友人が「面白かった」「凄かった」と教えてくれた企画展ということで、久々東京都現代美術館へ行ってみた。ここは去年の8月にデヴィッド・ホックニーを観て以来だ。つい最近のように思っていたが、いや月日の経つのは早い。
「日本現代美術私観」
東京都現代美術館はこの夏、日本の現代美術の質・量ともに最高峰のコレクションを作ったあるいひとりのコレクターの目から、戦後日本の変遷を辿る展覧会を開催します。
本店が中心とする時代は、バブル崩壊後の日本の、いわゆる「失われた30年」と重なっています。停滞する日本社会に抗うように生み出された新しい表現を「若いアーティストたちの叫び、生きた証」と呼び、支えてきたコレクターが、著名な精神科医としても知られる高橋龍太郎です。段階の始まりの世代として1946年に生まれ、1990年半ば以降、3500点を超えるコレクションをひとりで作ってきた彼は、日本の現代美術の核となる部分を、受け手として、表現者とは異なるかたちで体現してきた存在といえるでしょう。本展は、1995年に開館した東京都現代美術館がこれまで体現してきた美術史の流れにひとつの「私観」を導入しつつ、批評精神にあふれる日本の現代美術の重要作品を総覧する、貴重な機会となるはずです。
「企画展パンフレット」より
たった一人のコレクターが日本の現代美術作品を約3500点、それもわずか30年足らずの間に築きあげてきたという。この高橋龍太郎氏とはどんな人なのか。そして高橋龍太郎コレクションとは。
1946年生まれなので78歳。まさに団塊世代である。そしてこの年代のインテリ予備軍の多くがそうだったように、この方も学生運動、全共闘運動に参加する。慶応の医学生だったが1969年に退学し、多分運動から離れた時期、東邦大学医学部に再入学して精神科医になられた。
そして1990年にネットワーク医療を目指して東京都蒲田でタカハシクリニックを開業、精神科デイケア施設も併設されるなどして、精神科医療の最前線で活躍されてきた方でも。
1946年生まれ、全共闘世代の精神科医であり大成された方というと、フォーク・クルセーダーズのメンバーで、のちに九州大学教授、精神分析学会の会長を務めた北山修を想起する。
全共闘世代のある意味、勝ち組、あの時代の雰囲気、潮流のなかでなにかしらの啓示を受け、仕事と文化活動の両立を成し遂げてきたみたいなイメージだろうか。
高橋龍太郎氏はもともと若いときに映像作家を目指したという。でも草間彌生の作った映像作品を観て、自身の才能の限界をさとったという。今回の企画展でその作品かどうか判らないが、草間彌生の映像作品が映されていたけど、それはまあなんていうか1960年代後半におけるある種の混沌を切り出したようなもののようにも思えた。
どうでもいいが60年代の草間はニューヨークで悪戦苦闘の日々を過ごしたという。そして80年代の彼女は日本で不遇な時代を過ごしていたとも。角川の小説新人賞をとったのは80年代の前半。その頃の彼女はほとんど病気だったとも。
この方の記述は別にしても、草間彌生の作品と、あの風情をみるにつけそれはまあ「病気といえば病気かもしれない」とも思ったりもする。それがもはやルイ・ヴィトンとコラボする世界的アーティストである。
1950年代後半に渡米した女性アーティスト、今でいえばとんがった若き女性たち。そのアメリカ、多分グリニッジ・ヴィレッジあたりで過ごした青春時代、そういうものを活写するノンフィクションや映画があったらぜひ読みたい、観たいと思ったりもする。
草間彌生 1929年生 1957年渡米
オノ・ヨーコ 1933年生 1959年渡米
江戸京子 1937年生 1960年渡米
穐吉敏子 1929年生 1956年渡米
みんな凄い人たちばかりだ。多分オノ・ヨーコ(安田財閥の令嬢)、江戸京子(三井財閥の令嬢)と、草間や穐吉ではおそらく苦労の度合いも違ったのだろうなと思ったりもしたりする。
ついでにいえばやはり1950年代にドイツからアメリカにやってきたジャズ・ピアニスト、ユタ・ヒップは1925年生で1955年に渡米している。ユタ・ヒップと秋吉敏子をモデルにした小説を誰かに書かせたいと大昔に思ったものだが、これは果たせなかった。今でも誰かに書いてもらえないかと思ったりもする。
今から70年近く前のニューヨークで、ジャズの後進国である日本とドイツからやってきた女性ピアニストと彼女たちの周囲で活躍するミュージシャンたち。穐吉は成功して自らのバンドを持ち活動を続ける。ユタ・ヒップはジャズに、あるいは音楽に幻滅して、ドイツに戻る。アメリカに戻ったときには、音楽からアートに関心は移っていたとか。
話は脱線した。高橋龍太郎氏と日本の現代美術の話である。
高橋氏は1997年くらいから現代美術ののコレクションを始めたという。最初に購入したのは合田佐和子の《グレタ・ガルボ》だったという。
スーパーリアリズムというのだろうか。こういうの流行ったなとなんとなく遠い目になる。山口はるみとか、山口はるみとか、確か流行った。パルコの広告だったっけ。
展覧会では他に合田佐和子の《ルー・リード》が展示してあった。素直にかっこいいと思った。こういうのを観ると、年寄の自分などはなんとなく血が騒ぐ。
最初の頃の高橋龍太郎氏はまだ金銭的に余裕がなく、分割したり借金したりしてコレクションを増やしていったという。90年代から2000年くらいまでは、まだ美術作品はいまほど投機の対象となることもなかっただろう。高橋氏が目をつけた若いアーティストの作品は多分、今からすれば恐ろしく安い、チープな価格だったのかもしれない。
90年代のアートシーンはどうだったのか。長野にある水野美術館を作ったホクト株式会社社長水野正幸氏は、そのコレクション形成において、たしかバブルが弾けた頃に破綻した企業が売り立てに出した美術品を安く入手したみたいな話があったような気がする。水野美術館は近代日本画がメインだが、そうやって市場に流れた名品を集めていったようだ。
日本画と現代アートは性格が違うかもしれないけれど、バブルの後の日本でアート作品は古典にしろ、モダンにしろダンピングされた時期だったのかもしれない。
高橋龍太郎氏は、開業医としての成功とともに、日本のモダンアートの作品の収集を続けていく。そこには若いアーティストを育て、その活動を支援するという意味あいもあったという。そう、コレクターというのはまさにそういう意味合いで作品を収集し、作家を支援してきたのである。印象派やフォーヴィズム、キュビスムの作家たちも、コレクターたちに買われることで成功の出発点に立ったのだ。
今回の企画展を観て、その質、量、スケールにはまさに度肝を抜かれる思いがした。保管料もバカにならないだろうし、かなり巨大な倉庫とか借りているのだろうとか、そんなことも思ったりもした。維持費半端ねえなということ。
そしてさらに思う。自分はまあニワカの美術愛好家で、もともと下世話な人間なので、物事は基本形而下で考えてしまう。「このコレクションって、いくらするんだ」。
多分、コレクションを始めた頃、高橋氏も代金を分割したりして購入したにせよ、かなり割安だったと思う。さらに今も若い、新しい作家の作品を応援も込めて集められているという。もうすぐ80になろうというのに、そういう感性は凄いと感心する。でもかっての無名の作家は大成して、今や国際的な大スターになっている。
高橋コレクションの中の草間彌生、山口晃、奈良美智、会田誠、村上隆らの作品群だけでもとんでもない額になるのではないか。観賞しながら片手で指折ったりしている自分の下劣さが情けない。
この作品群が今後どうなるのか、まあいずれは公益財団法人化して、美術館でも作られるか、あちこちのモダンアート系の美術館に寄贈されるのかと、まあどうでもいいようなことまで考えてしまったり。
展示作品はもう圧巻としかいいようがない。そして観終わったあとにはなんていうかこうモダンアートでお腹いっぱいの気分である。でもこれってあとひくタイプなので、出来ればもう一度いってみたいと思ったりもする。でも会期は11月10日までなので、ちょっと難しいかもしれない。
今回展示された作家約100人のなかで、初めて観た作家、作品、もしくは何度か観たかもしれない作家について、出来るだけ覚えて、まだどこかの美術館で再見したいと思ったりもした。
例えばこの坂本夏子の作品。これは既視感があった。どこで観たのだろう。でもって思い出したのは、春に西洋美術館で初めて開かれたモダンアートの企画展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」だ。その時にも坂本夏子のグリッド、点描、タイル風などによる独特の奥行、浮遊感に妙に引かれた。
西洋美術館「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」 (3月22日) - トムジィの日常雑記
以下はお腹いっぱいにしてくれた作品群。本来なら作家名と撮影OKで撮影した画像を参照するべきだけど、とにかくモダンアートのシャワーを浴びまくったということで。
なぜかモダンアートになってしまった晩年の里見勝蔵。