午前中、11時過ぎくらいだったか、携帯が鳴った。よく妻からで昼休みに帰るかどうかとか、帰るなら途中スーパーでなにか買ってきてみたいな電話があるのでその類かと思ったが、携帯の画面表示される番号に見覚えがない。とりあえず出てみると娘の通う小学校からで娘の具合が悪く保健室で休ませているので迎えに来るようにとのこと。なんでも熱が38.2度くらいあり、せきとかもあるという。すぐに行きますと返事をした。娘の担任は男性なのだが、電話の声は女性だったので念のため名前を聞くと養護担当の先生だとか。
その後はとりあえず火急の用件をかたずけてから部下に娘迎えに行く。たぶん昼休みにかかるから1時には戻ると言い置いて、同様のことを上司にも連絡してから会社を出た。車で迎えに行くのでまず自宅に戻り、それから学校へ行く。それでも10分足らずで学校まで着いてしまうのである。職住近接の利便性というのはこういうことだな。普通なら学校からの連絡で一発で午後は半休とってとかそういうことになる。ふじみ野時代とかはいつもそうだったな。娘がよく熱っぽい時に無理やり保育園に預けた時は、いつ連絡があるかと冷や冷やものだったものな。
学校に迎えに行き保健室に入ると娘は寝ているわけではなく、保健の先生と対面して椅子に座っていた。でも声がかすれがちで見るからに元気がない。家に送り、すぐにおかゆを作り食べさせて自分も簡単な昼食をとる。それからとにかくベッドで寝るように言いつけて会社に戻った。
6時少し前に帰宅したのだが、外はけっこうな雨模様。それでも早めに対応したほうがいいだろうと娘を一番近い医者に連れて行く。会社でパートとかに聞くと例のインフルエンザの検査をしてもその日のうちに結果がでない場合があるのだとか。明日の土曜日に医者に連れて行って、結果が出るのが月曜というのではちょっと遅いと考えて、今日診せておけば最悪でも明日にはわかるだろうと考えた。
医者に行ったのは6時過ぎ。遅い時間のせいかほとんど患者さんもいないのですぐに診てもらえた。問診の後すぐに鼻の奥に綿棒の長くて細いものを差し込んで検査をする。結果は15分くらいでわかるから待合室で待つように言われる。ちょっと表紙抜けである。
結果は予想していたとおりインフルエンザ。試験紙にピンクぽい線がくっきりと出ていてA型と判定される。ここからが問題なのだが、医師の説明ではこの近隣でもけっこうインフルエンザ流行ってき始めているが、例のタミフルがきかないAソ連型の発症はあまりないのだとか。ただし現時点ではただのA型かAソ連型かはわからない。もしタミフルを投薬しても熱が下がらなければ、そこで初めてソ連型とわかる。そうなるとリレンザという吸入投与薬を処方することになる。それでどちらを投与しますかと医師はこちらに投げかけてくる。そんなことを言われても困る。ただし小学生だし吸入投与薬はちと難しいだろう。とりあえずタミフルで様子みて熱下がらなければ月曜にまた来ますということでタミフルにしてもらう。まあこれが吉でるかどうか。
順調に熱が下がった場合は学校にはいつから行けるかと医師に聞くと、インフルエンザの場合登校許可を出さなければならないので、熱が下がっても1日、2日は様子をみなくてはならないのだとか。とりあえず日曜に熱が下がっても月曜は休み。火曜日に連れてくればそこで許可をだしましょうということになる。ようは治癒しても学校は水曜からということか。もはや共稼ぎじゃないから、娘がいくら学校休んでも別に関係ないのだけど、共稼ぎ時代だったらけっこうピンチだったんだろうなと思う。それこそ月曜はかみさんが休んで、火曜は私がとか、まあいろいろやり繰りしなければならなかった。
その後は娘を家に連れて帰ってからやれアイスだの、ポカリだのを買いにスーパーまで行く。土日、娘は闘病生活。こちらは看病生活ということになるわけだ。
しかし鶴ヶ島に越してきてからというものほとんど病気らしい病気ということがなかった娘である。熱を出して最後に休んだのはいつ頃だろう。たぶん小学4年の時、たぶん夏前に溶連菌かなんかで休んだのが最後だったかもしれんな。今後の問題はというと、このインフルエンザが私や妻に移らないこと、ただそれだけだな。
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