マティス展と制作の痕跡  (6月30日)

 東京都美術館で行われているマティス展も佳境に入っているようだ。

 4月27日から8月20日というロングランのこの企画展も日々賑わっている。すでに5月に一度行っているが、6月30日に再び訪れた。もうそれからも10日以上たっている。

 20年ぶりの大回顧展でもあり、協賛している朝日新聞でもPR記事が出てたりする。つい先日も31面一面を使った協賛広告(?)が載っていた。

マティスの描いた裸婦、戦争も海も越えて 桐島かれんさんを彩る1作:朝日新聞デジタル (閲覧:2023年7月12日)

 桐島かれん、きれいなモデルさんで歌も歌っていたけど、相変わらず美人さんであるなとは思った。いい歳の取り方をしている。そういえば彼女はサディスティック・ミカ・バンドの二代目ボーカルもしてたっけ。

 ネットの方のロングバージョンの記事には、母親の洋子氏のことに触れている部分があった。

かれんさんと桐島家にとって、縁が深いマティスの作品。アルツハイマー認知症になり、記憶が薄れていく母の洋子さんを見舞うたび、「海外の美術館にマティスのコレクションを見に行こうよと言うと、母の目がきらっと輝くんです」。

 かれんの母、桐島洋子はノンフィクション作家、シンブルマザーの走りだったけど、認知症になっているのか。年齢は86歳、もっとも桐島かれんも59歳になる。みな等しく歳をとっていくということか。

 

 同じ記事の中でマティスの《坐るバラ色の裸婦》についての記述がある。

マティスのアトリエ助手でもあり、晩年まで尽くしたモデルのリディア・デレクトルスカヤを描いた「座るバラ色の裸婦」(35~36年)。かれんさんは「優しい色使い。黒い輪郭線から色がはみ出しているのが不思議な効果で、動きが感じられます」。この作品は少なくとも13回の段階を経て、修正や再構築を繰り返して描かれたという。藪前さんが「顔が描かれていたのがうっすらと下に残っていますね。何回も重ねて描いています」と説明した。

 この絵である。

 

 

 のっぺらぼうのような正面を向く顔の左側に横を向くリディアの顔がうっすらと残っている。

 ある時期のマティスは何度も書き直し、筆を重ねるだけでなく、一度絵具を剥がしてはまた描くを繰り返す、そうした修正や再構築を繰り返す時期があった。感性のまま一筆で一気に描いたような線、色面、そんな風に思われがちなマティスの絵が、実は試行錯誤のうえで成立している。その痕跡をキャンバスの上に残す。永遠に未完成のような作品、それがある時期のマティスでもあった。

 最晩年には、塗り直しが不可能な、色紙を切り抜いた切り紙絵にいきつく。そこには線や色面に関していえば、修正がきかない、つまりはコントロールが難しい部分がある。さまざまな思考錯誤のうえで、マティスが行きついたのは、鮮やかな色面とデフォルメされたゆるなかや曲線に切り取られた形象、偶然性と背中合わせのぎりぎりのところで生まれる切り絵だったというところか。

 

 マティスの修正、再構築については、今回も出品されているひろしま美術館所蔵の《ラ・フランス》の制作プロセスについて、以前記事を読んだことがある。ポーラ美術館で開かれた「ポーラ美術館×ひろしま美術館 印象派、記憶への旅」展の図録だったか。

しかし、クローズアップして見ると、さまざまな痕跡が目に飛び込んでくる。離れて見ると同じ白色に見えるが、ドレスのスカートの部分と、両手のおよびウエストのくびれの外側の部分とが、異なる色彩であることが分かる。前者が白色絵具で描かれているのに対し、後者は、塗り残し、すなわちカンヴァスの下地が露出しているのである。そして、とくに両手の部分には、赤色の小さな点が複数見える。また、その周辺には、筆ではできない不自然な傷が多数確認できる。

『図録』コラム「マティスラ・フランス》にこのされた制作のプロセス」(古谷可由)

 

 

 このコラムでも触れられているが、マティスは1945年にマーグ画廊で行われた展覧会において、こうした制作過程が判るような展示を行っている。中央に《ラ・フランス》を展示し、その周りに制作過程を写した写真を並べているのだ。この作品には、こうした制作工程があるのだということを、画家が自ら明示するという面白い展示でもあり、また作品理解のために作家の制作過程を可視化させるという部分では、いわずもがなの部分もあるかもしれない。

 

 鑑賞者は展示された完成品のみを受容し、そこに込められた作者の意図を読み解こうとする。それを作者が導くというのがどうなのか、多分意見が別れるところだろう。でも、作品理解にあっては重要なところではあるかもしれない。

 そしてまた、マティスの作品にとっての完成形とはなんなんだろうと、ちょっとそんなことも考えさせる部分もある。

 

① 1939年11月10日撮影

② 1939年11月11日撮影

③ 1939年11月13日撮影

④ 1939年11月19日撮影

⑤ 1939年11月22日撮影

⑥ 1939年11月24日撮影

⑦ 1939年11月27日撮影

⑧ 1939年12月  1日撮影