。

 安藤扮するヘルパーは人が好い、世話好きだが、どこかクセがあり押しも強い。彼女がおしかける老人たちもみなそれぞれに人生を生き抜いてきたクセのある人物。同居生活となっても老人たちは、みなある意味終わった人たちなので、性的なものはないのだが、それでも彼らからすると若い女性との生活にはモヤモヤしたものがある。

 安藤サクラは美人ではないが、どこにでもいる普通の女性の色気、魅力のようなものを感じさせる。色気と書いたがどちらかといえば、もっと即物的なエロさだ。ぶっちゃていえば、安藤サクラはエロい。そのエロさはなんていうのだろう、普通の女性が普通の生活をしている中で時に感じさせるエロさだ。美人や男好きする可愛さ、豊満な肉体、そういった部分ではない、もっと日常的なエロさだ。

 かって日活ロマンポルノは、それまでのピンク映画ではありえなかったような美人女優が塗れ場を演じるということで人気を博した。それまでのピンク映画は、まあエロいけどあれはなんていうか悪しきリアリズムみたいな感じだったか。そういう意味では日活ロマンポルノは画期的ではあったが、どこかリアリティが欠けていたかもしれない。

 途中から女優にもバリエーションが増えて、普通っぽいおねえさんみたいな役柄を普通にこなす普通っぽい女優もでてきた。しかしリアリティを増した塗れ場は、ある種のエロさはあったが、すぐに食傷気味になった。

 安藤サクラのエロさはリアリティがあると思う。今回の映画ではなかったが、たしか『百円の恋』にはそれなりのぬれ場があり、かなりエロさがあった。かっての日活ロマンポルノには『団地妻』シリーズのような普通の人妻のエロスみたいなものがあったが、あれをそこそこのリアリティをもって演じるとしたら、安藤サクラみたいな女優が最適なのかもしれない。

 もちろん安藤サクラはただエロいだけの女優じゃない。演技もしっかりとしているし、ひょうひょうとした部分、凄みを感じさせる部分、それらが同じ映画の中で、同じシーンの中で、ふいに垣間見れる。そういう不思議な女優でもあるし、彼女はそういう多面性をうまく演じているし、監督たちも上手に引き出している。

 最近はドラマなので、そのひょうひょうとした部分をいかにも素のようにして演じて人気を博しているようだ。自分は安藤サクラという女優が多分かなり好きなようだ。

 映画では二人の老人の家に押しかける。その後に、老人といえるのか、不思議な崩壊しかけた家で初老の男と不登校の少年のような少女と一緒に暮らし始める。この三度目の同居生活はかなり奇妙でありつつ直截的でもある。

 映画はゆうに3時間を超す192分と長尺だ。それでもあまりダレずに観れたのだから、かなり良くできた映画なのだろう。でも三度目の同居生活はいらなかったかもしれない。あれは映画のテーマ性をふくらませるどころか、どこか散漫にしてしまった。そしてどこかひょうひょうとした映画の流れが、いきなり重苦しくなってしまった。そこだけが残念だ。

 この映画の監督安藤モモ子安藤サクラの実姉だとか。同名の処女小説を映画化したものだという。彼女は安藤サクラの様々な顔をうまくスクリーンに映し出している。そして例えば、彼女の入浴シーンで少しだけ開いたドアからチラっと覗かせる脹脛や足首。それをつい覗いてしまう老人。そうした部分にそこそこのリアリティを感じさせた。そこには男目線からの過剰なエロティシズムとは違う部分の表出があるかもしれない。

 この映画は、2014年制作で『百円の恋』も同年の制作だ。2014年、安藤サクラは二つの映画で開花したのかもしれない。

久々、ブラウザを代えてみる

 昨日、今日とずっと家にいる。なんだか本当に引きこもりの高齢者になってきた。

 そして春なのでとても眠い。パソコンの前でうつらうつらすることもあるし、本を読んでいても寝落ちする。

 一応、通信教育やってるので、テキストを読まなくてはならないのだけど、集中力は途切れて散漫になる。字面を追ってもちっとも頭に入ってこない。なにかもう読書ができないような体質になっているかもしれない。

 パソコンで作業してたり、YouTube国会中継見たりしていると、けっこう重くなることが多い。タグを沢山開けているせいとかもあるし、動画視聴はやはりCPUへの負荷やメモリ食うとかあるのだろうか。時々ファンも壮大に鳴り出す。まあ使っているデスクトップも多分10年くらい前のものだし、core i7とはいえ第4世代のもの。一応SSD換装、メモリも20くらいにしてるといっても、まあいつ壊れても仕方がない。

 しかし持っているパソコンはデスクトップ2台、ノート2台、Mac book air 1台とか転がっているけど、全部5~7年前の代物。新しいパソコン欲しいけど、ネットみたり、時々ちょっと文書作ったり、表計算したりとかだと、年季の入ったものでもけっこう十分だったりもする。

 もともとパソコンはほとんど新品を買ったことがないし、安い中古を買って諸々いじって使う。壊れた買い替えるみたいなことばかりしている。ここ4~5年で新品買ったのって、子どもの就職祝いに買ってやったノートパソコンくらいだろうか。

 まあいいか。ブラウザの話だ。

 使っているのはchromeだけど、なんとなく重く感じることがある。まあ上述したようにそれはchromeのせいというよりもパソコンのせいなんだが、ちょっとブラウザを代えてみるのもありかなと思ったりしてみた。

 ブラウザはもともと当然のごとくマイクロソフトIEを使っていたけど、たしか2009年にFirefoxに代えた。ブラウザーを代えてみる - トムジィの日常雑記

 しばらく使っていたけど、Firefoxも諸々重くなってきたこととか、会社で使うとなると当時的にはやっぱりIEがいいとか、でもセキュリティがどうのとかいろいろあって、会社ではIE、自宅ではchromeにしてなんていうのを多分2013年くらいから始めたのか。

 その後XPのサポート終了とかもあってIEのセキュリティは問題だとか、諸々あって会社のパソコンのブラウザを全部chromeにしたりとか。買い替えできればよかったけど、貧乏会社だったから一気に20台も30台も代えることできなかったしとかいろいろあった。

 そういうことでchromeを使い初めてからはもう10年以上経っているかもしれない。まああれはあれでほぼ完成形だとは思っている。だからWindowsのアップデートや新ヴァージョンになったからといって、Edgeにいこうとは思わなかった。

 どうでもいい話だが、かれこれ10年くらい前だけど、銀行の決済サービスで対応するブラウザがずっとIEだけっていう時代があって、なかなかChromeに対応しなかったな。ようやく非公式的に対応するようになっても、公式サイトでの対応ブラウザとして認められなかったような。どことはいはないけど、Mというメガバンクだったけど。

 しかし脱線話ばかりで、新しいブラウザの話にならない。困ったものだ。

 いくつか調べてみると、比較的新し目のブラウザでは、vivaldiとbraveが早目、軽快であるというレビューをいくつか見た。そして両方ともけっこう広告をブロックしてくれるという。その機能だけに限るとbraveがかなり良いとも。

 まあお互い長所、短所はあるようなのだが、詳しく比較検討などはしなくて、なんとなくvivaldiにしてみた。ネーミングが「四季」のヴィヴァルディらしいとかそのへんでちょっと馴染があったからか。

Vivaldi (ウェブブラウザ) - Wikipedia (閲覧:2023年3月21日)

(閲覧:2023年3月21日)

 とりあえずダウンロード、インストールする。なんとなく軽快感はある。当然、vivaldi上でアカウントを新規に作成するが、グーグルからのアカウントや諸々、パスワード関係なども簡単にインポートできる。グーグルのブックマークも普通にインポートして使える。グーグルのカレンダーのインポートも簡単だった。

 スタート画面もそうだが、かなり自由度が高く、自分好みにカスタマイズできる。まあこのへんは実はchromeもそうなんだが、chromeはどこかあまりいじらずにあの簡素なスタートアップが気に入ってたのでずっとそのまま使ってた。vivaldiはというとすでにスタートアップにAmazonYouTubeYahoo!、Rakutenなどのウィジェットがあるので、なんとなくいじってみたくなる。

 ブラウザでウィジェットをいろいろ貼り付けるなんていうのは、Firefox以来のことかもしれない。とりあえず半日かそこらで少しスタートアップに適当に貼り付けてみた。

 それでもって軽快さはどうかというと、操作している限りではまあ普通というか、とりあえず重くはない。なんとなく目新しい画面のせいか、なんとなく軽快感があるような気がする。って、これはもう完全に感覚的な部分。

 試しにタスクマネージャーでみてみると、けっこうメモリ消費しているみたいで、chromeとほとんど変わらないかもしれない。両方を立ち上げて同じようなサイトを開けたりとかしてみると、メモリ消費はほとんど同じような感じ。CPUの方は心持ちvivaldiの方が負荷少ないような。

 まあこの手のブラウザは使っていくと次第に重くなるのが常なので、もうしばらく使ってみないとなんともいえないかも。しばらくはvivaldichromeを併用。というかvivaldiをメインにしてみようかと思っている。

 どうでもいいことだが、なんかずっとラウザをラウザと言っていたような気がする。ここ何年かでようやくブラウザーって普通に言えるようになったような。まあオジさんたちは外来語をカタカナで覚えるので、妙に錯覚してそのままになってしまうんだろうな。多分、本人気がついていないけど、けっこうあちこちで恥ずかしい目にあっているんだろうな。

ご近所の春を巡って (3月19日)

 まず我が家のねずみの額(猫ほどもない)のような狭小の庭の桜もようやく蕾をつけてきて、一輪、二輪と咲き始めようとしている。

 どこぞもそうだろうけど、今週末あたりはけっこう咲きそうな雰囲気である。

 毎年、一回だけ深夜に縁側に座って花を見ながら一人で一杯やる。ジイさんの小さな幸福みたいな感じである。

 多分、心情的には「歓酒」の井伏訳みたいなものだろうかね。

ハナニアラシノタトヘモアルゾ

「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 そしてもう一つ、竹内まりやの歌のごとく、この先あといくど、この花を見ることができるかと、桜は妙に感傷的にさせる。

 

 その後はいつものように妻と二人で車で15分くらいのところにある高麗川ビオトープを散歩する。ここのところ毎週、日曜日の日課みたいになってきている。

 そして一週間の間に景色はずいぶんと変わる。

 まず、昨日の雨のせいか、干上がっていた高麗川がだいぶ復活している。

 

 そして堤の菜の花が満開になりつつある。

 「いちめんなのはな」というフレーズを延々繰り返したのは山村暮鳥の「風景 純銀もざいく」だったっか。

風景 純銀もざいく 山村暮鳥

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

かすかなるむぎぶえ

いちめんのなのはな

 

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

ひばりのおしゃべり

いちめんのなのはな

 

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

いちめんのなのはな

やめるはひるのつき

いちめんのなのはな

 この詩にメロディをつけて歌ったのは山平和彦だったか。彼が死んでかれこれ20年が経つ。

 

 ビオトープ内の小さな小川もずっと干上がっていたのだが、やはり雨と少し放流でもあったのかやや大きめの池みたいになっている。そこにずっといついていたが、最近あまり見ていなかったダイサギがやってきている。たいていのダイサギは人の気配を感じるとすぐに飛んでいってしまうのだが、この一匹だけは警戒心が緩いというか、近づいてもあまり逃げない。密かに妻と二人でダイサギのダイちゃんと呼んでいる。

 

 その後は長宮橋を渡って対岸の堤を歩いた。そこには桜並木があるのだが、まだ蕾の状態だ。都内ではけっこう咲き始めているようだが、ディープ埼玉はやはり今週末あたりからだろうか。

 

 地面を見るとどうやらツクシなども見つかる。もう春はそこまで来ているというところか。

 

 その後、いつものようにスーパーで買い物をして帰る。スマホのアプリで確認するとこのくらい歩いたようだ。

 

練馬区立美術館「本と絵画の800年~吉野石膏所蔵の貴重書と絵画コレクション」 (3月17日)

 まだ働いている友人がウィークデイに休みがとれたという。どこかへということで、比較的近場の練馬区立美術館へ行くことにする。

本と絵画の800年 吉野石膏所蔵の貴重書と絵画コレクション | 展覧会 | 練馬区立美術館

(閲覧:2023年3月20日

 建材メーカー吉野石膏が西洋絵画の膨大なコレクションを持つことは以前から知っていた。たしか2019年には三菱一号館美術館で開催された「印象派からその先へー世界に誇る吉野石工コレクション」を観ている。その時にも感想を書いたような気がするが、それ以前からあちこちの美術館で開かれる印象派展などで、吉野石膏所蔵というキャプションのついた名画を幾つも見ていたので、そのコレクションにはいちおう知ってはいた。

三菱一号館美術館「印象派からその先へー世界に誇る吉野石工コレクション」 - トムジィの日常雑記

 その吉野石膏が絵画コレクション以外にも中世写本や、近代のプライベートプレスの工芸品とでもいうべき美しい製本の書籍も蒐集していること、また西洋絵画だけではなく日本画のコレクションを持っていること、それらを中心とした企画展ということで、ちょっと興味があった。

 友人とはどうせ酒を飲むことになるので、その前に軽く文化的お散歩みたいなことで提案したところ、昼過ぎに会おうということになった。友人もけっして絵とか嫌いではないほうである。

 中世写本では、日々の祈りの文言や詩編を修正して内容に合わせた挿絵を付記した時祷書が中心で、さらにその時祷書の頁を切り離して1枚のリーフにした霊葉などがある。今回はどちらかというと、霊葉が中心の展示のようだった。

時祷書 - Wikipedia (閲覧:2023年3月20日

 多分、時祷書の複製写本として岩波から出ていたファクシミリ版あたりの展示があるかと思っていたら、案の定あったのだが、それは『ホルソ・デステの聖書』で、東大の美術史学研究室所蔵のものだった。密かに『ベリー公のいとも美しき時祷書』が出るかと思ったりしたのだが。でもあのファクシミリ本、吉野石膏も持っているのではないかと思ったりもしている。もし所蔵してないとしたら、岩波か丸善もしくは紀伊國屋あたりの営業努力がちと足りなかったかとも。

 仕事がら以前、『ボルソ・デステ』も『ベリー公~』も一度はファクシミリ版を現物を見ているように思うのだが、いかんせんその頃は美術への興味がほとんどなかった。残念なことだ。

 このコーナーでは他に当時の写字生たちが写本を手書きで書いていったときの机を復元したものなども展示してあった、けっこう興味深かった。

 この傾斜した部分に羊皮紙を置いて一枚一枚写本していったのだとか。ペンは主に白鳥の羽で、ちょっと書いてはすぐにペン先が丸まってしまうので、すぐにナイフで削る。それを一日中ずっと繰り返すのである。写字生という修道僧の日々はかなりハードだったのだろう。昼間でも暗い写字室での作業、目も悪くなるだろう。

 そんなこと思っているとふいにあのウンベルト・エコーの『薔薇の名前』のことを思い出した。あれはまさに修道院での写本制作が舞台だった。写本する元になる本のページに毒を塗って、写字する修道僧がそれを舐めて毒殺される。その殺人事件を推理して解き明かすのが同じのが立ち寄った著名な修道僧。そんな話だったか。

 通常、写本されるのは聖書やキリスト教の教義書だが、そのとき写されていたのは禁じられたはずの異教の書にして本当にあったのかどうかが不明のアリストテレスの『詩学』の第二部だったか。

 友人に小声で「これって『薔薇の名前』だよな」と話しかけると、「それそれ」と返ってきてお互いひそひそと笑いあった。

 近代イギリスのプライヴェートについては、去年、群馬県立近代美術館で「理想の書」という企画展を観ていて、ほぼそこで仕入れた付け焼刃的な知識だけだったが、ケルムスコット・プレスやトーマス・ビューイックといった名前も散見していたようだ。

 これは初めて知ったことだが、カミーユピサロの息子であるリュシアン・ピサロがイギリスでエラニー・プレスというプライヴェート・プレスを設立運営していたという。彼が父親と同じように絵を描き、主に点描画などを描いていたことは、何度か実作も観たこともあり知ってはいたが、イギリスで出版業をしていたというのは初耳だった。

リュシアン・ピサロ - Wikipedia (閲覧:2023年3月20日

 リュシアンは1870年にイギリスに一時期滞在し、その後1890年にロンドンに渡り、1894年にエラニー・プレスを設立し1914年まで出版活動を行った。おおよそ20年出版業を担ったということだ。その後は1916年にイギリスの市民権を得て挿絵画家、風景画家として活躍し、1944年に没している。フランスに帰国することはなかったようだ。

 1870年にイギリスに滞在したのはおそらく普仏戦争から逃れるためだった。その後、イギリスに50年余りを過ごしたのはどういう事情なのだろう。もちろん当地で結婚し家庭を持ったということもあるのだが。

 以前、父親のカミーユピサロや新印象派の名付け親ともなった美術批評家フェリックス・フェネオン、ポール・シニャックなどは熱心なアナキストだったというのを何かで読んだ気がする。ひょっとしたらリュシアンも同じ思想の持主で、イギリスへは弾圧を逃れた亡命みたいなことではなかったのではと。まあこれは何の根拠もない妄想の類だけれど。

 

 近代の出版、書物の関連で、近代以降の西洋画の名品も多く展示してある。それらは前述した三菱一号館などでお馴染みの作品が中心だ。

《暖をとる農婦》(カミーユピサロ) 1883年 73.2✕60.0

静物、白い花瓶のバラ》 (フィンセント・ファン・ゴッホ) 1886年 37.0✕25.5

《緑と白のストライプのブラウスを着た読書する若い女》 (アンリ・マティス
 1924年 55.0.×38.5

 

《帽子をかぶった女》 (パブロ・ピカソ) 1939年 65.0✕50.0

《坐る子供》(キース・ヴァン・ドンゲン) 1925年 100.0✕80.0

 西洋画はすべて図録から。下図の川端龍子はネットで拾った。

《白川女》 (川端龍子) 1951年 112.5✕84.1

 「白川女」とは北白川に住み、四季の草花を頭上に載せて京都市内を売り歩いた女たちだ。同じような行商の女ということでは、多く日本画で主題となったのは、頭上に薪を載せて行商した「大原女」の方が有名だ。この絵を観たときも一瞬「大原女」と思ったのだが、調べると草花を売り歩くのは「白川女」ということだった。

大原女 - Wikipedia (閲覧:2023年3月20日

白川女 | 祇園商店街振興組合オフィシャルサイト (閲覧:2023年3月20日

 

 美術館は3時過ぎに出た。その後は中村橋から練馬まで歩いて、開いている安い居酒屋でしばし美術談義に花を咲かせた。

久々府中の森公園 (3月16日)

 府中市美術館を出てからそのまま府中の森公園を散策する。

 美術館自体が公園の中、一番端にあるのでそのまま園内をお散歩できる。

この公園について|府中の森公園|公園へ行こう! (閲覧:2023年3月20日

https://www.tokyo-park.or.jp/park/map/fuchunomori_map_2.pdf

(閲覧:2023年3月20日

 美術館を出てそのまま花のプロムナードという並木道を歩く。両側には桜が等間隔で植わっているのだが、開花まではまだ少し先のようで、少しずつ花が咲き始めているような感じである。おそらくあと一週間かそこら、来週の週末の25~26日あたりは満開で大盛況になるのではないか。

 

 このピンクの濃い満開に近いのは寒桜だとか。

 

 そして花のプロムナードの先は花の広場があり、モニュメントの噴水と池がある。

 

 池には例によってカモがいるのだが、この公園のカモはずいぶんと人馴れしていて、近くにいっても逃げない。あちこちに看板などに注意書きがあり、カモにエサをやらないようにとか、エサをやると自分でエサを取るのを止めてしまうとか渡りをしないでそのまま死んでしまうとか書いてある。あちこちにそういう注意書きがあるので、やっぱりエサをやる人がいるのだろう。人が近づいても逃げないのは多分そういう影響もあるのかもしれない。

 

 花のひろばの奥には日本庭園がある。そこにもカモが多数池に浮いていた。近づくと奥の岸からダイサギが飛び立っていった。いつ見てもダイサギを飛ぶ姿は美しい。

 陸に上がって休んでいるカモがいるところの上にはなぜかクロネコがいて、じっとこちらの方を見ている。このネコも公園にいついているのだろうか。

 

 美術館を出たのが5時。公園には小1時間くらいいただろうか。すっかり春めいていて、6時をまわっても辺りはさほど暗くなっていない。過ごしやすい季節の訪れである。これから桜が満開となり、おそらく連休の前後くらいは一番過ごしやすくなって、この公園が一番美しい頃かもしれない。