星の旅人たち

 「サンティアゴ・デ・コンポステーラ 巡礼」というのがあるらしい。

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路 - Wikipedia

 フランスとスペインの国境沿いに連なるピレネー山脈のフランス側から歩いて、スペインの北部を縦断し大西洋岸に近い聖ヤコブの遺骸があるとされる、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの道程を歩く巡礼路。おおよそ800キロあるとされる中世からの巡礼路を、現代においても毎年数万人の人々が徒歩や自転車で聖地を目指して行くのだそうな。それは熱心な信仰心のためではなく、観光やスポーツ、各自の決めた目標達成のために歩くのだという。

 アメリカには大陸を東西や南北に縦断して歩くロングトレイルというのがある。あれは数千キロにも及ぶらしく、たしかそれを題材にした映画もいくつかあったような気がする。

 それとは異なるが、800キロというスペイン縦断の巡礼路を徒歩で行くのが、サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路だそうな。山あり谷ありの道を単純に一日20キロ歩いても40日かかるのである。いったいどんな人が行くのか。

 

 

 そういえばよく酒を飲む友人の友だちが、会社を65歳で辞めてからヨーロッパでロングトレイルをされたみたいな話を聞いたことがある。たぶんこれだったんじゃないか。

 

 

 まったく予備知識なしにAmazonプライムで観た映画が、この「サンティアゴ・デ・コンポステーラ 巡礼」を題材にしたものだった。

星の旅人たち - Wikipedia

 カリフォルニアで成功した初老の眼科医トム・エイヴリーは、一人息子のダニエルとうまくいっていない。ある日、ダニエルは大学での研究を辞めて自分探しの旅に出る。トムが友人とゴルフを楽しんでいるときに携帯電話が鳴る。それはフランスのサン=ジャンの警察からで、ダニエルはサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の初日、ピレネー山脈での嵐に巻き込まれて亡くなったという報せだった。

 トムは遺骸を引き取りにサン=ジャンへ出向く。当初は遺体とともにアメリカへ帰るつもりだったが、ダニエルの遺品のバックパックを整理するうちに、息子がやろうとしていたサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼を自身が経験してみようと思うようになる。そして息子の遺骸を火葬した遺灰を携え、旅の途中ですこしずつ撒いていく。それはずっと疎遠だったダニエルと向き合い、彼が何を考えていたのかを思う、亡くなった息子と対話する巡礼だった。

 旅の途中でトムは、ダイエットを目的としているよく食べ、道中ドラッグばかりしているオランダ人ヨスト、カナダ人の女性で禁煙することを目的にしたサラ、さらにスランプで書けなくなった作家でアイルランド人のジャックと知り合う。最初は、息子を失った悲しみから心を開くことがなかったトムは、次第に四人と打ち解けていき、一緒に旅を続けることになる。

 監督のエミリオ・エステベスはかっては、トム・クルーズマット・ディロンなどと同じ頃に輩出した若手二枚目スターだが、今は監督業がメインにになっている。主演のトムを演じるのはマーティン・シーン。我々にとっては『地獄の黙示録』や『ファイナル・カウントダウン』などに主演した懐かしい二枚目俳優だ。監督のエミリオ・エステベスマーティン・シーンは実際の親子で、この映画でもエステベスは息子のダニエルを演じている。親子での共演はこれまでにもあるらしいのだが、最初にエミリオ・エステベスマーティン・シーンの親子というのにちょっと違和感があったが、調べるとマーティン・シーンは父親がスペイン人で、本名はラモン・ジェラルド・アントニオ・エステベスというのだとか。なるほどそれなら納得だ。

 映画は長い旅路の中での様々エピソードを散りばめながら進む。

 オランダ人ヨストはダイエット目的といいながら、宿屋での肉料理を舌鼓をうち、歩きながらマリファナを吸ってばかりいて、ちっともダイエットにならない。

 サラは夫からの暴力にさらされ、おまけに一人娘を亡くしている。ちょっと腕をつかまれたりすると反射的に相手を叩いてしまうなど、暴力に対するトラウマを抱えている。旅の目的が禁煙といいながら、旅の途中、歩きながらもひっきりなしに煙草吸っている。

 彼女は最初、トムに対しても攻撃的で、あなたのようなベビーブーマーはどうせ仕事で何かやらかしたか、第二の人生を探そうと思い立ったか、そんな通俗的な理由でiPodでジェームス・テーラーが聴きながら旅しようとしてるのかしらと、揶揄する。どうせスティーブ・ジョブズの製品を持ち歩いているんでしょ、みたいなことまで言い出す。多分旅行中にそういう初老の男を沢山見てきたのかもしれない。

 そしてアイルランド人の作家ジャックはというと、もともとは小説家志望だったがキャリアの最初に始めた旅行記作家をそのまま続けている。おそらくこのままではいけない、本来の希望だった小説を書きたい、書かなくてはという思いにかられ、でもまったく書けないので、この巡礼で知り合った人びとのことを書こうと、要するにネタを探しにきているという始末。

 旅の途中、ある町でトムはバックパックをジプシーの少年に盗まれる。必死に少年を追うが逃げられてしまう。トムは必死に探そうとするが、他の三人はある種の賎民であるジプシーと関わるのはまずいとしてトムに諦めるように言う。しかし少年の父親は、バックパックに遺灰があることを知り、少年を連れてパックパックを返しに来る。そして自分たちのパーティに四人を誘う。ジプシーたちとの一夜限りの交流。

 翌日、ジプシーの父親はトムに対して、サンティアゴ・デ・コンポステーラに着いたら、さらに足を延ばして大西洋に遺灰を撒くことを提案する。

 

 映画は淡々とスペイン北部の巡礼路を旅する四人を描く。景色は美しく、彼らがたどり着く町や教会も魅力的だ。単なる観光映画とは異なる、どこか荘厳な雰囲気漂う映像、所々にキリストや聖者のイコンがカットインされる。

 典型的なロードムービーで、旅をしながら主人公の人生が投射される。大きなドラマはないが、淡々と徒歩での旅の日々が活写される。良い映画だなと思う。よく言う人生賛歌ものなのだが、父と亡くなった息子の対話が暗示される。父は旅のあちこちで息子の幻影をみる。父は息子と一緒に旅をしているのだ。

 

 なんの予備知識もなく観た映画だったが本当に良い映画を観た気分だ。

 もう老いさらばえた自分には、徒歩での旅など想像することも難しい。でももし40年前に戻れたら、こんな風に数ヶ月かけて徒歩での旅をしてみたかったな、とそんなことを思わせる映画だ。

 中世とはいわず、近世にあっても人々の移動は基本的に徒歩によるものだった。幕末の志士たちは、出身地から京都や江戸へと徒歩で移動した。さらに学ぶべき先達や同士と意見を交わすために、見聞を広めるために徒歩で旅をしたという。

 観光や見聞を広めるとか、さらにいえば自分探しとか、そういう目的とかではなく、ただただ何か月も徒歩で歩くなんてことを、人生で一度くらいしても良かったかと。

 今は車での移動がもっぱら。それでも宗炳の臥遊ではないが、イメージの世界では自由に山野を駆け巡るみたいな心持になって、徒歩旅行を夢想する。

 

 『星の旅人たち』は2010年の映画。もう15年以上も前のものだったか。もっと前に巡り合いたかった映画だ。

 

 

おーい、応為

おーい、応為

おーい、応為

  • 長澤 まさみ
Amazon

 

 Amazonプライムで観た。

 そういえば、応為の映画が去年映画館でかかっていたなとは思っていたが、まあ最近はとんと劇場で映画観ることも少なくなっていて、そのまま忘れてしまった。

 今日もアマプラのリストをつらつら眺めていて見つけた。なにか最近はサブスクの映画のタイトルを眺めるのが日課というか、趣味みたいになっている。アマプラ、Netflix、ディズニー+などのタイトルリストを見て、結局見ないままで終了。気がつくと1時間くらい平気で見ていられる。そういえば昔、レンタルビデオ屋でただただタイトルだけ見てなにも借りずに帰るなんてことをたびたびやっていた。

 同じようなことでいえば、子どもの頃から本屋で棚に並んだ本を眺めて時間をつぶすなんてことをずっとやっていたっけ。時々手にとっては元に戻してを繰り返す。これはビデオやDVDでも同じ。そしていくつか買うもの、借りるものの候補を決めて。でもどこにあったかわからなくなったりとかも。

 本屋でずっとそんな風にして時間をつぶして過ごした。結局それが興じて、大学卒業してから本屋に勤めることになったわけだから。

 

 なんの話だ。

 映画の『おーい、応為』だ。Amazonプライムのタイトルを見ていて見つけた。去年の映画だがもうアマプラで無料で見ることができるのか(プライム会員)。

 葛飾応為のことは一応知っている。葛飾北斎の娘で同じ浮世絵師だったとか。絵もいくつかは観ているはずだが、あまり印象に残っていない。もっとも浮世絵はそれこそ北斎や広重以外はほとんどイメージできないかもしれないが。

 応為は出戻りで北斎と一緒に住んでいたらしいこともなんとなく知っているが、これはこの映画の原作としてあげられている杉浦日向子のマンガ『百日紅』を読んでいたからだと思う。

 映画は応為が嫁ぎ先から三行半をつけつけられ(つけつけて)、父親の元に帰ってくるところから始まる。主役長澤まさみが長屋の路地を歩くフルショット、そして狭い散らかった部屋に入るところから始まるのだが、実は主演が長澤まさみだということも失念している。そうか応為を長澤まさみがやるって、そういう映画だったか。

 部屋の中は散らかり放題、その中で絵を描く北斎を演じるのは永瀬正敏だ。とにかく部屋は散らかっている。お前の居場所はないという北斎の横で、壁によりかかってしばらく置かせもらうという応為。実際、北斎の居室はいつも散らかり放題で、掃除や片付けなどされることはなく、どうしようもなくなると宿替えをするということだったらしく、北斎が引っ越し魔だったのはこういう事情があったのだとか。

 さらに日常生活について無頓着だったのは北斎だけでなく、応為も同じだったらしく、掃除もせず料理もしない、二人は店屋物などで暮らしていたという。このへんは飯島虚心による伝記『葛飾北斎伝』にも紹介されるエピソードのようだ。この映画はこの『葛飾北斎伝』と杉浦日向子の『百日紅』が原作となっている。

 映画は応為が出戻って北斎と暮らし始めてから、北斎が亡くなるまでの日々を淡々と、本当に淡々と描いていく。ドラマチックなストーリー展開もとくになく、なんのカタルシスもない。人によってはかなり退屈な映画かもしれないな。自分はというと、けっこう面白く観ていたが、それでも途中で少しダレるような感じもした。

 主人公は娘の北斎だが、基本は葛飾北斎の話といってもいいかもしれない。娘からみた浮世絵の巨人北斎というのでもなく、北斎と娘の暮らし、それもほとんど凡庸な日常を描くだけ。北斎の弟子たちと応為の絡みみたいなものもあるにはあるが、それもあまり前景化されていない。父と娘の二人暮らしの日常。

 なんというか、これって時代劇で描かれた小津安二郎みたいなそんな感じもしないでもないな。もしも小津がこの映画を撮ったら、北斎笠智衆でもいいが、応為は原節子じゃないな。たぶん高峰秀子か杉浦春子あたりか。まあいいや、今適当に考えたことだから。

 この映画が北斎と応為の単調な日常を描いていながらも、観るものを惹きつける魅力のは、一つには映像への作り込みがしっかりしているところだろう。長屋の居室、散らかった部屋の中で絵の制作に打ち込む北斎や応為、あるいは訪れる弟子たちとのからみ、二人ないし三人の姿を描く構図がきちんと作り込まれている。これは相当に絵コンテ作ったに違いないかなと思ったりもした。とにかく二人を描いていても、畳みべり、板の間、窓の向こうの景色などと人物が構図化されている。

 

 

 

 こういうワンカット、ワンカットにこだわる映画が基本的に良い映画だと思ったりもする。ただし屋外撮影では大覚寺や京丹後の古民家などがロケ地になっているらしいが、メインの江戸の街並みはおそらく太秦のセットを使っているのだろ思う。そのへんがいかにも作り物っぽいのが、少々興醒めでもあった。なんていうかいかにも時代劇撮っていますみたいな感じ。

 さらにいうと長屋の狭い路地を長澤まさみが歩くシーンを、ハンドヘルドカメラを使ってフルショットで長回しで撮っているのだが、画像が揺れていて、そのへんの効果がどうなんだろうと思った。まあ今風のリアル表現としてありなのかもしれないが、映画全体が基本的に静的な雰囲気なので、そういう動的な描写必要なんだろうかと。

 とはいえ映画全体としてはかなり良い出来じゃないかなと思った。なによりも長澤まさみがいい。とにかく魅力的だ。男勝りでガサツな応為を演じていても、ちょっとした仕草などそこそこに色気を感じさせる。これだけ長澤まさみを魅力的に撮れたら、それだけでこの映画は成功ではないかと。

 もちろん姿態や見栄えだけでなく、長澤まさみの演技力もたいしたものだ。北斎を演じた永瀬正敏とのある種の演技合戦みたいな部分もあるのだが、二人とも本当に上手いとは思った。映像の作り込みがきちんとしていて、役者の演技がしっかりしている。それだけで映画は上質なものになる。

 しいていえば、せっかく葛飾北斎と娘の応為を描いた映画なので、ストーリーの中にもっと絵が取り上げられていてもいいかなとは思った。一応、随所に北斎や応為の絵が出てくることは出てくる。応為の代表作《吉原格子先之図》については、応為が吉原で「張見世」を見つめるシーンが出てくる。格子張りの座敷に女郎たちがいて、外では男たちが品定めをしている。それを格子ごしに遠くから眺める応為。それから《吉原格子先之図》が画面に大写しされる。こういうシーンをもっと随所に入れて欲しかった。画家を題材にした映画なのだから。

 監督の大森立嗣はあまりよくは知らない。というよりも最近の人は、洋画、邦画に関わらずあまりよく知らない。キャリアをみると新宗教の子どもたちを描いた『星の子』を撮っている。あれは芦田愛菜が出ていただろうか。けっこう面白く観ることができた。あと音楽がトランペットを使った奇妙な風で最初はちょっと違和感があったが、だんだんと慣れてくると妙にクセになる。タイトルクレジットを見ると大友良英とある。あっ、『あまちゃん」か。なるほどと納得した。

 『おーい、応為』、けっこう高得点。もう一回観てもいいかなくらいに気に入った。

おーい、応為 - Wikipedia

葛飾応為 - Wikipedia

 

  ちなみに映画の中でも取り上げられていた応為の代表作を少しだけ。

 

《吉原格子先之図》 葛飾応為 太田記念美術館

《夜桜美人図》 葛飾応為 メナード美術館

 

 夜を描く浮世絵。これって明治期の新版画、小林清親などが得意とした描写だけど、こういう夜を描く、提灯や燈篭の薄ぼんやりとした光の中で淡く映し出されるやや幻想的な光景、こういう描写が明治以前にも描かれていたのかと改めて思ったりもする。葛飾応為は新しい浮世絵、新版画を先取りする部分もあったのかもしれないと、少しだけ思ったりもした。

 

マイ・ニューヨーク・ダイアリー

 

 ニューヨーク、それも老舗の出版エージェントを舞台にした作品である。

 大学を卒業してニューヨークを訪れていた作家志望のジョアンナは、なかなか出版社での就職がうまくいかず、どうにか雇ってもらったのが老舗出版エージェント。そこはなんと著名な作家J.D.サリンジャーのエージェントをしていた。彼女はそこで世界中のファンからサリンジャーに送られてきたファンレターに目を通し、紋切り型の返事を出すことと、作家のインタビュー等のテープ起こしをする事務仕事につく。

 ファンレターの返事はいつも「「サリンジャーはファンレターを読みませんので悪しからず」というものだったが、熱心な手紙を読むにつれて、事務的な返事だけではなく、彼女の意思に基づいた返事を何人かの読者に送るようになる。

 ジョアンナは仕事になれ、何度かサリンジャーと上司との電話を取り次ぐうちに、サリンジャーと軽い会話をするようにもなる。その中でサリンジャーは彼女が作家志望であると知り、彼女に「書くことをやめてはいけない、毎日書き続けるように」と励ますようになる。そして彼女はサリンジャーに背中を押されるようにして、会社を辞め作家になる道を選ぶ。

マイ・ニューヨーク・ダイアリー - Wikipedia

My Salinger Year - Wikipedia

 

 これは実際に出版エージェントに勤めていて、後に作家となったジョアンナ・ラコフの回想録である。面白いのは作家志望のジョアンナは、就職するまでサリンジャーの作品を一つも読んでいない。ジョアンナが就職した1995年、1953年に隠遁生活に入っからすでに42年の月日が経ち、その間サリンジャーはほとんど一篇も作品を発表していない。ある意味筆を折った隠遁生活者でもある。当時的にはまだ『ライ麦畑でつかまえて』は世界中で毎年50万部近い増刷がされ、新しい読者が生まれていた。でも大学(おそらく文学部)を卒業したばかりの作家志望の女性が、サリンジャーを読んでいないというのは、すでに過去の作家になりつつあるというようにも捉えられるかもしれない。

Joanna Rakoff - Wikipedia

J・D・サリンジャー - Wikipedia

 今現在、『ライ麦畑でつかまえて』は日本でどのくらい読まれているのか、あるいはサリンジャーがどの程度認知されているのかわからない。1950年代アメリカで長くロングセラーとなり、青春小説の金字塔となったこの小説は、日本でも最初は1964年に野崎孝訳で『ライ麦畑でつかまえて』が白水社から刊行されて以来、長くアメリカ文学のロングセラーを続けている。

 自分は1980年に大学を卒業して大学内の書店に勤めた。その頃でもまだ新学期に『ライ麦畑でつかまえて』は新学期商品として、必ず平積み小品だったし、年間を通してコンスタントに売れていた。当時的にいえばお堅い小中出版社にも、1~2点は必ずロングセラーとして売れ続ける本があった。白水社の『ライ麦畑~』、弘文堂『甘えの構造』、みすずの『夜と霧』、『生きがいについて』などなど。まあこれはまた別の話だ。

 今の読書文化というか、翻訳小説の受容がどうなっているのかは、さっぱりわからない。仕事をしている頃(一応出版業界の端くれに棲んでいた)、特に出版社に勤めていた頃のことになるけど(たぶん30年以上前になる)、すでに海外もの、翻訳ものはかなり苦戦するような状況が続いていた。翻訳ミステリーはまだまだけっこう売れるコンテンツがあり、「このミステリーがすごい」という毎年発表されるベストテンの海外ものもかなり話題になっていた。

 でも純文学はというと多分話題になるものがほとんどない状況が続いているかもしれない。売れっ子というか国民的作家である村上春樹アメリカ文学の翻訳を定期的に行っていたこともあり、たぶん21世紀になる以前にはけっこうアメリカ文学の純文学系もそこそこマーケットとしてはあったかもしれない。雑誌『SWITCH』とか日本版『ニューヨーカー』なんていうのが、毎月競うようにしてアメリカ文学の短編を掲載していた時期もあった。あれはひょっとすると80年代~90年代だったかもしれない。

 アメリカ文学では戦前のヘミングウェイフィッツジェラルド、フォークナー、スタインベック。戦後はサリンジャーノーマン・メイラートルーマン・カポーティなど。そして現代文学というと、ピンチョン、ヴォネガット、アップダイクなどがあったか。そして以降の作家は、ポール・オースターティム・オブライエンフィリップ・ロスあたりだろうか。

 自分はヴォネガットの熱心はファンだったけど、上記の作家たちも一応ひととおり代表作くらいは目を通していたかもしれない。まあピンチョンとかは何度挑戦してもダメだったような気もうするが。でもアメリカ文学というと、まず思い浮かべるのはやっぱりヘミングウェイサリンジャーみたいな印象だ。なので今回の『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』もニューヨークの出版文化を背景に、サリンジャーの出版エージェント会社が舞台というところに、けっこう強く惹かれる。

 さらにいえば主人公のジョアンナが、単に書類を届けに行くだけなのに、ちょっと興奮気味に訪れる雑誌『ニューヨーカー』のオフィスのシーンなんていうのもグッとくる。数々の文学作品の初出として掲載されることの多かった『ニューヨーカー』はやっぱり文学フリークたちの憧れの雑誌、会社なのだろう。

 映画の主演はジョアンナを演じるのはマーガレット・クアリー。中堅若手女優らしいが、長身、スレンダーで目がくりくりと大きく、なんとなくアン・ハサウェイと似たタイプ。身のこなしや姿勢の良さなど、なんとなくモデルかバレーダンサー出身かと思ったら、やっぱりモデルでバレー経験ありみたい。なかなか魅力的な女優で、彼女の魅力が存分に発揮されているだけで、この映画はなんとなく成功しているかなと思えたりもする。

 そしてジョアンナの上司役はなんとシガニー・ウィーバー。最近こういう初老のキャリア・ウーマン役でけっこう見かけるような気もするが、やっぱり上手い女優さんだ。

 『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』、映画としては佳作、小品っぽいが、ニューヨークの出版文化の雰囲気、そしてなによりサリンジャーに代表されるようなちょっと古めかしい文学シーンへのノスタルジイを感じさせる。そして随所にちりばめられたニューヨークの街並みも、そこそこに美しく、20世紀末の雰囲気である。そう、まだ同時多発テロによってツィンタワーが崩落する以前のニューヨークである。

 1995年のニューヨークはすでにノスタルジイとともに語られるかっての街なのである。そこではまだ紙の文化が健在であり、伝説の作家サリンジャーも存命だった。

グランド・ブダペスト・ホテル

 

 ずっと気になっていた映画ながら未見だった映画。

 傑作である。もう何から何まで映画的魅力に満ち満ちている。

 映像の作り込みの凄さ、美しさ。ウェス・アンダーソンの映像構成の特徴とされるシンメトリーがあらゆるカットに徹底されている。おそらく入念な絵コンテと撮影監督、美術担当による作り込みなのだろう。

 映画は架空の国ズフロフカ(中欧か東欧のどこか)にある山間のリゾートホテル、グランド・ブダペスト・ホテルは有名なコンシェルジェ、ムッシュ・グスタヴによって運営されている。そこを定宿としている裕福な未亡人が、ホテルから帰ったあとに亡くなる。グスタフは助手でベル・ボーイのゼロを連れて弔問に行くが、未亡人殺害の嫌疑をかけられる。そして未亡人の莫大な遺産と遺言でグスタヴに譲られることになったルネサンス期の名画を巡って、未亡人の相続人と彼に雇われた殺し屋とグスタフとの追跡劇が始まる。

 

 映画は基本的にドタバタのコメディで、さながらかってのスプラスティック・コメディを思わせる。グスタヴを演じるのはイギリスの名優レイフ・ファインズ。さらにオール・スターが敵役や脇役にふんだんにキャスティングされている。名前をあげていくと、F・マーリー・エイブラハム、エイドリアン・ブロディウィレム・デフォージェフ・ゴールドブラム、ハーヴェー・カイテル、ジュード・ロゥ、シャーシャ・ローナン、ティルダ・スウィントンビル・マーレイなどなど。

 ぶっちゃっけ、ティルダ・スウィントンハーヴェイ・カイテルをこんなチョイ役で使っていいのかと思うくらいに贅沢なキャスティングだ。さらに若手実力派女優であるシャーシャ・ローナンも面白い役柄で、彼女はウェス・アンダーソンのファンなのだとか。そしてウェス・アンダーソン映画の特徴である無表情で芝居がかった演技を見事にこなしているという。

 もちろん主役のレイフ・ファインズの演技は素晴らしく、F・マーリー・エイブラハム、エイドリアン・ブロディらの演技もそれぞれが芝居がかって、半ば戯画的なところはまさに名演といえる。

 グスタヴの助手役で戦争で荒廃した祖国からの難民であるベル・ボーイを演じるトニー・レヴォロリは、この映画がデビューのようで、クレジットでは「Introducing」として紹介されている。

グランド・ブダペスト・ホテル - Wikipedia

The Grand Budapest Hotel - Wikipedia

 

 映画の上映時間は100分足らず。その中に目まぐるしく展開するストーリーはドタバタ基調でテンポも良く、まったくダレることなく観ていられる。本当にダレ場が一切ない。

 最初に書いたが、セット、映像は美しく、どのシーン、どのカットにも見事に作り込まれていて、それぞれどのカット、あるいはショットもスティールにすればそのまま絵画のような仕上がりになっている。こういう映像の作り込みこそ、まさに映画といえるかもしれない。

 実はウェス・アンダーソンの映画で観たのは『アステロイド・シティ』だけだ。正直にいうと微妙に風変わりな映画という印象だった。映像の作り込みは凄いとは思ったけれど。でも今回『グランド・ブダペスト・ホテル』を観て、これまでの作品を幾つか追いかけてみようかと思った。多分、すでに巨匠になりかけつつある映像作家なのだと思う。

 それにしてもこの映画は面白かった。その前に観た映画の口直しとしては余りあるものがあった。いや~、映画って本当に面白い。

ベートーヴェン捏造

 Amazonプライムで映画を立て続けに三本立て観る。

 一日に三本というのは、ずいぶんと久しぶりのことかもしれない。学生時代は名画座で三本なんていうのは当たり前のことで、朝から最終回まで五本立て続けなんてこともあった。場末の三番館あたりで観ていると、尻が痛くなったりいろいろあった。当時は映画館でタバコは当たり前だったからスパスパしてた。途中で食事したとかの記憶がないので、たぶん売店で菓子パンとか買って食べながら観ていたのかもしれない。まあいいか、もう50年近く前のことになるのだから。

 ベートーヴェンの定着したイメージは、秘書シンドラーの捏造にあるとするお話。もともとノンフィクション小説を原作としている。それをバカリズムが脚色し、俳優をすべて日本人にして映画化したもの。

 いや~、これはちょっとしんどかった。途中で何度もリモコンの停止ボタンに指がかかりそうになった。正直、駄作だと思う。

 テレビドラマ『ブラッシュアップライフ』、『ホットスポット』などヒット作が多く、さらには登場人物をすべて日本人でというのでる。ちょっと気になってはいたし、それこそ劇場に行ってみようかとすら思っていたけど。これはもうなんていうか、劇場に足運ばなくてよかった。たぶん観ていたら、帰りは呪詛の言葉を吐いていたかもしれない。

 バカリズム脚本ということで、ちょっと凝ったシチュエーション・コメディ的なものを想定すると、これがまた大違い。真面目にベートーヴェンと後のベートーヴェン像を作り上げる秘書シンドラーのドラマ、さらにシンドラーとその他のベートーヴェン関係者との様々な軋轢-ベートーヴェンの伝記を巡る真実合戦みたいな部分をきちんと描こうとする。でもそれがシンドラーの内省的セリフを通じてストーリー展開するので、とにかく説明的。これって映画なのか、単なるドキュメンタリーか、あるいは原作の説明なのか。

 多分にこれって映画にする必然性もなく、日本人オールキャストで演じられるという点でいえば、舞台ものにしてしまえばいいのではないか。とすれば基本的にシンドラーの独白劇みたいな形で適当に成立したかもしれないと、そんなことを思った。

 それを映画にするものだから、115分のある種学芸会みたいなものを見せられる。

 映画はもっと映像に凝るべきなのだが、そういう部分でいうと監督、撮影、美術、もろもろが、なんというかテレビドラマ的な安上がりなセットで、安上がりなドラマを作ってしまったような気がしないでもない。映像に凝るというのは、たとえばシーンやカット、あるいはワンショットの映像に凝るという部分だけど、そういうものがまったくない。

 たぶん映画とテレビの違い、それも秀逸な映画と平凡なテレビドラマの違いは映像の作り込みみたいなことになるのかと適当に思いついた。例えば面白い映画には、ワンショットやワンカットを静止画にすれば、そのまま絵画のような芸術性が感じられる。そのくらいに映画監督は作り込む。つまらないプログラム・ピクチャーであっても、気鋭の映画監督はどこかのシーン、カットにそういう思い入れたっぷりの作り込んだ映像を入れる。そういうのがまったくこの映画には感じられなかった。

 そもそもの設定として、「後世に伝わる崇高なイメージは秘書シンドラーが捏造したもので、実際のベートーベンは下品で小汚いおじさんだった」というのだが、古田新太演じるベートーヴェンは確かにただのおじさん感はあるが、下品で小汚いおじさんではまったくない。もっとここ強調できなかったのかどうか。そしてベートーヴェン愛から、事実を捏造するというシンドラーの生真面目さ、それが捏造という狂気へと発展するところにもリアリティが感じられない。ただの生真面目な凡庸な男としか思えなかったり。

 同じ音楽映画という意味では、天才作曲家と凡庸な才能の宮廷作曲家の葛藤を描いた『アマデウス』をちょっと思い浮かべてみる。天才モーツァルトを軽薄極まりない男として演じきったトム・ハルスの狂気的演技。そしてモーツァルトを精神的に追い詰め、半ばオカルトチックになっていく宮廷作曲家サリエリを演じた F. マーリー・エイブラハム。

 まあ『アマデウス』と比べるのはあまりに酷かもしれない。しょせん『ベートーヴェン捏造』は東洋の小国がプログラム・ピクチャー的に作った笑かしみたいなものだからと。でもせっかく楽聖ベートーヴェンを巡る物語なのだから、もう少し作り込みが欲しかった。

 もう一つだけいうと、音楽がほとんど活かされていない。せっかくのベートーヴェンなのだから、あの名曲の数々をもっとふんだんに使うべきだっただろうし、シークエンスをつなぐのはすべて音楽みたいな風にできなかったのかどうか。いろいろ考えたくもなる。

 まあ年寄の繰り言みたいな感じもするな。今は、こういうドラマというか映画が支持されるのかもしれない。売れっ子のバカリズムだし、俳優も人気俳優、実力派を揃えている。とはいえ多分これをもう一度観ることはないだろうなとは思う。

 今、ずっとプレイリストでベートーヴェンピアノソナタ弦楽四重奏を聴いているのだが、とりあえず映画よりは音楽があればいいかと思ったりもする。それで充分だ。

とりあえず映画とか音楽とか絵とかに現実逃避します

 なんか選挙結果が凄いことになっているらしい。

 あまりの結果にきちんとニュース報道見ていないし、新聞も読まない。たぶんしばらくこんな感じだろうか。

 しかし人生70年生きてきてこういう仕打ちを受けるとは。いったい自分の人生とか、生きてきた社会とか、なんかこう要するにだ、こんなはずじゃなかった。

 大勝したらしい政権与党の支持は若い世代、二十代、三十代に多いと聞く。自分の子どもらの世代かもしれない。なんか矢とか弾がこっちに飛んでくることになるのか。そうだな、自分らが今の社会作ってきたんだし、そう、子どもたちの育て方にも言及されるかもしれないな。ごめんよ、いろいろ失敗だったかもしれない。

 昨日、まだ結果が出る前だが、子どもが3月に定演があるらしいので、その練習を都内でやっていたとか。練習は6時から9時とかで、まあたまたまこっちにも出かけていたので、ついでといえばついで、迎えに行った。車の中で選挙の話になったら、きちんと練習の前に投票には行ったらしい。うちの子は今のところ一度も棄権したことはないらしい。

 今回の投票について少しだけ話たら、選挙区は子どもは野党系に投票し、パートナーはというと、バランスをとって与党系に投票したとか。ちょっと、ちょっと。そこはバランスとるところではないだろうに。その与党系、たしか1年前に女性に無理やりキスしようとして訴えられて書類送検された人だった。しかも親の七光りの二世候補。といってもそんな情報は知る由もなしで。

 まあ若い人たちの政治意識とかにはあまり触れない。触れたくもない。とりあえず政治や経済の情報はしばらく遮断しようかと思う。さして先も長くないのに、今の状況はあまりにも精神衛生上良くない。

 トランプが大統領になったときに、しばらくSNSとか、とくにXは半年くらいやめていた。といっても、情報を得るにはその手のSNSは便利は便利ではあるのだが。今回はもう完全にXはやめてしまおうかと思ったりもする。代替手段としてはまあBlueskyとかそのへんを少しだけのぞいて行こうかと。

 そしてとりあえず、精神衛生のためにも、ネットはしばし制限してせいぜいブログとかサブスク、検索くらいにしていこうかと思ったりもする。とりあえず映画とか音楽とか美術鑑賞とか、そのへんに集中というか、現実逃避してみようかと。

 楽しいこと、出来れば美的経験的に、美しいものだけ見て生きていきたい。

 世界はいろんな意味でハード過ぎる。社会に対して問題意識をもって、できれば漸次的にでもいい方向に社会改革されていけばいいと思い、そういうように生きてきたつもりだったけど、どうもそれとは反対な方向に向かっていそうな気がする。

 自分らの少し上の世代は、戦争を知らない世代と言われた。世に言う団塊の世代だ。その後をちょろちょろと生きてきた自分らはというと、同じように戦争を知らない。でも親世代は戦争の時代を生きてきたし、そうした戦争体験を身近に聞くこともできた。同じアジアではベトナム戦争があり、その戦場には日本から米軍が出陣していた時代もあった。まだまだ戦争はリアルに感じられた。

 おそらく戦争のリアルが感じられなくなったのはいつ頃だろう。たぶん湾岸戦争の頃だろうか。海の向こうの戦争は、どこかテレビ画面を通じてゲームような感じになり急速にリアリティを失ってしまった。

 今や戦争はミサイルやドローンによるものが主力となり、どこかの基地の端末を操作しながら攻撃が行われる。空爆はモニター映し出され敵陣を、キーボードのエンタキーによって行われる。そこで実際に人が死んでいても、オペレーターはなんの痛痒も感じないのだろう。それは爆撃機空爆によって多数の人々が殺されても、パイロットには何の痛みが感じられないのと同様だ。でもそこにはあくまで現地に飛行するというリアルがあった。今はあくまでモニター上での戦闘である。まさにゲームそのものだ。

 

 歴史の区分として戦間期という言い方がされることがある。1918年から1939年まで、第一次世界大戦から第二次世界大戦までの20年間が直近の戦間期だ。もちろん第二次世界大戦以降も各地では様々な局地的戦争があり、現在も進行中だったりもする。しかし世界規模の大戦はないままだった。

 自分たちは戦争を知らない世代として生まれ、社会を生き、家族とともに生きてきた。もはや祖父祖母の代、父母の代も戦争を知らないまま生きてきた。そしてもはや戦争を知らない第三世代が社会の中心になっている。もう実際に戦争を経験した世代はほとんどが死んでしまった。戦争のリアリティが社会的に欠如していたとしてもこればっかりは仕方がない。

 でも今の戦争を知らない時代はあくまでも次の戦争までのモラトリアムなのかもしれない。あと20年もそういう時代が続けば、後の歴史家からは戦争を知らない世紀とか、長過ぎた戦間期と呼ばれるかもしれない。

 いろいろとグダグダしてるが、とりあえず映画、音楽、芸術とかに現実逃避することにしよう。

東京国立近代美術館「アンチ・アクション」を観た(2月4日)

 

 そのうち観なくちゃと思っていた東近美の「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」を会期末、駆け込み的に観てきた。

展覧会概要
新しい時代を象徴していた女性の美術家は、なぜ歴史から姿を消してしまったのか。
1950年代から60年代の日本の女性美術家による創作を「アンチ・アクション」というキーワードから見直します。当時、日本では短期間ながら女性美術家が前衛美術の領域で大きな注目を集めました。これを後押ししたのは、海外から流入した抽象芸術運動「アンフォルメル」と、それに応じる批評言説でした。しかし、次いで「アクション・ペインティング」という様式概念が導入されると、女性美術家たちは如実に批評対象から外されてゆきます。豪快さや力強さといった男性性と親密な「アクション」の概念に男性批評家たちが反応し、伝統的なジェンダー秩序の揺り戻しが生じたのです。本展では『アンチ・アクション』(中嶋泉[本展学術協力者]著、2019年)のジェンダー研究の観点を足がかりに、草間彌生田中敦子福島秀子ら14名の作品およそ120点を紹介します。「アクション」の時代に別のかたちで応答した「彼女たち」の独自の挑戦の軌跡にご注目ください。

 

紹介されている作家は以下のとおり。

赤穴桂子  1924-1998

芥川(間所)紗織 1924-1966   芥川(間所)紗織 - Wikipedia

榎本和子  1930-2019

江見絹子  1923-2015    江見絹子 - Wikipedia

草間彌生  1929-            草間彌生 - Wikipedia

白髪富士子 1928-2015 白髪富士子 - Wikipedia

多田美波  1924-2014    多田美波 - Wikipedia

田中敦子  1932-2005    田中敦子 (画家) - Wikipedia

田中田鶴子 1913-2015    東文研アーカイブ https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/809206.html

田部光子  1933-2024    田部光子 - Wikipedia

福島秀子  1924-1997    Hideko Fukushima - Wikipedia

宮脇愛子  1929-2014    宮脇愛子 - Wikipedia

毛利眞実  1926-2022    毛利眞美 - Wikipedia

山崎つる子 1925-2019    山崎つる子 - Wikipedia

 

 正直なところ草間彌生田中敦子くらいしか知らない。田中敦子は東近美でよく作品が展示されているし、他の美術館で何度か作品を観た記憶もある。あとは芥川沙織も東近美でよく観ているのと福島秀子は名前を聞いたことがある程度。あとの作家はほとんど知らない。そういう意味では、この企画展のいう50年代に一時的にスポットライトを浴びながらも、その後は忘れられていった女性作家という点はあたっているかもしれない。少なくともニワカ鑑賞家の自分にはそんな感じだ。

 ここのプロフィールについてWikipediaなどで見ていると興味深いものがある。白髪富士子は白髪一雄の妻、芥川沙織は音楽家芥川也寸志と結婚の後離婚、その後は建築家・間所幸雄と再婚した。毛利眞実は毛利家の子孫で堂本尚郎の妻。宮脇愛子は学生時代に鉄道紀行作家宮脇俊三と結婚するも離婚。のちに建築家磯崎新と再婚する。などなど。

 と、ここまで書いていて、彼女たちの何人かを自身の了解可能領域にもってくるために、誰それの妻たちという範疇で語ろうとしていることに気がつく。

 この企画展のテーマは50年代に台頭しながら忘れられていった女性芸術家という切り口とともに、戦後日本芸術界の地平におけるジェンダーの問題も視座としておかれているのだ。

 今回の企画展では会場で14編の小冊子があちこちに置いてある。それぞれ見開き2ページで、1200~1400字くらい小文でキーワードとなる用語やとりあげられた作家たちの位置づけ、戦後の女性芸術家の立ち位置などが解説されている。14編を通して読んでいるとなかなかな分量、なかなかに読み応えがある。

 

 

それぞれの章立てというか項目は以下の通り。

1.アンフォルメルについて

2.アクション・ペインティングについて

3.戦前の女流画家から戦後の新人女性へ

4.「戦前の父」と「戦後の娘」

5.メディアと女性

6.批評家と女性作家

7.女性の美術家とファッション

8.工業、産業、労働、女性

9.新しい素材、新しい画面

10.批評の分水嶺

11.女性の美術家と海外経験

12.それぞれの<アンチ・>アクション=制作行為

13.作家たちのパートナーシップ

14.女性作家の作品収集-大橋コレクションと山村コレクション

 これだけでけっこうお腹いっぱいになる。その中で5.「戦前の父」と「戦後の娘」において取り上げられた女性作家たちが、猪熊弦一郎、阿部展也、瀧口修造吉原治良らのアトリエ、教室などで指導を受けていたことを紹介し、戦前からの芸術家たち彼女たちとの関係を「父」と「娘」と称した。戦前から活躍するおじさん画家たちが若い娘さんたちに囲まれる教室、よくありがちな絵画教室のサロン的雰囲気を想像しがちだ。

 そして娘たちはメディアにとりあげられ、批評家の俎上にのり、ここであえて言語化されていないが、その多くが男性的な視線から女性性をメインに扱われたりもする。女性作家の何人かは同僚、あるいは師匠筋であったか、同じ芸術家と結婚する。中には結婚、出産を機に制作活動を断念する者もでてくる。男性に従属し、主婦として男性の制作活動を支える者もいる。

 そうした流れをこの企画展では、アクション・ペインティングというキーワードから取り上げていく。「豪快さや力強さといった男性性と親密な『アクション』の概念に男性批評家たちが反応し、伝統的なジェンダー秩序の揺り戻しが生じた」。

 いわれてみればアクション・ペインティングには確かにマッチョな趣がないでもない。特に日本のアクション・ペインティングの第一人者白髪一雄には暑苦しくて汗臭い、アーシーな男性性が感じられるか。天井から宙づりにされ、床に敷かれたキャンバスの上で絵具の塊を足でかき混ぜながら擦り付けるようにして描く。泥臭ささ、汗と絵具が混ざり合ったような何か。情念とかパッションとか、とてもオシャレとは真逆な感じだ。あれがアクション・ペインティングだとすれば、確かに女性性はその真逆かもしれない。

 50年代に産声をあげた女性作家たちの活動は、その後の高度成長期に日本社会に通底する男性社会によって、芸術世界の片隅に追いやられるか、あるいは芸術以前の男性社会で家庭に入ることを与儀なくされるか。

 本展チラシの中に芥川沙織と草間彌生のアクション・ペインティングに対する激烈な否定的言葉が引用されている。まさにそれがアンチ・アクションなのだろう。

(・・・)猫も杓子も絵具をぶつけたりへこんだり、たらしたり、盛り上げたりのアンフォルメル旋風が吹きまくって、あたかも、へこんだり、でっぱったりのどろどろの絵でなければ時代遅れのようにいわれていました。いうらそれがフランスの新しい荊浩とはいえ、女の子のヘアスタイルではあるまし、右にならえで、同じ絵を描けたものではありませんし、がっかりしていました。(芥川(間所)沙織)「私のアメリカ留学記」『美術手帖』1963年2月

アクション・ペインティングのメッカ、テンス・ストリートの全盛期に住んで、わたしは彼らの時代の名にのって、アクション・ペインティングをやったわけではないの。その只中に立って、その正反対の、アクション・ペインティングの否定をただちにやったわけ。(草間彌生)谷川渥「増殖の幻魔ー彼女はいかにして時代を駆けぬけたか」『美術手帖』1993年6月

 とはいえ今回の紹介される14人の作家の作品、多くが1950年代に来日したミシェル・タピエの唱道するアンフォルメルに呼応し、タピエから評価される形で表舞台に登場しただけに、多くの作品がアクション・ペインティング的な抽象作品が多い。正直なところその手の作品の良さは判らないし、どこを切り口にしていいのかもわからない。

 抽象的な絵画や造形は、どちらかといえば「考えるな、感じろ」というブルース・リーあるいはフォース的言説に語ることが多い。しかし一般的にはもっとも理知的な形で、言語化の対象となるのが実は抽象芸術なのかもしれないと思ったりもする。そしてそれは自分のようなニワカには理解不能なのかもしれない。

 子どもの頃からジャクソン・ポロックの作品がけっこう好きだ。小学生の頃だったか、学習百科事典に載っていた《秋のリズム:ナンバー30》が妙に気に入ってしまい、ある意味ずっと好きな絵画の中でも五指に入る位置にある。好きすぎて最初の海外旅行でニューヨークを訪れた時に、わざわざメトロポリタン美術館を訪れてご対面した時には、そこそこに感動もあった。

 でも昔から一貫してこの絵に対する感想は、なんだかオーケストラみたいというものだ。リハーサルを通じて混沌の中で次第に音楽の秩序を形成していく、その生成過程みたいなものを感じた。たぶんあってないけど、ずっとそんなことを思っている。まあ抽象絵画なんていうのは多分、そんなものだろうか。目の前の絵と対峙したときの、そのときの精神状態の中でその都度生成される心象風景。それが目の前の絵とシンクロして生まれるもの。そこに美的な何かがあると、まあ適当にそんなことを思う。それを言語化するというのはきわめて理知的な行為でもある訳だったりして。

 まあいい。なにが言いたいかというと、判らないものは判らないし、それを前提にしたうえでなんとなく美的感興が得られるかどうか、多分そんな程度なのかもしれないと。

 とはいえ、今回の企画展でも抽象表現のオンパレードにはそこそこに食傷気味となるし、そこに具象表現的作品がはさまると、それはそれでほっとしたりもした。

 

《金のWork A》 田中敦子 1962年 千葉市美術館

 

《作品》 山崎つる子 1964年 芦屋市立美術博物館

 

《裸婦(B)》 毛利眞美 1957年頃 東京国立近代美術館

 

 

 

《変電所》 多田美波 1956年 韮崎大村美術館

《炭鉱》 多田美波 1957年 東京国立近代美術館

 

 

《作品NO.1》 白髪富士子 1961年 高松市美術館

 

《作品5》 福島秀子 1959年 千葉市美術館

 

《地獄門》 田中敦子 1965-69年 国立国際美術館

 

 「アンチ・アクション」展のXを見ていて、ちょっと興味を覚えたポストがこれである。

  そうか1950年代後半の現代アートという点でいえば、確かにオノ・ヨーコの存在を忘れることはできない。

 草間彌生は1929年生まれで、1957年に渡米してニューヨークで芸術活動を始める。ハプニング的な映像作家として話題にもなっている。

 一方オノ・ヨーコは1933年生まれで、1953年に渡米しサラ・ローレンス大学で詩と音楽を学び、1956年に現代音楽の作曲家の一柳慧と結婚。1959年からニューヨークで前衛芸術活動を始める。床に置かれたキャンバスを観客が踏みつけることで完成する『踏まれるための絵画』や観客が彼女の衣装をはさみで切り取るパフォーマンス『カット・ピース』などで評判を呼んだ。

 当時的にはオノ・ヨーコはすでに認められたアーティストでありスターだった。もちろんオノ・ヨーコ安田財閥の令嬢でもあり、その財力の恩恵があったこともあるのかもしれない。これは余談かもしれないが同じ頃に三井の令嬢であったピアニストの江戸京子もニューヨークに在住している。彼女は若き指揮者小澤征爾と結婚しており、小澤は三井のスポンサードがあって頭角を現したとも言われていた。

 本企画展の小冊子の11に「女性の美術家と海外経験」がある。その中では1950年に渡仏した毛利眞美が嚆矢となり、50年代松にはニューヨークを舞台にして、草間彌生、宮脇愛子、芥川沙織らも活動したという記述がある。しかしここでもオノ・ヨーコの存在は徹底的に無視されている。

 日本の芸術界において、オノ・ヨーコはキワモノ扱い、あるいはビートルズジョン・レノンの妻というだけの存在として扱われているのだろうか。

 今回の企画展にオノ・ヨーコが不在なのは、彼女の作品がコンセプチュアル・アートであることから、ジャンル違いなどという指摘もある。またアンチ・アクションという視点から彼女が外れるとするものもある。

 なるほどと思う反面、50年代に台頭して忘れられた女性作家という点でいて、あえてそこに草間彌生が入るのであれば、オノ・ヨーコの不在はやはり腑に落ちないところもある。

 70年代に帰国し、小説を書いたりと試行錯誤し、精神病院の入退院を繰り返しながら創作活動を続けた草間彌生は、今やルイ・ヴィトンとコラボするなど、現代アートのスーパー・スターでもある。

 一方でオノ・ヨーコはというと、もちろんジョン・レノンビートルズの遺産の継承者でありつつも、50年代からの長い現代芸術作家としてのキャリアは、少なくとも海外の美術館できちんと評価され、MoMAやテートでも作品が収蔵され、定期的に回顧展が開かれている。彼女は単なるロック・スターの妻ではないということだ。

 ただしいていえば、今回の「忘れ去られた女性作家」という括りの中にオノ・ヨーコを入れると、おそらく企画意図が大きくブレる可能性はある。さらにいえば企画展はオノ・ヨーコ草間彌生とその他大勢の50年代女性作家たちみたいなものになる可能性も高いのだろう。そういう意図があるのだとすれば、やはり草間彌生も外して13人の女性作家とするべきだったのかも。でもまあ草間彌生を外しては、ネームバリューや集客にも影響するかもしれない。

 Xでポストにも少しだけ反応してしまったが、できればいつかオノ・ヨーコの回顧展を近代美術館か東京都現代美術館あたりで観てみたいような気がする。あるいはオノ・ヨーコ草間彌生の二人にスポットライトを当てるような企画展。1950年代末から60年代初頭のニューヨーク、若き芸術家たちの肖像みたいな。

 以前、1950年代末のニューヨークで活動していた若い二人の女性ジャズピアニストのことを誰か映画化してくれないかと思ったことがあった。一人はドイツから移住したユタ・ヒップ、もう一人は日本から単身やってきた秋吉敏子だ。彼女たちの周辺には当然著名、無名なジャズ・ミュージシャンが沢山いた。たぶんミュージシャン以外にもさまざまな無名芸術家がいたのではないか。

 ポール・マザースキー監督作品『グリニッジ・ヴィレッジの青春』はそんな50年代、グリニッジ・ヴィレッジに集った売れない俳優や画家、詩人、役者の卵たちの青春群像を描いた作品だ。そういう雰囲気で、二人の異国からやってきた女流ジャズ・ピアニストを主人公にした映画をちょっとだけ夢想した。もちろんそこには同じように東洋のちっぽけな国からやってきた二人の女性アーティストが絡むのは間違いないのだが。