東京富士美術館「旅路の風景-北斎、広重、吉田博、川瀬巴水」

 東京富士美術館で新しい展覧会が始まっているというので行ってみた。振り返るともう今年に入ってからこれが四度目の来訪となる。八王子の創価大学の前にある美術館だが、高速を使うと家から30分と少しで行ける。何度か記したが多分家から一番近い、気軽に行ける美術館でもある。そして収蔵品も豊富だ。

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 始まったばかりの展覧会は「旅路の風景-北斎、広重、吉田博、川瀬巴水」。すべて館蔵品による風景版画の展覧会である。

旅路の風景─北斎、広重、吉田博、川瀬巴水─ | 展覧会詳細 | 東京富士美術館

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 北斎の「富嶽三十六景」全46図、広重の「東海道五拾三次」全55図が展示される他、近代の風景としては、明治から昭和にかけて活躍した吉田博と川瀬巴水の作品が紹介されている。

 「富嶽三十六景」が全46図というのはどういうことなんだろう。調べると当初はタイトルの通りに36図で出版されたが、爆発的なヒットとなり人気の図柄は増刷を重ねた。そこで版元の西村永寿堂は10図を追加で出版し、「三十六景」と称しながら46図ということになった。一般的に当初の36図を「表富士」。追加の10図を「裏富士」と呼んでいる。36図は主版の線(輪郭線)に藍の絵具を使用しているが、追加の10図の輪郭線は墨を用いてる。

 さらに調べていくと「富嶽三十六景」には、18世紀に渡来した人工の顔料ベロ藍が多用されている。当初は多色摺ではなくベロ藍を主とした「藍摺絵」(藍一色)だった。作品の中には藍一色のものも多くあり、有名「甲州石班沢」もベロ藍一色の作品。

 川瀬巴水については昨年、府中市美術館での「映えるNIPPON 江戸~昭和 名所を描く」展で初めてその名前を知った。また町田の国際版画美術館での「浮世絵風景画」展でも大きくクローズアップされていた。

 明治期になってから凋落しつつあった浮世絵風景画は、小林清親の「光線画」を経て版元渡辺庄三郎と組んだ川瀬巴水の新版画などにより興隆した。そこには西洋画的な写実性と浮世絵風景画の抒情性、意趣のある構図などが特徴とされているという。

 川瀬巴水はもともと鏑木清方門下で、浮世絵風景画を始めてのは同門の伊東深水からすすめられ、版元渡辺商店の渡辺庄三郎を知ったことによるという。

 小林清親川瀬巴水はかなり人気があり、同種の展覧会が各地で開かれている。それに対して吉田博はというと、作品を何度か目にしたことはあるのだが、まとまった数を観るのは実は初めてのことだ。メモとして吉田博の略歴を記しておく。

1876年 久留米市に生まれる
1888年 福岡県立修猷館に入学
1891年 修猷館図画教師で洋画家吉田嘉三郎に画才を見込まれ養子となる
1893年 京都で洋画家田村宗立に師事
1894年 小山正太郎が主宰する不同舎に入門
1899年 中川八郎と共渡米、デトロイト美術館で「日本画家水彩画展」開催
1900年 ボストン美術館で2人展を開催して成功
    その後渡欧し、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどを巡歴
1902年 帰国。満谷国四郎、中川八郎等と太平洋画会を結成
1903年 二度目の渡米、ボストンを拠点に各地で展覧会を開催
    その後、欧州各国、モロッコ、エジプトを巡歴
1906年 帰国
1907年 第1回文展に出品
1910年 第4回文展の審査委員に任命され1913年まで務める
1920年 新版画の版元渡辺庄三郎と出会い、木版画の出版を開始
1923年 関東大震災により木版画と版木を総て焼失
    三度目の渡米、ボストンを拠点に各地で展覧会を開催
1925年 欧州歴訪の後に帰国
1936年 日本山岳画協会結成
1945年 敗戦後も欧米で地名度が高かったため、吉田のアトリエは進駐軍の  
    芸術サロンとなる。
1947年 太平洋画会会長に就任
1950年 老衰のため死去

 三度の渡米し欧州も歴訪している。アメリカでは各地で個展を開いているなど、当時的にも日本よりも欧米で人気のあった画家ようだ。川瀬巴水ももともとは25歳で鏑木清方に入門しようとしたところ、歳がいっているということで清方より拒まれ、洋画を勧められている。その後短期間、岡田三郎助に師事したが洋画が馴染めず27歳で再度鏑木清方の門をたたき入門を許可されている。

 吉田博、川瀬巴水とも洋画から日本画、浮世絵風景画の世界に入った。それは彼らの作品の写実性にけっこう影響しているようにも見える。さらにいうと北斎や広重の風景画は写実性よりも意趣ある構図などに特徴があり、ある種の様式美を確立している。それに対して明治期以後の浮世絵風景画は、江戸時代の浮世絵の影響を受けながらも洋画的な写実性、そこに抒情性が加味されているように思えた。さらにいえば浮世絵風景画の近代化はイラスト化していくような感想をもった。

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「五百らかん寺さゞゐ堂」-富嶽三十六景葛飾北斎

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尾州三十六景」-富嶽三十六景 (葛飾北斎

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「信州諏訪湖」-富嶽三十六景 (葛飾北斎

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「凱風快晴」-富嶽三十六景 (葛飾北斎

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「神奈川沖浪裏」-富嶽三十六景 (葛飾北斎

 この波に用いられる藍はベロ藍一色ではなくベロ藍と本藍を使い、さらにその濃淡をたくみに組み合わせている。

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「庄野」-東海道五十三次 (歌川広重

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「むさしの」-富士拾景より (吉田博)

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「渓流」 (吉田博)

 北斎や広重の滝図は様式化された二次元的な表現だが、この水の表現はまさに西洋的な写実表現だ。富士美の常設展には滝のバーレルと評されるジェームス・バーレル・スミスの「滝」が展示してある。それと比較してみると吉田博の水の表現は浮世絵表現から脱した、明らかに洋画表現による写実に向かっている。

滝 | ジェームス・バーレル・スミス | 作品詳細 | 東京富士美術館

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「天草より見たる雲仙」 (川瀬巴水

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「朝鮮慶州臨海亭」-続朝鮮風景より (川瀬巴水