『さよならを待つふたりのために』

さよならを待つふたりのために (STAMP BOOKS)

さよならを待つふたりのために (STAMP BOOKS)

読了。思った以上に面白かった。まずはtwitterのメモ的感想から。

『さよならを待つふたりのために』を読んでる。還暦間近の自分にヤングアダルト小説を読む感性が残っているか、数頁で投げ出すかと思いきや、どうしてどうしてこれは傑作小説。読み手をグイグイと引っ張り込む。作者ジョン・グリーンの才能だな。

『さよならを待つふたりのために』、不治の病の若いカップルの話。普通お涙頂戴グズグズベトベトなシチュエーションなのだが、カラッとして容易に感情移入させない文体。重い題材なのでかえって救われる。主人公も今時の娘。「クールがなんなのか知らないのが、私の一番の自慢」

『さよならを待つふたりのために』を読了。ちょっと思っていたのと違う展開。より素晴らしい作品だと感じた。なんかYA小説でかたずけちゃいけない、ひょっとしたら『ライ麦」みたいに長く読み継がれていくかもしれない、そんな傑作青春小説かもと思っている。まあ読了二日目でけっこう熱っぽいかも。

ツィートしたとおりだがヘヴィーなシチュエーションの割りに重苦しくないし、泣かせようという意図がない。この手のお話はけっこうその手の泣きを前提とした展開が普通なのだが、とにかくカラっとしている。普通に今のアメリカの若者達のことを描いた青春小説といえるのじゃないかとも思う。
またこの小説には乾いた警句のような主人公の感想達の人生や病気についての感想があふれている。それがちょっとしたハードボイルド小説での主人公のモノローグみたいでかっこいい。今風にいえばクールとでもいうんだろうか。そうこの小説は青春ハードボイルド的だ。試みに書き出して引用したいセリフがいくらでもある。

がんのパンフやサイトには必ずこう書かれている。気がめいるのはがんの副作用のひとつである。でも本当は、気がめいるのはがんの副作用じゃない。死の副作用だ。(がんも死の副作用のひとつだ。ほとんどなんだってそう。)P11

十六歳でがんで死ぬよりも最悪なことはこの世でたったひとつ。がんで死ぬ子どもを持つことだ。P15

ステージ?の甲状腺がんと診断されたとき、私は十三歳だった。(オーガスタスにはいわなかったけど、三か月前に初めて生理になったばかりだった。おめでとう、大人の女になったね、死んじゃうけどって感じ。)そして医者からは、助からない、といわれた。P32

「クールがなんなのか知らないのが、私の一番の自慢なの」P48

「ウィッシュ(願いごと)を使えば?」オーガスタスがいっているのは、ジニー財団っていう団体のことだ。病気の子どもの願いをひとつかなえてくれる。
「だめなの。私の分は、がんの奇跡の前に使っちゃった」
「なにしたんだ?」
私は特大のため息をついた。「十三歳だったの」
「ディズニーワールドじゃないよな」
ノーコメント。
「ディズニーワールドに行ったんじゃないよな」
ノーコメント
「おいヘイゼル・グレイス!」オーガスタスが大声でいった。「まさか一生に一度のウィッシュで親とディズニーワールドへ行くわけないよな」
「エプコットにも行った」
P89

痛い。キャロライン・メイザースはまるで手榴弾だ。爆発して、破片がまわりの人の体に深く突き刺さった。P108

がんの奇跡の直前、私はICUで死にかけていた。そのときママが私に、もう楽になっていいわよ、といった。楽になろうとしたけど、肺は往生際悪く酸素を求めた。ママがパパの胸にすがって泣きながらつぶやいた。できれば聞きたくなかったし、私が聞いていたってことはママに絶対知られたくない。「もうママになりたくな」その言葉が、私の心を深くえぐった。P126

がんになった子どもが決まって経験することの中で、わりとマシなのが”最期の日”だ。なんの前ぶれもなくその時は訪れ、それまで歯止めのきかなかったがんの進行がぴたっととまったような感じがして、苦しいのも痛いのも耐えられる程度に弱まる。問題は、あたりまえだけど、自分の”最期の日”が本当の”最期の日”かどうか知る方法がないってことだ。ただ調子がいいだけかもしれない。P266

オーガスタス・ウォーターズが死んだ。葬儀の予行演習の八日後、記念病院のICUで。ガスでできていたがんが、ついに心臓の動きをとめた。その心臓も、ガスでできていた。P274

「ガスの家にはすばらしい言葉が飾られています。ガスも私も、その言葉にとても元気づけられました。『苦しみがなければ、喜びを知ることはできない』」
後はくだらない救いの言葉についてべらべらしゃべった。ガスの両親は手を取りあってハグしながら、私のひとことひとことにうなずいていた。葬儀は、生きている人のためのものだ。P285

「娘は自分がどうなるのかわかっていなかった。僕は娘にもうすぐ死ぬんだとつたえなければならなかった。娘のソーシャルワーカーがそうしろといった。あの子に死ぬといわなければいけなかった。だからいった。おまえはもうすぐ天国に行くんだと。娘は僕もいっしょに行くのかと聞いてきた。僕は行かない、まだ行かないと答えた。だがあの子が何度も聞いてくるから、ついに僕はあの子に約束した。ああ、もうちろん、すぐに幾夜。そのころには僕らはすばらしい家族になって、天国でおまえの面倒を見てやる。すると娘はいつ来てくれるのかとたずねた。すぐだ、と僕は答えた。二十二年も前に」
「残念ね」
「残念だ」
少し黙ってから、私はいった。「その子の母親はどうなったの?」
ヴァン・ホーテンはニヤッと笑った。「君はまだ自分の物語の続きを探しているのか、ちびねずみ君」
私も笑い返した。「あなたはうちに帰ったほうがいい。酔いをさまして。またほかの物語を書いて。自分の得意なことをやってよ。なにかの才能に恵まれてる幸運な人たちばかりじゃないの」P301

この世界で生きる以上、傷つくかどうかは選べないんです。でも自分を傷つける人を選ぶことはできる。おれはいい選択をした。ヘイゼルもそう思ってるといい。
私もよ、オーガスタス。
私も。P328

ほとんどネタバレなのだが、この小説はおそらく長く読み継がれる青春小説になる。系統は違うがそれこそサリンジャーの「ライ麦」みたいに。そのくらい最高にクールなお話だと思う。
ただし最良の青春小説かといえば、そこは若干異なるかもしれない。『風の歌を聴け』の鼠の言葉にならっていえば、良い青春小説では「人が死なない」「男と女が寝ない」。でも21世紀の最良の青春小説はもうそんなことはいっていられないのかもしれない。