『月の満ち欠け』

月の満ち欠け

月の満ち欠け

 割と評判のいい小説だったので読んでみた。作者の力量なのだろう息つく暇もなく一気に読ませた。
 佐藤正午はもうオールドネームといえる作家だ。彼の作品を読むのはデビュー作の『永遠の1/2』以来のことだ。1983年か84年くらいことだからゆうに30数年ぶりということになる。多分、ちょうどその頃は書店に勤めていた頃で新しい文学作品はそれこそ片っ端から読んでいたのだと思う。確かすばる文学新人賞か何かをとっていたのではないか。
 今回の出版社のサイトの宣伝コピーによれば「三人の男と一人の少女の,三十余年におよぶ人生,その過ぎし日々が交錯し,幾重にも織り込まれてゆく.この数奇なる愛の軌跡よ!」てなことになる。テーマは永遠の愛と生まれ変わりだ。モチーフ材料としては『前世を記憶する子どもたち』(日本教文社)が引用され、与謝野晶子吉井勇の詩歌が効果的に使われる。さらにウォーレン・ベィティ主演の「天国から来たチャンピオン」も引用される。
 「天国から来たチャンピオン」は生まれ変わった主人公が主役かつ狂言回しを務めるのだが、この小説では生まれ変わった少女よりも、彼女を取り巻く人々がメインとなる。この視点の変更が超層的なドラマを構成することに成功している。

「神様がね、この世に誕生した男女に、二種類の死に方を選ばせたの。ひとつは樹木のように、死んで種子を残す、自分は死んでも、子孫を残す道。もうひとつは、月のように、死んでも何回も生まれ変わる道。そういう伝説がある死の期限をめぐる有名な伝説。知らない?」
「誰に教わったんです」
「何かのほんに書いてあるって、いつか見た映画の中で、誰かが喋ってた。人間の祖先は、樹木のような死を選びとってしまったんだね。でも、もし私に選択権があるなら、月のように死ぬ方を選ぶよ」

 登場人物についてのわかりにくい時系列メモにするとこんな感じだろうか。うまく表現できるだろうか。

正木竜之介→→→→→→→→→→→→→→→→→→ ×	
正木瑠璃 →→→→→27歳×
三角哲彦 →→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→				
小山内堅 →→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→ 				
藤宮梢  →→→→→→→→→→→→→→→ ✕	              
              小山内瑠璃〇→→→→ 17歳×		
		              小沼希美〇→→→ 7歳×	
	      緑坂ゆい 〇 →→→→→→→→→→→→→→→→→→			
                                          緑坂るり〇→→→→→ 7歳
荒谷清美 →→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→				
		            荒谷みずき〇→→→→→→→→→→→15歳
〇誕生  ✕死亡

 この小説はある意味男の側からの妄想ファンタジーである。女性から愛され続ける。女性は死んでもまた生まれ変わって男に会おうとする。何度も何度もそれが繰り返される。そんな女性から純愛の対象となる男のロマン。物語に没頭して一気にストーリーを追うがふと我に帰れば、ちょっと有りえないよなと思う。
 女性の読者であれば、ちょっとこれないかな〜となるかもしれない。生まれ変わっても一人の男を愛し続けるような純愛はなかなかに有りえないというか。少し考え方を変えれば、これは偏執的、妄質的なちょっと引くような愛の態様かもしれない。
 この小説は一歩間違えれば、かなり怪しい、病的なところへ行きかねないものを持っている。生まれ変わりの小学生の女の子の心に大人の、男を恋い焦がれる為に生まれ変わった女性の心が宿るのである。相手の男はすでに中年の成人男性である。本当に一歩間違えば良からぬ方向に行きかねない危うさを縫合している。
 それをギリギリの線で変則的な純愛小説として成立させているのは、作者の力量と言えるのでとも思う。この小説は手練の作家の力技によって成立する物語だと
 ストーリーは東京駅での2時間のタテ軸とそこから回想される男たちの記憶の物語で展開される。その2時間という枠はテレビの連続ドラマとして見ると難しい設定かもしれない。しかし映画化としてみた時にはちょうどいい時間軸かもしれない。これはある意味映画化を前提とした小説なのではないかと思えたりもする。
 監督は多分是枝裕和あたりが適任かもしれない。主人公の正木瑠璃は27歳という設定なので、一番人気のある女優を綾瀬はるか、波瑠、吉高由里子、その辺なら誰でもありかとも思う。三角哲彦は20歳の時は若手人気俳優の誰か、中年以降は誰がいいだろう、二枚目の中年俳優を配してみればいい。仲村トオルとか唐沢寿明とか、う〜む、よくわかんないか。
 そして小山内堅はといえば月並みかもしれないが、佐藤浩市堤真一あたりかだろうか。
 そんな映画化の妄想を逞しくしてこの小説はけっこう楽しめた。最後に白状するが、お約束的というかラストは普通いジーンときてしまった。