土曜授業参観

話は前後するけれど、午前中は娘の通う小学校の授業参観があった。通常の授業参観は毎学期の最初と最後くらいに一度づつある。それとは別に年に1回、この時期に土曜日の授業参観を設定している。たぶんに通常の授業参観がウィークディにあるので、母親中心になる。それとは別に父親にも授業や学校での子どもの生活を見てもらうみたいな目的できっと始まったんだろうなと思う。土曜に授業を行うので翌々日の月曜は振り替え休日となる。このへんが共稼ぎしていた頃は悩みの種でもあった。まあ、うちの場合は放課後預けている学童に朝から連れていっていたけど。
去年も確か退院して間もない妻を車椅子に乗せて連れていったので今回もそうしたのだが、娘が高学年になったのでこれまで1階にあった教室が3階になった。これがしんどい。当然小学校だし、エレベーターなんかは設置されていない。階段を妻は歩いて登る。私はその傍らでたたんだ車椅子を片手に見守りしながらついていく。
さらに今回は音楽の授業を参観することにもなっていたので、別棟の音楽教室への移動もけっこう大変だった。渡り廊下が平面になっていない、なんか飛び石みたいなっている。もう車椅子の移動をことさらに排除しているような感すらある。
山田規畝子さんの著書『壊れた脳生存する知』の中で子どもの学校行事に参加するようになった山田さんの感想として、学校はバリアだらけという記述があったが、まさしくそれを実感してしまった。私たちの様子を気にかけてくれる何人かの先生方は、何か手助けをしましょうみたいに親切に対応してくださった。その中の一人の先生は、「本当にすみません。バリアフリーに全然なっていないんですよ』と申し訳なさそうに話してくれた。
しかし考えようによっては学校のバリアだらけの現状もしょうがないのだろうとは思う。新設の学校でもないこの手の既存の学校はたいてい築20〜30年程度経ている。建設当時はバリアフリーなんてまったく考慮されるような時代じゃなかったということ、それにつきるのだろう。さらにいえば、今の縦割り行政で学校の管轄は当然文部省だ。このお役所にバリアフリーだの、ユニバーサルデザインなんていう発想はおそらくまったくないのだろう。さらにいえば学校の改装費用目的の予算もないのだろうし。この地の学校の改装についていえば、ユニバーサルデザインなんかよりもより切実な耐震部分での安全性にも問題がいろいろあるらしい。使える予算があればまずはそっちということになるのだろう。
学校がバリアフリーになるのは多分ずっとずっと先のことになりそうだよ。