東京ディズニーシー

昨日行ってきました。ずっと娘も行きたいと言ってたし、例によって妻も行きたい、行きたいを連発していたから。まあ、今月はおうちが売れた月間でやや大盤振る舞い的心理状態にもあるわけで、まあいいかとそんな刹那気分。
ディズニーシーはたぶん今回で3回目くらいか。ディズニーランドに比べるとスペースも広いのだろうし、入場者数も少ないのだろう、なんとなく余裕があるような感じがする。さらにはアトラクションもあんまり興味を引くものが少ないので、あくせく動き回ったり、ファストパス取るためにスケジュール立てたりみたいなこともない。その分あっちへ行ったり、こっちへ行ったりと無駄な動きも多く、移動距離は圧倒的に多いのだけど、それほど疲れた感じもしなかった。
娘はというとここではマーメイドラグーンのトリトンズキングダムがお気に入り。もうここにいれば何時間でもOKという感じだ。ちょうどディズニーランドでいえば、トゥーンタウンがお気に入りなのと一緒。あんまりアトラクション系には関心もないようだ。
妻はというと逆にこっちはあれも乗りたい、これも乗りたいだ。そういう部分では完全に子どもになっているな。いろいろなところへ連れて行け、あれも行きたい、これも行きたいという行きたがりやな部分とかも含めて、こういうのはみんな脳の損傷のせいなんだろうか。そのへんの連関とかってきちんと説明つくのだろうか、などと時々考える。なんでかというと、そういう行きたがりやな部分は病気になる前はほとんどなかったからだ。妻にそのことを言うと、「以前だって行きたかったけれど、忙しかった、あんまり言わなかっただけ」なのだとか。妻的には病気のビフォー、アフターは連続しているのだというけれど、ちょっとそれはうなずけない。
何度か書いてきたことだけど、妻が国リハを退院する間際だっただろうか、心理療法の先生と面談をしたことがあったけど、先生はだいぶん良くなっていますと前ふりしたうえでこう話した。「それでも奥さんを病気の前と同じだとは思わないでください。性格的な部分も含めて変わってしまったところもたくさんあると思います」
まあ、そういう部分も許容したうえで家族はつきあっていく必要があると、全体としてはそんな話だったわけだな。まあいいさ、妻が物理的に片麻痺になってしまい、行動面で大幅に制限された人生を送っていかざるを得ないのは事実だ。家族に依拠して生きていかざるをえないわけだし、それでも様々な好奇心や欲求があるということなんだろうし。つきあえる余裕がある時はいくらでもつきあってあげればいいのだ。
どうせ娘もそのうち家族とお出かけなど敬遠するようになるのだろうし、私と車椅子の妻と娘の三人で仲よくお出かけして過ごす時間など限られているのだろうからね。
今回のアトラクションでファストパスとったのは、センター・オブ・ジ・アースのみ。今一番人気のタワー・オブ・テラーはやめた。単純に怖いから。外が見えた途端にフリーフォールするというのは、オーランドで乗ったことがあったような気がする。まああんまり気持ちのいいものじゃなかったな。娘も乗るというなら考えたけど、娘も乗らないというのでパスした。あとは海底二万里とかまあそのへんのものをいくつか。
妻はたいていのアトラクションで車椅子からの乗り移りもけっこううまくいったのだが、シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジでゴンドラに乗り移るのだけはけっこう難儀して、後ろの列の人に体を支えていただいてやっと乗り移ることができた。その場で恐縮しながらお礼を言ったのだが、降りたときにもう一度お礼を言うのを失念してしまった。家族連れのお父さんでたぶん40〜50代、ほぼ私と同年輩かもしれない方だった。こういう見ず知らずの方の善意にも助けられているんだよなと改めて思った部分もある。
この日もうちと同じように車椅子連れの家族を何人も見かけた。子どもからお年寄りまで、身体不自由から明らかに脳性麻痺と思われるような方まで。障害は本当に人様々なのだと、そんな当たり前だけど、意外と忘れてしまうことを思い起こす場でもある。ここディズニーランドという場所は。