旅行最終日。今まで行ったことがない所ということでチョイスしたのは北伊豆エリア。三島とかって通過したことはあるけど、訪れたことがあるのは箱根からちょっと寄り道した三島スカイ・ウォークくらい。ということで今回は沼津・三島エリアに行ってみることにする。
沼津御用邸記念公園
ネットでヒットしたのがここ。1893年(明治26年)大正天皇(当時皇太子)の静養先として造営された。1945年7月の沼津大空襲で全焼し、西付属邸、東付属邸のみが残ったという。御用邸としては1969年に廃止され、都市公園として一般公開されるようになったのだという。
御用邸の敷地=公園は海岸線に沿って細長く伸びている。駐車場は6ヶ所あるが、土曜日とはいえ午前中だったので本邸正面から入って右側のご来園口の前の駐車場も空いていた。ここには身障者用スペースが2台分ある。ご来園口横のトイレは古びた建物だったけど、中はキレイできちんとシャワートイレも設置してあった。
そしてまず西付属邸を右に見て海の方に進む。そこから本邸があった区間、歴史民俗資料館のある側に行くには二つの連絡橋を渡る必要がある。車椅子だと多分一度ご来園口まで戻って正門に行く必要があるので今回はそっち側、さらに東付属邸の方に行くのは断念。
西付属邸に入るにはご来園口右側にある売店で入館料を払う。邸内は靴を脱いで上がる。車椅子は入口脇に置いておく。妻はとりあえず靴を脱いで装具の状態で杖と自分が手を引いて中を歩くことにした。
西付属邸内は細長くて、数回の増築を経たせいもあり、部屋数26室の木造平屋建。宮廷建築というものらしいが、細長い廊下をぐるぐると回りながら各室を見て歩くのがけっこう面白い。
君が代で歌われるあの「さざれ石」である。こんな形なのかと思ったり。ウィキペディアによれば、さざれ石は小石のことであるという。岐阜県に産出する石灰質角礫岩を君が代の「さざれ石」だとは、これは岐阜県がある意味勝手に言っているということらしいので、まあそういうものだと思いながら、とりあえず恭しく「さざれ石ね~」と呟きつつ見るのが望ましい態度かもしれない。
文字通り、天皇や皇太子が来客と謁見する場所ということ。椅子とテーブルで下はカーペットひいてあるけど、その下は完全に畳。和洋折衷ということですね。
この畳の続き部屋はご寝所スペースだったよう。
ここは完全に洋間。皇太子やご学友たちがビリアードに興じたのだろう。なかなかお洒落な空間だ。そしてビリアード台の脚はというと、どこかロココチックな雰囲気がある。
この写真はというと昭和天皇と秩父宮(たしか)の赤ちゃんのときの写真。さてと現人神から人間宣言された昭和天皇はどっちだったっけ。
ちょうどまもなく端午の節句が近いということで五月人形が飾ってあった。
髭だるまがどことなくユーモラスだった。
びゅうお
沼津港に設けられた大型展望施設が敷設された水門である。もともと東海地震の津波対策の一環として2004年に建造されたものだとか。
水門扉は重量406トン、幅40m、高さ9.3mで、震度5強以上の地震を検知すると約5分で閉鎖されるのだとか。そして展望台は地上から約30m、両岸の間を長さ約30mの連絡橋で繋いでいる。「びゅうお」の名称は、「VIEW」と魚の「うお」と合わせたものだという。・・・・・・微妙だ。
津波対策ということで、水門閉じて沼津港や沼津魚市場を守るということらしいのだけど、周囲や狩野川を遡行してきた津波で結局水没しちゃうのではないかと、まあ素人素人考えで思ったりもしたが、まああくまで素人の感想なのでそれはそれとして。
まず駐車場はびゅうおの手前の港口公園の脇に、びゅうおと公園それぞれの駐車場がある。ひょっとしてと思いびゅうおの近くまで車を進めると、施設入口の脇に身障者用の駐車スペースが2台分あったので止めさせてもらう。
入口からエレベータに乗ると2階部分が展望スペース。そこからの眺めと連絡橋からの眺めはなかなか壮観。これは一度は来る価値あるなとは思う。天気は曇りでややかすんでいたけど富士山もしっかり見ることができた。
滞在時間は30分くらいだったけど、まあまあ楽しめた。沼津市民はけっこう来るのではないかとか、高校生の初デートとかにもいいのかもと思ったりもした。夜は8時まで営業していてライトアップもされるとも。
次があるかどうか判らないけれど、沼津に来たらちょっと寄りたい観光スポットだとは思った。
展望台を降りて水路沿いを歩いていると、ちょうど沼津港から観光汽船が出向するところだった。多分、乗客がえさやりするためか、カモメやトンビが汽船の周囲を飛び回っていた。
三嶋大社
次に向かったのは三島。三嶋大社は伊豆でも格式の高い神社らしい。と、ここは旅行前になんとなく調べて行ってみようかと思っていたところ。何度も伊豆を訪れているので、一回くらい行ってみてもいいかと、そのくらい漠然とした感じ。なんでも源頼朝が源氏再興を祈願したと伝えられているとか。
土曜日でけっこうな賑わいを見せていて、駐車場も満車状態だったが1分と待たずに入ることができた。駐車場からいったん道路に出て大鳥居をくぐろうとしたのだけど、鳥居の先にはちょっとした階段がある。なのでもう一度駐車場に戻って駐車場脇から入る。なので参道側が見た大鳥居。
そして参道。
参道の左側には神池(しんち)があり赤い橋の向こうには小さな神社がある。厳島神社というのだが、なにやらミニチュア版っぽい。
そして狛犬には慣れ切ったハトたちがご休憩中。
そして総門をくぐる。
次にあるのが舞殿。
そして御本殿。
創建は不詳だが、徳川家光の時代に大規模な社殿が整えられたが、1854年(嘉永7年)の安政東海地震で被害を受け、1866年(慶応2年)から1868年(明治元年)にかけて現在の形で再建されたという。だいたい地区160年くらい経っているというところ。
舞殿の右側には樹齢1200年の古木で天然記念物に指定されているキンモクセイがある。
さらに宝物殿の奥には神鹿苑があり、40頭ほどの鹿がいる。この鹿は奈良春日大社からつがいもらい、そこから繁殖したのだとか。エサ槍は自由で大社のよりどころという土産物屋でしかせんべいも売っている。
網越しにしかせんべいをやると寄ってきて食べる、食べる。ちょうどエサやりの時間帯になり、係の人が野菜クズなどを放って、それにみんな群がるのだが、横でしかせんべいを差し出すと、野菜よりせんべいという鹿が何頭もやってくる。野菜よりスナック好きとみた。
ネットにはこんな掲示も張ってある。しかし生ごみなんか持ってくる輩がいるんだろうか。
園内に猫を捨てるというのもなんとなくありがちだとは思ったが、わざわざ鶏を捨てに来る人なんているのかとちょっと思ったりもした。と、神鹿苑の端っこに1羽うずくまる鶏がいた。捨てられていついた鶏なのだろうか。
佐野美術館
その後はその日の最終目的地の佐野美術館。ここでは堀文子の回顧展がその日から開催されていた。その感想は別に書くつもりだけど、佐野美術館は街中、それもなんとなく住宅街の中にこじんまりと佇んでいる。以前訪れた長久手市の名都美術館とちょっと雰囲気が似ている。
ここは三島市出身の実業家佐野隆一の寄付にによって建てられた私設美術館。日本刀や刀装具、陶磁器などのコレクションが充実している。
美術館の裏には回遊式の庭園があり、国の登録有形文化財に指定された日本家屋「隆泉苑」がある。さらにその隣には和食レストラン松韻が併設されている。