昨日、流通量の少ないマストドンでも、その死についての知らせが流れてきていた。
谷川俊太郎さん死去 戦後現代詩を代表 92歳:朝日新聞デジタル
13日に老衰のため亡くなったと。92歳、大往生なのだろう。
父親で哲学者、法政大学の総長を務めた谷川徹三は94歳で亡くなった。そういう意味では長命の家系なのかもしれない。谷川徹三を知ったのは高校生の頃だろうか、たしか『話の特集』で知った。谷川俊太郎の父親が哲学者で、「世界連邦論」を展開していると初めて知った。この人が岩波文化人の一人で、安倍能成や和辻哲郎らとともに雑誌『世界』の創立メンバーだったことなどは、ずいぶん後になってから知った。
自分が谷川俊太郎を知ったのも多分、高校生の頃だから、1970年代のどこかだっただろうか。1931年生まれの谷川はその頃40代。10代から詩人として活躍した早熟な天才は、すでに中堅気鋭の詩人、文学者だっただろうか。たぶん大江健三郎、武満徹などと同じ範疇で見知った人だったと思う。
試みに同時代人を見てみるとこんな感じだろうか。
1931年生 谷川俊太郎
70年代、第一線で活躍していた気鋭の人たち。そのほとんどが鬼籍に入ってしまった。たぶん存命は五木と長嶋くらいになるか。
谷川俊太郎の詩集も高校生の頃に読んだ。覚えているのはやはり処女作詩集の表題作だろうか。
二十億光年の孤独 谷川俊太郎
人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした
「万有引力とは ひき合う孤独の力である」というフレーズが、孤独な高校生の自分にはひどく染みた。そして「ネリリし キルルし ハララしているか」に妙に乾いたシニカルなものを感じた。
これはまさに10代の感受性が作り、10代の感受性が受容する言葉だったのかもしれないなと、今、68歳の自分は老詩人の訃報で思ったりする。
自分が若い頃に、なにかしら影響を受けた人たちが次々と亡くなっていくのが無性に淋しい。「そういうものだ」と思いつつも「そういうもの」で片づけられない心のモヤモヤがどこかにへばりついている。
ご冥福を祈ります。