東近美- 棟方志功展 (11月16日)

 東近美に来たのは「棟方志功展-メイキング・オブ・ムナカタ」を観るため。

生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ - 東京国立近代美術館

(閲覧:2023年11月21日)

  今はどうか判らないけれど、自分のようなロートルからすると棟方志功はある意味一番よく知られている芸術家、版画家という感じがしていた。中学とか高校くらいの頃でも棟方志功の名前は多分知っていたような気がする。なんなら当時的にいえば特に美術、芸術とかに興味のない人でも、棟方志功岡本太郎の名前とかは知っていたかもしれしれない。そのくらい新聞やテレビでよく取り上げられていた。

 今、よく知られている現代美術家というと、例えば奈良美智村上隆なんかが有名だけど、それ以上に棟方志功知名度があったかもしれない。今的にいえば草間彌生あたりと同じくらいの知名度か。まあ草間彌生は例のルイ・ヴィトンのCMとかの影響もあるのだろうか。

 子どもの頃の棟方志功の印象というか、記憶的にいうと高尚な芸術家というよりも、なんか面白いというか風変りなおっさんがやけにでかい版画をやっているという感じだったか。

 それでは作品についてはどうかというと、これがまた驚くほど観ていないような気がする。なんとなく万葉調、やまと絵的とかデフォルトされた仏教画的なもの、そしてやけにでかい作品というイメージくらいか。まとまって作品を観たのはというと、大原美術館の工芸・東洋館に棟方志功の一室が棟方志功展示室になっていて、そこで観たことくらいだろうか。とはいえ時間の都合もあり、割と流してみたような感じだったか。

 

 今回の企画展は展示作品約100点、他に挿画本が約100点、資料約40点にのぼる大規模回顧展である。すでに富山、青森という志功所縁の県美で巡回してきており、その最後に東京に回ってきたものだ。

 しかし改めてこの企画展を観ていると、自分は驚くほど棟方志功について知らなかったことに気づいた。そのうえで今回の作品の量、質には圧倒されてしまい、きちんと受容しきれないままという感じだった。そのうえでとにかく展示作品を一生懸命観た、ただひたすら観たという感じ。できればもう一度くらいは行きたいと思いつつも、どうにも時間が許すかどうか。

 また棟方志功ゴッホなどの洋画に触れ洋画を目指していたこと。川上澄生の版画に触れてから版画家に転向したこと、画業の途中で柳宗悦河合寛次郎らの知遇を得て、民芸運動に参加したこと、また多くのベストセラー作品の表紙絵や挿絵なども手掛けていたことも知った。

 特に表紙絵や装丁においては、谷崎潤一郎山崎豊子松本清張柴田錬三郎、獅子文禄などの作品を手掛けていて、志功が売れっ子画家だったことがわかるものだった。1950年代後半から1960年代にかけては出版業界は活況を呈していた時期でもあり、そこでベストセラー作家の作品の装丁や挿絵を手掛けるということは、そのまま棟方志功が当時売れっ子画家だったことを示してもいるということだ。

 またその技法においても、版木を10数枚使った大画面作品も多数ある。また版画の彩色方法についても、初期には版画に後から彩色していたが、途中からは単色の版画に裏彩色を加える方法をとるようになったという。

 日本画で裏彩色というと一般的には画材は絹を使い、裏彩色と表からの彩色で繊細かつ複雑な色合いを表現するものだ。これを紙でかつ版画に行うというのはどうか。利点としては表から彩色によって版画の線を消すことなく彩色ができるということがあるのだろうと思う。しかし薄い画材を使った場合はシワや破れなどもあるだろうし、色の滲みなどもある。どんな紙を使っていたのだろうかなどちょっと興味を感じた。今回は図録を購入していないので、なんともいえないがそのへんも解説されていたのだろうか。

 今回の企画展は棟方志功生誕120年と冠している。とはいえ1975年に亡くなっているので、没後すでに50年近くが経過している。戦後の売れっ子画家とはいえ、すでに美術史上の版画家の一人ということになっている部分もある。そういう意味では今回の回顧展は、現代において棟方志功再発見みたいな意味あいもあるのかもしれない。

 

 今回の企画展はほとんどの作品が撮影可能である。ウィークデイの午後とはいえそこそこに人も多かったが、そんな中でも気になった作品をいくつか撮影した。作品名、制作年などはきちんと確認していない。