半蔵門ミュージアム《大震災実写図巻》

 午後一番で都内お茶の水で歯医者。

 ここ一週間くらい右奥歯が痛む、沁みる。神経の専門医に診てもらうことになる。結局、神経を取ることに。麻酔をして神経をとり、根の部分に薬をいれる。この治療はあと数回続くようだ。

 

 治療が終わったのは3時近く。さてとどうするかと思いつつ、麻酔が少しずつきれてきたので遅い昼食を食べることに。左に山の上ホテル、右に明治大を見ながら歩いて、神保町方面に坂を下りる。左手の金華公園やお茶の水小学校は工事中。昔の風情というか景色もまた一つ消えるようだ。

 いつも混んでいて列が出来ている丸香が珍しく店前に一人二人しかいない。時間も3時を過ぎているので当たり前といえば当たり前。いつも長蛇の列のため敬遠するのだが、久々うどんを食べることにする。冷やしぶっかけにかしわの天ぷらで千円と少し。とくだんここのうどんが美味いとも思わないが、まあまあ普通にいけるか。自分が入ってすぐ外を見ると、もう5~6人の人が列をなしている。本当にここは繁盛店だ。

 多分、店主の趣味なんだろうけど、ここはBGMにたいていジミヘンがかかっている。ジミヘンとうどん。まあそういうものだ。勘定を払うときに、レジの女の子に声をかける。

「いつもジミヘンだね」

「よく判りません」との答え。

 一日に一人や二人、おっさんがこんな風に話しかけるのかもしれないが、いちいち対応する気もないのだろう。そういうことだ。

 

 それからどうするか。そういえば数日前にSNSでフォローしているどこぞの学芸員の方が、半蔵門ミュージアムで堅山南風の《大震災実写図巻》が展示されているとツィート(ポスト)していたのを思い出す。神保町からは地下鉄で二駅、三駅だ。で、行ってみることにする。

 

 半蔵門ミュージアムはほぼ半蔵門駅の真上にある。ここは真如苑の施設内に併設されていて2018年オープン。運慶作とされる重文《大日如来像》の他、ガンラーダ美術の名品、また近代日本の日本画も多数収蔵している。《大日如来像》は14億で入札し、海外への流失を防いだと報じられたことも。

半蔵門ミュージアム (閲覧:2023年9月13日)

 きれいなビルのB1から3階までがミュージアムフロア。展示フロアはB1と2階。これで入場料は無料である。名品の収蔵と無償での観覧。やはり宗教は金をもっているなと実感。いや鑑賞者にとっては有難いことではある。

 

 そして今回の目玉は堅山南風の《大震災実写図巻》。

 

 1923年の関東大震災から100年を切木をむかえる本年、堅山南風《大震災実写図巻》を展示します。巣鴨で被災した南風は浅草や上野に出向いて、被害状況や復興に至る様子を描き留め、のちに31枚の絵を3巻に仕立てました。その描写から、当時の人々の苦悩雄・悲哀や助け合いの様相が伝わります。 

堅山南風《大震災実写図巻》と近代の画家 チラシより

 堅山南風は横山大観に師事し主に再興院展で活躍した画家。彼の作品は日光東照宮美術館でいくつか観た記憶がある。この関東大震災を記録した図巻についてはまったく知らなかったし、初めて観る。

 震災の実相を捉えた記録的価値のほか、詩情あふれる図巻になっていて、さらに地震被害への鎮魂的な雰囲気さえももった作品でなかなかに見応えがある。明治大正期にあっては、絵はルポルタージュ・報道的な役割をもっていたということが判る。まだ写真が普及される以前の時代ということだ。

 

 

 関東大震災というとやはり浅草十二階の崩落を連想するが、それを見事に活写している。1890年(明治23年)に竣工された当時の超高層ビルである。正式には凌雲閣という。

凌雲閣 - Wikipedia (閲覧:2023年9月13日)

 その上部二階部分がぽっきりと折れ崩落したのである。繁栄する東京のある種のシンボルの崩落は罹災した人々にとっても象徴的な意味を持っていたのかもしれない。建物とともに落下する人の姿が衝撃的だ。

 

 焼け残った上野の西郷像は行方不明者の消息を探す張り紙で溢れている。西郷さんのところに張り紙をすれば、本人、もしくはそれを知る誰かが見てくれる、消息を知らせてくれるかもしれない。そうした人々の切実な思いが込められた絵になっている。西郷像が伝言板の役割を担うことになっていた、など始めて知ることである。

 

 図巻はすべて展示してあるわけではなく、部分部分である。展示期間によって場面替えがあるのかどうか監視員の女性に訪ねてみると、今回は場面替えはないとのこと。図巻の全貌については、資料として2階に書籍があるのでそちらで見てくださいという。そして展示してあったのが小学館刊行の『現代日本絵巻全集 (13) 川端龍子 堅山南風』。ジャバラ折の製本の大型本で図絵が観開きで何折にもなっている。

 関東大震災ということで、ひょっとしてその中にあるのではないかと思って見てみると、やはり「自警団」というテーマの図絵があった。それはまさに自警団が組織され、怪しい人間を尋問したり、追いかけたり、縛り上げていたり。そこから先は見る者の想像力にというのが画家のアプローチのようだ。

 その画像はネットで検索してもほとんど出ていない。かろうじてモノクロ画像だが、事件団が不審者(?)を捕縛している絵が見つかった。

 

 捕縛された人がどういう出自で、この後どういう運命を迎えたか。想像するに難くないことだ。関東大震災を記録したときに必ず出てくる自警団という存在。そこには大震災の被害、罹災という悲劇とは別の暗い闇の部分がある。画家はそれを絵にすることはしない。いや多分、当時の時代状況ではそれを表出するのは難しいことだったのだろう。それでもこうした記録、絵が残されているのである。

 日本近代史の闇、いまはそれも歴史上から抹殺されようとしている。