埼玉県立近代美術館「桃源郷通行許可証」 (1月19日)

 会期末の展覧会、埼玉県立近代美術館桃源郷通行許可証」に行って来た。

 よく判らないタイトル、企画である。パンフレットやHPにある開催概要をそのまま引用すると。

 桃源郷は、中国の詩人・陶淵明が記した物語「桃花源記」に由来する、理想と平和の土地です。「桃花源記」では、武陵に暮らすある漁師が舟を漕ぐうちに、林の奥の桃源郷へとたどり着きます。そこは、世俗とは隔絶された穏やかな時間が流れる美しい世界でした。

 古今東西の芸術作品を鑑賞するということは、私たちが今立つ地点から遠く離れた時間や空間を経験するということでもあります。現実の奥深くに、現在の時空間から解放された「桃源郷」があるとすれば、芸術作品は「桃源郷」への扉を開くための「通行許可証」のようなものであるといえるでしょう。日常と非日常の裂け目から目に見えないものを想像したり、別の世界を経験したりすること。私たちが様々な時空間を自在に行き来することを願うとき、芸術作品は多くの示唆を与えてくれます。

 「桃源郷通行許可証」は、多様な時代、ジャンルの作品と埼玉県立近代美術館のコレクションとの遭遇を通じて、時空を超えた芸術作品の魅力を探る展覧会です。展示の中心となるのは、絵画、写真、ドローイング、インスタレーションなど、それぞれの手法を用いて、日常や現実のはざまに潜在する事象を繊細に掬い取る6名の作家の作品と、当館のコレクションとが出会うことで生まれる空間です。作家や作品同士の対比、テーマによる対照、意外な組み合わせなど、様々な角度から構成される本展覧会は、コレクションに新たな光を当てるとともに、幅広い世代の作家たちの現在地に立ち会う機会となるでしょう。

2022.10.22 - 2023.1.29 桃源郷通行許可証 - 埼玉県立近代美術館 The Museum of Modern Art, Saitama (閲覧:2023年1月23日)

 桃源郷=異次元・別世界・非日常、美術作品はそんな別世界へ誘う「通行許可証」ということ(本当にそうだろうか)。そして埼玉県美のコレクションと現代作家の作品のコラボによってその「通行許可証」とやらを展開していくということのようだ。

 そのコンセプトにそってコレクション作家と現代作家の作品が以下のような組み合わせで展開される。

Prologue  童基/小川芋銭ドラクロワ/アントニオ・ダ・トレント/コレッジョ

※前期展示省略

2.佐野陽一✕斉藤豊作

3.文谷有佳里✕菅木志雄

4.松井智恵✕橋本関雪

5.東恩納裕一✕マン・レイ/キスリング/山田正亮/デザイナーズ・チェア

6.Interlude   丸山直文/シニャック/ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット

7.松本洋子瑛九カミーユ・コロー/菱田春草

8.Interlude   駒井哲郎/難波田龍起/福岡道雄

9.稲垣美侑子✕駒井哲郎

 

 正直、意味つかみにくい企画展だし、ちょっとこじつけ的じゃないかと、そんな気がしないでもない。単純にコレクション名品と現代作家のコラボで良かったんじゃないかとそんな気もしないでもない。

 そしてこれがちょっと致命的かもしれないと思ったのは、この企画展にはキャプションの類が一切ない。最初に入り口の担当女性から、「キャプションありませんので、作品リストをご覧になって下さい」という説明がある。

 あとは作品とリストをいったりきたりしながら確認する。当然のごとく作品リストにも作家の解説の類はない。ニワカからすれば「松井智恵とか東恩納雄一って誰?」みたいな感じする。これってキュレーションの放棄じゃないかと、ちょっとぷんぷん。

 ようはニワカは感じればうよろしい、考えるなみたいなことなのか、もっと勉強してから来いと、そういうことなのか。ついでにいえば、一緒に入った妻は車椅子の人である。美術館では自分のペースで鑑賞するので、自走して観るようにしているのだが、リスト見つつ車椅子の自走は難しい。ただでさえ人よりも時間がかかるのに。

 鑑賞者にいちいち作品とリストを確認させる作業を強いるってどういうことなんだろうか。最低限、作品、技法、支持体、所蔵、制昨年などの基本情報のキャプション、作家の略歴などの説明は必要なのではないかと、そのようなことを思ったり。まあどうせすぐ忘れてしまうような鑑賞者のことなど、かまっていられないということだろうか。

 とかなんとか、ちょっと意地悪な気持ちになってしまう、そんな企画展でした。展示作品はそれなり面白かったりもしたのだけど。コレクションはもっとオーソドックスに展示していいのではないかと思ったりもするし、現代作家の作品はきちんとそれ単体で展示していいようにも思ったり。別に橋本関雪は松井智恵とコラボしなくてもいいし、菱田春草も松本陽子と一緒でなくてもいい。

 もうひとつ思ったこと。これは埼玉県美だけでなく、比較的現代美術にふった美術館の展示によくあるのだけど、インスタレーション的作品の展示に関して、意外と説明的要素を省くことが多い。作家の希望なのかもしれないけど、美術館には教育的な側面もある。難解な現代美術作品には相応の説明、現代美術の流れの中での位置づけとかが鑑賞者の理解のために必要なのではないかと、そんなことを思ったりもした。

 以下、気になった作品を順不同。

《ダイニングセット》 (東恩納裕一) 2022年 作家蔵

 椅子は埼玉県美のコレクションらしい。まさにインスターレーションなんだろうけど、気になったのは背後のブラインドというかカーテンみたいなやつ。絵と実際のカーテンになっているんだったか。このへんって「モノ派」みたいな文脈で考えればいいのだろうか。そして人の不在こそが桃源郷というか異次元的なのだろうか。

 

《picture 2019-06》 (松井智恵) 2018年 作家蔵

 「桃源郷許可証」というタイトルもこの作家の作品からとられているのだとか。とはいえ、作家についての知識もまったくないうえでの拙い感想をいえば、これって誰かの絵に似ているなと。たしか群馬県立近代美術館にある《ペガサスにのるミューズ》と構図、色遣いとかに類似性があるようなないような。どうだろうか。

オディロン・ルドン - 群馬県立近代美術館 (閲覧:2023年1月23日)

 

 あとはタイトル判らないけど同じく松井智恵作品。

 

 

 そして松本陽子作品。

 

 そして常設展の方ではなぜかカーテンで仕切られた一室に丸山直文の作品が。

《garden3》 (丸山直文) 2003年 寄託作品

 東京国立近代美術館所蔵の《garden1》と同じシリーズ。というかこれがシリーズ作品であることを初めて知った。湿らせた綿布にアクリル絵の具を染み込ませてるステイニング技法を使った作品。《garden1》はどことなくヴァロットンの《ボール》を想起するものがあったが、この作品は人物が一人増え、ボールはない。この絵画世界はどこか異界めいた雰囲気があり、この作品の方が「桃源郷許可証」っぽいのではと思ったりもする。

 丸山のこの作品にはどこかイケムラレイコ、高松次郎の作品と似たものを感じさせる。それは多分いずれの作品にも鑑賞者に「見る」こと、あるいは「視る」ことという行為への問いかけがあるような。そして人物こそ描かれているがテーマ的には不在みたいな部分を想起させるような気もしないでもない。

 もう少しこのへんの作品はじっくり観ていく必要がありそうだし、戦後の美術史上での理解を深めていかないとうまく言い表せないような気もする。