小学生最後の音楽会だ。とはいえ別にどうでもいいとパスするつもりでいたのだが、妻がどうしても行きたいと言いはじめる。娘にどうすると聞くと、いつものように「いいよ、こなくて」とつれない返事。どうすべきかとぎりぎりまで判断保留していた。
妻は妻でなんとか娘を説得したようで、水曜日の段階で娘もいいといっているよという。それで娘の連絡帳に車椅子の家族を連れて行くので駐車許可書の希望を書く。娘もらってきているかと確認したのだが先生が忘れたのか渡されていないという。今朝留守番電話に担任からの伝言が入っていて、駐車許可書は当日事務室でももらえるように手配しておいたとのこと。
学校に妻を連れて行くのはじゃっかん気がひける部分がある。車椅子の妻の姿を、片麻痺の妻の姿を周囲の目にさらすことに躊躇するとか。いやそういうのは全然ない。当たり前だ。娘にはそういう意識があるかもしれない。そういう心持が母親の気持ちを傷つけるという部分もあるから、もし口にしたら当然怒ったりもする。でも思春期に入り始めた子どもなのである。妻には悪いけど、そういう子どもの心根もわからないでもない。でも妻を連れていくのを躊躇するのはそういうことではない。単純に物理的な問題だ。
学校は半端じゃなくバリアーの巣窟なのである。まずエレベーターがないから、教室まで行くのがしんどい。娘の教室はたしか3階か4階である。なんどか授業参観で妻を連れていったことがあったけれど、手摺使って階段の昇降にえらく時間がかかった。私は一度車椅子をたたんで先に行き、車椅子をおいてから戻って妻の傍らで見守る。こういうことを繰り返さざるを得ないのだよ学校では。
今回の音楽会は体育館で行われるのだが、ここもご他聞にもれずというか、当然というか段差あり。出入り口が階段上でスローブが一切ないのである。他にも学校の渡り廊下とかもどうしたらこういう作りをするのかというくらいにでこぼこなのである。前にも何度も書いたことだが、日本の公立の小中学校はだいたい昭和30〜50年代に作られている。まだバリアフリーとかの概念すらなかった頃のことだからいたし方ないのだろうけど、障害児を受け入れるという発想が一切なかったことが明白な設計だ。
高度成長期の頃の日本の障害者政策って、たぶん社会への融合とかではなく、確実に隔離するという方向だったんだろうなと思う。それがエレベーターとかが一切ない、必要以上に段差だらけのでこぼこの学校作りなんだろう。いわば全国のバリアーだらけの公立学校は、まさしくアンチ・ユニバーサル的世界の歴史を証明するような代物だと思わざるを得ない。
というわけで出来れば車椅子の妻を学校へ連れていくのは、どうにも気がひけるのである。
音楽会はインフルエンザの影響とかで2学年で1回のプログラムでこれが3回に分かれている。1回目は9:40〜10:25までで1年生と4年生、2回目は10:45〜11:30で2年生、5年生。そして3回目が11:40〜12:25までの3年生と6年生。各回とも保護者は総入れ替え制である。ようは一度に沢山の人を体育館に詰め込まない工夫ということなのだろう。まあ徹夜明けのこちらとしては、一番最後の回で正直良かった。
体育館の入り口は一つだけなのでそこで保護者の入退場を一度にやるとけっこう混雑する。入場する保護者は体育館に隣接した渡り廊下の先の校舎の廊下で待機することになっているのだが、車椅子だとでこぼこの渡り廊下への移動はまず無理。それで仕方なく入り口の脇で待っていたら、入り口付近で案内をしていた先生が途中で我々を入れてくれた。一度妻を車椅子から降ろして4点杖で妻は小さな階段を登って体育館の中で入る。
すでに保護者はパイプ椅子に順に座っているのだが、教師たちがその前にスペースを作って我々の席を空けてくれた。そういうのは大変有難いことなのだが、わざわざ長い時間待って一番前に座った親御さんからすると、我々のような存在はけっこう煙たいのだろうなとも思う。たぶん一番前に座るのは例によってビデオカメラやデジカメで我が子の勇士を撮りたいからのはずだから。
別にこんなに前にしてくれなくてもいいのにと思う部分もある。妻は普通に喜んで「特等席だね」と話してくる。しばらくして子どもたちも入場してくる。3年生が前、6年生が後ろなので私たちからすぐ近く娘も座っている。妻が手をふるけど娘は軽く無視して友だちと話している。私も娘に対してそ知らぬふりをする。まあそういうものなんだと思う。
娘たちの演目は合唱が「ひろい世界へ」、器楽演奏は「情熱大陸」の2曲。まあなんつうか、こんなもんだろう的な感じ。特に感慨もなく、特別感激することもなくあっという間に終了した。小学生最後の音楽会、発表会だというのに別段なにを思うこともなくということである。まあ、こういう機会はまだまだ中学、高校と続くのだし、とまあそういう気分だ。
なにを思うでもなく、とりあえずこの学校の体育館の形状、入り口の様子などを頭に入れる。たぶん4ヶ月くらい後には卒業式があり、またこういう形で妻を連れてここにやってくるのだから。その時はいちおうスーツとかでやってくるのだろう。時間も余分にかかるから、妻のトイレのこととかいろいろ考えながら動くことになるのだろう。まあその時はもう少し感動というかいろいろな思いを巡らすとかあるのだろうなとも思う。