南アWCの観戦でいっぱいいっぱいでとか、仕事が思いのほか忙しくとか、あるいは病気とか、そういうこともないままなんとなく、はてなの更新もままならずに日にちが経っていく。人はこうして立ち上げたブログを放置していくのかもしれない。何度も始めては三日坊主で放置してしまう日記のように。
日記を書き溜めたノートは物置の奥底に忘れさられ、いつか思いもよらないときに発見され、読み返して赤面したり、ばつの悪い思いしたり、懐かしい思いをしてみたり。
個人が残したブログはどうなるのだろう。それはクラウド上のどこかのサーバーに保存されたまま。世界中にはこうした他者にとってはクソでしかないようなゴミデータが残存し続けるのだろう。クラウド上に浮遊し続ける個人的記録の痕跡。
こうしたデータはどのくらい保存し続けるのだろう。10年単位で、どこかの誰か、あるいは機関、組織のような類がまめに削除していくみたいなことになるのだろうか。でもキャッシュはまた別のサーバーに保存されていてみたいなこともあるかもしれない。
最近読んだ本の中でグーグルのデータセンターは世界中に点在しており、それらの多くは雨ざらし状態だともいう。保守コストを極端に切り詰め、故障したら別のサーバーが代替する。そういうことらしい。故障したサーバーはどうなるのだろうか。へたをすればそのまま放置されたまま死滅していくのだろうか。
今後数十年もすると世界中に、放置されたサーバーがあふれるなんてこともあるかもしれない。いやそのまま放置はいくらなんでもないだろう。きちんと廃棄され解体されていく。でもそれでもそのまま放置されていくサーバー、データセンターはあちこちにあるかもしれない。
ネットの普及で様々な個人情報や、個人的な記録がクラウド上に残されていく。100年後、あるいは1000年後の世界では、歴史家は膨大な量の資料を前に途方に暮れるのだろうか。いや様々な角度からの分析、考察が可能なデータを元にユニークな視点からの分析、考察がされていくかもしれない。
そんなことを思うと1000年後の社会史、文化史、文化人類学の研究はおそろしく多面的になることが想像できる。なんか楽しいね。
というわけで個々人のブログは、後世の文化史や人類学の研究者の目に触れるかもしれないのである。ああなんとも恥ずかしいことではないか。「21世紀、ネット普及期における中年男性の生活史に関する一考察」みたいな論文のネタにされたり。まあ、ありえねえな。
とりあえず後世の研究者のために再開、6月後半のことについて日録風に。