家の玄関脇に棚が一つあって、自室に入らない本や展覧会図録を一部対比させている。そこに中央公論社の『世界の歴史』シリーズが置いてある。全30巻ものでほとんど読んだ記憶がない。いつか読まなくちゃとか、老後の楽しみとか思っていたのだが、すでに老境に達しているなか、なんとなくもうこれ読まないかもと思いつつもある。
美術史を勉強し始めているので、時折該当しそうな巻を手に取ることもある。驚いたことに本の見返しにボールペンで読了日が書いてあるものがけっこうある。だいたいが1995~96年の頃である。読んでいたのかと驚きつつも、まったく読んだ記憶が欠落していることにさらに驚く。
その『世界の歴史17巻 ヨーロッパ近世の開花』をパラパラとめくっていたら、興味深い記述が目に入ってきた。今でも手に入るものはペーパーバックだが自分が持っているのは最初に刊行されたハードカバーのもの。版元がまだ中央公論社で新社でないのも時代を感じたりする。
ちょっと気になるので一部引用する。
「老人の誕生」
生命の始まりから、視線をその終わり、すなわち老いと死に移してみよう。十八世紀後半、死亡率がまず、すべての年齢層で少し下がり、同時に出生率もいくぶん低くなる。その結果、寿命が延びて、人口の老齢化のきざしが現れる。六十歳以上の男女の総人口に占める割合が、一七四〇年/八・三パーセント、一七五〇年/八・一パーセント、一七六〇年/八・五パーセント、一七七〇年/八・九パーセントと、減少する時期もあるが、全体として増える傾向を示しているからである。三世代同居のケースも珍しくなくなり、他方、文学作品のなかに「老人」がより頻繁に登場してくる。しかもそこでは、「老人の地位」や「敬老の精神」がしばしば賞揚される。したがって、「老人の誕生」も、十八世紀後半の新現象の一つに数えられることができよう。
『世界の歴史17 ヨーロッパ近世の開花』 P419
この記述にはどことなくアナール学派のフィリップ・アリエス『子どもの誕生』を意識した部分があるかもしれない。「子ども」という概念が生まれたのは中世以降で、それ以前は大人と子どもは同一視されていたというあれである。あの本はけっこう衝撃的だったが、いわれてみればその通りと思える記述内容で、ある意味目から鱗みたいなところもあった。子どもは大人と同じように働き、飲酒も恋愛も自由、当然セックスの対象でもあったみたいな。
そして「老人の誕生」は、おそらく生活水準が向上され、医学の進歩などもあり、じょじょに平均年齢が上がってきたことなどにより初めて意識され始めたということだ。18世紀フランスでは、これに対応するべく年金制度、退職金制度などが退役軍人、高級官僚の間で始まるようになる。
それ以前はどうだったのか、多分「子ども誕生」と同じく、老人は大人の一部として存在しつつも、現役をリタイアしたり介護が必要になる前に淘汰されていたということだろう。それが近世の末になって、絶対王政化大国となったフランスなどでは、ブルジョワジーが形成される頃に平均寿命の延びに対応して「老人」、「引退生活」といったものが現象化してきたということなのだろう。
しかし六十歳以上の総人口に占める割合が八パーセントを超える頃に、「老人」という概念が生まれたというのは興味深いことでもある。敬老の日ということもあり、ちょっとググってみると、超高齢化社会の日本では六十五歳以上の人口に占める割合は、27パーセントを超えているという。今は高齢者の区分を六十五歳以上と区切っているようだが、これを六十歳以上とした場合にはまちがいなく人口比の3割をはるかに超えることになっている。
統計局ホームページ/平成28年/統計トピックスNo.97 統計からみた我が国の高齢者(65歳以上)−「敬老の日」にちなんで−/1.高齢者の人口
かくも高齢化が進んだのは生活水準や医療技術の飛躍的向上にあるのはまちがいないのだろう。発展途上国にあっては、さすがに中世や近世ほどではないにしろ、高齢化の割合は先進国に比べて相当に低いのだろうとは思う。それにしても、「老人」という概念が生まれてから、まだ300年かそこらしか経っていないということに留意してもいいのかもしれない。
歴史を学んでいると、「子どもの誕生」、「老人の誕生」のようなことに気づかされることがけっこうある。自分たちが当たり前のように考えていたことや、ずっと昔から自然にそうあったと思えることが、実は比較的新しいものであると知ることがある。中世や近世、近代、時代的に200年とか500年とか1000年というスパンは、とてつもなく昔のことかもしれないが、人類史というスパンで考えれば意外と最近のことでもあったりもする。
男女差別、女性の社会進出等でよく話題になる、昔は女性は家庭を守り、育児や家事を担ってきたという通説でも、実は専業主婦というのは戦後に生まれたものだったりもする。それ以前、家事はメイドやお手伝いにまかせる中産階級以上は別にすれば、女性は家事育児をしつつも普通に仕事をしていたのだろう。もっとも家事育児を専らしつつというのが問題ではあるのかもしれない。
それは余談としても、「老人」という概念が近世以降に生まれたというのは、今まさに老人になってしまった自分にはちょっと驚きでもあったりする。老いは個別であり、個体差がある。いつの時代にも長命な者もいれば、平均寿命で淘汰された者も多数いたのだろうとは思う。しかしいま六十代の半ばとなって思うのは、多分自分は近世であったら、おそらく四十代以前に死んでたのだろうなということかもしれない。
「老人の誕生」があったとすれば、社会学、歴史学のテーマとして、「老人の形成」とか「老人の展開」とかそういうことで諸々研究とかされているのかと適当に思ったりもする。まあもしそんなものがあっても、多分読まないとは思うが。
しかし「老人」、「老い」は社会的に認知され問題化されたのは、たかだか300年かそこらのことなのかもしれないというのは、ちょっとした驚きでもある。