府中市美術館「ほとけの国の美術」後期展示 (5月3日)

 5月6日に会期を終了した府中市美術館、「春の江戸絵画まつり ほとけの国の美術」の後期展示を観てきた。この企画展は3月28日にも行っているが、合計展示点数177点のうち前期展示54点、後期展示50点ということで、前後期でがらっと展示作品が入れ替わる。そのため全貌を把握するためには最低二回は行く必要がある。

府中市美術館「ほとけの国の美術」 (3月28日) - トムジィの日常雑記

 

 日本画の大がかりな企画展はたいていの場合、作品保護のため展示期間が一か月程度と限定されていることが多い。そのため事前に展示期間を調べておかないと、お目当ての作品を目にすることができない。「美術館あるある」の一つといっていい。

<地獄極楽図>

  後期展示の目玉的作品は、金沢市にある浄土真宗本願寺派の寺院、照円寺に伝わる<地獄極楽図>で、縦1.7mの大型作品が18幅連なる。<地獄極楽図>は源信によって説かれた『往生要集』による「六道」、すなわち人が果てしなく輪廻する地獄を含む六つの苦しみの世界を絵解きによって人々に判りやすく視覚化したものだ。『往生要集』には輪廻から逃れて阿弥陀如来西方極楽浄土に往生する方法もあり、浄土への往生を願う人々に信仰の重要さを説いている。

 照円寺の<地獄極楽図>は18幅の内訳は、地獄以外の六道の図が六幅(うち人道が二幅)。地獄の図は七幅で浄土の図が四幅。他に往生要集を記した源信像が一幅。

 仏教の中では、すべての生き物が六種の世界のいずれかに生まれ変わるとされるもの。どの世界に生まれ変わるかは、生前の業(善悪の行為)によるとされ、業によって天道、人道、阿修羅道畜生道、餓鬼道、地獄道があり、どの道でも苦しみがつきまとう。六道の輪廻から抜け出す唯一の方法は、功徳を積んで、極楽浄土へ行くこととされている。

天道

人道、阿修羅道とともに「三善道」とされる。六道の中で最も苦しみが少なく喜びに満ちているが、死を逃れることができない。

人道

人間の暮らす世界のことで品行方正の者が行くことができる。快楽もあるが、苦しみも多く、生・老・病・死など「四苦八苦」に満ちた世界。

阿修羅道

戦いの神である阿修羅の世界。怒り、驕り、愚かさという三つの煩悩を捨てられない者がいく世界。帝釈天を相手にひたすら戦い続けなければならない。

畜生道

愚かで他者に養われて生きた者が行く世界。弱肉強食の世界で、より強いものに命を脅かされ続けながら暮らすことを余儀なくされる。

餓鬼道

奢り、怒り、愚かさという三つの煩悩に生きた者が行く世界。細い口とけっして満たされることのない腹を持つ餓鬼として、飢えと渇きに苦しみながら生きなければならない。

地獄道

悪行をはたらいた者が落ちる世界。重ねた悪行によって八つの地獄のうちのどこかに行き、鬼たちからの壮絶な責め苦を受け続ける。

<八大地獄> 『ほとけの国の美術』図録より

 それぞれの地獄は下にいくにつれて10倍苦しみが増す。最下層の阿鼻地獄にいたっては上の七つの地獄の1000倍苦しい地獄。

等活地獄

殺生を犯した者が堕ちる。鬼に鉄の杖で打ち砕かれ、ようやく死んでも鬼の「活々」という声で生き返り、また同じ責め苦にあう。

黒縄地獄

殺生、盗みを犯した者が堕ちる。熱鉄の黒縄で身体に線を引かれ、その線の通りに斧で切り刻まれ、煮えたぎる釜で煮られる。

衆合地獄

殺生、盗み、邪淫を犯した者が堕ちる。鉄の山に押しつぶされ粉々にされ、鉄の杵でつかれる。

叫喚地獄

殺生、盗み、邪淫、飲酒を犯した者が堕ちる。鬼に追い立てられ、鉄棒で頭を打たれ熱鉄の地を走らされ、熱した釜で煮られる。

大叫喚地獄

殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語(嘘をつく)を犯した者が堕ちる。熱鉄の針で口や舌を刺されたり、金ばさみで舌を抜かれる。舌はすぐに生えてきて同じ責め苦を受け続ける。

焦熱地獄

殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語、邪見(間違った考えを抱く)を犯した者が堕ちる。熱した鉄鍋の上で激しい炎に炙られたり、鉄の串で頭から尻まで串刺しにされ、繰り返し炙られる。

大焦熱地獄

殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語、邪見、犯持戒人(尼僧を騙して汚す)を犯した者が堕ちる。

阿鼻地獄

殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語、邪見、犯持戒人、親・阿羅漢殺害(親や徳のある僧を殺す)を犯した者が堕ちる。二千年間、落下した末にたどり着き、煮え立った銅で煮られたり、毒や火を吐く蛇に攻められ。、炎に包まれた虫に襲われる。

等活地獄

等活地獄>  紙本着色 19世紀 照円寺
黒縄地獄

黒縄地獄> 紙本着色 19世紀 照円寺
大焦熱地獄焦熱地獄> 

大焦熱地獄焦熱地獄> 紙本着色 19世紀 照円寺
 <阿鼻地獄>

 <阿鼻地獄> 紙本着色 19世紀 照円寺


 見ていてそのグロさに驚く思いだ。正直なところ最初の<等活地獄>だけでも御免こうむりたいという感じ。この<地獄・極楽図>が制作されたのは幕末期と推定されているが、制作年、作者とも不明。人物の顔は浮世絵的だが、炎や濃淡のつけ方には円山応挙風なところもあり、円山派、浮世絵などをこなした卓抜な絵師だったと思われているとか。
 幕末から明治にかけて活躍した月岡芳年の無残絵などとも類似する描写もある。こういう残酷な絵も浮世絵のレパートリーにあったのだろう。仏教画としての地獄図と無残絵のどちらが先かは判らないが、相互に影響しあっていたのかもしれない。これはもう怖いものみたさ的スペクタクルだろう。

 罪を犯せば地獄に落ちて永遠の責め苦にあう。だから徳を積み、信仰心をもつことを説かれる。そして寺に寄進させる。人々に恐怖心を与え強迫観念を抱かせる。そういうビジネスといったら言い過ぎかもしれないが、地獄よりも宗教の方が怖いと思ったりもする。

 1980年代、どこかの寺に所蔵されているこうした地獄図を子ども向けの絵本にしたものがヒットしたことがあった。その売り文句が「しつけに最適」というものだったか。子どもに恐怖心も抱かせる怖い絵本。そのことで善行を積ませること、命の大切さを教えるというものだったが、正直なところこれって子どもにはトラウマなるものじゃないかと思ったりもした。いまでも流通しているのでロングセラーなのかもしれない。

 照円寺の<地獄極楽図>はインパクトがある作品で、企画展の目玉そのものだとは思う。とはいえ芸術性という点、美的かどうかというと、これはちょっと違うだろうとも思う。名も知れぬ絵師は仏教画を専門にしていた職人絵師だったのかもしれない。

 

<虎図自画賛>

<虎図自画賛> 風外本高 一幅・紙本墨画淡彩 19世紀前半

 風外本高(1779-1847)は曹洞宗の禅僧で池大雅に私淑。賛「唯恐人之誤称虎」は「この絵を見た人が間違って虎だと思わなければいいけど」の意らしい。ということはこれは虎のような猫である。

<竹虎図>

<竹虎図> 仙厓義梵 紙本墨画 19世紀前半

 賛「虎嘯風生」は『碧巌録』に書かれた言葉で、「虎が嘯(うそぶ)けば風が生じるという。ということでどこから見ても猫にしか見えないが、こっちは虎なのである。

 脱力系ヘタウマ禅画で人気が高い仙厓義梵(1750-1837)は臨済宗の僧。全国行脚し1789年に博多の聖福寺の住持となった。87歳の長命の人だったようだ。前期展示でも猫にしか見えない虎にのった《豊干禅師図》が、全部持って行った感があったが、この猫のような虎のインパクトも強い。

文殊菩薩像三選

<五髻文殊菩薩像>

 <五髻文殊菩薩像> 冷泉為恭 一幅・絹本着色 1843年 

 冷泉為恭(1823-1864)は幕末期、京狩野の狩野永泰の子として生まれるが、やまと絵に傾倒して社寺に所蔵される古画や絵巻を模写して学んだ。この絵は1843年作とあるので若干20歳の時の作品。正面鑑賞性、シンメトリーは中国の肖像画、仏教画の影響でおそらく渡来した中国画を模写したものとされている。

 為恭は『伴大納言絵詞』を所有していた京都所司代酒井忠義に接近し、『伴大納言絵詞』を模写した。そのとき京都所司代に出入りしていたため佐幕派と勘違いされ、攘夷派の長州藩士によって殺された。テロが横行する当時の今日とでは絵描きであっても、佐幕派とみなされれば暗殺の対象となった。

冷泉為恭 - Wikipedia

文殊菩薩像>

 <文殊菩薩像> 酒井抱一 一幅・絹本着色 19世紀前半 

 これは江戸琳派酒井抱一の作品。やはり中国仏画の影響が濃い。蓮華座の表現などにはイスラム圏やインドなどのミニチュアール画と似た雰囲気もある。いずれももともとは中国絵画の影響があったものなのだろう。

文殊菩薩像>

文殊菩薩像> 仙厓義梵 一幅・紙本墨画 18世紀

 そして同じ文殊菩薩が仙厓義梵にかかるとこれである。文殊菩薩が剣をもって獅子に乗るというのは経典に書かれている。でもこれが獅子かといわれても・・・・・・。まあえらい僧侶である仙厓義梵が「これは獅子だ」というのだから「獅子」なのだろう。

寒山拾得

寒山拾得図>

寒山拾得図> 曽我蕭白 一幅・絹本墨画 18世紀後半

 曽我蕭白は「奇想の系譜展」で多数の作品を観た。まさに奇想を体現するような荒々しさと奇矯、グロテスク、気持ちの悪さを満載している。

寒山拾得図>

寒山拾得図> 徳川綱吉 一幅・紙本墨画 17世紀後半-18世紀前半

 あの犬公方こと五代将軍徳川綱吉である。「春の江戸絵画まつり」では綱吉の父でもある三代将軍徳川家光のヘタウマ画が紹介され人気を得た。そして新たな将軍画として綱吉である。江戸時代の将軍は絵や書も教養の一部として習わされたのだろう。ほとんどの将軍が絵を残している。書についてもトーハクで何度か多くの将軍のものを見たような記憶がある。

 この絵は徳川家光のヘタウマ画に比べれば、きちんとまとまっている。余白を大きくとっているのも本格的だ。寒山拾得は唐代の臨済宗の寺・寒山寺に伝わる風狂の僧で奇行が多く、また詩人として有名。禅画の画題として多くの画家が作品を残している。文殊菩薩普賢菩薩の生まれ変わりともいわれている。

<蘆舟鷺図>

<蘆舟鷺図> 狩野雅信 一幅・絹本墨画淡彩 19世紀

 強い風雨に晒されながら、小舟の上で寄り添って立つ三和の鷺の図。なにか心に残る絵。風雨をよけることも出来ず、ただじっと身をすくめている。何かの寓意性を有しているのかもしれない。作者の狩野雅信(1823-1880)は幕府最後の奥絵師、木挽町狩野家の10代目当主で橋本雅邦の師でもある。晩年は内国勧業博覧会の事務局や大蔵省に勤めたという。明治初期、御用絵師は軒並み失業して陸海軍の製図の仕事をしたり、大蔵省などで図案を細々と務めたというので、おそらく零落していたのかもしれない。