年末年始、こんな映画を観ている

 映画評、いや映画の感想文めいたものはあまり書いていないけど、それなりに映画は観ている。ほとんどがBSで放映されたものを録画してそのまま放置していたもの、時々はアマプラやNetflixで配信されていたものか。ほとんどが旧作の部類だけど、改めて思うのは1990年代から2010年代、新作だったものをあまり観ていないなということ。その頃、何を観ていたのか、多分仕事や家事、介護、子育てに追われてあまり映画観ていないのか、観てももっと昔の映画をチョイスしていたのか。多分、その両方のような気がする。

パーフェクトケア

映画『パーフェクト・ケア』公式サイト (閲覧:2023年1月15日)

パーフェクト・ケア - Wikipedia (閲覧:2023年1月15日)

 友人が観ろ、観ろと勧めてくれていた映画で年末に観た。。いくつかレビューも読んでいたので、あらかた内容は判っていたが、想像以上の出来。予想を上回る展開の連続だった。多分、2022年の拙い映画鑑賞でいえば、これがベストワン。

 認知機能の低下した高齢者のために資産等を管理する後見人が、医師、老健施設と共謀して、金持ちの高齢者の資産を食い物にするというお話。高齢化社会だからこそのクライム映画。

 健康な金持ちの老人を認知症のため後見人が必要という医師の診断をでっちあげさせ、それを基に裁判所に後見人として認めさせる。老人は老健施設に入れられ、外部との連絡も出来ないようにさせる。そのうえで老人の資産を勝手に処分し、利益を手に入れる。後見人となった高齢者の数が多ければ多いほど利益が出る。

 映画の導入部、老健施設から後見人をしている老人が入所してすぐに死亡したという連絡が入ると、もっとむしり取るはずだったのにと主人公が悔しがるシーンが挿入される。そこでこの映画の大筋が判るのだが、ストーリー展開は観る者の予想、想像力のはるか上をいく。まさに予想不能なストーリー。

 主人公は医師から「いいカモがいるわよ」と一人の老婦人を紹介される。彼女は身寄りのない裕福な老人で、優雅な生活を続けている。さっそく医師に認知症という診断書を書いてもらい、本人不在のまま裁判所で後見人に指定してもらい、老婦人を老健施設に放り込み資産を処分する。しかし、老婦人のバックには意外な人物がいて・・・・・・。

 この映画を勧めてくれた友人は同い年で、現役バリバリで仕事している。彼女曰く、「高齢化社会では後見人制度の需要は高まるかも。映画のような悪徳ではなく適正に資産を管理するとか、商売としてやっていくのは意味がありそう。商売としてやってみようかしら」。おいおい、我々は食い物にする側ではなく、される側ではないのか。

シン・ウルトラマン

 

 これも暮れにアマプラ配信されていたので観た。公開時はかなり話題になっていた。かっての子ども向け空想科学モノを徹底したリアリズムを施してリメイクした映画で、「シン・ゴジラ」の二番煎じといってしまえば、それまでだが、そこそこに金をかけていて、細部のリアリズムを徹底させている。「神は細部に宿りたまう」といったところか。とはいえ、ゴジラはともかくとしてウルトラマンはやはり荒唐無稽過ぎるかもしれない。

 ゴジラは3.11の津波やその後の原発震災のメタファーでもある。もともとオリジナル映画は1960年代の太平洋での水爆実験と核戦争への不安、そうした時代の空気を怪獣というメタファーによって描いた作品である。

 それに対してウルトラマンはというと、あまりそうした背景的なものがない。常に怪獣の来襲に遭う日本、立ち向かうにもあまりにも非力な科学特捜隊。危機的な状況の中で空からやってきたヒーローが怪獣を退治してまた空へ去っていく。しょせんは毎週放映される子ども向け空想科学ドラマである。

 それをどう現代的に辻褄あわせたストーリーにして、細部にリアリズムを積み重ねても無理があり過ぎる。巨大不明生物=怪獣を「禍威獣(カイジュウ)」に、科学特捜隊(科特隊)を「禍特隊」と言い換えてもまったく説得力がない。

 どこに突っ込んでいいのか判らない展開が進む。ベーターシステムってなんだ。人類を巨大化させ生物兵器に転用するっていうのが。そもそもなぜ怪獣は日本だけを襲うのか。これは憲法9条をもち自衛のみの軽武装自衛隊をもつ日本への過度は警告的メッセージか。テレビで「ウルトラマン」が放映されたのは1966年から67年にかけて。70年安保を前にしたある種のプロパガンダ性を有していたのか。まあどうでいいや。

 繰り返すがウルトラマンは荒唐無稽な設定故に、どんなに細部をリアリズムに施しても所詮は空想科学ものなのだということ。

 とはいえこの映画にもいいところはある。俳優陣はキャスティング、演技ともなかなか素晴らしい。斎藤工はもはや主役は彼以外に考えられないというくらいにはまっている。山本耕史のうさん臭さはもはや彼のキャラクターの一部のようでさえある。大河ドラマ三浦義村役とともに2022年は彼の当たり年だったかもしれない。

 そしてなによりも長澤まさみである。この映画の見どころは巨大化した長澤まさみがすべてである。妙にシュールでエロティックなあの巨大化した肢体。巨大長澤まさみを観るだけでもこの映画には価値があるかも。

大怪獣のあとしまつ

大怪獣のあとしまつ - Wikipedia

 これは年明け、多分1日か2日に観た。正月早々この映画である。トホホ。

 これも2022年公開映画で、当時とにかく酷評された映画である。ギャグが滑っているとか諸々。おそらく「シン・ゴジラ」と同じような徹底したリアリズムを施したシリアス、真面目に、超真面目に空想科学怪獣モノを映像化するみたいなものを期待している層にとっては、「なんだよ、これ」みたいな、あまりにもあまりな拍子抜け喰らいだったのかもしれない。

 しかし、しかしである。監督は脱力系三木聡である。三木聡の映画だというだけでもうすべてが判るはずである。だいたいにおいて、三木聡監督でふせえり岩松了が出ている映画にいったい何を期待するというのか。

 三木聡監督作品は久しぶりに観たが、期待を裏切ることなく見事なすかっしっぷりというか、いつもの脱力は健在である。ただし今回は相応に予算がついたせいか、かなり大掛かりな映画になっていて、その大掛かりぶりがまたネタになっていたような。主役の山田涼介や土屋太鳳は熱演すればするほど、それが失笑されるというかネタとなっている。

 個人的にはこの映画嫌いじゃないし、様々な酷評レビューはあまりにも不当であるように思う。「なに、三木聡映画でイキッてるんだ」みたいな感じ。なんなら「シン・ウルトラマン」よりも気に入っているかもしれない。ただし「シン・ウルトラマン」には巨大化長澤まさみという強烈なインパクトがある。多分、土屋太鳳が巨大化してもあのインパクトはないかもしれない。まあいいか。

キャスト・アウェイ

 2000年の映画である。そのうち観ようと思いつつ20年以上が経ってしまった。そうやっていつか観ようとか、いつか読もうと思ってそのまま果たせずに忘れてしまう映画とか本とか沢山あるんだろうなとは思う。とはいえ最早残された時間は少ないし、そういうものだと諦観するしかない。この映画も年明けに観た。

 ロバート・ゼメキス監督、トム・ハンクス主演は「フォレスト・ガンプ」に次ぐものか。漂流物である。現代のロビンソン・クルーソーである。無人島にたどりついた主人公のサバイバルを描く。細かいリアルとトム・ハンクスの圧倒的な演技力、ただし現実的にはとても生存は難しいだろうし、それ以上に生還も難しいだろう。そういうあり得なさを細かいエピソードのリアルさと迫真の演技で、いかにもありそうなものに変える、これが多分映画のマジックなのだろう。

 生還した主人公が、恋焦がれた恋人に会いに行く。恋人は彼が死んだものと思い、すでに結婚して子どももいる。混乱する元恋人、そして主人公は彼女への思いを断ち切れない。主人公と彼女は心を通じ合わせる。でも主人公の下した決断は・・・・・・。

 サバイバル映画としてもメロドラマ的な部分でも王道を踏襲している。そこそこに面白かったが、もう一度観るかといったら多分次はなさそう。元恋人役は「ツイスター」「恋愛小説家」のヘレン・ハントが演じている。この頃のヘレン・ハントは一番美しく、演技も充実している。彼女が出ているだけで個人的にはこの映画の評価ポイントが上がるかも。

恋に落ちたら

 これも年明けに観た。なんなら「キャスト・アウェイ」に続けて観たかも。

 1993年の映画で初めてこれも初めて観た。デ・ニーロとユマ・サーマンで、デ・ニーロは刑事役。監督はスコセッシかと思ったが、彼は製作総指揮で、演出はジョン・マクノートン。まったく知らない人だな。

 デ・ニーロは気弱な刑事。ドラッグ・ストアでの強盗事件に遭遇し、ひょんなことからギャングのボスの命を助ける。ボスは彼を気に入り、お礼に情婦を一週間貸し出す。刑事は情婦の境遇に同情し、それは次第に恋に代わって・・・・・・。

 ひ弱な刑事役がデ・ニーロ、ギャングのボスがビル・マーレイというキャスティング、ちょっと無理がある。多分それがすべてかも。数々のギャング映画、マフィアモノに主演している彼にそういう意外な役をもってくるという企画なんだろうが、残念である。いかに彼の演技力をもってしても、定着したイメージは覆せない。ちっともひ弱に見えない。同様にコメディアン、ビル・マーレイもギャングのボスには見えない。

 多分、二人の役を逆転させればいいのだが、そうしたらあまりにも当たり前で、シチュエーション・コメディとしての設定が崩れる。そういうとこがちょっとというか。多分、ストーリーをもう少しこねくり回すとか、演出上の工夫が必要だったのかもしれない。

 ユマ・サーマンはかなりいい出来。ギャングのボスのいいなりになる不幸な情婦役をうまく演じている。こういうはすっぱな役柄が得意な人だな。デ・ニーロと一緒にいると、この人のほうが背が高い。デ・ニーロはそれほど小男ではないのにとちょっと調べると、身長が181センチもあった。もともとファッション・モデル出の人らしい。

イエスマン “YES”は人生のパスワード

 ジム・キャリーは多分アメリカでは相当な大スターなのだと思う。「サタディ・ナイト・ライブ」出身のコメディアンからの映画への転身という点でいえば、おそらくエディ・マーフィーと双璧くらいのスターなんじゃないかと思う。90年代後半の「マスク」「トゥルーマン・ショー」など、この頃もっとも人気のあった人だ。

 そして2008年、この映画もそこそこヒットしている。でも基本的に自分はジム・キャリーの芸風というのが今一つである。彼の顔マネとかもなんとなく今一つしっくりこない。同じ「サタディ・ナイト・ライブ」出身の白人コメディアンでいうと、多分10年以上前になるのだろうが、ジョン・ベルーシチェビー・チェイスなんかの方がよくわかる。ジム・キャリー以降でいえばまだアダム・サンドラーとかの方がわかるか。

 単純に性に合うとかそういいう部分大きいし、個人的な好き嫌いの範疇になるのだが、どうにもジム・キャリーの芸風、わざとらしさみたいなものが鼻につく。なので映画もややマイナス的になる。この映画もちょっとそういう色メガネで観ているせいか、今一つ楽しめなかった。

 お話は、それまで人生に消極的で、人間関係にもまず「ノー」から入るような男が、自己啓発サークルですべてを「イエス」と受入れよという啓示を受けて実行する。するとこれまでうまくいっていなかった人生が好転していき・・・・・・。

 自分は多分、「トゥルーマン・ショー」をその後もう一度観ることがないままきているので、多分この映画も同じ運命のように思っている。若い頃のブラッドリー・クーパーや名優テレンス・スタンプが脇を固めている。