墓地の名義変更

 朝一番で一番近い中央郵便局に兄の預金関係の相続手続きの書類提出に行ってくる。火曜日に横浜の区役所で入手した兄、父母それぞれの除籍謄本などを持っていく。謄本等は郵便局でコピーしてすぐに戻してくれる。このへんが年金事務所との違いだなと思った。年金事務所は全部先方に提出した。多分、確認したらそのままシュレッダーにでもかけられるのだろう。除籍謄本は1通750円もかかるのにね。

 その後、神奈川の山奥にある墓地まで出向き墓地使用の名義変更手続きを行う。墓地は父親が亡くなった1987年に建てたものだ。墓碑に兄と自分の連名で記しているが墓地使用者は当然のごとく兄の名義にしてあった。ここ10年くらいは墓地の管理料も自分が支払っていたのだが、名義変更は戸籍謄本等が必要だとか面倒な手続きがあるので、そのままにしていた。結局、今回のことで名義変更を行うことになったのだから、もっと以前に手続きをしておけばよかったと思う部分もある。

 名義変更には手数料として13200円なりがかかる。これも手続きをしないできた理由の一つかもしれない。一緒に墓誌彫刻代も支払う。これで後は納骨と49日法要だけである。その後、傾斜地にある墓に行ってみると墓誌もきちんと彫ってあった。また納骨の準備のためか香炉もずらしてあった。

 前にも書いたと思うがこの墓地を決めたのは、父親が亡くなった後に葬儀屋から案内書をもらったからだ。初めての葬儀でもう次から次へと言われるままに動く。一連の葬儀が終わった時の、墓地をどうするかといわれて吟味するとかいうことも即決した。あとでその場所に行ってみるとちょっとびっくりすることがあった。

 父が亡くなる一月かそこら前のことだが、自分と父でちょっとしたドライブをした。特に行く宛てもないドライブだったが、相模原の水郷田名という場所で河原を父と二人でぶらぶらとした。河原に座って、川面や川の向こうの山を眺めて時間を過ごした。その時どんな話をしたかはほとんど覚えていないが、水郷田名の由来とかを父から教えてもらったような気がする。後は昔話、かって住んでいた山下町でのこととか。

 その時の相模川の対岸の山、その裏側が公園墓地になっていて、我々が選んだ墓地だった。なにか父は自分が埋葬される場所を下見に来たのではないか、そんな因縁めいた話を後で兄に話したことなどを覚えている。もう父が死んで34年の年月が経過している。

 父は風呂場でクモ膜下出血で倒れ一度も意識を取り戻すことなく逝った。一緒にいた祖母が私の会社に電話をしてきた、私が東京から救急車を呼んだ。救急を呼んだ後、祖母にこちらから電話をかけた。電話が繋がっている途中で救急車の音が受話器を通じて聞こえてきた。祖母がドアの方に行って、大声で「こっちよ~」と叫んでいるのも聞こえた。それから救急隊の方が来て父を連れ出し、電話にも出た。「一刻の猶予もならない状態です」そんなことを話してくれたような気がする。

 それから会社を飛び出して電車に乗り病院に向かった。電車内ではただひたすら父の無事を祈っていた。病院に着くと父親はICUで治療を受けていて、人工呼吸器による空気の挿入と共に身体を起き上がらせるような感じだった。父とその状態に動揺する自分を、看護師が「あなたしっかりしなさい」と呼び掛けてくれたことも覚えている。

 そして翌日の夜、父親の呼吸はしだいにゆっくりとなり止まった。それを傍らで見ていた自分が看護師を呼び、医師が懸命な心臓マッサージをしてそれから例の「〇〇時〇〇分、ご臨終です」というセリフを私に言った。兄は待合室かどこかに行っていてその場にはいなかった。

 あれから34年、当時30だった時分が父の年齢を超える。20数年前に祖母が亡くなり、そして今度は兄が亡くなった。墓誌は三人の戒名が彫ってある。そして多分、この後は自分の番になるのだろう。

 自分が亡くなれば、墓地使用者は妻となる。子どもが嫁いでしまえばこの墓はそこで終わることになるのだろうか。