テート美術館展を観に行った (8月10日)

 国立新美術館で開かれている「テート美術館展 光 ― ターナー印象派から現代へ」を観てきた。

 友人とテート美術館展に行ったことを話していた、テート美術館のことをざっと説明していて、まあイギリスの国立美術館の一つでしょうみたいな話をした。ナショナル・ギャラリーに対してテートは18世紀以降の作品を収蔵する近代美術館みたいな扱いとか、まあ適当に話したのだが、友人から「テートって地名か、人の名前か」と聞かれてそこで答えに窮した。酒飲んでいたので、あとで調べようみたいなことになったまま、そこでその話は終了した。

 今、改めて調べると実業家ヘンリー・テートのコレクションが元になっているようだ。

テート・ギャラリー - Wikipedia (閲覧:2023年8月13日)

砂糖精製、特に角砂糖の特許買収・製造で財を成したサー・ヘンリー・テートが、自身のイギリス同時代絵画のコレクションを1889年にナショナル・ギャラリーに寄贈しようとしたことが発端であった。

当初はナショナル・ギャラリーに収蔵しきれないイギリスの美術作品(1790年以降に生まれた作家によるもの)を収蔵展示することが設立の主目的で、ゲインズバラ、ホガース、ターナー、ラファエル前派などの各時代のイギリス絵画の名品を徐々に揃えていった

 オールド・マスターを収蔵するナショナル・ギャラリーに対して同時代の作品収蔵を目的にということで、近代美術館的意味合いのある美術館ということのようだ。

 とりあえずテート美術館問題は解決。

 

テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ | 企画展 | 国立新美術館 THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO (閲覧:2023年8月13日)

見どころ|テート美術館展 光 — ターナー、印象派から現代へ|2023年7月12日-10月2日 国立新美術館|2023年10月26日-2024年1月14日 大阪中之島美術館

(閲覧:2023年8月13日)

 

 今回の企画展は「光」をテーマにテート美術館のコレクションを厳選し、18世紀から現代にいたるまでの約120点が出品されている。テートで「光」ということで、主役はJ.M.W.ターナーということになるが、それ以外にも名品が多数出ている。「光」という点でいえば、どうしても印象派作品を連想するのだが、モネは2点、シスレー2点、ピサロ1点で、なんとなくそのへんは物足りないかもしれない。その分、現代アートが多数出品されている。インスタレーション作品も多数あり、幅の広さを感じるし、なかなか楽しい。ただし、ターナーやコンスタンブルからの連関だと、少々無理があるかもしれないと思ったりもする。

 光の表現というと、どうしてもカラヴァッジョの明暗のコントラストやオランダ風俗画、あるいは夜の画家ラ・トゥールなどを連想したり、印象派というよりも新印象派ジョルジュ・スーラの方法論などを想起するのだが、そのへんは基本スルーされている。

 もっとも図録の冒頭に収録されているケリン・グリーンバーグの「光が持つ色彩」という小論で、光と色彩が近代以降の造形芸術にどう受容され表現されていったかを概観できる。またJ.M.W.ターナーゲーテの『色彩論』に多く影響を受けていることなども判る。

J.M.W.ターナー

 J.M.W.ターナー印象派に繋がる光による印象を描いた画家というイメージがあるが、彼がゲーテの『色彩論』に影響を受けながら、さらに研究を進め、ロイヤル・アカデミーでの遠近法の講義のために、光と影の関係性、異なる光源による光の状態、などをどう描くかを図式化している。それらの素描にはこの画家が理論を探求し、それを実践する過程も理解できたりする。

 今回の企画展でも10点余りの素描が展示されているが、どれも興味深い。鉄球の中に映り込む窓、光による湾曲と陰影など、画家の研究の跡が想像できる。

《講義のための図解:一つの磨かれた金属球と一対の磨かれた金属球における反射》
「Ⅱ.多用な遠近法の図」の一葉


《講義のための図解65:監獄の内部「Ⅰ.通し番号がつけられた遠近法の図」の一葉 

講義のための図解66:監獄の内部(ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージに倣って)「Ⅰ.通し番号がつけられた遠近法の図」の一葉 

 

 この企画展では現代アートなどの一部が撮影不可となっているが、その他ほとんどの作品が撮影できる。以下は興味ある作品をいくつか。

 

《湖に沈む夕日》 J.M.W.ターナー 1840年頃 油彩/カンヴァス 91.1✕122.6cm 

《陰と闇》 J.M.W.ターナー 1843年出品 油彩/カンヴァス 78.7✕78.1cm

《光と色彩(ゲーテの理論)—大洪水の翌朝》 J.M.W.ターナー 1843年出品 
油彩/カンヴァス 78.7✕78.7cm

ウィリアム・ブレイク

《アダムを裁く神》 ウィリアム・ブレイク 1795年 レリーフエッチング、インク、
水彩/紙 43.2✕53.5cm

 

 

 《善の天使と悪の天使》 ウィリアム・ブレイク 1795-1805年頃
色刷り、インク、水彩/紙 44.5✕59.4cm

 ウィリアム・ブレイクは図録解説にもあるとおりで、詩人、画家、版画家であり、ロマン主義の先駆となったという位置づけがされているようだ。また多くの美術史の本では、象徴主義として解説されていたり。まあ自分はというと、どうしてもトマス・ハリス原作の映画『レッド・ドラゴン』を想起する。あのサイコ・パスが背中に彫った入れ墨の図案「グレート・レッド・ドラゴン」の印象が。

ジョセフ・ライト・オブ・ダービー

トスカーナの海岸の灯台と月光》 ジョゼフ・ライト・オブ・ダービー 17989年出品? 油彩/カンヴァス 101.6✕127.6cm

《噴火するヴェスヴィオ山とナポリ湾の島々を望む眺め》 
ジョセフ・ライト・オブ・ダービー 1776-80年頃 油彩・カンヴァス 122✕176.4cm

 一般的にはジョセフ・ライトが画家の名前。ダービーはイギリス中部の都市の名前。まあ日本的にいえば横浜の鈴木一郎みたいなものだろうか。一般的にはイギリス・ロマン主義絵画の先駆みたいな位置付けとともに、産業革命時代の申し子みたいに呼ばれることも多い。実際、科学的な知見を主題にした作品も多い。

 この人のことは大塚国際美術館で知った。まあ自分の場合、大塚で知った画家は多数を占めているのだけれど、ライト・オブ・ダービーの作品はたしか《酋長の未亡人》という作品だったと記憶している。あれは夫を亡くしたインディアンの若い妻が、山上で悲嘆に暮れる姿を、暗雲の中、雲の間から明るい陽光が輝き出すというシーンを描いたものだったような。ちょうどそれは今回出品された《噴火するヴェスヴィオ山~》のそれとよく似たものでもある。ライト・オブ・ダービーは多分、こういうある種荘厳な空と陽光や、火山の噴火の閃光といった劇的な画題を得意としていたようだ。

 多分、実作を観るのは初めてかもしれないけれど、大塚で観た画家の作品を実作として観るのはなんとなく嬉しい。

ジョン・コンスタンブル

 《ハリッジ灯台》 ジョン・コンスタンブル 1820年出品?
油彩・カンヴァス 32.7✕50.2cm

ジョン・エヴァレット・ミレイ

 《露に濡れたハリエニシダ》 ジョン・エヴァレット・ミレイ 1889-90年
 油彩・カンヴァス 173.2✕123cm

 ジョン・エヴァレット・ミレイはラファエル前派の一人として有名だけど、この人の純然たる風景画というのは多分初めて観たかもしれない。

ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー

 《ペールオレンジと緑の黄昏—バルパライソ
ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー 油彩・カンヴァス 58.6✕75.9cm

 19世紀のイギリスで活躍したアメリカ人画家。この人の回顧展は確か横浜で開かれたのを観に行った記憶がある。日本美術、浮世絵に対する関心も高く、その辺を含めて印象派の範疇に入ることも多いけれど、多分少し違うのだろうとおもう。

 この人というと、ラファエル前派の良き理解者でもあった批評家ジョン・ラスキンとの間での法廷闘争があったことが有名。ラスキンに酷評されたことから名誉棄損として起こした裁判で勝つのだけれど、ラスキンは精神を病んでいたことを理由にわずかな賠償金しか払わず、ホイッスラーは裁判費用で破産したとか。名誉は守られたが財産を失うという散々な目にあった人。

 画力があり、この人の肖像画は見事な作品が多い。

クロード・モネ

 《ポール=ヴィレのセーヌ川》 クロード・モネ 1894年
 油彩/カンヴァス 65.4✕100.3cm

アルフレッド・シスレー

 《春の小さな草地》 シスレー 1880年 油彩/カンヴァス 54.3✕73cm

 《ビィの古い船着き場へ至る小道》 シスレー 1880年 油彩/カンヴァス 49.8✕65.1cm

カミーユピサロ

 《水崎案内人がいる桟橋、ル・アーブル、朝、霞がかかった曇天》 カミーユピサロ 1903年 油彩/カンヴァス 65.1✕81.3cm

 ピサロは1903の夏にル・アーブルを訪れ10月にパリに戻るまでの間に18点の絵画を描いてそのうちの1点のようだ。シスレーピサロ印象派を代表する二人だが、生前の評価はあまり芳しくなくあまり絵は売れなかったみたいだ。ピサロが息子に宛てた手紙だか何かで、なぜ自分の絵がモネやルノワールのように評価されないのかを綴ったものがあったように記憶している。

 ピサロは屋外で制作により光の加減で映ろう風景を様々に活写している。新たな表現である点描画法を評価し、自らも実践するようだが、これもあまり売れなかった。いまさらになぜ彼の絵が評価されなかったのかというと、結局のところシスレーもうそうだけど、美しく、新しい表現ではあるけれど、どこか凡庸な個性を感じさせない部分なのかもしれない。

 ルノワールのような圧倒的な画力もなく、モネのような突出した個性的な表現もない。ピサロシスレーのそれは印象派的な凡庸さとでもいったらいいのか。もっとも自分などはその凡庸さこそ、逆に万人受けする風景画としてけっこう気に入っていたりもするのだけど。

 ピサロはこの年パリに戻ってすぐの11月に死去している。葬儀に参列したのはモネとルノワールだったとか。

アルマン・ギヨマン

 《モレ=シュル=ロワン》 アルマン・ギヨマン 1902年
 油彩/カンヴァス 60✕73cm

 ギヨマンというと宝くじが当たって、その金で画業に専念した人というエピソードが強すぎて、その名を見ると反射的にラッキーな画家というのが連想されてしまう。

ヴィルヘルム・ハマスホイ

《室内》 ヴィルヘルム・ハマスホイ 1899年 油彩/カンヴァス 64.5✕58.1cm 

ワシリー・カンディンスキー

《スウィング》 ワシリー・カンディンスキー 1925年 油彩/板 70.5✕50.2cm 

ペー・ホワイト

《ぶら下がったかけら》 ペー・ホワイト 2004年 紙、糸 サイズ可変

 

 ブリジット・ライリー

 《ナタラージャ》 ブジット・ライリー 1993年 油彩/カンヴァス 165.1✕227.7cm

ピーター・セッジリー

 《カラーサイクルⅢ》 ピーター・セッジリー 1970年 アクリル/カンヴァス 184.1✕182.9cm

オラファー・エリアソン

 《星くずの素粒子》 オラファー・エリアソン 2014年 ステンレス・スチール、半透明のミラー、ワイヤー、モーター、スポットライト 直径170cm