「創られた伝統とその新たな方向」のための草稿

 レポートのための草稿。多分、ここから400字くらい削らないといけないか。エリック・ボブズボウムの『伝統とは何か』は興味ある歴史書。図書館で借りて通読したけど、もっと若いときに読むべき本だったなと思ったりもする。

 歴史学の流れは、唯物史観の後は、アナール学派世界システム論などが主流だったけど、イギリス的な実証研究もきちんと学習すべきだったな。なんか全部、上澄みだけをすくってわかったようなフリをしてきてしまった。

 先日友人とも、こと学びという点ではもっと長生きしたいものだと、そんなことを飲みながら、グダグダ話していた。

 

「創られた伝統とその新たな方向」のための草稿

 近世日本文化史の研究家で家元制度を実証的に考察した西山松之助による「家元の定義」で重要なものは以下のようになる。
1.伝統は、一つの世代から次の世代へ伝達される有形無形の伝承および、それを伝達する様式。
2.伝統は個人的なものではなく、社会的、歴史的なものである。
3.伝統は、その原初の体験を現代人によって再体験し、再評価されるものであり、過去から一方的に継承されるものではない。
 これに対してイギリスの歴史家エリック・ボブズボウムは、『伝統とは近代国家が国民を団結させるために創出した』ものと規定した。それは西山のいう「伝統の再体験・再評価」を帰結させるものかもしれない。
 エリック・ボブズボウムとテレンス・レンジャーの共著である『創られた伝統』、はその原題『The Invention of Tradition』が示すようにまさに「伝統の発明という意味であり、多くの伝統とされるものが、イギリスの国旗やスッコトランドのタータンなどを例として、19世紀に創られたものであることを例証していく。
 そうした視点から見ていけば、我々が日常的に目にする伝統の多くが、実は近代に創られたもの、もしくは前近代にあったものを近代になってから再編集したものであることがなんとなく理解されてくる。
 日本の伝統とされるものも、明治期に近代国家創出のために改めて創られたものが多い。当初、近代以前の文化については、文明開化のような急速な欧米化に伴って廃仏毀釈のように捨て去られるものも多かった。それが日清、日露の戦争において、ナショナリズムが喚起されるとともに、近代以前の文化について再評価されていったのである。
 日本では統治システムとしての天皇制は、イギリスにおける立憲主義ではなく、プロイセン絶対王政的なシステムを採用したものである。そこに神話的な要素を付加した万世一系と男系世襲を組み合わせたのである。これが戸籍などの民法の元になり、日本的な家父長制度として現在も残存している。
 日本の文化、とくに伝統文化・芸能とされるものは、明治=近代において再編成されたものである。歌舞伎は西洋的な戯曲と対峙するなかで、「型」あるいはスタイルの継承として今日に至っている。
 茶道や生花は、前近代あっては大名家に仕えるかたちで続いてたが、明治以後は様式、スタイル、「型」の伝承を、主に世襲の家元制度とその弟子というある種の会員組織によって再編成して今日に至っている。
 歌舞伎、茶道などの家元制度は、有形無形の「型」の継承を世襲によって伝承を続けているのも、実は明治期に再構成された天皇制をプロトタイプとしている。これもまた「創られた伝統」なのかもしれない。
 今日の日本における伝統は、前近代からそのまま伝承されたものは少なく、ほとんどが明治期に再編成され「創られた伝統」といえる。それらは明治期に流入した欧米の文化に対峙する形で再認識され、編集されたものである。その中には前近代との断絶を明確化し、革新をうたったものもある。
 例えば日本画は、西洋画に対峙するため、それまでの狩野派(唐絵)、大和絵、円山・四条派、浮世絵などを総合する形で新たに生まれたジャンルともいえる。日本画を伝統画と呼称しないのは、また世襲による技術の伝承が行われなかったのは、その革新性によるものだったのかもしれない。
 日本の多くの伝統とされるものが、西洋文化と対峙する形で形成され存続してる。いわゆる和洋折衷的なものは伝統とされないのが普通だ。その中で、例えば盆踊りにボンジョビのロック音楽を使用するといった例も今日的にはある。もともと高知のよさこい祭りから派生して、全国に広まったヨサコイでも洋楽をBGMにした舞踏が主流となっている。
 近代において「創られた伝統」は、西洋文化と融合して新たな伝統を形成するかどうか、それを今日的に注目していく必要を感じる。