西洋美術館「憧憬の地ブルターニュ」 (4月6日)

憧憬の地 ブルターニュ展 ―モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷|国立西洋美術館

(閲覧:2023年4月10日)

 

 西美で3月18日から始まった「憧憬の地ブルターニュ展」に行って来た。

 ブルターニュはフランス北西部に位置する半島だ。パリからはおおよそ600キロ以上離れている。第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦や『シェルブールの雨傘』のシェルブールなどで有名なコンスタン半島の南に位置する。

 辺境の地である。16世紀まではノルマン人の占拠によって生まれたブルターニュ公国が存在した地であり、18世紀~19世紀にかけてのフランス内外でのイメージは、断崖の連なる海岸や荒れ地、内陸部は深い森などゆたかな自然にあふれた土地。そこに住む人々は素朴で信心深く、またケルト系言語である「ブルトン語」を話す。まさに辺境、異郷の地であった。

 この地が内外の画家によって注目される。19世紀末にはポール・ゴーガンと彼をとりまく画家たちによってポン=タヴェン派やナビ派が形成される。ゴーガンが初めてポン=タヴェンに滞在した1886年頃には、1000人ほどの住人のいる村に、夏になると100人前後の画家が集まるようになっていたという。

 なぜこの地がそこまで画家たちに注目されるようになったのか。それは美術愛好家たちの趣向する田園風景、田舎趣味が、それまでのパリ近郊ー例えばフォンテーヌブローとその一角であるバルビゾンなどの景色に飽いたことなどといわれている。

 さらにいえば、ミレーなどの自然主義の画家が描いた農民の生活、労働などの題材が、美術愛好家=ブルジョア・コレクターには敬遠されたことなども影響している。美術愛好家たちはもっと美しい、理想的な田舎の風景を求めた。その需要に応えるべく、画家たちは新たな辺境の地として、ブルターニュを見出したということらしい。

 鉄道の延伸により1865年頃までには、ブルターニュの西先端近くにある軍港ブレストまで開通し、パリから17時間ほどの旅程と一気に移動距離が縮まった。19世紀後半以降、この地を訪れ、画題を求めた画家は多数にのぼった。

 本企画展は、西洋美術館松方コレクションを中心に、国内30ヵ所を超える構内所蔵先、海外美術館2館などから、ブルターニュをモチーフにした作品約160点が出品されている。さらに同時期にフランス留学した日本人画家たちの作品、素描、手紙類から旅行トランクなども展示するなどしている。

 作品は西洋美術館の常設展示で観ているものも多数あり、またポーラ美術館、ひろしま美術館、岐阜県美術館などの作品も一度か二度観たものなどもあり、わりと既視感のあるものも多数あった。ただ松方コレクションで初めて観る作品もあったりで、これまであまり常設展示されていない作品も多数あるのだと改めて認識する。2019年に西美で開催された「松方コレクション展」は、大規模なものだったけれど、あの展覧会でも西美が持っているコレクションの一部だったのかと思わされた。

 以下、気になった作品を幾つか

ゴーガン

ブルターニュの農婦たち》 ポール・ゴーガン 1894年 油彩・カンヴァス 
オルセー美術館

 ブルーターニュといえばポン=タヴェン派、ゴーガンということで、ゴーガン作品は12点が出品されている。これはオルセーからの貸し出しで、多分一番の目玉的作品かもしれない。二度のタヒチ渡航後にポン=タヴェンを再訪した時に制作されたもの。女性の相貌はどこかタヒチの女性を思わせ、全体の色面もどこかアースカラー風だ。

 1889年に制作されたものと比較すると、色面と色遣いには大きな違いがあるようだ。

《海辺に立つブルターニュの少女たち》 ゴーガン 1889年 油彩・カンヴァス 
国立西洋美術館(松方コレクション)
エミール・ベルナール

《ポン=タヴェンの市場》 エミール・ベルナール 1888年 油彩。カンヴァス 
岐阜県美術館

 これぞナビ派、これぞクロワゾニスムという感じ。明瞭な輪郭線と単色的な色面、人物が重なり合っているのに遠近感のない平面的な盤面。垂れ下がった紐状の布によって画面が分割される構成。この絵を最初に観た時に面白いなと感じた。岐阜県美術館には二度訪れているが、多分最初に行った時に観た記憶がある。あとどこかの美術館でやっていたナビ派の企画展で観たような気も。とにかく強く印象に残る作品。

クロワゾニスム(またはクロワゾニズム、クロワソニスム、クロワソニズム、Cloisonnism)とは、暗い輪郭線によって分けられたくっきりしたフォルムで描かれた、ポスト印象派の様式のこと。評論家のエドゥアール・デュジャルダン(Édouard Dujardin)の造語である[1]。この様式は19世紀後期に、エミール・ベルナール、ルイ・アンクタン、ポール・ゴーギャンなどによって始められた。この名称は素地に金属線(cloisons=仕切り)を貼り付け、粉末ガラスを満たしてから焼く「クロワゾネ(cloisonné)」を思い起こさせる。

クロワゾニスムの代表としてあげられるのが『黄色いキリスト』(1889年)で、ゴーギャンは絵を黒い輪郭線で区切った単色の部分に切り詰めた。こうした作品で、ゴーギャンはポスト=ルネサンス絵画で最も重要な2つの要素、つまり「古典的な遠近法」をほとんど気にとめず、また「微妙な色のグラデーション」は大胆に省いた。

クロワゾニスム - Wikipedia   (閲覧:2023年4月10日)

ポール・セリュジェ

《急流のそばの幻影、または妖精たちのランデブー》 ポール・セリュジェ 1897年
 油彩・カンヴァス 岐阜県美術館 

 これも岐阜県美術館所蔵で何度か観ている。人々が森の中で妖精たちの行進する様を見ている。一種の集団幻想をモチーフにしている。そういう意味ではゴーガンの《説教のあとの幻影(天使とヤコブの闘い)》と同質のものがある。辺境の地ブルターニュでは、敬虔で信心深い人々のあいだにそうした集団幻想、幻視のようなものがあったのかどうか。ちょっとばかり気になる。

 《説教のあとの幻影》が斜めに横切る樹木で幻影と現実が湧けられる構図となっているが、この絵でも妖精の幻影とそれを見る人々の間を流れる急流が幻影と現実を分けている。

ブルターニュのアンヌ女公への礼賛》 ポール・セリュジェ 1922年 油彩・カンヴァス ヤマザキマザック美術館
シャルル・コッテ

《悲嘆、海の犠牲者》 シャルル・コッテ 1908-1909年 油彩・カンヴァス
 国立西洋美術館(松方コレクション)

 263✕347cmと大作であり観る者の目を奪う。シャルル・コッテはナビ派、ポン=タヴェン派とは異なり、その画風は写実的で、おそらくクールベの流れを組む。バンド・ノワール派といわれる暗い色調の画風で知られる。

シャルル・コッテ - Wikipedia (閲覧:2023年4月10日)

 ブルターニュは断崖絶壁が多く、海が荒れるため漁師たちの海難事故が多く、こうした場面に遭遇することもあったのだろうか。この絵は明らかに宗教画の様式に即していて、海難事故の犠牲者は磔刑後に降架したキリストを思わせる。右上の船のマストは十字架を思わせる。

 この大作も西洋美術館所蔵品のようだが、この絵を観るのは初めて。西美にはここ数年は、年に4~5回は通っているけれど観たことがない。松方コレクション恐るべしというところだろうか。

《行列》 シャルル・コッテ 1913年 油彩・カルトン 西洋美術館(松方コレクション)

 シャルル・コッテで常設展示しているのはこの絵だと思う。コッテの画家を知ったのもこの絵から。しかしこの絵って油彩・カルトンとなっているけど、カルトンってたしか下敷きじゃなかっただろうか。

リュシアン・シモン

ブルターニュの祭り》 リュシアン・シモン 1919年頃 油彩・カンヴァス
 西洋美術館(松方コレクション) 

《庭の集い》 リュシアン・シモン 1919年 油彩・カンヴァス 
西洋美術館(松方コレクション)

 この二点も初めて目にする。松方コレクションらしいが、そもそもこの二点ってこれまで展示されたことがあるのだろうか。

 リュシアン・シモンはシャルル・コッテと同じく、ブルターニュに長く滞在した写実派の画家だ。今回の出品作に限っていえば、暗い色調のコッテに比べて思いの外明るい、華やかな色調だ。

リュシアン・シモン - Wikipedia (閲覧:2023年4月10日)

 常設展示でいつも観ているリュシアン・シモンはこれだけど、やはり明るい感じで以前からけっこう気に入っている。

《婚礼》 リュシアン・シモン 1921年頃 油彩・カンヴァス
 西洋美術館(松方コレクション)

 またこの水彩の作品も今回の展示作品の中でもかなり魅力的に感じた。

ブルターニュの女》 リュシアン・シモン 水彩・紙
 西洋美術館(松方コレクション)
小杉未醒(放菴)

《楽人と踊子》 小杉未醒(放菴) 1921年 彩色・金地・紙(二曲一双)
 茨城県近代美術館

 あの小杉放菴である。1912年に山本鼎、満谷国四郎らと渡欧して、イタリア、スペイン、ドイツ、オランダ、ベルギー、イギリスと駆け足で回っている。その際にブルターニュには二ヶ月も滞在したという。二曲一双のこの絵では、欧風というよりもどこか万葉調な感じもする。そう安田講堂の壁画と同じ雰囲気を感じさせる。