62歳になった

 62歳になった。同じ誕生日のポール・マッカートニーは76になるという。まあどうでもいい。
 特に感慨というかそういうのはない。しいていえば自分の実年齢と自己認識みたいなものにえらい乖離が生じている。そもそも62歳、お爺さんではないか。自分が少年時代、あるいは二十歳の頃に62歳の男性についてどう見ていたか。本当にただの枯れたお爺さんである。そういう年代にあるというのに、いまだに迷いっぱなしの人生を送っているような気がする。

子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず

 論語にある有名な孔子の言葉だ。この言葉をなぜか大正製薬のCMで覚えたことはまあ、これもまたどうでもいい話だ。牧伸二が司会をしていた大正テレビ寄席だったかな。
 そもそも四十にして惑わずなのに、いまだ惑いっぱなしかもしれない。そのうえで「六十にして耳従う」とは人の言葉に素直に耳を傾けてるようになるということらしいが、全然そんなことはない。かえって頑迷さが増しているかもしれない。
 とはいえ62歳というのは個人的にはけっこうヤバイ年齢でもある。うちの場合、父も祖父も63歳で他界している。祖父は自分が生まれる前に亡くなっているらしいのだが、胃がんだったという。父は以前にも書いたことだが、くも膜下出血で亡くなった。祖母は98歳まで生きたし、母とは子どもの頃に生き別れており、生きているのか死んでいるのかもわからないままだが、なんとなく我が家の家系は男系は早死に、女性は長命みたいな風に考えている部分がある。
 ただし兄はというと、糖尿のうえ人工透析を受ける身でありつつ、まもなく70を迎えようとしている。そういう意味では医学も進歩しているから、男系63歳早生説も若干あやふやではある。
 といっても来年、63歳という年齢はそれなりに緊張を強いられるかもしれないと思っている。そうは言っても身障者の妻を抱え、子どもも学校を卒業するまで後2年くらいある。まだまだ頑張って仕事していかなくてはいけない、凌いでいかなければいけないのである。
 仕事はというと、任期は来年まである。その後はどうか、後任が育っていれば後1年かそこらだろうか。おそらく65歳まではなんとか勤めあげたいとは思ってはいるが、諸々責任を取らさせるのが一義的な役割だから、どうなるかは神のみぞ知るところでもある。
 そういうことを考えると、老後の楽しみとかそういうのとは無縁はまま人生を終えてしまうのだろうかとも思ったりもする。
 そういえば年金事務所にも行かなくてはならない。当座、収入もあるので年金支給はないのだが、一度申請しておけば、職を失えばすぐに支給も開始されるという。そのためには戸籍謄本を取る必要もある。仕事休んで横浜まで出かけなくてはいけない。実家というものを持たない自分にとっては、本籍地は単に父親が生まれた場所という意味しかない。その場所も細かく分筆されているようで、一年前にようやく住所から突き止めた場所には、普通の民家が立ち、なぜかそれがお寺だったという訳のわからない展開だった。
 今住んでいる家が一応持ち家なので、本籍を移してしまうのが後々簡単なんだとは思う。そろそろ真面目にそれを考えるべきだ。それでもどこかでいつか横浜に戻りたいと思っているところがある。もはや生まれ故郷としての意味すら失っているような場所、どこへ行っても懐かしいと思えるような風景、あえて私的原風景とでもいうべきものが失くなっているというのにね。
 とくに脈絡もないまま62歳を迎えてしまった。ただそれだけの話だ。