神奈川区役所へいく

午前中に妻の会社での用事をすませた。昼食は会社近くで妻が以前よくいっていたというタイ料理のレストランで食べた。本格的なタイカレーでけっこううまかった。ここらは親会社もあるところだから、休みとっているとはいえあんまりウィークデイにうろつきたくないなと思っていたら、案の定見知った顔と次々にあったりもした。いや、世間は狭い。
その後、妻の相続放棄のために必要ということで、戸籍謄本をとりに横浜の神奈川区役所へいくことにした。妻の父親が死んだのは4月だったのだが、まだまだその手の手続きが残っているらしい。
私たちは10年以上前に埼玉に引っ越してきた。結婚して住んだのは横浜の公団住宅だったから、私の本籍は父親の生家の地をそのままにしていた。本来であれば埼玉に引っ越して家を構えたのだから、それに横浜に帰るべき場所もないのだから、埼玉の地に本籍を移せばいいのに、そのままにしてあった。そう、思いのどこかではいつかは横浜に帰りたいというそんな思いがあるからなんだろう。とはいえ戸籍謄本等が必要になる場合は、あまりにも面倒臭いの事実ではある。
神奈川区役所を訪れるのはそれこそ20年ぶり、あるいはそれ以上かもしれない。ずっと住んでいた港南区の役所でたいていの手続きはできたから。本当に久しぶりに訪れたのだが、周囲の環境もずいぶんと変わってしまっていた。
謄本を数通とってから、ついででもないが父の生家であるという我が本籍地を訪ねてみた。ナビに地番を入力すると神奈川区役所から数百メートル、東白楽駅の近くの場所だった。十代の頃に父親に生まれた家はここだよと教えてもらったのは、もっと高台だったのであれれという感じがした。おそらく父親が生まれ育った家と生まれた場所として届けでた場所の相違なのだろう。出自にいろいろとややこしいことが付随していた父親だけにそのへんのことはなんとなくの想像でしかないのだけれど。
しかし自分の本籍地の場所、東白楽駅近く、神奈川工業高校グランドに面した一角だったのはびっくり。あんまり思いいれもない場所だし、いっそ自分の生まれた山下町のあたりに本籍移すか、あるいは思い切って埼玉の現住所にもってきちまうかなどと、まあもろもろの思いがよぎらないわけではなかった。とはいえハマに生まれ育ったというのがある意味自分のアイデンティティ形成している部分もなきしもだしな〜と、ゆれるジジイの胸の内というところか・・・・・。