松島に来るのは二度目。前回は1994年のことなので実に30年ぶりということになる。といってもその時はほとんど通過したような感じで、きちんと観光をしていない。そのせいか記憶が全然残っていない。もっとももしあちこち回っていても、30年も前となると記憶の欠落などいくらでもある。
今回の東北旅行、多分東北に来るのは人生的に最後っぽいし、きちんと回っておこうかと思った。なんたって「松島や ああ松島や 松島や」の松島である。ちなみに今知ったことだけど、この句は松島の風景があまりに美しいため、松尾芭蕉はほとんど絶句するようにして詠んだ句と聞いていたのだけど、実はこれ江戸時代後期の狂歌師である田原坊の作なんだとか。『松島図誌』(桜田周甫)に田原坊の句として収録されていたのだが、この本に「風景のあまりの美しさに芭蕉は句が読めなかった」という逸話も収められていて、混同したものだという。割と最近になって判ったことらしいとも。
「松島や ああ松島や 松島や」は松尾芭蕉の俳句か | レファレンス協同データベース
本当は岩手から釜石に抜けて、そこから三陸海岸を南下してみようかと思ったりもしていた。でもそうなると松島に行くのは翌日の土曜日になる。さすがに土日は混むだろうと思い、ウィークデイのうちに行ってみようかと。そしてその選択はたぶん間違っていなかった。
松島は金曜日でもけっこう混んでいた。ウィークデイの観光地ということで、いつものように我々と同様に高齢者の夫婦連れ、高齢者を中心としたバスツアーの方々、外国人観光客、高校生のおそらく修学旅行組、などなどでけっこうごった返していた。なので土日はもっと混むのだろうと。
それでも松島の駐車場はだいたいどこも入ることができた。止めたのは松島公園の脇にあり、湾内周遊の遊覧船乗り場から一番近い第四駐車場。ここに一台分だけある身障者スペースも空いていた。でも松島はずっと小雨が降っている。そして時折、雨粒が大きくなる。車から遊覧船乗り場までは公園の脇、海沿いの遊歩道を通っていった。車椅子の妻には傘をもたせ、自分は濡れながら押していく。まあそういうものだ。
松島島めぐり遊覧船
まずは定番の遊覧船に乗る。島めぐりでは一番有名らしい仁王丸という大型遊覧船で、1時間に1回巡行している。松島に着いたのは11時15分くらいで、乗ったのは12時ジャスト。島めぐりはだいたい50分程度だという。
1時間に1回の巡行で、料金は1500円なのだが、現在は「おかげさま半世紀特典」とかで500円引きの1000円。2階席に行くには別途600円が必要。遊覧船はけっこう満席状態。それでも車椅子は優先して一番最初に乗船させてもらえる。そして車椅子用のスペースも確保されていて快適といえば快適。ただし雨模様の天気なので、松島の絶景はどんよりとした灰色の世界。たぶん晴れていたらもっと良かったのだろうけど。
ほとんど室内の客席にいたけれど、時折デッキに出て写真を撮った。
途中から雨も止んだみたいで下船のときには傘も必要なかった。でも雨は時折降ったりやんだりを繰り返した。
五大堂
松島公園に近接した小島に造営された仏堂で松島のシンボルと称されている。瑞巌寺の境外仏堂で、渡るには透かし橋という欄干が朱塗りの橋を渡る。なぜに透かし橋というかといえば、橋げたの間が空いていて下に海が見える。さほど高くはないとはいえけっこうびびる。そしてここを身体の不自由な妻が渡るのはかなりしんどい。それでも手を引きながらゆっくりと渡れた。そこそこ観光客がいたけれど、みんなよけてくれた。土日でもっと人が多かったら、ここは多分パスだったかもしれない。
この堂は、1604年(慶長9年)に、伊達政宗が再建したもので、東北地方最古の桃山建築として重要文化財となっている。しかし海に面し潮風に晒された木造建築で400年以上前の建造物というのはちょっとした感動でもある。
福浦橋・福浦島
福浦島は湾内にある自然公園で、そこに行くには全長252メートルの福浦橋を渡る。通行料は200円が必要。橋は車椅子での通行もできるのだが、いざ渡り切って福浦島に行ってみると、島内一周の散策路はアップダウンがかなりある様子。橋を渡ってすぐのとこから、かなりきつめの坂が続く様子だったので、一周するのは断念して今来たばかりの橋を渡って戻った。
瑞巌寺
ここは伊達家の菩提寺として領内随一の格式を誇った古刹。もともとは9世紀初頭に天台宗の寺院として開創され、13世紀に北条氏によって臨済宗に改宗させられて禅寺となったが戦国時代に衰退。17世紀初頭に仙台藩祖伊達政宗によって復興した。本堂と庫裏が国宝となっていて、いずれも2018年に「平成の大修理」が行われ、現在の形となっている。
本堂の内部も見て回ったがなかなか見事。各部屋の障壁画も見事なものだが、多分複製画で現物は宝物館に収蔵されているものと思われる。作者は佐久間修理(しゅり)という伊達藩のお抱え絵師のようだ。この表記が英語だとSAKYOとなっている。調べると佐久間左京という名が一般的なようだ。さらに別に狩野左京という表記もあり、同一人物の名前だという。ようは狩野派の流れをくみ、佐久間左京もしくは修理と名乗ったということか。そういえば幕末の兵学者・思想家でもある佐久間象山も別名佐久間修理と名乗ったとか。ややこしい話だ。
本堂を出た後、外は小雨模様が続いていたので宝物館へ。ここもなかな見ごたえがあった。
瑞巌寺で時間をとったため、時間は4時を回ってしまい、すぐ近くの円通院の拝観時間は過ぎていた。そこで来た道というか、瑞巌寺の長い杉並木の参道を戻った。この杉並木は高い杉が連なっていて壮観なのだが、この杉並木は震災前はもっと多かったのだが、津波による塩害でかなりの杉が枯れてしまったのだとか。