夜が明けるまで

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夜が明けるまで | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト

夜が明けるまで - Wikipedia

 Netflix制作独占配信映画で2017年の作品。往年の大スター、ロバート・レッドフォード(当時80歳)、ジェーン・フォンダ(当時79歳)が4度目(多分)の共演を果たした。これまでの共演は確か『逃亡地帯』(1966年)、『裸足で散歩』(1967年)、『出逢い』(1979年)。とすれば38年ぶりの共演となる、息の長いトップ・スター同士ならではと思わせる。

 映画は超高齢化社会の老人の孤独をテーマにしている。隣人同士で、お互い伴侶と死別して独居生活を送るアディーとルイス。お話はいきなりアディーがルイスを訪問することから始まる。

「一つ提案があるの、申し込みよ」

「求婚じゃなく、でもそれに似ている」

「いつかうちに来て私と寝ない? 驚かせちゃった」

「そりゃ」

「お互い独りでしょ。独りになってもう何年もたつわ。だから・・・・・、寂しいのよ、あなたもかと。」

「セックスのはなしじゃない。私はだいぶ前に興味をなくした」

「これは--、夜を乗り切る術のこと。つまり、ベッドに並んで寝て、寝入るまで話をして過ごすの」

「夜って最悪だわ。安眠できると思うの、もし--、誰かが、そばにいればね、親切な誰かが」

「そうかな」

 ルイスはアディーの提案を受け入れて、毎夜、隣家のアディーを訪問し、セックスなしのベッドを共にする。そして次第に互いの距離を縮めていく。二人のことは小さな町ではすぐに公になり、彼らを揶揄する者も出てくる。一目を気にするルイスに対して、アディーは放っておけばいいのよと気丈に言う。

 二人は何十年もお隣同士だったけれど、お互いのことを何も知らない。それぞれの亡くなった伴侶のこと、子育てのこと、成長した子どもたちのことなどなど。途中、長男夫婦が仲たがいしたため、アディーは一時的に孫を預かることになり、アディーとルイスは二人で面倒をみることになる。そしてアディーは子守をするために町を出て長男とと孫と一緒に暮らすようになる。離れ離れになってしまうアディーとルイス。ルイスはアディーに贈り物を送る。

 二人ともまずは年とったなというのが第一印象。二人とも60年代にデビュー、70年代~80年代、ハリウッドを代表する二枚目俳優、美人女優だったけど、さすがにアラウンド・エイティ、特にロバート・レッドフォードの老いさらばえた感には仕方ないかと思いつつ、かってのナイスガイを知ってるだけにちょっとした驚きを覚える。それに対して、ジェーン・フォンダはかってワーク・アウトの教則本を出すなど、身体に相当な金をかけ、かつ節制していることがわかるような体形で、この年齢の割には驚くほど姿勢もよい。ただし顔立ちはシィプアップされているからか、全盛期よりも細い感じで、一見誰みたいな感じもある。

 老人の孤独と恋愛、超高齢化社会にあっては、今後このテーマは増えていくだろうと思う。静的な物語だ。多分、カタルシスを起こすような動的なものは、遠からず訪れる死と悲しみだけである。静かな余生、少しずつ忍び寄る死と、頭の中で逡巡する記憶、それも次第に失われていく。何かを共有する友人、知人、恋人、パートナーが必要だということ。今日的なテーマを、往年の大スターが演じる。そしてこうした映画は、映画館に足を運ぶのではなく、ネット配信で自宅で静かに鑑賞される。

 多分、50年前だったら高齢化社会はそこまで進んでいないから、受け入れられないテーマだったかもしれない。でも、ちょっとだけ夢想すれば、これ50年前だったらキャサリン・ヘプバーンスペンサー・トレイシー、あるいはジェーン・フォンダの父親、ヘンリー・フォンダあたりが演じたんだろうなと、そんなことを思った。

 歳をとることによるちょっとした利点といえば、過去の記憶の蓄積の中でこういうタラレバ的な空想、妄想を楽しむことができるところかもしれない。この映画は面白かった。