東京富士美術館へ行く (8月28日)

 東京富士美術館がのHPを見ていたら8月29日から設備改修のため長期休館となり、再開されるのは来年の7月という。ある意味、家から一番近い美術館である。圏央道を使うと30分と少しで着く。そして西洋美術の収蔵品は、上野の西洋美術館に次ぐくらいの充実したコレクションを誇るところである。ここ4~5年に年に2~3回は行っている、自分にとっては重要な美術館が10ヶ月も休館となる。ということで最終日の昨日、慌てて行ってみることにした。

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 企画展は7月にも行った「ムーミンコミックス展」だが、今回はそっちは全部パス。行った時間も3時を少し回っているくらいだったので、常設展のみに注力することにした。

 時間は遅めだが、駐車場はほぼ満杯状態。夏休み最後の日曜日で、ムーミンということもあり子ども連れも多数。あとこの美術館は道路隔てた向こうに創価大学の正門がある。そこでなにかの会合(おそらく創価学会関係)があると、そこから人が流れてくることもあってけっこう混むことが多い。どう考えても美術鑑賞向きではないおじさん、おばさんがけっこうお喋りしながら鑑賞なんてこともある。

 さらにいえば、そういう関係者にはけっこう無料招待券みたいのが配られているらしい。以前、妻の友人で現役学会員の方から「無料のチケットあるけど行く」みたいに声かけてもらったこともある。

 ということでいつもの裏門近くの身障者用駐車場も、そこから近い第一駐車場も満杯で、ちょっと遠目の第二駐車場に車を止めることにした。と、車椅子を出して美術館に向かおうとしたところで、警備の方がやってきて、親切にももっと近いところをご案内できますと言って下さる。なんでも身障者用駐車場脇の搬出用のシャッターが閉まった出口の前に止めてもいいという。そこで車椅子をしまって、第二駐車場から裏門の方に向かうことにした。

 東京富士美術館は駐車場から入り口までは100メートルくらい坂道を下ることになる。このへんが若干ネックにはなるのだが、まあコレクション豊富なステキな美術館なのでこのへんはすべて捨象する。まあ上りじゃないだけマシである。

 前回もムーミンをほとんどパスして常設展だけにしたが、今回はもういきなり常設展示に向かう。妻はというと一応ムーミンにも興味があるようでまずはそっちから。ということで入り口付近で解散することにする。

 

 

 

 

ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ豪胆公の肖像》(ルーカス・クラーナハ父) 12533年

 

《小川のある森の風景》(クロード・ロラン) 1630年

コンスタンティヌスの結婚》(ルーベンス) 1622年
 ロココの雅宴画

 ちょっとロココのマチエールとかディティール見てみた。

《アントワーヌ・ド・ラロックの肖像》(ヴァトー) 1718年頃

 

《田園の気晴らし》(ブーシェ) 1743年

 

 ブーシェはこうした牧歌的絵を画いている。羊飼いと若い女性の愛の語らいをモティーフとしている。これ実際の羊飼いではなく、当時の貴族たちが羊飼いに仮装しているのだとか。当時流行した牧歌劇から着想を得てブーシェが創始した「牧歌絵」なのだとか。確かにこういう田園を舞台にした男女の少し官能的な絵をいくつか観たことがある。ブーシエの得意技だったわけだ。
 ロココの雅宴雅は、ヴァトー(1684-1721)、ブーシェ(1703-70)、フラゴナール(1732-1806)と時代を経るにつれ、官能性、卑俗で非道徳的、ようはお下劣度がますとはよくいわれる。しかし、例えばブーシェのこの作品も後景の森の間にそそり立つ建物や、空の描写と近景の鳥たちの描写など。近景の羊飼いに扮した恋人たちと光景の風景とを真ん中の大きな木で分割し、後景は空気遠近法で対比させるなど、技術的には確かなものがある。

 富士美のブーシェ作品は、この《田園の気晴らし》と対になる《田園の奏楽》の他、大画面の大作《ヴィーナスの勝利》がある。最近その2点はずっと展示がないが、美しい作品だ。

ロマン派の名品

《突撃するナポレオン軍の将軍》(ジェリコー) 1810年

 

《書斎のドン・キホーテ》(ドラクロワ) 1824年
マネの筆触

《散歩》(エドゥワール・マネ) 1880年

 マネは印象派の画家ではないが、ある時期には印象派の技法を取り入れている。この絵もそうした時期のものだろうか。背景の草や木々の表現には明らかに筆触分割的な方法を取り入れている。とはいえ、マネは特に視覚混合を狙っているわけでもなく、あくまで女性の黒いドレスと対比した背景を表現するためにあえてこの技法を使用しているようだ。縦になったり、横になったりという筆触、さらに塗り残したような部分など、どちらかといえばセザンヌの試行と似たものがある。当然、この絵は離れてみても印象派作品のような視覚混合は起きないが、美しい婦人の肖像画が明確にはなる。

モネの筆触

《海辺の船》(クロード・モネ) 1881年


 この絵は富士美のモネ作品の中でも一番気に入っている。なんならモネの作品の中でも十指に入るくらい好きかもしれない。この絵はまさにモネの主観、直感に基づいた筆触分割によって成立している。多分、これは新印象派のような科学的、あるいは規則性に基づいた点描とは異なる。それでいて離れて鑑賞すると見事な視覚混合の成果が得られる。この絵は7メートルくらい離れてみるとその美しさが堪能できる。

 この部屋の中央にはマイヨールの美しいブロンズがあり、5メートルも離れると次の部屋に入ってしまう。そこにはユトリロ、ルバスクマルタンマン・レイなどの作品が展示してある。その部屋のは入り口に立って、マイヨール越しに観るのがベストな鑑賞位置だ。

ピサロの筆触
《春、朝、曇り、エラニー》(カミーユピサロ) 1900年頃

 

 東京富士美術館は来年7月まで休館。家から1時間以内で行ける美術館は、加須のサトエ記念21世紀美術館が閉館となり、富士美もまた10ヶ月休館で、残るは埼玉県立近代美術館だけとなってしまい、ちょっと淋しい気分である。

 高齢者のはしくれなので、10ヶ月後というと、自分はそのとき生きていられるかなどと思ったりもする。まあ多分。事故でもない限りは生存の確率は高いだろうか。リニューアルオープンの時には、以前やったような「とことん見せます」的な蔵出しコレクション展、それこそ海外の美術館のように上から縦三列の展示などによるボリューミーな展示を観てみたいものだと思う。

 富士美としばしの間お別れである。