一周忌と墓参り

 兄が亡くなって一年が経った。コロナのこともあるし、親戚もほとんど付き合いがないことや兄を知る人もたいてい亡くなっている。もともと無宗教で法事の類もほとんどやらないということで、一周忌も墓参りだけですますつもりだった。

 なんとなく兄の亡くなった日を8日と思っていたのだが、考えてみると6日だった。たった一年前のことなのになんでこんな勘違いをしたのか。開戦記念日の8日の混同したのだろうか。多分そんな気がする。

 兄の誕生日は12月23日なのだが、子どもの頃から兄とは軍記物とかの話をすることが多く、なぜかしらないうちに兄の誕生日は12月8日と覚えていた時期があった。遠い遠い昔のことだが、その記憶がどこかに残っていたのか。

 昨日、夜になってから明後日は墓参りに行こうと思い、そういえば午前中は妻の介護保険の認定調査が入っていたこととかを思い出して、ちょっと書類とかを目にしていたら、兄の命日を2日間違えていたことがわかった。なんか思い切りヤキが回ったなという思いとか、いろんなことが頭の中を過る。

 ということで、今日一人で兄の墓参りをすることした。墓は神奈川の山の中にある。高速を使えば小1時間くらい。肌寒い曇り空の中、ウィークデイの午後ということもあり、墓参りする人もほとんどいない。そんな中、しきみと線香を供え手を合わせる。目を瞑り近況報告し改めて安らかに眠ってくれと祈る。

 兄はあっという間に亡くなってしまった。去年、私が会社を辞めた前後から体調を思い切り崩し入退院を繰り返していた。糖尿病と動脈硬化により足の指の切断手術、心臓が悪くペースメーカーを埋め込む手術などなど。日常的には腎不全による週3回の透析など。亡くなる2週間前くらいには起居動作も一人では難しくなっていて、透析にも一人で行けない状態になりつつあり、自分が病院まで連れていくことも日常化していた。そして11月の終わりに動脈硬化の悪化から入院し、一週間後にはあっけなく亡くなった。直接の死因は敗血症ショック死だということだった。

 ある意味ではたった一人の肉親だった。とはいえこの10年は兄のことが負担になっていたのも事実。10年前に会社を定年となるとほぼ同時期から健康を害して入退院を繰り返した。借金を抱え、住んでいたアパートはゴミ屋敷同然。そんな中で治療費を工面し、借金を整理させ、新たな住居を用意したり。

 身障者である妻の介護と子育てや家事、そしてもちろん仕事をしているうえで兄の面倒をみていくこと。健康面はじょじょに悪化していたようだが、兄の方から連絡をよこすことはほとんどなく、時々こちらから連絡するとやれ透析をすることになったとか思いもよらないことが多かった。そして急に病院から透析にこないのでみてきて欲しいと連絡があったり、倒れて救急搬送されたという連絡があったりとか。

 墓前を前にしていると様々な思いが巡っていく。そして墓の中には父と祖母と兄の三人がいる。母を小さい時に離別して以来、ずっと4人で暮らしてきた。自分の肉親は自分を残してみなこの墓の中にいる。それを思うといつも悲しい、淋しい気持ちが募ってくる。年をとること、肉親と死に別れたった一人残されるということはこういうことなんだとある意味実感するのはいつも墓参りに来た時だ。

 墓の裏に刻まれた墓誌を改めて見てみる。

父  昭和六十一年十月十八日没  後年六十三歳

祖母 平成八年二月二月二十七日没 後年九十八歳

兄  令和二年十二月六日没    後年七十歳

 いずれここに自分も入り墓誌が刻まれることになるのだろう。それはそう遠くない時期かもしれない。墓前に手を合わせながら、妻や子どもを健康を、暖かく見守って欲しいとも祈る。障害のある妻のことを思うと出来れば自分も当分は健康でいなければいけないのだろうとも思いそれも願うことにする。

 墓参りはいつも淋しい。